「格差社会」論争と「治安悪化」論争の共通点
遅ればせながら,「論争 格差社会」(文春新書)を読んだ。
この本は,2006年の流行語大賞候補になるほど注目を集めた「格差社会」をテーマにする,いろいろな立場の論文や対談を集めたものである。テーマの性質上,政治的立場を抜きに語れない部分も多いが,それにしても,百家争鳴である。
こういった論争を読み解く場合には,問題を切り分けて対処することが大事である。
「格差社会」は格差拡大方向に進行しているのか否か。進行しているとするなら,その程度はどのくらいか。
「格差社会」論争が,なぜこれほどまでに一般市民の注目を集めるのか。
「格差社会」が格差拡大方向に進行することのメリットは何か,デメリットは何か。
等々といった問題の切り分けである。
コーディネーターの水牛健太郎氏の指摘するとおり,「格差社会を巡る論争が,事実そのもの以上に,人々の将来への不安心理を反映したものだ」という見方は非常に重要だと思う。人々は格差社会が進行しているから不安なのではなく,不安だから,格差社会の進行を疑うのだ。
このような見方の是非はさておき,このブログに何回か記している「治安悪化」論争については,全く同じ見方ができると私は考えている。人々は,治安が悪化しているから不安なのではなく,不安だから,治安の悪化を疑っている。「格差社会」論争については門外漢だが,「治安悪化」論争については,この見方はおそらく正しい。「格差社会」論争と「治安悪化」論争の共通点は,人々の「不安」であるとの仮説が成立しそうである。
そうだとすると,問題は,不安の原因は何か,ということになろう。「格差社会の進行」や「治安の悪化」が不安の直接の原因でないとすれば,不安の直接の原因は何であろうか。「失われた15年」が終結の兆しを迎え,日本経済がようやくどん底を脱出しつつあると言われているにもかかわらず,なぜ,10年前ではなく,今,人々は不安なのだろうか。このあたりの問題は,大いに検討する必要があると思う。
それにしても,「論争 格差社会」に収録された対談中,渡部昇一氏の発言はひどすぎやしないか。彼が言っていることは,「昔の金持ちの中にいい人がいた」ということだけである。それはそのとおりだ。金持ちにだっていい人はいる。青く光る星だってあるし,シロツメクサの好きな兎だっている。(小林)
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