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2007年2月26日 (月)

犯罪不安社会 誰もが「不審者」?

平成15年版「犯罪白書のあらまし」は,「平成14年の刑法犯の認知件数は,…戦後の最多記録を7年連続で更新した。」との書き出しで始まっている。「治安の悪化状況は戦後の混乱期を超えた」とする前田雅英教授の指摘(「日本の治安は再生できるか」ちくま新書)は,おそらくこの統計資料を根拠にしている。

これに対して,浜井浩一氏と芹沢一也氏の共著となる「犯罪不安社会 誰もが『不審者』?」は,「本の治安は悪化していない」との立場から,わかりやすい主張を展開する,おすすめの一冊である。

現龍谷大学法科大学院教授の浜井浩一氏は,法務省時代犯罪白書の作成に関わった経験をお持ちであり,統計のプロとしての立場から,統計数値の真の読み方を説く。また,「刑務所が収容者であふれかえっているのは,犯罪が増えたから」と断定する前田雅英教授に対する反論として,「治安悪化の結果として刑務所があふれたなら,刑務所は極悪非道な犯罪者で埋め尽くされているはずだが,現実に刑務所に収容されているのは老人・障害者・外国人ばかりであって,実際には刑務所は社会的弱者の最後の救護所となっている」と指摘する。

他方,「治安悪化が存在しないにも関わらず,なぜ体感不安が悪化しているのか?」の問いに対する答えには,やや不満が残る。

浜井氏は,現在の社会不安は,社会の保守階層が有する社会変革への危機感がマスコミを通じて市民に浸透し,「モラル・パニック」が起きているからだと論じる。芹沢氏は,社会の関心が犯罪加害者から犯罪被害者に転換したことが原因である(「犯罪者ははっきりと恐怖の対象になった」)と主張する。同氏はまた,地域防犯活動の行き先は「相互不信社会」であると警鐘を鳴らす。

これらの指摘は非常に興味深いのだが,現代の体感不安を読み解く一つの仮説ではありえても,証明の域にまでは達していないように感じる。浜井氏の指摘に対しては,「保守層」とは誰のことなのか(私は保守層なのかそうでないのか?),保守層が社会変革への危機感を有していると言うが,保守層に危機感をあたえる社会変革は今だけではなかったはずで,なぜ今回に限りモラル・パニックが起きるのか,仮に保守層がマスコミを通じてモラル・パニックを引き起こしているとして,具体的にどうやってマスコミを操作しているのか,仮に保守層がマスコミを操作しているとして,これを受け入れる素地が市民の側にはなかったのか,などの疑問がつきない。浜井氏の反論を期待しつつあえて厳しく言うなら,同氏の主張は現時点では「保守層陰謀説」とでもいうべきレベルに留まっており,「保守層」が文脈上特定できないという意味において,「ユダヤ人陰謀説」よりある意味で始末が悪いと思う。芹沢氏の指摘についても,社会の関心が被害者にあったことや,犯罪者が「理解不可能な怪物」であったことは今に限ったことではないとの指摘が可能と思う。そうであるとすれば,かつてと今とで決定的に違うことは何なのであろうか。また,地域防犯活動が相互不信社会を生むという主張は,それ自体全面的に賛成であるが,他方で,相互不信社会化が地域防犯活動のきっかけになったことも事実であろう。鶏が先か卵が先かという話になってしまうのである。

総じてこの本は,「治安悪化という常識」に対する健全な疑問をわかりやすく提示したという意味において,大いに参考になる。その疑問の先に何があるかはやや不透明であるが,この点についてはお二人の今後の活動を待ちたい。(小林)

芹沢一也氏のブログはこちら http://ameblo.jp/kazuyaserizawa/

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