「安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学」
ネットワーク防犯カメラ・監視カメラが広範に普及しつつあることの背景と,安全神話,すなわち日本は世界まれに見る安全な社会であるという信頼の崩壊との関係をどう考えるかについて,今回は岩波書店から2004年に出版された桐蔭横浜大学法学部の河合幹雄教授の著した本を紹介したい。非常に刺激的な本である。
著者は,日本全体の治安は悪化していない,犯罪数はせいぜい微増,検察の検挙能力もそれほど落ちておらず,凶悪化は全くの誤りであるとする。それにもかかわらず,いわゆる「体感治安」が悪化したのは,日本の伝統的社会構造の崩壊が原因であるとして,次のように説明する。すなわち,日本の伝統的社会構造は,地域的・職業的その他の所属集団を構成単位とする小規模社会の集合体であり,その内部では構成員はおおむね同質であって互いにプライベートな部分まで知り合っているとされ,逆に他の小規模社会とは分離されていた。一般の「犯罪に関わらない人々」の社会と,犯罪者・社会内実力者・為政者など「犯罪に関わる人々」の社会も,日常世界においては明確に分離されており,ただ,祭り,政治の裏面,特殊な紛争など,限定された非日常世界においては交流が持たれていた。この「犯罪に関わらない人々」の社会と「犯罪に関わる人々」の社会との「日常における非交流」と「非日常における交流」との絶妙なバランスが日本社会の秩序を全体として維持しており,このことは,「犯罪に関わらない人々」から見ると,「日常世界にいる限り,犯罪者に遭遇することはない」という明確な境界として実感されてきた(河合幹雄教授は,この実感を「安全神話」という)。ところが,現代の日本では上記の境界が消滅した結果,全体としての犯罪総数は増加しなくても,薄く広く危険が分散することになり,従来犯罪と無縁であった一般市民から見れば犯罪に遭遇する確率が上昇した。その認識が「安全神話の崩壊」即ち「体感治安の悪化」と実感されている。
筆者は,体感治安が悪化した原因について,日本文化論(ユニークな,しかしいわれてみれば納得の)という切口から鮮やかに理論を構築している。また,筆者は統計の示す治安の悪化には非常に懐疑的である点で龍谷大学法科大学院教授の浜井浩一氏や芹沢一也氏らと立場を同じくするが,他方,体感治安の悪化という現象がいわば幻想であるとする浜井浩一氏に対して,ある種の実体が存在すると主張している点で,異なる立場に立っている。この立場の違いは,街頭防犯カメラの是非にもあらわれており,浜井浩一氏らは全面禁止に軸足があるのに対して,河合幹雄氏は,性犯罪など一定の犯罪については肯定的である。私としては,この立場の違いを是非論争してほしいし,もし実体が存在するのであれば,それは今後どうなるのか,という主張を是非聞かせてほしいと思う。
河合幹雄教授のホームページはこちら http://www.cc.toin.ac.jp/juri/fj03/
芹沢一也氏のホームページはこちら http://ameblo.jp/kazuyaserizawa/entry-10009913936.html
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