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2007年6月24日 (日)

安全工学上の「安全」とは

国際規格によれば,安全とは,受け入れ不可能なリスクがないこと(freedom from unacceptable risk)をいうそうである。逆に言えば,受け入れ可能なリスクがある状態は,「安全」なのである。

では受け入れ可能なリスクとは何か,という疑問が湧くのは当然であるが,その前に,リスクとは何かについて国際規格を見てみると,「リスクとは,危害の発生確率と危害のひどさの組み合わせ(combination of the probability of occurrence of harm and the severity of that harm)なのだそうだ。組み合わせであって,積でないところがミソである。「積」ならば,確率が極端に低くても,危害のひどさが極限状態まで高ければ,リスクが高いことになる。しかし,小惑星が地球に衝突する確率の前では,人類滅亡という究極の危害も,リスクではない。他方,「積」ではなく「組み合わせ」であるため,リスクの評価は数量化が困難である。数量化が困難とは,「危害がひどいが発生確率は低い」Aというリスクと,「危害はたいしたことがないが発生確率は高い」Bというリスクの,どちらがリスクとして重要であるか,との比較評価が困難であることを意味する。

さて,このようなリスクが「受け入れ可能な状態」が「安全」である。そこで,どのような場合が「受け入れ可能なリスク」であるかを考えてみると,大別して二種類あることが分かる。一つ目は,危害の発生確率は低くならなくても,危害のひどさが低下した状態である。機械に指を挟む確率は下げられなかったが,挟まれても指が切断することはなく,せいぜい内出血する程度に安全装置を施すような場合がこれにあたる。二つ目は,危害のひどさは低下しなくても,確率を低くした状態である。例えば飛行機は常に墜落の危険に晒されているが,受け入れられる程度まで墜落の確率が低いので,「安全」とみなされているわけである。

このように見てくると,リスクには機械や設備の性能や効用とトレードオフの関係にあるものと,ないものがあることが分かる。墜落しない飛行機はないし,倒れない自転車はない。我が国で毎年一万人近くの人が自動車事故で死亡しているのに,自動車産業が無くならないのは,死亡という個人にとって最大のリスクも,自動車のもたらす効用の前には許容されていることを意味する。他方,食品のリスクは通常,食品の効用(旨さなど)とトレードオフの関係にあるとは考えられていない。フグだけは別,との意見もあるが。(小林)

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