東浩紀著「文学環境論集」と防犯カメラ
現代日本を代表する気鋭の批評家,あるいはオタク評論家として有名な東浩紀氏の「文学環境論集」を,少しずつ読んでいる。2700円以上するが,サイケデリック(死語ですね)なデザインの箱の中にショッキングピンクとグリーンの2冊組,というふざけたデザインの本であり,通勤電車の中で読むのはいささか恥ずかしい。 私は現代日本で爆発的に普及しつつあるネットワーク防犯カメラシステムについて,基本的に支持しつつ適切な規制を加えるべきであるとの立場で,2,3の文章を発表している。これらの文章を書くについては,東浩紀氏の論考を大いに参考にさせて頂いた。私淑していると言って過言でない。今回出版された「文学環境論集」は,そのような私にとって,東氏の著作を一覧できる良い機会であった。 たとえば,東氏は次のように言う。「(近代社会のシステムが壊れた結果)社会秩序の原理そのものが大きく変わりつつあることには,注意するべきであると思います。私たちは今や,人間はあまりに多様で,従って理解しあうことも価値観を共有することも難しいから,取りあえずは情報技術によって皆が情報を開示し,それぞれ十分なリスク管理を行うことで問題を回避しようという思想を採用し始めている。左翼の人々が敏感に反応している『監視社会化』,つまり,とりあえず全員指紋を取っておこうとか,すべて記録をとっておこうかという世界的な動きは,国家権力の横暴というよりも,このような社会秩序の変化そのものに起因している。」私もその通りだと思う。 私は,ネットワーク防犯カメラシステムに限らず,ネットワーク技術の高度な発展と,プライバシー権をはじめとする市民の権利とを,法律的にどのように調整したらよいか,ということをここ数年,考えている。現時点での私の考えとしては,私たちは,高度に発展した情報技術から多大な恩恵を享受している反面,ネットワークというバーチャルな世界に対して,生理的・根元的な恐怖感をいだいていると思う。近年個人情報保護法の過剰反応が指摘されているが,この反応はこの生理的・根元的恐怖感を源泉にしているから,仮に今個人情報保護法を廃止したところで,過剰反応そのものは消滅しないと思う。 ネットワーク社会の発展が回避できないとすれば,これとうまく折り合いを付けるにはどうしたらよいか。これは,技術者や法律家だけの仕事ではない。哲学者や社会学者,心理学者の研究が不可欠である。東氏は,私の知る限り,この問題に正面から取り組んでいる数少ない哲学者の一人である。いつか直接教えを請う機会を得たいものである。(小林) 東浩紀氏のHPはこちら http://www.hirokiazuma.com/
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