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2007年3月12日 (月)

「サイバー監視社会」(青栁武彦 財団法人電気通信振興会 2006年)

 全500ページに及ぶ本書は,「「プライバシーのあり方」について、アカデミックな立場からその概念の再検証を慎重に行うとともに、ユビキタス化の不可避的な帰結である「可視化する社会」、すなわちサイバー監視社会の様相について考察する」(はしがきより)のだそうである。こう書くと仰々しいが,内容は平易だ。

 著者の青栁武彦氏は東京大学経済学部を卒業後,伊藤忠商事株式会社,日本テレマティーク株式会社代表取締役などを経て,国際大学グローバル・コミュニケーション客員教授をなされている御年73歳(昭和9年生)。最近活発にユビキタス社会や個人情報保護法の「欠陥」について論じておられる。

近年爆発的に普及する街頭監視カメラ・防犯カメラや,プロファイリングビジネスの普及といった社会現象を「監視社会化」と呼ぶことができるが,その原因については諸説ある。本書は,監視社会化は高度情報社会化の当然の帰結であり,情報通信技術産業が進歩する以上不可避であるという。ユビキタス社会は人類に多大な利益をもたらすものであるから,これと対立しうる権利としてのプライバシー権については,できるだけ遠慮していただきたいというのが,本書の主旨である。

本書を読んで最も感心するのが,表題を始め,「監視」という言葉の使用をためらわない点である。今日ユビキタス社会を推進する立場の多くは,「監視」のマイナスイメージを考慮してこの言葉を使わないことが多い。「監視カメラ」より「防犯カメラ」,「見守りカメラ」あるいは「コミュニティセキュリティーカメラ」云々。最後の例に至ってはわざと意味不明にしているとしか思われない。その本質は変わらないのに,呼称を変えて反発を回避しようという,姑息な作戦である。これに対して本書は堂々と「サイバー監視社会」という表題を用いている。表題だけを見ると,現代の監視社会化に警鐘を鳴らすのが目的のようである。著者もそれが狙いなのだろう。本書を監視社会化に反発する人々に読んでもらい,あるいは論争を挑み,彼らを説得しようと考えているのだ。堂々としたその態度には,清々しささえ感じる。

しかし,問題と思われる箇所もある。ここでは2点指摘したい。

1点目は,プライバシー権の内容に関する著者なりの整理がなされていない点である。現代社会において,プライバシー権と呼ばれるものは多種多様な内容を含み,もはや一つの権利として理解することさえ困難な状況であることは,大学で憲法の講義を受けた者にとって常識である。ところが本書は,プライバシー概念の学問的状況にはほとんど触れず,いろいろな内容のプライバシー権を一緒くたに扱っているため,法律論としてみるかぎり,かなり基礎的かつ深刻な混乱を見せている。プライバシー権概念を整理しようとする先人の努力をふまえずに,「プライバシーは物でいえば奢侈品や芸術品に相当するから,生活必需品とは言い難い。それだけ脆弱かつ基本性が比較的低い権利」と主張したところで,なぜプライバシー権が贅沢品なのか,脆弱で基本性が低いのか,さっぱり分からない。

2点目は,著者の描くユビキタス社会の未来像に具体性がないことである。筆者は要するに,「ユビキタス化によってすばらしい未来になるから,その障害となるプライバシー権には少し遠慮してほしい」と言っているのだが,どのようにすばらしい未来になるのか,今ひとつ具体性に乏しいと言わざるを得ない。もしその未来が,本書で100ページ以上が割かれた「防犯カメラが広く普及した未来」程度のものであるとしたら,いかにも寂しい。(小林)

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