« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月28日 (木)

ユビキタスネット憲章と「ネットワークからの独立」

総務省が平成17年5月に発表した「ユビキタスネット社会憲章」に,「第五条 ネットワークからの独立」として,「1.すべての人が、意図せずにネットワークに接続されることなく、情報や知識の望まない流出を回避できることが、ユビキタスネット社会の備えるべき要素である。」との規定がある。パブリックコメント募集期間はとっくに過ぎているので,今更の感はあるが,この条項には疑問がある。その疑問とは,ユビキタスネット社会と,ネットワークからの独立は,両立しうるのか?というものである。

ユビキタスネットワーク社会は,ユビキタス「センサー」ネットワーク社会と言い換えられることがある。ここに「センサー」という言葉が使用される趣旨は,次のとおりである。すなわち,ユビキタスネットワーク社会とは,大小様々なコンピューターが,ネットワークに接続した状態で,遍在する社会である。このような社会において,人間に関する情報をネットワークが取得するに当たり,人間がキーボードや音声入力装置その他の入力デバイスを用いて,いちいち手動で入力していたのでは,煩雑で仕方がない。そこで,ユビキタスネットワーク社会が成立するために必須の入力デバイスとして,センサーが必要となる。電子タグリーダーや,カメラ,マイク,重力センサーその他多種多様なセンサーが,自動で,人間その他の環境情報をネットワークに入力することにより,初めて,ユビキタスネットワーク社会が適切なサービスを提供することができるようになるのである。

さて,ユビキタスネットワーク社会において,センサーによる自動入力が必要不可欠であるとすると,このようなセンサーネットワークからの独立を確保することは極めて困難というより,不可能と言ってよい。日常生活の中で,いちいちセンサーの所在や形態に注意を払い,センサーに探知されないように行動することなどできないからだ。電子タグについては,物理的に破壊したり,アルミホイルを巻いたり,取り外したりすることにより,電子タグリーダーに探知されないようにすることは可能かも知れない。しかし,このようなことが可能なのは,身につけた電子タグがせいぜい1,2個の場合である。近い将来,運転免許証をはじめ,社員証,各種クレジットカードが全て電子タグ化され,自動車や自転車,衣服や鞄にまで電子タグが取り付けられる時代が来たとき,「センサーに探知されてもよい電子タグ」と「センサーに探知されたくない電子タグ」をいちいちより分けて対処することなど,できるはずもない。このように,ユビキタスネットワーク社会の有様を具体的に想定するならば,ネットワークから独立して生活することなど,不可能になる筈である。

ユビキタスネットワーク社会において,ネットワークから独立することが不可能であるという前提に立った場合,選択肢は二つに分かれる。一つは,ネットワークからの独立を重視する立場より,ユビキタスネットワーク社会を拒否する考え方であり,一つは,ユビキタスネットワーク社会の利便性を重視して,ネットワークからの独立を諦める立場である。これはそれぞれの立場から大いに議論すればよいと思うが,私は,後者の立場を取りたい。但し,後者の立場を取りつつも,プライバシー権を守るためにはどうしたらよいか,を考えるのが,私の当面の仕事であると思う。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月24日 (日)

安全工学上の「安全」とは

国際規格によれば,安全とは,受け入れ不可能なリスクがないこと(freedom from unacceptable risk)をいうそうである。逆に言えば,受け入れ可能なリスクがある状態は,「安全」なのである。

では受け入れ可能なリスクとは何か,という疑問が湧くのは当然であるが,その前に,リスクとは何かについて国際規格を見てみると,「リスクとは,危害の発生確率と危害のひどさの組み合わせ(combination of the probability of occurrence of harm and the severity of that harm)なのだそうだ。組み合わせであって,積でないところがミソである。「積」ならば,確率が極端に低くても,危害のひどさが極限状態まで高ければ,リスクが高いことになる。しかし,小惑星が地球に衝突する確率の前では,人類滅亡という究極の危害も,リスクではない。他方,「積」ではなく「組み合わせ」であるため,リスクの評価は数量化が困難である。数量化が困難とは,「危害がひどいが発生確率は低い」Aというリスクと,「危害はたいしたことがないが発生確率は高い」Bというリスクの,どちらがリスクとして重要であるか,との比較評価が困難であることを意味する。

さて,このようなリスクが「受け入れ可能な状態」が「安全」である。そこで,どのような場合が「受け入れ可能なリスク」であるかを考えてみると,大別して二種類あることが分かる。一つ目は,危害の発生確率は低くならなくても,危害のひどさが低下した状態である。機械に指を挟む確率は下げられなかったが,挟まれても指が切断することはなく,せいぜい内出血する程度に安全装置を施すような場合がこれにあたる。二つ目は,危害のひどさは低下しなくても,確率を低くした状態である。例えば飛行機は常に墜落の危険に晒されているが,受け入れられる程度まで墜落の確率が低いので,「安全」とみなされているわけである。

このように見てくると,リスクには機械や設備の性能や効用とトレードオフの関係にあるものと,ないものがあることが分かる。墜落しない飛行機はないし,倒れない自転車はない。我が国で毎年一万人近くの人が自動車事故で死亡しているのに,自動車産業が無くならないのは,死亡という個人にとって最大のリスクも,自動車のもたらす効用の前には許容されていることを意味する。他方,食品のリスクは通常,食品の効用(旨さなど)とトレードオフの関係にあるとは考えられていない。フグだけは別,との意見もあるが。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

東浩紀著「文学環境論集」と防犯カメラ

現代日本を代表する気鋭の批評家,あるいはオタク評論家として有名な東浩紀氏の「文学環境論集」を,少しずつ読んでいる。2700円以上するが,サイケデリック(死語ですね)なデザインの箱の中にショッキングピンクとグリーンの2冊組,というふざけたデザインの本であり,通勤電車の中で読むのはいささか恥ずかしい。

私は現代日本で爆発的に普及しつつあるネットワーク防犯カメラシステムについて,基本的に支持しつつ適切な規制を加えるべきであるとの立場で,2,3の文章を発表している。これらの文章を書くについては,東浩紀氏の論考を大いに参考にさせて頂いた。私淑していると言って過言でない。今回出版された「文学環境論集」は,そのような私にとって,東氏の著作を一覧できる良い機会であった。

たとえば,東氏は次のように言う。「(近代社会のシステムが壊れた結果)社会秩序の原理そのものが大きく変わりつつあることには,注意するべきであると思います。私たちは今や,人間はあまりに多様で,従って理解しあうことも価値観を共有することも難しいから,取りあえずは情報技術によって皆が情報を開示し,それぞれ十分なリスク管理を行うことで問題を回避しようという思想を採用し始めている。左翼の人々が敏感に反応している『監視社会化』,つまり,とりあえず全員指紋を取っておこうとか,すべて記録をとっておこうかという世界的な動きは,国家権力の横暴というよりも,このような社会秩序の変化そのものに起因している。」私もその通りだと思う。

私は,ネットワーク防犯カメラシステムに限らず,ネットワーク技術の高度な発展と,プライバシー権をはじめとする市民の権利とを,法律的にどのように調整したらよいか,ということをここ数年,考えている。現時点での私の考えとしては,私たちは,高度に発展した情報技術から多大な恩恵を享受している反面,ネットワークというバーチャルな世界に対して,生理的・根元的な恐怖感をいだいていると思う。近年個人情報保護法の過剰反応が指摘されているが,この反応はこの生理的・根元的恐怖感を源泉にしているから,仮に今個人情報保護法を廃止したところで,過剰反応そのものは消滅しないと思う。

ネットワーク社会の発展が回避できないとすれば,これとうまく折り合いを付けるにはどうしたらよいか。これは,技術者や法律家だけの仕事ではない。哲学者や社会学者,心理学者の研究が不可欠である。東氏は,私の知る限り,この問題に正面から取り組んでいる数少ない哲学者の一人である。いつか直接教えを請う機会を得たいものである。(小林)

東浩紀氏のHPはこちら http://www.hirokiazuma.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月16日 (土)

六本木ヒルズ回転ドア事故判決について

平成16年3月26日,6歳の男児が六本木ヒルズ森タワーの自動回転ドアに頭部を挟まれて死亡した事故は記憶に新しい。平成17年9月30日,その刑事事件の判決が東京地裁で言い渡された。

自動回転ドアは,センサと制御系と駆動系を備えた機械であり,次世代ロボットの要件を充たしうる。したがって,この事件において製造者がどのような刑事責任を問われたかは,ロボットメーカとしても関心が高いと思われるので,簡単に解説を行いたい。

さて,この事件で起訴されたのは,メーカー「三和タジマ株式会社」の取締役営業開発部長,森ビルの常務取締役森タワー設計部門責任者,同社六本木ヒルズ運営本部管理本部管理運営担当部長の3名である。直接の担当者や,実際の設計者は起訴されていない。また,株式会社の最高責任者は言うまでもなく代表取締役であるが,これも起訴されていない。担当部署の責任者を起訴するというのは,前例などに照らした一種の政治的判断であろうが,もとより,本件のような事故の原因は個人に集約されるものではなく,企業組織全体に関わるものである。この点,原則として企業組織ではなく人間を責任追及の対象とする刑事法制の制度的限界といえるかもしれない。

メーカーの取締役営業開発部長の過失について,裁判所の認定は次のとおりである。

本件のような業務上過失致死罪において,過失が認定される要件は,①本件事故の発生を予見できたこと,②本件事故の回避義務を怠ったこと,とされている。①について裁判所は,本件自動回転ドアを森タワーに設置する以前から,その戸先と固定方立に人が挟まれて負傷する事故が多発していたことと,設置後本件事故前である平成15年12月7日に森タワー2回に設置された別の回転ドアで6歳の女児が挟まれ頭部挫傷の傷害を負う事故が発生していることから,本件事故の発生が予見できた,と認定した。また,②について裁判所は,「挟まれ事故が発生しないように,戸先が固定方立に接近した状況で人がドア内へ侵入するのを防止する,あるいは,人が戸先と固定方立との間に挟まれても死傷の結果を生じさせない装置を備え付けるなどの安全対策を講ずべき業務上の注意義務があるのに,これを怠」った,と認定し,業務上過失致死罪が成立すると判断した。

次に,メーカーの取締役営業開発部長の量刑については,「回転ドアの業務に長年従事して回転ドアに関する知識,経験を蓄え,森タワー以外の事故情報についても早期に入手して,自動回転ドアの危険性やそれが現実化していることを十分に認識していたにもかかわらず,さしたる安全対策を講じないまま本件自動回転ドアを森タワーに設置し,しかも,本件自動回転ドアで(平成15年)12月7日の事故が発生したことを分かりながら,そのまま使用を続けさせたものであって,その過失の程度は極めて重いものである。また,本件自動回転ドアの設置に当たり,三和タジマ社から森ビル社に対して,本件シノレスの危険性について十分な説明がされていたとはいえない。製造物メーカーとしては,設置後の事故防止対策について,ユーザーの意向を尊重せざるを得ないという事情があるとはいえ,メーカーにとって営業上不利益となり得る危険性に関する情報であっても,発注者であるビル側に対して十分に開示すべきであったといえよう。」と指摘した。また,他の被告人との罪の軽重については,「前記のような危険性について十分な説明を受けていなかったこともあって,安全対策への配慮を欠くに至った森ビル社側の被告人らの過失に比べ,本件自動回転ドアを開発し,その危険性を容易に認識できた三和タジマ社の責任者であった被告人久保が十分な安全対策を講じないままに森タワーに設置して運転させ続けた過失の方が大きく,その刑事責任も重いと評価できる。」として,メーカー担当者の責任が最も重いと判断した。

メーカーの担当者に,挟まれ事故の発生を予見することが可能であったことは疑いがない。問題は,判決が指摘する結果回避義務の内容である。

元東京大学教授で機械工学の権威であり,「失敗学」の提唱者としても知られる畑村洋太郎氏は,著書「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」で本件自動回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価した。同氏によれば本件自動回転ドアの最大の問題点は重量が極めて重いことにあり,そのため,非常停止をかけてもドアは20センチメートル以上動いてしまうという「致命的な欠点」があると指摘する。そして,メーカーが安全装置として各種センサを取り付けていることは「制御安全」に過ぎず,「殺人機械」としての潜在的危険を除去する「本質安全」設計を怠ったと批判している。

このような機械工学の専門家の知見を本件判決に当てはめてみるとどうなるであろうか。

明らかにいえることは,判決は,畑村氏のいう「本質安全」設計を怠ったという指摘は一切行っていない。判決の指摘する「ドア内侵入防止措置」は「本質安全」どころか「制御安全」でさえない,「運用安全」とでもいうべきものである。また,判決は「人が戸先と固定方立との間に挟まれても死傷の結果を生じさせない装置」というが,畑村氏の指摘を前提にする限り,「挟み込みがあった瞬間にその場で停止する装置」の設置は技術的に不可能であろう。この立場から見ると,判決が指摘する三和タジマ社取締役営業部長の「過失」は,事故原因の本質を見誤っており,これでは将来の事故防止に役立たないという批判を免れない。

もちろん司法の立場からは弁解が可能である。本件事故を回避する本質安全設計を実現するためには,おそらく,本件自動回転ドアの重量を軽くすることが不可欠である。ドア自体を小さくすることはもちろん,ステンレス枠をアルミまたはプラスチック枠に,ガラスをアクリル板に変更するなどの設計変更が必要であろう。しかし,そのような「安っぽい」ドアを森ビルが森タワーの正面玄関用として採用しただろうか。まして,メーカーの一取締役に,自らの職業生命をかけて,採用されないリスクを冒して,本質設計を変更することや,あるいは本件自動回転ドアの「殺人機械」としての潜在的危険性を森ビル側に告知することが可能であっただろうか。このように考えてくると,メーカーの取締役営業部長個人に本質安全設計義務違反を問うことは余りに酷であり,ひいては,無罪判決を招く可能性がある。検察としては,この辺りを考慮して,あくまで運用上の義務違反という形で起訴したのではないかと思われるし,そのような起訴を受けた裁判所は,刑事裁判のルール上,起訴されていない義務違反について判断することはできないのである。もっとも,「運用上の過失」を「メーカー」の担当者に問うことについて,問題が無いわけではない。その意味では,本件は無罪を争いうる事件であったといえる。

このように見てくると,機械工学ないし安全工学の立場と,司法の立場とでは,事故原因の究明に際して,かなり大きな乖離が存在することが分かる。それぞれの目的が違うから,という理解も可能であろうが,刑法の目的は,特に過失犯を処罰する目的は,将来の同種事件を防止する(これを一般予防という)ことにもあり,この点では機械工学ないし安全工学と立場を同じくするはずである。そうであるとすれば,司法としては,もう少し,機械工学ないし安全工学の立場からの批判に耐える制度設計や運用を行うべきであるとも考えられる。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月14日 (木)

新幹線の新型「N700系」に防犯カメラ60台設置,とのニュースについて

平成19年6月7日の朝日新聞によれば,「東海道・山陽新幹線に7月1日から導入される新型車両「N700系」の車内デッキに、防犯カメラが設置された。JR各社によると、在来線も含めて初の試みという。列車の運行妨害行為や車内での犯罪を抑止するのが狙い。ただ、特定の人物の行動をより詳しく追跡することが可能になるため、監視強化を懸念する声も出ている。」とのことであり,「懸念する声」として市民団体「監視社会を拒否する会」共同代表田島泰彦上智大学教授の「列車内で犯罪が頻発しているという状況ではない。予防の名目で、犯罪の具体的な根拠もなく、大多数の善良な市民を監視することが正当化されるのか。プライバシーや肖像権に何の配慮もなく撮り続けていいのか」という発言を引用している。

この記事を載せたのは朝日新聞だけのようであるが,少なくともネット上での評判はボロクソである。まあ仕方あるまい。列車内での犯罪や不適切行為の防止や証拠保全といった目的は正当であるし,デッキ及び運転席入口の上部にカメラを設置して撮影するという方法も正当といえよう。逆に,電車内トイレでレイプ事件があったとはいえ,これを防止する目的でトイレ内に防犯カメラを設置することはいきすぎであるが,もちろんJRはトイレにも客室内にも防犯カメラは設置していない。今回JRが行った防犯カメラの設置は,かなり抑制的(あるいは遠慮がち)なもの,との評価も可能であろう。もちろん運用面では気を付けていただかなければならないが。

それにしても,「監視社会を拒否する会」は,なぜ鉄道だけを目の敵にするのだろう。私は,この会の主張に全部反対するものではない。正当な指摘もあると思っている。しかし,今回の新幹線の件はいただけない。彼らの立場からしても,やるべきことはほかにある。やるに事欠いて,総スカンを喰うようなことをなぜするのか。こんなことばかりやっていると,「サヨク」という小馬鹿にされたレッテルを貼られ(もう貼られているか?),正当な主張さえ聞いてもらえなくなることを危惧する。(小林)

監視社会を拒否する会のHPはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

ドアプロジェクトに学ぶ

次世代ロボットは,「センサ」「知能・制御系」「駆動系」の3つの技術要素を有する「知能化した機械システム」であると定義されることがある。この定義によれば,自動回転ドアも,次世代ロボットに該当しうる。そうだとすれば,平成16年3月26日に六本木ヒルズ森タワーで6歳の男児が回転ドアに挟まれ死亡した事故は,次世代ロボットによる死亡事故にあたる。

「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」を著した畑村洋太郎元東京大学教授は,機械工学の権威であり,上記事故を契機にドア全般の安全性を検証する任意団体「ドアプロジェクト」を立ち上げてさまざまな実験を行った。畑村氏は六本木ヒルズでの事故再現実験を行い,この回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価した。

畑村氏の分析を歴史的に整理すると,このような殺人機械が製造され本件事故が発生した経緯は次のとおりである。

そもそも,回転ドア発祥の地であるヨーロッパでは,回転ドアの目的は冬の寒気と建物内部の暖気を遮断することにあった。ところがこれを輸入した日本では,回転ドアの目的はむしろ高層ビルに発生する建物内外の気圧差を遮断することに変わり,これに豪華性の要求が加わって,ドア自体が非常に重くなってしまった。加えて不幸なことに,日本でもともと回転ドアを製造していた田島順三製作所が経営破綻した際,これと合弁していたヨーロッパのメーカーが資料やノウハウを全部引き揚げてしまったため,本件ドアの製造部門を引き継いだ三和タジマ株式会社に安全思想の伝承が行われなかった。もちろん,三和タジマの設計担当者も本件回転ドアの安全性は考慮したが,この考慮はドアの軽量化という「本質安全」に向かわず,センサの取付という「制御安全」に向かったため,身長117センチの子どもが前傾姿勢でドアに侵入したことを感知できなかった。その結果,痛ましい事故が発生したというのである。

このような分析は,次世代ロボットと安全の問題を考える上でも,大いに参考にするべきであろう。

もっとも,畑中氏は,上記のような分析を踏まえ,いくつかの提言を行っているが,その中には,やや不満が残る点もある。

まず,畑中氏は,本件自動回転ドアの設計者が,「本質安全」設計を行うためにはどうすれば良かったか,という問題に関して,次のように指摘している。たしかに,「重すぎるドアは危険である」という「暗黙知」は,回転ドアがヨーロッパから日本に輸入された後,伝承されなかった。しかし,本件回転ドアの設計者は,エレベーターのドア等の本質安全設計に目を向ければ,この暗黙知を知ることができた。「本質安全」設計を行うためには,自分の担当製品にこだわらず,共通点のある別の世界に目を向けることが必要である,と。

しかし,この提言は,その宛先が設計者・技術者のみとなっており,その設計者や技術者が所属する企業に対する提言としては,不十分ではないかと思う。そもそも,本件ドアに各種センサが取り付けられていた事実が示すように,本件ドアの設計者は,このドアの持つ潜在的危険性をある程度承知していたと思われる。それにもかかわらずドアの軽量化がなされなかったのは,ドアを軽量化するという選択肢が設計者に無かったとも考えられる。なぜなら,自動回転ドアには高級オフィスビルの象徴としての社会的意味がある以上,「安全だが安っぽい」ドアを製造して同業他社との競争に敗れたり,森ビルにドア納入を断られたりするリスクを冒すことは,営利を目的とする私企業には,悲惨な事故が発生する以前においては,非常に困難なことだからだ。

次に,畑中氏は,事故が発生すると責任を追求するという日本の法制度は,事故関係者の保身をまねき,事故原因究明の障害になると指摘する。この指摘は畑中氏のオリジナルではなく,私の知る限り,柳田邦男も20年以上前に同様の指摘をしている。

確かに,この指摘は「事故原因を究明し,将来の事故を回避する」という目的からは正論である。しかし他方,事故が発生して第三者に損害が発生した以上,この第三者に救済される権利が発生することは当然である。被害者の救済には保険制度を充実させることにより対応すればよいとの意見もあるが,保険制度が充実したところで,常に被害者が満足する保険金が給付されるわけではない。被害者が満足しなければ民事訴訟になるし,民事訴訟になれば,メーカーも巻き込まれる。メーカーが巻き込まれれば,設計担当者などの関係者は証人として法廷に呼び出されることになるし,さまざまな思惑から保身に走ったり,真相が隠蔽されることもあり得る。つまりは同じことである。また,刑事責任に関しても,「過失犯は処罰しない」という法思想に立たない限り,事故が発生して人身被害が発生した以上は,刑事責任が追求されることは当然である。本件自動回転ドアメーカーや森ビルの事故後の対応はそれなりに立派なものであったと評価されて良いと思うが,もし一切の法的責任を問われないという法制度であったとすれば,このような対応が取られていたか否か疑問である。

いくつかの疑問点はあるにせよ,「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」は,実例を踏まえた安全工学のアプローチを門外漢にもわかりやすく配慮して記述されており,大変意義のある著書であると思う。(小林)

「危険学のすすめ-ドアプロジェクトに学ぶ」はこちら http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4062135299&uid=NULLGWDOCOMO

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

松本人志の防犯カメラ画像流出事件について

ダウンタウンの松本人志氏が,アダルトビデオを購入する防犯カメラ画像とこれを解説する記事を掲載した写真週刊誌「FLASH」を発行する出版社と編集者を相手に,プライバシー権侵害等を理由に損害賠償請求訴訟を提起し勝訴した事件(東京地方裁判所平成18年3月31日判決)がある。この事件には,プライバシー権や防犯カメラをめぐり,興味深い論点があるのでご紹介しておきたい。

争点の第1は,本件記事が松本氏のプライバシー権を侵害するか,というものである。本件裁判でなぜこの点が問題になるかというと,松本氏は自分の出演するトーク番組などで,ビデオショップでアダルトビデオを頻繁に購入しており,そのことを恥ずかしいとは思っていない,と公言していたからである。確かに,プライバシー権は,伝統的には,非公知性,すなわち一般に知られていないことを要件にしているので,すでに公になっている事実はプライバシー権の保護を受けないと考えられていた。しかし,近年は,非公知性の要件は不要であって,自分に関する情報をコントロールする権利がプライバシー権であるとする見解が有力になっている。例えば,個人情報保護法では,個人の氏名や住所などの公知情報も保護の対象としている。そこで,本人がテレビで公言していることを写真週刊誌が報道しても,プライバシー権の侵害とは言えないのではないか,が問題となったのである。

この点について判決は,プライバシー権として法的保護を受けるためには,非公知性が要求されるとして,松本氏の主張を退けた。その理由の一つは,公知の情報がプライバシー権として保護されるとなると,「(出版)差止までは認められないパブリシティ権との」区別が曖昧になるということである。つまり,公知情報もプライバシー権によって保護されると考えると,公知情報が掲載される雑誌の出版差止なども可能になる余地があるが,言論表現の自由との関係で行き過ぎになるという判断があるようだ。もう一つは,テレビで公言するということは,プライバシー権の放棄であるとの判断である。

私は,どちらの理由も説得力がないと思う。まず,公知情報がプライバシー権に含まれるか否かという問題と,言論表現の自由との関係で出版の差止まで認めて良いか否かという問題とは,分けて考えることが可能であろう。プライバシー権として保護される情報であっても,差止までは認めない,という判断があっても,全く問題ない。次に,テレビで公言したからプライバシー権の放棄だという論理は,乱暴だと感じる。確かに,テレビで公言した個々具体的な内容については,プライバシー権の放棄という見方もありえよう。しかし,テレビで「アダルトビデオショップにはしょっちゅう行っている」と話すことと,ビデオショップでアダルトビデオを物色したり購入したりする様子を報道されることとは,全然違うのではないだろうか。タレントの石原真理○がかつての恋人との情事を赤裸々に告白した本を出版したが,だからといって,このタレントとかつての恋人の情事の様子を録画したビデオを放送したら,やはり石原真理○のプライバシーの侵害になると思う(わいせつ物陳列罪になるとか,相手の男性のプライバシーとかの話は別です)。

よく,芸能人はプライバシーを切り売りしているのだから,プライバシーはない,と言われる。しかし,揚げ足を取るようだけれども,「切り売り」という言葉が示すように,どの部分を切り取り,どの部分を残すかは,芸能人といえども自由な筈である。また,切り取った部分をどのように加工するか,つまり,ウケを狙って,私生活に虚実取り混ぜたり話をふくらませたりすることも,第三者に迷惑をかけない限り,自由である。さらに,特定の事実について,メディアを選択すること,つまり,テレビで公言するか,活字で公表するか,写真付きで週刊誌に載せるかを選択することも,自己のプライバシー情報である以上,芸能人といえども自由ではないだろうか。

さて,松本人志裁判の判決に戻ろう。争点の第2点は,「FLASH」に掲載された写真が松本氏の肖像権を侵害するか,であった。なぜこの点が問題になるかというと,一つには,本件防犯カメラの画像だけでは,撮影された人物がダウンタウンの松本であるか否かは分かりにくかったからである。また,出版社側は,「松本氏は,ビデオショップの防犯カメラに撮影されることを承知で店に入ったのだから,その画像が公開されることを含めて予想していたはずである」と主張した。

判決は,画像だけからでは本人と特定できない場合であっても,その画像の説明文と一体となって,本人の画像と特定される場合には,肖像権に近接した人格的利益を侵害することになると判断した。また,防犯カメラは,犯罪抑止効果と,犯罪が行われた場合の証拠保全を目的に設置されるものであり,撮影された画像が写真週刊誌等に掲載されることは予定していないとして,出版社の主張を退けた。

私は,これらの点については全面的に賛成である。特に,防犯カメラやネットワークカメラ・ネットワークロボットを研究開発する方たちに注意して頂きたいのは,画像だけでは本人を特定できない場合であっても,肖像権を侵害する場合があり得る,という点である。また,防犯カメラの画像情報を,正当な理由無く第三者に提供することは違法行為になる,という点も非常に重要である。

裁判の判決を受けて,伝聞の伝聞であるが,当の松本氏本人は次のように述べたそうである。

*********************************************************************

報道の多くが「プライベートでAVを借りているところを盗撮された」ことを怒っているように書いてありましたが,違うんですよ。

そうではなくて,写真を載せる時に「防犯カメラの記録ビデオから転載した」ことをボクは怒ったわけです。

もし,こんなことがこれからも許されるのなら,有名人は(防犯カメラのついている)エレベーターにも乗れないし,スーパーにも行けないし,ということになってしまいますよ…。新宿なんかふつうにあちこちに設置されているので,有名人でなくても女のコと気軽に歩けなくなるでしょう。

タレントや顔の知れた人のツーショット写真が(防犯カメラの録画映像から)流出しまくることになる。これはほっておけないというころで正式に手続きを踏んで出版社を訴えたわけです。

今回,こういう判決が出たことによって,他の出版社もさすがに「防犯カメラの映像は使えないナ,無理やろナ」と思ってもらえたらいいんです。そうでないと,コンビニで女性タレントさんが生理用品を買った映像まで写真誌が買う恐れがあります。

(中略)

 ゴシックで太く書いておいてください。「防犯カメラのビデオ映像からの写真転用は訴えられるほどの悪事である」,と!

(以上,「いやしのつえ」(http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue)より)

**********************************************************************

まさに正論である。ただ,あえて注文を付けておきたいことは,それならビデオショップも被告として訴訟を起こしてほしかった。その方が,防犯カメラ画像流出の責任が誰にあるか,明白になったと思われるからである。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 4日 (月)

店舗に防犯カメラを設置運用する場合の法的問題点

今日,銀行や百貨店,スーパーやコンビニエンスストアに至るまで,あらゆる店舗に,防犯カメラが設置されている。店舗に防犯カメラが設置されていることは,今や常識と言ってよい。店舗は通常,経営者の管理下にあるから,経営者が店舗に防犯カメラを設置するのは自由であるという見解もある。しかし,店舗は通常,不特定多数の客が来場することが経営の前提になっているし,これらの客には,当然,プライバシー権がある。平成14年の九州弁護士会連合会のシンポジウム「監視カメラとプライバシー」では,万引き防止目的での防犯カメラは,撮影はよいが,録画してはならないという意見が述べられている。これは弁護士の中でもいささか極端な意見ではあるが,店舗の経営者といえども,どんな場所にでも自由に防犯カメラを設置してよいわけではない。

平成16年に,名古屋で,防犯カメラの録画画像を警察に提供したコンビニエンスストアの経営者に対し,撮影された人が220万円の損害賠償を請求した裁判の判決があった。この判決は,コンビニエンスストアにおいて発生する強盗や窃盗の統計資料や,本件コンビニエンスストアでもかつて万引きの被害にあったことや,店員が酔客に殴られた経験があること,本件コンビニエンスストアの設置状況や,「特別警戒中ビデオ画像伝送システム稼働中」との掲示を行っていたことなどの事実を認定した上,本件コンビニエンスストアにおいて防犯カメラによって店内を撮影し,その画像を一定期間録画することは,強盗や窃盗などの犯罪防止目的に基づくものであって,その目的は正当であり,必要性を有するとして,結論として,本件コンビニエンスストアにおける防犯カメラによる撮影と録画は適法であると判断した。

「なんだ当たり前のことじゃないか」と思われるかもしれない。確かに当然のことではある。しかし,この判決も,店舗の経営者であれば自由に防犯カメラを設置し録画して良いと認めたわけではない。強盗や万引きの防止という犯罪防止や証拠保全のため必要であることや,設置撮影方法が適切であること等の検証を行った上で,適法と判断している。したがって,犯罪防止の必要性が認められない場合や,設置撮影方法が不適切な場合には,店舗の経営者といえども,防犯カメラの設置運用は違法となる。例えば,小売店舗ならば一般に万引き防止の必要性があるといえるが,料亭の個室に防犯カメラを設置することは,その必要性の点から,大いに疑問があろう。また,犯罪防止目的であっても,プライバシー権侵害の程度が極めて大きい場合には,撮影方法が不適切であるとして,違法になってしまう。たとえば,万引き防止目的で,婦人服売場の試着室内に防犯カメラを設置することは違法になると考えられる。

ところで,名古屋のコンビニエンスストア事件判決には続きがある。この事件は,コンビニエンスストアの経営者が,警察の要求に応じて,防犯カメラで撮影したビデオテープを提出したものであった。このテープが,被撮影者の犯罪行為(万引きなど)を撮影したものであったのならば,ビデオテープの警察への提供は全く問題ない。ところが,本件は違っていた。警察は,ホテルの宿泊申込みカードに架空人名義を記載した有印私文書偽造罪等の捜査中であり,その容疑者がコンビニエンスストアに立ち寄ったか否かを調査するため,経営者にビデオテープの提供と,売上データのチェックを要請したのである。

「ホテルの宿泊申込みカードに架空人名義を記載した有印私文書偽造罪等の捜査中」というくだりに「ピン!」と来た人は,かなりの通である。確かに,ホテルの宿泊申込みカードに偽名を記入することは私文書偽造になりうるが,普通,このような微罪で警察が捜査をすることはない。すなわち,ご拝察のとおり,この事件は労働組合の運動家を警察が追跡していた公安事件であり,極めて政治色の強い事件であった。いずれにせよ重要なことは,本件のビデオテープ提供は,コンビニエンスストア内の犯罪とは全く無関係だったということである。

この点について判決は,ビデオテープの提供は結論として違法ではないとしつつも,店内で起きた事件とは別の事件の捜査のためにビデオテープが提供された場合には,肖像権やプライバシー権の侵害になりうることを示唆している。このように,撮影や録画が適法でも,そのビデオテープを第三者に提供することについては,別途違法性が問題になることについては,十分な注意が必要である。

防犯カメラから録画したビデオテープの第三者提供が問題となった事件としては,「ダウンタウン」の松本氏が,レンタルビデオ店でビデオソフトをレンタルしている画像が写真週刊誌に掲載されたとして,写真週刊誌の出版社と編集者に損害賠償を請求した事件がある。東京地方裁判所は,このような画像の提供は,防犯カメラの設置目的を超えた違法なものであると認定して,損害賠償金90万円の支払を命じた。この例は,防犯カメラの設置目的を超えた画像の第三者提供は違法になることを認めた裁判例として,重要である。(小林)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »