ユビキタスネット憲章と「ネットワークからの独立」
総務省が平成17年5月に発表した「ユビキタスネット社会憲章」に,「第五条 ネットワークからの独立」として,「1.すべての人が、意図せずにネットワークに接続されることなく、情報や知識の望まない流出を回避できることが、ユビキタスネット社会の備えるべき要素である。」との規定がある。パブリックコメント募集期間はとっくに過ぎているので,今更の感はあるが,この条項には疑問がある。その疑問とは,ユビキタスネット社会と,ネットワークからの独立は,両立しうるのか?というものである。
ユビキタスネットワーク社会は,ユビキタス「センサー」ネットワーク社会と言い換えられることがある。ここに「センサー」という言葉が使用される趣旨は,次のとおりである。すなわち,ユビキタスネットワーク社会とは,大小様々なコンピューターが,ネットワークに接続した状態で,遍在する社会である。このような社会において,人間に関する情報をネットワークが取得するに当たり,人間がキーボードや音声入力装置その他の入力デバイスを用いて,いちいち手動で入力していたのでは,煩雑で仕方がない。そこで,ユビキタスネットワーク社会が成立するために必須の入力デバイスとして,センサーが必要となる。電子タグリーダーや,カメラ,マイク,重力センサーその他多種多様なセンサーが,自動で,人間その他の環境情報をネットワークに入力することにより,初めて,ユビキタスネットワーク社会が適切なサービスを提供することができるようになるのである。
さて,ユビキタスネットワーク社会において,センサーによる自動入力が必要不可欠であるとすると,このようなセンサーネットワークからの独立を確保することは極めて困難というより,不可能と言ってよい。日常生活の中で,いちいちセンサーの所在や形態に注意を払い,センサーに探知されないように行動することなどできないからだ。電子タグについては,物理的に破壊したり,アルミホイルを巻いたり,取り外したりすることにより,電子タグリーダーに探知されないようにすることは可能かも知れない。しかし,このようなことが可能なのは,身につけた電子タグがせいぜい1,2個の場合である。近い将来,運転免許証をはじめ,社員証,各種クレジットカードが全て電子タグ化され,自動車や自転車,衣服や鞄にまで電子タグが取り付けられる時代が来たとき,「センサーに探知されてもよい電子タグ」と「センサーに探知されたくない電子タグ」をいちいちより分けて対処することなど,できるはずもない。このように,ユビキタスネットワーク社会の有様を具体的に想定するならば,ネットワークから独立して生活することなど,不可能になる筈である。
ユビキタスネットワーク社会において,ネットワークから独立することが不可能であるという前提に立った場合,選択肢は二つに分かれる。一つは,ネットワークからの独立を重視する立場より,ユビキタスネットワーク社会を拒否する考え方であり,一つは,ユビキタスネットワーク社会の利便性を重視して,ネットワークからの独立を諦める立場である。これはそれぞれの立場から大いに議論すればよいと思うが,私は,後者の立場を取りたい。但し,後者の立場を取りつつも,プライバシー権を守るためにはどうしたらよいか,を考えるのが,私の当面の仕事であると思う。(小林)
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