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2007年2月12日 (月)

現代日本の治安と「怒りの文化」について

 現代日本における治安が大きく悪化しているのか否か?という問題は,防犯カメラの設置を推進するべきか否かを論じる際,非常に重要な背景をなす。この問題の理論面については,別に論じることにして,今回は,やや直感的・感情的な文章でお茶を濁したい。

私自身は,直感的には,日本の治安が現在極めて悪い状態にあるとの指摘に対しては,やや「?」という立場である。多少悪くなっているとすれば事実であろうし、将来悪くなるか、という問いに対しては悲観的であるが、首都大学東京の前田雅英教授のように,「戦後の混乱期を上回り,戦後最悪の状況になった」などと言われると,「そんな馬鹿な」と思う。私自身は昭和37年生まれだから,戦後の混乱期がどのようなものか実感はないが(ちなみに前田雅英教授も昭和24年生まれだから戦後の混乱期の実感はないはずであるが),戦後の混乱期を伝える歴史書や歴史小説,テレビドラマ,黒澤明監督の「野良犬」や「天国と地獄」などから想像する限り,現在の治安状況が戦後の混乱期より悪いはずがない,と思う。もし犯罪統計が戦後の混乱期より悪い数値を示しているのであれば,それは数値の方が間違っていると考える。

私が現在の日本の治安がそれほど悪化していない,と直感的に思う一つの根拠に,今の日本に「怒りの文化がない」ということがある。ここで「怒りの文化」というのは,政府や国家社会といった制度,親の世代やブルジョアジーなどの権威,その他なんでもよいから,何かに対する怒りを表明する文化(小説,映画,音楽など)のことをいう。ちなみに「怒り」と「悪意」は違い,反抗心に近いニュアンスである。

「怒りの文化」は,社会不安の原因となる一般市民の「怒り」を正当化し,または昇華するメディアである。一般市民の多くが「怒り」を持つとき,これに応えるため,「怒りの文化」が発生する。だから,「怒りの文化」が盛んな社会は不安定な社会である。逆に,「怒りの文化」が無いということは,社会不安の原因となる「怒り」が一般市民の中にたまっていないことを意味する。「怒りの文化」には,多くの一般市民の怒りのはけ口として作用することにより,社会の安定を守る効用もある。

 こう書くと怒りを持つことは悪いことのようだが,決してそういう趣旨ではない。むしろ,人は,特にハイティーンは,何かに怒るようにDNAにプログラムされており,それは時として,社会変革の重要なエネルギーになる。だから,「怒りの文化」は,ハイティーンの文化としてまず登場することが多い。

ところが最近,日本で「怒りの文化」を目にすることはほとんど無い。例えばヒップホップやラップは,アメリカでは,典型的な怒りの文化の一翼を担っているが,これと同じような格好をして同じようなリズムを奏でる日本の若者は,しかし,とっても健全なことか,そうでなければレゲエのようなけだるい幸福感を歌っている。20年遡れば,尾崎豊や浜田省吾や中島みゆきなどが「怒り」をテーマにした歌を堂々と歌っていたし(いまでも『世情』は好きです),それより前なら,「仁義なき戦い」を見るお父さん達は,会社組織でのストレスを発散させていたはずだ。健全なことや幸福なことを歌うことは決して悪いことではない。しかし,昭和37年生まれのおじさんとしては,何だかなあ,と思うのだ。ねえ,君たちは本当に幸せなのか?何かに怒ってはいないのか?それは君たちにとって健康なことなのか?と。(小林)

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