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2007年7月24日 (火)

機動警察パトレイバー2と20世紀的軍事クーデターと報道の自由

押井守監督の「機動警察パトレイバー2the Movie」を久しぶりに鑑賞した。1993年に公開されたこの作品は,柘植行人というひとりの天才的戦略家が2002年の東京に仮想の戦争状態を作り出す有様を描いたものだ。何回見ても傑作だと思う。もっとも,地下鉄サリン事件(1995年)やニューヨーク同時多発テロ(2001年)を予言したともいわれるこの作品の先見性について,筆者には解説する見識も能力もない。その代わりといっては何だが,発想を逆転して,この映画が描いた2002年の東京には無くて,実際の東京にあるものについて,思うところを記しておきたい。

この映画が描いた近未来(2002年)の東京に無くて,実際の2002年の東京にあるものはインターネットである。映画で柘植行人の部隊は,強力な妨害電波を発信する飛行船を周回させ,橋を爆破し,電波塔と電話線を破壊・寸断して東京を情報的な孤島に陥れる。しかしネット社会となった実際の東京においては,映画に描かれただけの破壊工作では,東京を情報的な孤島に陥れることは不可能であろう。ネット社会は,原理的に,「頭を潰せば全身が麻痺する」という構造になっていないからである。

もちろん,この映画を製作した時点において,押井守監督がネット社会の到来を予測していなかった筈がない(同監督はこの映画の2年後にハイパーネット社会を描いた「GOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を製作している)。しかし,日本中・世界中に張り巡らせたネットの網の目から東京を切り離すためには大規模なサイバーテロを仕掛けなければならない。そこまで描くことはある意味リアルかもしれないが,映画としてのまとまりが無くなってしまう。そこで押井監督はあえて「インターネットの存在しない東京」を舞台に設定したのだと思う。

このような次第で,今回この映画を見て筆者が感じたことは,「現代の日本では20世紀的な軍事クーデターは起こせないだろうなあ」ということであった。なぜなら,20世紀的軍事クーデターは,放送局や報道機関の占拠による情報統制が成功の鍵を握る。ところが,現代ネット社会では,軍を含む特定の勢力が確実かつ長時間情報統制を行うことがおそらく不可能だ。たとえば,2006年のタイ軍事クーデターは記憶に新しいが,報道管制が敷かれる一方,「現在,衛星放送全チャンネル,視聴できません。」という書き込みが何のチェックも受けず,インターネットを通じて全世界に発信された。また,アル・カイーダのホームページが堂々と公開されている現状を見れば,エシュロンやキーストロークといった世界的規模の監視システムも,実効を挙げていないというべきだろう。2.26事件を2002年の東京に再現してみせたこの映画は,2007年の現代から振り返る限り,皮肉にも,現実に再現することは不可能であったことを証明したともいいうる。もちろん,それがこの映画の価値をいささかでも減じるものではないが。

ところで,「不正義の平和と正義の戦争」とは平和ボケした日本を痛烈に皮肉る劇中の台詞である。不正義か否かはさておき,現行憲法は平和主義を柱の一つにしている。もっとも,平和主義を規定しているのは前文と9条等だけではない。憲法21条1項は,「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する。」と定める。これは一般に表現の自由を保障するものとして理解されているが,「集会,結社および言論,出版」を表現の自由の代表例として列挙した規定ぶりが示すように,これは政治的言論を主として念頭に置いた規定である。逆に言えば,言論統制への反省から,自由な政治言論こそ平和国家の礎であるとの認識が生まれ,これに基づき,憲法21条が規定されたのである。表現の自由の保障もまた,平和主義の一つのあらわれである。

日本国憲法制定当時,政治的言論のメディアとしては,新聞と出版,ラジオとせいぜいニュース映画であった。これらのメディアは,いずれも,編集局や放送局といった「頭」を支配すれば,全体を統率することが可能であり,その意味では非常に脆弱なメディアであった。その後のメディアとしてテレビジョンが登場したが,これも脆弱性という意味では,従前のメディアと同様である。これら報道メディアの脆弱性は,20世紀的軍事クーデターの標的になってきたのであり,機動警察パトレイバー2the Movieにおいても,端的に指摘されたことである。このように,「非常に重要だが非常に脆弱」であるという特質から,「報道の自由」は,表現の自由の中でも,とりわけ強い保護を受けている。これを「報道の自由の優越性」ということがある。

さて,「報道の自由の優越性」の根拠がその重要性と脆弱性にあるとするならば,現代ネット社会において「報道の自由の優越性」は揺らいでいることになる。すなわち,インターネットという比較的強固なメディアの登場は,従前の報道メディアを優先的に保護する必要性を減少させているという見方が可能である。もちろん,このように言い切れるほど,ネット社会が発展し成熟した状態に現在あるか,については大いに疑問であるが,将来,報道の自由の優越性が相対的に低下していく方向性にあることは間違いない。ネット社会が世界を変えるとは良くいわれることであるが,その具体例は,こういうことなのだ。(小林)

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