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2007年2月28日 (水)

製造物責任法と消費者期待規準

 ロボットが事故を起こして人の生命身体が害されたとき,当該ロボットの製造者が製造物責任法上の責任を負うか否かが,一つの争点になる。

 製造物責任法は,次のように規定している。

 「この法律において『欠陥』とは、当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいう。」(2条2項)。

 問題は,「欠陥」の内容すなわち「当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」ことの有無は,何を基準に判定されるのか,という点である。

 この点に関し,「これは欧米で既に導入されている『消費者期待基準』と同様の考え方であり、『通常の消費者(使用者)が期待する安全性』を基準にして製品の欠陥が判断されることになる。」とする見解もあるが,一般には,製造物責任法が「消費者期待規準」を採用したとは考えられていない。欠陥の有無は,消費者,製造業者を含めた「通常人」の視点から,「その製品として備えるべき安全性を有しているか否か」が判断されると考えられている。

 「通常人」って何よ,とつっこまれそうだが,これは全国民の平均値という意味でも,多数派という意味でもない。裁判官が頭の中に思い描く「一般的な合理的判断能力を有する架空の人間」である。

 それでは「消費者期待」と「通常人」という判断基準の違いは何か。観念的には,「消費者期待」規準の方が,消費者保護に厚い結論を導く,とされる。もっとも,いずれの規準にしても,日本の裁判では裁判所の胸三寸なので,結論に余り差異はないかもしれない。(小林)

 

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2007年2月26日 (月)

VJ道場Journal

 このブログの「現代日本の治安と『怒りの文化』」に,立命館大学のインターネット放送局「VJ道場」のトラックバックがつきました。小生はまだブログ初心者なので,このような場合どうしたらよいか分からないのですが,御礼を申し上げておきます。

 トラックバック先のビデオリポートは,京都市内の商店街に設置された1200台とも1500台とも言われる防犯カメラについて,「本当に防犯の役割を果たしているのか」とか,「そもそも防犯カメラを設置することが許されるのか」などの問題提起をしています。細かいつっこみどころはいくつかありますが(大学教授にジュースの自動販売機の前でインタビューしちゃマズイだろう,とか),全体として丁寧な作りで,好感が持てます。

 京都市の商店街に設置された防犯カメラは,過去の窃盗事件の解決につながった業績はあるものの,「防犯」の名にふさわしい犯罪抑止力は無いのではないか,という問題提起でしたが,この問題提起をするならば,商店街や警察に取材して,カメラ設置前の犯罪認知件数と,設置後の犯罪認知件数を具体的に示してほしかったところです。私の勝手な想像ですが,そもそも,カメラ設置前も,さほどの犯罪認知件数はなかったのではないでしょうか。また,費用対効果を問題にするのであれば,設置費用の6000万円に留まらず,維持費用として今後幾らの出費を要するのか,についても報道してほしかったところです。教授が指摘するように,防犯カメラが通行人を撮影することが違法であるならば,VJ道場の皆さんが通行人を撮影しインターネットで放送することはどうなのか,についても考えて頂かないといけません。

 今後もVJ道場の皆さんがこの問題に取り組んでいくことを期待します。頑張ってください。

VJ道場はこちら http://www.vjdojo.net/index.html

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犯罪不安社会 誰もが「不審者」?

平成15年版「犯罪白書のあらまし」は,「平成14年の刑法犯の認知件数は,…戦後の最多記録を7年連続で更新した。」との書き出しで始まっている。「治安の悪化状況は戦後の混乱期を超えた」とする前田雅英教授の指摘(「日本の治安は再生できるか」ちくま新書)は,おそらくこの統計資料を根拠にしている。

これに対して,浜井浩一氏と芹沢一也氏の共著となる「犯罪不安社会 誰もが『不審者』?」は,「本の治安は悪化していない」との立場から,わかりやすい主張を展開する,おすすめの一冊である。

現龍谷大学法科大学院教授の浜井浩一氏は,法務省時代犯罪白書の作成に関わった経験をお持ちであり,統計のプロとしての立場から,統計数値の真の読み方を説く。また,「刑務所が収容者であふれかえっているのは,犯罪が増えたから」と断定する前田雅英教授に対する反論として,「治安悪化の結果として刑務所があふれたなら,刑務所は極悪非道な犯罪者で埋め尽くされているはずだが,現実に刑務所に収容されているのは老人・障害者・外国人ばかりであって,実際には刑務所は社会的弱者の最後の救護所となっている」と指摘する。

他方,「治安悪化が存在しないにも関わらず,なぜ体感不安が悪化しているのか?」の問いに対する答えには,やや不満が残る。

浜井氏は,現在の社会不安は,社会の保守階層が有する社会変革への危機感がマスコミを通じて市民に浸透し,「モラル・パニック」が起きているからだと論じる。芹沢氏は,社会の関心が犯罪加害者から犯罪被害者に転換したことが原因である(「犯罪者ははっきりと恐怖の対象になった」)と主張する。同氏はまた,地域防犯活動の行き先は「相互不信社会」であると警鐘を鳴らす。

これらの指摘は非常に興味深いのだが,現代の体感不安を読み解く一つの仮説ではありえても,証明の域にまでは達していないように感じる。浜井氏の指摘に対しては,「保守層」とは誰のことなのか(私は保守層なのかそうでないのか?),保守層が社会変革への危機感を有していると言うが,保守層に危機感をあたえる社会変革は今だけではなかったはずで,なぜ今回に限りモラル・パニックが起きるのか,仮に保守層がマスコミを通じてモラル・パニックを引き起こしているとして,具体的にどうやってマスコミを操作しているのか,仮に保守層がマスコミを操作しているとして,これを受け入れる素地が市民の側にはなかったのか,などの疑問がつきない。浜井氏の反論を期待しつつあえて厳しく言うなら,同氏の主張は現時点では「保守層陰謀説」とでもいうべきレベルに留まっており,「保守層」が文脈上特定できないという意味において,「ユダヤ人陰謀説」よりある意味で始末が悪いと思う。芹沢氏の指摘についても,社会の関心が被害者にあったことや,犯罪者が「理解不可能な怪物」であったことは今に限ったことではないとの指摘が可能と思う。そうであるとすれば,かつてと今とで決定的に違うことは何なのであろうか。また,地域防犯活動が相互不信社会を生むという主張は,それ自体全面的に賛成であるが,他方で,相互不信社会化が地域防犯活動のきっかけになったことも事実であろう。鶏が先か卵が先かという話になってしまうのである。

総じてこの本は,「治安悪化という常識」に対する健全な疑問をわかりやすく提示したという意味において,大いに参考になる。その疑問の先に何があるかはやや不透明であるが,この点についてはお二人の今後の活動を待ちたい。(小林)

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2007年2月24日 (土)

六本木ヒルズ回転ドア死亡事故とロボットの安全

 私が参加している経済産業省の次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会は,次世代ロボットの安全基準のガイドラインを策定することを目的としている。もっとも,次世代ロボットとは何か,となるとはっきりしないので,当面は,自動清掃ロボットのようなものを念頭に置いて安全基準を考えると言うことのようだ。

 ところで,ロボットとは何か,ということになると,実ははっきりしない。経済産業省は,とりあえず,「センサー、知能・制御系、駆動系の3つの技術要素を有する、知能化した機械システム」をもってロボットの定義としている。

 ロボット,と聞いて一般市民がイメージするものと,経済産業省の定義の最大の違いは,この定義によれば,人間に似ていることはロボットの要件ではないということである。ロボットといえるためには,センサーと知能・制御系,駆動系の3要素を備えていれば足りるので,例えば,MPUを備えた多少高級な自動回転ドアは,経済産業省の定義を借りれば,ロボットとなる。他方,鉄人28号や機動戦士ガンダムは,いずれも人間が操縦しなければ動かないので,「知能・制御系」を備えていないことになり,経済産業省のいうロボットに該当しない。

 自動回転ドアがロボットということになると,2004326日に6歳の男児(大阪府在住)が六本木ヒルズ森タワー正面入口の大型回転ドア(三和シヤッター関連会社の三和タジマ社製)に挟まれ死亡した事故は,次世代ロボットによる(もしかしたら最初の)死亡事故,ということになる。民事事件が訴訟にならずに終了してしまったため,事故原因に関する資料は公開されずじまいであった。次世代ロボットの安全性確保規準を制定しようとする立場からは,事件記録が公開されなかったことは大変残念である。

 この事故を受けて,国土交通省では「自動回転ドアの事故防止対策に関する検討会」が発足し,「自動回転ドアの事故防止対策に関するガイドライン」が制定された。その詳細は後日論じるつもりだが,関心のある方は下記ホームページをご参照頂きたい。

 このガイドラインのポイントは,次の通りである。

① 子供連れ、高齢者、障害者等の利用に配慮して、他形式のドアを併設すること。

② 挟まれ防止のため制動距離の制限、防御柵の設置など多重の安全対策を確保すること。

       衝突防止のためドアの最大回転速度(ドアの外周部で65cm/秒)を制限すること。 等

 この内容自体には,特に異論はないのだが,これで事故を防ぐことができるのか,素人ながら疑問である。この事故は典型的なヒューマンインターフェース上の齟齬が根本にあるような気がするのだが,上記ガイドラインがヒューマンインターフェースを重視した痕跡は見られない。(小林)

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2007年2月21日 (水)

防犯カメラと個人情報保護法について

「『防犯カメラ設置中』という張り紙がありますが,あの貼り紙を貼らずに防犯カメラを設置したら違法ですか?個人情報保護法上は,張り紙を貼らなければならない,という話を聞いたのですが。」という相談を受けることがあるが,これに対する回答は,やや複雑だ。

個人情報保護法18条1項には,「個人情報取扱事業者は,個人情報を取得した場合は,あらかじめその利用目的を公表している場合を除き,速やかに,その利用目的を,本人に通知し,又は公表しなければならない。」とある。

そこでまず,防犯カメラによる撮影が「個人情報を取得した場合」に当たるか否かが問題となる。

個人情報の定義は個人情報保護法2条1項に規定されているが,要するに,それによって個人の特定が可能な情報か否かで決せられるから,防犯カメラで撮影した画像は,個人が特定できるほど鮮明なものである限り,個人情報に当たる。もっとも,録画せず,モニタリングするだけなら,個人情報を「取得」する場合にあたらないので,個人情報保護法の適用はない。人間の脳みそに記録する場合は,情報の取得にあたらないのだ。

次に,防犯カメラで撮影した画像が個人情報にあたるとして,撮影者が「個人情報取扱事業者」にあたるか否かが問題となる。

「個人情報取扱事業者」の定義も分かりづらいが,要するに,「検索可能な個人情報を5000人分以上保有したことのある事業者」である。電話帳は除外されるが,顧客名簿や従業員名簿,職業団体名簿や同窓会名簿などを事業目的で5000人分以上保有したことがあれば,個人情報取扱事業者に該当する可能性は高い。ただし問題となるのは,防犯カメラで撮影された人数はこの5000人にカウントするのか,という点である。

防犯カメラの画像が個人情報に該当することは既に述べたが,これが検索可能でなければ,5000人にカウントされない。そうすると,現在市販されている技術水準では,防犯カメラの画像から特定の個人を検索することはできないから,防犯カメラに撮影された人数は5000人にカウントされないという結論になる。もっとも,顔認証技術の発展により,録画された防犯カメラの画像から特定の個人の画像を機械的に検索する技術は既に開発されているから,この技術を導入した場合には,防犯カメラの画像も検索可能な個人情報となり,5000人にカウントされることになる。

以上をまとめると,「個人情報取扱事業者」にあたる事業者は,防犯カメラで録画を行う場合には,その利用目的を通知・公表しなければならない,ということになる。

但し,「通知・公表」とはいっても,個人情報保護法上は,「防犯カメラ設置中」という「張り紙」をしなさい,とは書いていない。個人情報保護法上の解釈としては,利用目的をホームページ上で公表してもよい。結局,個人情報保護法上は,「防犯カメラ設置中」という張り紙をしてもしなくてもよいということになる。(小林)

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2007年2月19日 (月)

司法改革と共通一次

昭和20年代後半の大不況による就職難時代,「大学は出たけれど」が流行語となった。今年は,「司法試験に受かったけれど」が流行語になるかもしれない。

日本弁護士連合会の試算によれば,司法試験に合格して2007年中に法律事務所への就職を目指す2200人前後の司法修習生のうち,最悪の場合400500人の就職浪人が出る可能性があるそうだ。これは悲観的予測かもしれないが,間違いないことには,この予測はここ数年,悪くなることが確定している。つまり日弁連の予測は,今年はあたらないかもしれないが,数年後には間違いなくあたる,ということだ。そもそも司法試験合格者数の増員は,検察官の増員を企図して始められたはずだ(そうですよね,堀田力さん。)。ところが合格者3000人を迎えようとする今,裁判官や検察官は全く増員されず,余った者は弁護士を目指し,しかし,5分の1は就職できない時代が来ようとしている。

失われた10年以降,大学生の就職が最高の売り手市場になっているのに,である。

このような状況で,あえてリスクを負い,高い学費を支払って司法試験を受験しようとするのは,よほどの物好きか,理想に殉じる覚悟をお持ちの方であろう。その昔,「でもしか教師」という言葉が流行ったが,「でもしか弁護士」という言葉が登場する日も近い。これで弁護士の質の向上など望むべくもない。

法曹界では,今年を司法改革仕上げの年,と言うらしいが,一体司法改革で何を目指そうとしていたのか。

話は変わるが,私は昭和37年生まれで,ちょうど共通一次が導入されて2,3年目に大学を受験した世代である。そのため,受験時代は,共通一次の制度改革が右往左往するニュースに振り回された。私の記憶では,そもそも,共通一次は大学間の格差を解消し,受験戦争の弊害を減少させる目的で始まったはずだ。ところが共通一次導入の結果,東京大学を頂点とする大学の序列が固定され,偏差値による受験生の評価と振り分けが一般的となったことはご承知のとおりだ。

私は司法改革がうまくいくとは思わないし,教育改革も失敗すると確信している。この確信の原点は,おそらく,自分の受験時代の体験にある。

太平洋戦争終了直後,教科書を墨で塗りつぶし,教師や言論人が昨日と今日とで正反対のことを恥ずかし気もなく唱える様を目の当たりにした世代は,かなり強烈な懐疑主義を体得している。司法改革に対する私の疑念も,スケールはかなり違うが,似たような体験に基づいている。(小林)

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2007年2月17日 (土)

沖縄米軍基地と繁華街の防犯カメラについて

沖縄は基地の島である。沖縄県民は雇用や消費の面で基地から利益を得ている部分もあるのだろうが,他方,騒音や事故の危険,そして,在日米軍人の犯罪被害者になる危険にさらされている。2007年1月14日にも,在日米軍人の少年が路上で通行中の女性に殴るなどの暴行を加え現金入りのバッグを奪ったとして強盗致傷の疑いで逮捕されたという。この問題に関しては,「米軍犯罪防止ワーキングチーム」が日米共同で定期的に開催されており,米軍側は綱紀粛正を約束しているが,地元商工会や外務省からは,繁華街での防犯カメラの設置を進めたいとの提案がなされている。

商店街や繁華街といった公道・公共の場所への防犯カメラ・監視カメラの設置は,沖縄に限らず日本全国で推進されている。しかし沖縄における繁華街への防犯カメラ設置に特徴的なのは,在日米軍人による犯罪の防止,という明白な目的がある点だ。この点はプライバシー権との関係で問題がないのだろうか。

沖縄にいる外国人は,もちろん米軍人だけではない。米軍人も,商店街や繁華街を通行するときは非番のときだろうから,私服であろう。つまり商店街や繁華街を通行する外国人は,外見上,在日米軍人か否かの区別がつかない。つまり,商店街や繁華街を通行する外国人は,外国人であるというだけで,等しく監視の対象になるのである。

在日米軍人に対するプライバシー権侵害の法的問題は,在日米軍がOKすることによって回避できるけれども,在日米軍人でない外国人については,人種または国籍による不当な差別ではないかという疑問が払拭できない。

もちろん,防犯カメラ・監視カメラには事前の抑止効果を期待するだけで,もし犯罪が起こったら事後的に映像を証拠とするのであれば,以上のような問題は発生しない。しかし,沖縄県民の本心は,事前の監視を求めるだろう。性犯罪や殺人・傷害罪は,事後的な刑事手続や民事手続では救済しきれないからだ。

米軍基地は本土にもあるが,沖縄県民は本土に比べて格段に,米軍基地に起因する危険を多く負っている。その不公平感を本土の人間は無視してはならない。しかも,この問題は本土の人間にとっても対岸の火事ではない。在留外国人による犯罪や社会不安の問題は,欧州の例に照らせば,近い将来,日本にとっても現実の問題となる可能性がある。(小林)

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2007年2月14日 (水)

設計上の欠陥を判断する基準

 製造物責任法上,製品の欠陥は,「製造上の欠陥」「設計上の欠陥」「指示警告上の欠陥」に概念上三分されるが,このうち,「設計上の欠陥」の有無を判断する基準として,アメリカでは,「消費者期待規準」と「危険効用規準」の二つの規準が唱えられ,対立しているとされる。

消費者期待規準とは,消費者が期待する安全性を備えているかどうかを規準とするものであり,危険効用規準とは,危険の大きさと効用の大きさを比較して,危険の方がより大きいと判断されるとき,欠陥があると判断するものである。

消費者期待規準の方は,その意味を直感的に理解しやすいが,危険効用規準の方は,ややわかりにくい。いやしくも市場に出回っている製品である以上,効用より危険の方が大きい場合は想定しにくいからだ。また,製品には効用とトレードオフの関係にある危険というものが存在するのであり(ナイフは,刃が鋭いほど優秀である),このような危険が存在するからといって,直ちに欠陥があるといえないことは常識である。

実際のところ,製品本来の効用とトレードオフの関係にある危険が裁判になることはほとんどない。「製品本来の効用は維持しつつ,設計変更により,この危険は回避できたのではないか」が問題となる。

アメリカのクェイド教授が危険効用説の具体的内容として1973年に提唱した7つの規準の中に,「その効用を害することなしに,また,その効用を維持するのに過度の経費をかけることなしに製品の危険性を除去する製造者の能力」が挙げられている。つまり,「同じ効用を,別の設計で実現できるのであれば,過度のコストがかかるのでない限り,製造者は別の設計を行うべきであった」という考え方である。

ところで,「危険効用規準」に対しては,「企業寄り」との批判が寄せられている。

危険効用説を採った場合,問題となるのは,合理的代替設計の可能性が争点になることであろう。しかも,提唱者は,立証責任を原告側(被害者である消費者)に分配するように思われる。そうだとすると,消費者は,「合理的代替設計」を立証しない限り,敗訴することになる。

構造が単純な製品であればこの立証は容易であろうが,構造が複雑又は高度な製品の場合,この立証は困難を極めると予想される。多くの場合,設計変更は製品本来の効用を犠牲にしないとしても,製造コスト,デザイン,重量,環境問題,その他様々な要素とトレードオフの関係にあるからである。逆に言えば,製造者側としては,代替設計の合理性を攻撃することは楽である。「その変更はコストがかかります。安い製品を入手することも消費者の利益になるはずです。」「その変更は,必然的にデザインの変更を伴います。この製品はデザインの良さが人気であり,原告もデザインが気に入って購入したはずです」「その変更に伴う部品は,製品を廃棄する際,環境問題を引き起こします」…云々,大いに反論することが可能となろう。合理的代替設計の有無という争点は,製造者のワークフィールドにあるので,製造者にとっては戦いやすい戦場になるのである。その意味で,危険効用規準は企業寄りとの批判はあながち的はずれではないと思う。

一方,消費者期待規準に対しては,「消費者寄り」「規準が曖昧」という批判が寄せられている。

もっとも,以上はアメリカでの議論であり,日本では,製造物責任法施行後10年になるが,現在のところ,裁判所がこの議論に立ち入った形跡は見られない。これは,日本の裁判が陪審員制ではなく職業裁判官制であること,懲罰的損害賠償が認められていないことなどの制度的相違が背景になっていると想像される。

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2007年2月12日 (月)

現代日本の治安と「怒りの文化」について

 現代日本における治安が大きく悪化しているのか否か?という問題は,防犯カメラの設置を推進するべきか否かを論じる際,非常に重要な背景をなす。この問題の理論面については,別に論じることにして,今回は,やや直感的・感情的な文章でお茶を濁したい。

私自身は,直感的には,日本の治安が現在極めて悪い状態にあるとの指摘に対しては,やや「?」という立場である。多少悪くなっているとすれば事実であろうし、将来悪くなるか、という問いに対しては悲観的であるが、首都大学東京の前田雅英教授のように,「戦後の混乱期を上回り,戦後最悪の状況になった」などと言われると,「そんな馬鹿な」と思う。私自身は昭和37年生まれだから,戦後の混乱期がどのようなものか実感はないが(ちなみに前田雅英教授も昭和24年生まれだから戦後の混乱期の実感はないはずであるが),戦後の混乱期を伝える歴史書や歴史小説,テレビドラマ,黒澤明監督の「野良犬」や「天国と地獄」などから想像する限り,現在の治安状況が戦後の混乱期より悪いはずがない,と思う。もし犯罪統計が戦後の混乱期より悪い数値を示しているのであれば,それは数値の方が間違っていると考える。

私が現在の日本の治安がそれほど悪化していない,と直感的に思う一つの根拠に,今の日本に「怒りの文化がない」ということがある。ここで「怒りの文化」というのは,政府や国家社会といった制度,親の世代やブルジョアジーなどの権威,その他なんでもよいから,何かに対する怒りを表明する文化(小説,映画,音楽など)のことをいう。ちなみに「怒り」と「悪意」は違い,反抗心に近いニュアンスである。

「怒りの文化」は,社会不安の原因となる一般市民の「怒り」を正当化し,または昇華するメディアである。一般市民の多くが「怒り」を持つとき,これに応えるため,「怒りの文化」が発生する。だから,「怒りの文化」が盛んな社会は不安定な社会である。逆に,「怒りの文化」が無いということは,社会不安の原因となる「怒り」が一般市民の中にたまっていないことを意味する。「怒りの文化」には,多くの一般市民の怒りのはけ口として作用することにより,社会の安定を守る効用もある。

 こう書くと怒りを持つことは悪いことのようだが,決してそういう趣旨ではない。むしろ,人は,特にハイティーンは,何かに怒るようにDNAにプログラムされており,それは時として,社会変革の重要なエネルギーになる。だから,「怒りの文化」は,ハイティーンの文化としてまず登場することが多い。

ところが最近,日本で「怒りの文化」を目にすることはほとんど無い。例えばヒップホップやラップは,アメリカでは,典型的な怒りの文化の一翼を担っているが,これと同じような格好をして同じようなリズムを奏でる日本の若者は,しかし,とっても健全なことか,そうでなければレゲエのようなけだるい幸福感を歌っている。20年遡れば,尾崎豊や浜田省吾や中島みゆきなどが「怒り」をテーマにした歌を堂々と歌っていたし(いまでも『世情』は好きです),それより前なら,「仁義なき戦い」を見るお父さん達は,会社組織でのストレスを発散させていたはずだ。健全なことや幸福なことを歌うことは決して悪いことではない。しかし,昭和37年生まれのおじさんとしては,何だかなあ,と思うのだ。ねえ,君たちは本当に幸せなのか?何かに怒ってはいないのか?それは君たちにとって健康なことなのか?と。(小林)

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2007年2月10日 (土)

「日本の治安悪化」という常識

私は,近年増加している街頭の監視カメラや防犯カメラは,一定の条件を満たす限り,違法ではない,という立場をとっている。しかし,「近年日本の治安が悪化しているから」ということをその理由とすることには疑問を感じている。

 治安悪化を防犯カメラ設置の理由として掲げる立場の最右翼としては,前田雅英首都大学東京教授があげられる。同教授は「日本の治安は再生できるか」(ちくま新書2003年)において,グラフや図表を多用しつつ,「日本の犯罪率は,21世紀に入って,戦後の混乱期の犯罪率をついに超えて,戦後最悪の数値となっている」と指摘する。その原因のひとつは外国人犯罪の増加,もう一つは少年犯罪の増加であるという。そして,繁華街や商店街などに監視カメラや防犯カメラを設置することは,「もっとも合理性のある対応」であるとしている。

 前田雅英教授は刑法学の大家であり,警察庁「少年非行防止法制の在り方に関する研究会」座長ほか,多くの政府委員を務めておられるから,そのような地位にある人の発言ならではの重みがある。
 
 しかし,上記の著書に対しては,前田教授の主張の当否以前の問題として,その統計処理手法に基礎的な誤りがあると指摘されている。私は統計学には素人だが,確かに厳密さに疑問を持つ点もある。「この本は学術書ではないから」との弁解も聞こえてきそうだが,同教授による同趣旨の学術書である「少年犯罪ー統計からみたその実像」(東京大学出版会)に対しては,立教大学の荒木伸怡(あらきのぶよし)教授から,次の通り痛烈な批判がなされている。

 「概して本書は、統計処理面では、できればダレル・ハフ著高木秀玄訳『統計でウソをつく法』(講談社ブルーバックス)、谷岡一郎著『「社会調査」のウソ』(文春新書)等を参照しつつ、慎重に読むべき本であり、統計学の名著をも多数刊行している東京大学出版会が、その刊行書籍の品質を問われかねない本であると考える。」

 ほとんど罵倒といえる批判である。ここまで言われた以上,統計手法の正当性について反論しなければ前田教授の名誉に関わると思われるが,現時点で,私はそれに接していない。

もっとも,前田教授の統計処理手法を批判することは,同教授の主張の正当性や各種政府委員としての適格性を問う意味はあるが,「日本の治安は悪化しているのか?」という問いに対する答えにはならないことには注意が必要である。つまり,「前田教授は間違っている,だから日本の治安は悪化していないのだ」という議論には論理の飛躍がある。(小林)

 荒木伸怡教授の上記批判はこちら
http://www.rikkyo.ne.jp/univ/araki/naraki/gyouseki/mini/maeda.htm
 

 少年凶悪犯罪に関するリンク集
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/ShonenHanzai/

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2007年2月 7日 (水)

次世代ロボットと武器輸出規制について(5)

 ところで,階段を自律的に昇降する機能を有する次世代ロボット又はその技術は,外為法による輸出規制の対象になるであろうか。

 まず「リスト規制」についてみてみると,階段を自律的に昇降する機能を有する次世代ロボットは,輸出貿易管理令別表第1の1の(7)に規定された「軍用車両」に該当する可能性がある。「軍用車両」の定義について,経済産業省の解釈によれば,「装輪又は装軌式の軍用ロボットを含む。但し対人地雷除去機を除く。」とされているようである(安全保障貿易管理ホームページの関係法令集)。したがって,この解釈に従うならば,タイヤ又はキャタピラを駆動系とするロボットはリスト規制の対象になる。

 しかし,この経済産業省の省令には疑義がある。そもそも,法律解釈の最終権限は経済産業省にではなく裁判所にあるので,経済産業省の条規解釈は,一つの参考でしかない。また,外為法48条の規定は刑罰法規であるから,罪刑法定主義に従い,厳格な解釈が要求される。

 そこで第一に問題となるのは,本件ロボットは「車両」か,という点である。外為法上「車両」の定義規定はない。参考になるものとしては道路交通法2条が「車両」の定義規定を設けているが,人が乗ることが前提となっている。とすれば,小さすぎて人が乗ることができないロボットは,たとえ車輪又はキャタピラを移動手段としていても,「車両」に該当しないと解釈される可能性がある。また,車輪やキャタピラを移動手段としないロボット,具体的には数本の足で「歩行」するものや,蛇や毛虫のようなうねり運動・蠕動を移動手段とするロボットは,「軍用」に用いられても「車両」とは言えない。

 第二に,「ロボットを含む」とする解釈の正当性である。まず,経済産業省の解釈によれば,輸出貿易管理令別表1の2(15)の「ロボット」に関し,ロボットの定義を次のように定めている。「マニピュレーション機構であって,CP制御又はPTP制御のいずれかによるもののうち(センサーを有するものを含む。),次の全てに該当するものをいう。 イ 多機能である。ロ 三次元空間を自由に動くことにより,材料,部品,工具又は特別装置の位置決め又は方位決めが可能である。ハ 閉ループ又は開ループのサーボ装置(ステッピングモーターを組み込んだものを含む。)を3以上有する。ニ 教示若しくはプレイバック方法により,又はプログラム可能なロジックコントローラとして用いる電子計算機により,メカニカルな介在なしで,利用者によるプログラム書換えを可能とする機能を有する」。この定義によれば,「階段を自律的に昇降できるロボット」は二次元空間を平面的に移動するだけ,偵察するだけの単機能だから,経済産業省の解釈上の「ロボット」に該当しない可能性がある。

 次に,「解釈によってロボットを『軍用車両』に含めることの正当性」も検討されなければならない。法文の厳格解釈を要求する罪刑法定主義の立場からすれば,他の条項では法律上「ロボット」を規制対象としていることからすれば,単に「軍用車両」と規定している以上,それはロボットを含まないと解釈する方が正当であると考える余地は十分にある。ロボットの定義が曖昧であるならなおさらである。ロボットを輸出規制の対象にするのであれば,本来,立法的に解決を行うとともに,明確な定義規定を設けるのが筋であろう。

 このような「罪刑法定主義」に基づく厳格な法文解釈については,違和感を持つ一般の方も多いと思われる。「日本の国是である平和主義や,武器輸出禁止三原則の立場からすれば,軍用に使用される可能性がある以上厳しく取り締まるべきだ」とする意見が聞こえてきそうである。しかし日本は平和主義と同時に自由経済体制をとる国家であり,輸出の自由も経済活動の自由の一環として,憲法上保障されている。規制だらけなので誤解してしまうが,貿易は本来自由であり,規制は例外なのである。また,刑事罰を科す法文については,文言から離れた解釈運用を許すと,自由に対する重大な萎縮効果を及ぼす。つまり,自分のやることが罰されるのか罰されないのかが事前に分からないと,人は正当な行為でさえ行わなくなり,極めて息苦しい社会になり,社会全体の活力と発展を削ぐ結果となる。そのため,特に刑罰法規については,厳しい文理解釈が要求されるのである。たとえば,われわれ法律家が大学で学ぶ最高裁判所の判例に,「火炎瓶事件」がある。これは,火炎瓶が爆発物取締罰則に規定する爆発物に該当するか否かが争われた事件であるが,最高裁判所は先に述べた罪刑法定主義の立場から,「爆発物」という文言を厳格に解釈して,火炎瓶は爆発物ではない,との結論を導いた(最高裁判所昭和281113日判決)。当時としては,爆発物取締罰則の適用がないと,火炎瓶の使用者に極めて軽微な刑しか科されなかったのではないかと想像されるが,国民の自由と社会の活気を守る罪刑法定主義の立場からすれば,それもやむを得ないとされるのである。

 

(小林)(続)

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2007年2月 6日 (火)

企業間分業とコンプライアンス

 平成18年2月5日の日本経済新聞「経営の視点 『あるある』が鳴らす警鐘」(編集委員小柳健彦氏)は,非常に示唆に富むコラムであった。

 このコラムは,現在話題になっている「発掘!あるある大辞典Ⅱ」のデータ等捏造(ねつぞう)問題を出発点にしつつ,企業間分業体制下において責任(感)の所在が曖昧になっていることは,放送業界に限らず,製造業を含むあらゆる業界に普遍的な問題であると指摘する。

その例としてあげられているソニーは,このコラムによれば,ノートパソコンに搭載された電池の不具合問題の際,「当初ソニーは消費者への周知や回収の義務は,一時的にはパソコンメーカー側にあると判断していた。これが結果的に消費者への対応を遅らせ,ソニーへの批判を増幅させる一因になった」と指摘している。

部品の製造業者も,その部品に欠陥があれば,原則として,製造物責任法上または民法上の法的責任を負う(製造物責任法2条,4条)。言うまでもなくソニーは世界的な大企業であるから,そんなことは言われなくても分かっている。不良品を製造販売してしまった場合の消費者への告知や回収のプログラムも,必要十分なものが整えられているであろう。問題は,「下請」という意識に阻害されて,このプログラムが発動されなかったことにある。宝の持ち腐れである。

ロボットに関わる企業は,圧倒的に中小製造業が多い。これらの企業は,数年前までは,「下請企業」と呼ばれていた。縦割り・系列の産業構造の中では,下請企業は注文主の要望に応える製品を製造することが至上命題であり,注文主だけを見ていればよかった。ところがロボットの製造に関しては,様々な要素技術を持つ企業が横に連携することが多い。この場合,各企業は,欠陥品を製造した責任を直接消費者から問われることになる。このあたりの意識改革はどの程度進んでいるのだろうか。

製造業者はときとしてコンプライアンスなんて関係ないと思いがちであるが,部品といえども不良品を製作しない,もし製作したときは真摯に対応するプログラムを整えておくことは,立派なコンプライアンスである。そしてソニーの例からも明らかなとおり,このプログラムを発動するタイミングを間違えないことは,大変重要なことである。(小林)

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2007年2月 4日 (日)

次世代ロボットと武器輸出規制について(4)

リスト規制の対象となるのは,輸出貿易管理令別表第1の1~15項にリストアップされた武器・大量破壊兵器関連・通常兵器関連等に関連する貨物の輸出と,外国為替令別表の1~15項にリストアップされた技術の提供である。詳細については,「電子政府の総合窓口http://www.e-gov.go.jp」から法令検索されたい。

リスト規制の対象となる貨物のうち,次世代ロボットと関係がありそうなものとしては,原子炉関係のロボット(輸出貿易管理令別表第1の2の(15),第1の6の(7),)水中用ロボットのうち経済産業省令(貨物等省令)で定めるもの(輸出貿易管理令別表第1の12の(5)),ロボット若しくはその制御装置又はこれらの部分品であって,経済産業省令で定める仕様のもの(輸出貿易管理令別表第1の14の(8)),軍用車両・船舶・航空機若しくはその付属品又は部分品(別表第1の1の(7)~(9))が挙げられる。 

一方,リスト規制の対象となる技術は,上記貨物の設計,製造又は使用に係る技術であって,経済産業省令(貨物等省令)で定めるもの(外国為替令別表)である。なお,輸出・提供先(仕向地)については,法文上「政令で定める特定の地域」とされ,いかにも一部地域に限定されているようであるが,政令では「すべての地域」すなわち全世界が指定されている。

次に,キャッチオール規制とは,「リスト規制」の対象となっている貨物・技術以外でも,需要者や用途から,大量破壊兵器の開発等に使われるおそれの有無を見定めるために規制する貨物や技術の輸出や提供を規制するものであり,貨物については輸出貿易管理令第4条3項が,技術提供については外国為替令17条及び別表の16が定めている。すなわち,食料品や木材などを除くすべての貨物やこれに関連する技術のうち,経済産業省が省令(輸出貨物が核兵器等の開発等のために用いられるおそれがある場合を定める省令)の規定するものが,規制の対象になる。また,省令に規定が無くても,「その貨物が核兵器等の開発等のために用いられるおそれがあるものとして経済産業大臣から許可の申請をすべき旨の通知を受けたとき」(輸出貿易管理令4条3項ロ)には,輸出に経済産業大臣の許可が必要となる。リスト規制については対象地域の限定が無いのに対して,キャッチオール規制の場合は,アメリカ合衆国,大韓民国,EC諸国ほか全26カ国が対象地域外とされている。従って,アメリカ合衆国を仕向地として規制対象貨物を輸出するのに経済産業大臣の許可は不要である。ちなみに,これら26カ国は,これらの国から大量破壊兵器の拡散が行われるおそれがないことが明白であることから,「ホワイト国」と呼ばれる。なお,「リスト規制」に該当する貨物であっても,「キャッチオール規制」の対象にならない貨物である場合には,原則として,総価額が100万円を超えないものについては許可が不要である。但し,イラン,イラク,北朝鮮,リビアの4カ国については,総価額が5万円を超えないことを要する(輸出貿易管理令第4条4項)。(小林)(続)

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2007年2月 2日 (金)

裁判員,8割近くが消極的

 2009年から始まる裁判員制度について,政府が世論調査を行ったところ,78.1%が「あまり参加したくないが,義務であるなら参加せざるを得ない」「義務であっても参加したくない」となり,「参加したい」(5.6%),「参加してもよい」(15.2%)を大きく上回ったそうである。

 マスコミは,市民の消極的姿勢を問題視するトーンで報道しているようであるが,考えてみれば,仕事や家事を休まざるをえず,たいした報酬もなく,責任の重い仕事をやらされるのであるから,消極的な方が当たり前である。むしろ,「本当はやりたくないけれど,国民としての義務であるから,やむを得ず参加する」という意識で臨んで頂いた方が,慎重なご判断を期待できるという見方もあろう。

 むしろ注意するべきなのは。「参加したい」と回答した5.6%の方ではないだろうか。その方達全員に問題があるわけでは勿論無いが,この中には,「被告人の刑が軽すぎる」とか,逆に,「被告人の権利がないがしろにされすぎる」などの「熱い思い」で参加される方もいよう。それ自体は,今後の司法改革の原動力となりうるから歓迎するべきであるが,その「熱い思い」が行き過ぎやしないか,という心配もある。東山の金さんや少年探偵団のように自分で捜査活動をしたり,推理小説の読み過ぎで飛躍した論理を展開し,有罪(または無罪)に固執したりする裁判員もあらわれるであろう。生兵法はなんとやら,という格言もある。法律実務家としては,今後も繰り返されるであろう同様の調査に注目していきたいと思う。(小林)

内閣府の世論調査の結果についてはこちらhttp://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/tindex-h18.html

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