ユビキタスネットワーク社会と「2001年宇宙の旅」
ユビキタスネットワーク社会には,光と影があると言われる。光とは,いままで考えられなかったような利益を享受できる社会の到来であり,陰とは,今度こそ,人間がコンピューターに支配されてしまうという危惧である。この光と影の双方に,センサーが重要な役割を果たす。
ユビキタスネットワークは,ユビキタス「センサー」ネットワークとも言われる。ユビキタスネットワークは,大小多数のコンピューターが遍在する環境だから,人間が,一つ一つのコンピューターに,いちいち入力していたのでは手間がかかって仕方がない。そこで,ユビキタスネットワークは,高感度かつ多数のセンサーを備え,環境にあるヒトやモノの情報を,自動的にコンピューターに入力していくことが必要となる。センサーがあってはじめて,人はユビキタスネットワークから多大な恩恵を被ることが可能となる。
ところで,センサーのないコンピューターネットワークにおいては,人は,入力デバイスを排除することによって,ネットワークから離脱することが可能であるのに対して,ユビキタス社会においては,人はネットワークから離脱することができない。人は意識しないうちに,センサーを通じてプライバシー情報を取得されてしまう。この点が,コンピューターに人間が支配されてしまう,という危機感の源泉である。
ところで,話は飛ぶが,「2001年宇宙の旅」(1967年公開)というSF映画の古典的名画がある。その前半,と言っても原始人が出てくるところは飛ばしての前半に,主人公がコンピューターと会話して宇宙ステーションにチェックインする場面がある。画面ににこやかな女性の映像が映し出され,その指示に従って音声入力を行う場面である。宇宙ステーションも一つのコンピューターネットワークであるが,人が音声でコンピューターに入力しているから,このコンピューターネットワークは,ユビキタスではない。
一方,この映画の後半は,最新型コンピューター「HAL9000」を搭載した宇宙船「ディスカバリー」が舞台である。この宇宙船においては,カメラがあらゆる場所に設置されており,乗組員はどこにいてもHAL9000と会話できる。それどころか,HAL9000は読唇術を駆使して乗組員間の秘密の会話を盗み聞きし,反乱を起こす。
宇宙船「ディスカバリー」にはもはや入力デバイスは不要である。人が積極的に入力しなくても,コンピューターはセンサーを使って情報を取得するのであり,そのセンサーは,船内の至る場所に存在する。しかも,人間は宇宙船から外に出ては生きていけない。つまり,宇宙船「ディスカバリー」は究極のユビキタスネットワーク空間であり,ユビキタスネットワークが人間を支配する恐怖を描いたのが,この映画の後半部分であるという見方が可能である。
もちろん,ユビキタスネットワーク社会になれば,本当にこうなる,というわけではない。ただ,ユビキタス社会の影の部分を,非常に明瞭なイメージとして呈示したのが,この映画であるといえる。いまから40年前に,ここまで予測したキューブリック監督の想像力には,今更ながら舌を巻く。(小林)
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