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2007年8月28日 (火)

警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画

平成19年8月24日付毎日新聞によると,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラを取り付けるよう一部住民に協力を呼びかけ、09年度までの3カ年で1000台設置の計画を進めていることが分かった。『街の安全』を掲げて商店街や国道沿いの個人宅を中心に取り組みを強化しているが、管内の住民には計画を正式に広報しておらず『監視社会を助長する』と批判の声も上がっている」とのことである。

すでにこのブログでも何回も書いているが,私は,街頭防犯カメラ設置そのものに反対するものではない。直ちに監視社会を助長するというつもりもないし,すぐ戦争になると主張する人たちにも賛成できない。しかし,適正なルール無き街頭防犯カメラの増殖には反対である。そして,適正なルールとは,そのルール自体と運用の有様が公開されていなければならない。

記事によれば,「八王子署では『画像は事件以外に使うことはあり得ない。プライバシーにも十分配慮する』と話している」。

つまり「信頼してくれ」と言っているわけだが,街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムであるから,「信頼してくれ」というだけでは駄目である。

警察が自ら街頭防犯カメラを設置せず,地域住民にやらせるのは,二つの理由がある。一つは予算の問題だろう。もっとも,未確認だが,住民にカメラをリースする業者と警察は密接につながっていると想像する。もう一つの理由は,最高裁判所大法廷の判決によって,警察が公道を撮影することは,現に犯罪が行われているか,その直前または直後である場合に限定されているからだ。だから警察は自らカメラを設置しないということだろうが,警察がやって駄目なことを民間人がやって良いのだろうか? 少なくともきちんと議論がなされているのだろうか。

街頭防犯カメラの導入については,さまざまな議論があるし,それが今熟しているとは思えない。また,議論が熟するのを待てないほど,一般的に事態が切迫しているとも思えない。犯罪白書が示すとおり,ここ数年,日本の治安は良くなる方向にあるのだ。(小林)

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2007年8月27日 (月)

防犯カメラと肖像権について

監視カメラ(防犯カメラを含む)は,肖像権との関係で問題になる,と言われている。このように理解する点では,監視カメラ反対派も,賛成派もおなじだ。しかし,すでにあちこちに書いているが,監視カメラとの関係で問題になるのは,肖像権ではない。正確に言うと,肖像権も問題になるが,本質的ではない。

確かに,監視カメラが撮影した画像であろうと,カメラマンがスタジオで撮影した見合い写真であろうと,フィルム(またはデジタルメディアに)記録された画像は「肖像」である。しかし,その本質的な意味は,全く違う。その証拠に,典型的な監視カメラの画像と,典型的な肖像写真とを比べてみよう。

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1993年,イギリスで2歳の男の子(James Patrick Bulger)が2人の少年に誘拐され殺害された。この写真は,誘拐の瞬間を撮影した防犯カメラの画像とされている。この画像を見た捜査機関は,被害者の背格好や誘拐当時の服装から,画面中央の幼児が被害者と推定することができる。また,この幼児の手を引く人物が誘拐犯であり,この人物は小柄な男性,おそらく少年であると見当をつけるとともに,ダウンジャケットと思われる服装やその色を知ることができる。また,誘拐犯と対向して歩く中年と思われる女性が,誘拐犯の人相を見ているかもしれない,という情報を得ることができる。これらの情報は,撮影された人物(被害者や犯人や目撃者)を特定する資料として使用されることになる。

ところで,この写真にとって最も重要な情報は何か。それは,この写真が撮影された日時場所である。この情報がなければ,画面中央の幼児が被害者であることさえ,特定が困難となり,この画像は無価値となる。言い換えれば,防犯カメラの画像の本質は,撮影された人を特定する情報(人相や服装,撮影日時場所など)であり,その人がどのような行動をしていたかを記録している点にある。

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この画像は,典型的な肖像写真として,著作権フリーの画像を拝借したものである。この画像から読み取れるもの,言い換えれば,この画像の本質的要素は何であろうか。われわれは,撮影された男性の表情,服装,所持品,皺の一本一本から,この人物の人間性や人生,社会的地位,あるいは人間的・性的魅力の有無や程度を読み取ることができる。すなわちこの画像の本質的要素を一言で言うと,撮影された人物の人格である。肖像権が法律上,人格権といわれるゆえんがここにある。一方,この写真が何時どこで撮影されたか,この人物がどこの誰であるかは,この画像にとって本質的要素ではない。もしかしたらこの男性は歴史上の有名人かもしれないし,それが分かればこの写真の持つ意味は多少奥深いものになるであろうが,それが分からなかったからといって,この写真の価値(記録された被撮影者の人格)が無くなるわけではない。

このように,防犯カメラの画像と,肖像とは,本質的に異なるのである。本質的に異なる以上,両者に反映された法律上の権利は異なる,と考えないといけない。したがって,監視カメラは本質的には肖像権の問題ではない。

では,肖像写真と同じく人物の画像を記録しているにもかかわらず,監視カメラの本質が肖像権にないとするならば,監視カメラの本質はどのように考えるべきであるのか。私は,監視カメラの本質は,個人の行動を記録する点にあると考えている。

このような考えを表明しているのは,私の知る限り,私一人である。しかし,この点は非常に重要であり,また,法律家の怠慢というべきか,ほとんど議論がなされていない部分である。(小林)

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2007年8月23日 (木)

仕事で得た顧客の名刺は誰のもの?

平成19年7月9日の日本経済新聞朝刊「リーガル3分間ゼミ」に,「会社の営業職が汗水たらして手に入れた顧客の名刺は従業員の財産ではないのか?」という設問に対し,裁判例を引用した上で,「秘密指定外なら(従業員)個人のもの」との回答が掲載された。

これに対して,オプティマ・ソリューションズ代表取締役中康二氏のブログは疑問を呈し,「個人情報保護法上,(従業員が)退職時に名刺を持ちだしてはいけない」と主張している。

また,牧野二郎弁護士のホームページにも,「名刺は会社が管理するものであり,従業員が個人で管理するものというのは間違い」と記載してある。

しかし,裁判例を調べてみると,平成17年7月24日東京高裁判決に,ペットサロンが元従業員に対して,持ち出した顧客名簿等による営業活動の差止や損害賠償などを請求した事件に関し,その顧客名簿の秘密管理性を否定してペットサロン側を敗訴させたものがある。この裁判例によれば,日経新聞の記事と同様,顧客名簿の持ち出しも違法でない場合があるということになりそうである。

これらの意見や裁判例はどのように理解したらよいのだろうか。

ポイントは,会社の法令遵守という問題と,会社と従業員との関係を分けて考える,という点にある。平たく言えば,会社の立場と,従業員の立場を分けて考える,ということだ。

会社は大概,個人情報保護法上の個人情報取扱事業者に該当する。従業員が職務上顧客からもらった名刺上の情報は,顧客名簿などの形で検索可能なように体系的に整理されたものであれば,それぞれ,個人データに当たる。従って,会社は,その個人データを目的外に利用することはできないし,従業員が退職に際して名刺を持ち去ることを見過ごせば,個人情報保護法に違反する情報の第三者提供に当たることになる。その意味では,仕事で得た顧客の名刺は会社のものという理解が正しい。

しかし,個人情報保護法は,あくまで会社の義務を規定したものにすぎない。だから,個人情報保護法上,会社に名刺(情報)管理の義務があるからといって,直ちに,従業員に対して,名刺(情報)を引き渡せと要求できるわけではない。ややこしいが,会社と国との関係を定めた法律(個人情報保護法)と,会社と従業員との関係を定めた法律(不正競争防止法や民法,労働法など)はその適用範囲が違う,ということなのだ。

だから,会社は,個人情報保護法を遵守するためには,従業員との関係で,「従業員が職務上もらった名刺の情報と名刺の所有権は会社のものになる。退職した後に顧客情報を利用してはならない」ということを契約しておかなければならないし,このような契約がない場合には,従業員が名刺や顧客情報を持ち出して利用しても,これを禁止できない,ということになる。なお,顧客情報は必ず営業上の秘密に該当する,とまでは言い切れないから,会社と従業員との間で営業上の秘密保持契約が締結されていたとしても,直ちに,名刺(情報)の管理権が会社に帰属する,ということにはならない。

もっとも,秘密指定外なら名刺持ち出しも利用も自由,とする日本経済新聞の記述は行き過ぎだろう。従業員は,退職に際しても,労働契約の相手方である会社を不当に違法状態に陥れないという雇用契約上の善管注意義務を有するというべきであるから,退職の際名刺を持ち出すことが会社の個人情報保護法違反状態を直ちに作り出すことを知って持ち出せば,かかる善管注意義務違反による責任を負う,と考えることは十分可能である。(小林)

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2007年8月19日 (日)

「ポチ」の呪い

「ポチ」といっても犬のことではありません。

先日,自宅のインターネット環境をADSLから光ファイバーに変更した。その際レンタルしたルーターやCTUやらと,自宅のイントラとの設定調整作業に6時間かかってしまった。というのは,自宅のイントラについてやや特殊な設定をしており,これに対応する方法がマニュアルに記載していなかったためである。設定作業のうちはじめの5時間を無駄に費やし,袋小路に嵌った挙げ句,NTT西日本のコールセンターに助けを求めたところ,丁寧かつ適切なご指示をいただき,その後1時間で無事終了した。結果論としては,はじめから電話していたら,1時間で終了した作業であったが,私がコールセンターに電話をしなかったのは,「ポチ」の呪いがあったからである。

もう5年前になると思うが,やはりインターネットの設定がわからず,NTT西日本のコールセンターに電話したことがあった。その時はお定まりのようにさんざん待たされ,たらい回しされた挙げ句,応対に出た女性も全く対応する能力がなかった。もっとも,そこまでなら私も想定していたことであったが,最後に,メールアドレスのやりとりをした際,区切りとなる区点「.」のことを,先方の女性が「ポチ」と言ったのである。

…普通「ドット」と読みませんか?せめて「ピリオド」とか。

それを「ポチ」と聞いたとたん,私は「これは駄目だ」と思った。そして,もう二度とNTT西日本のコールセンターには電話しないと心に誓った。その結果,今回5時間を無駄にした。これが「ポチ」の呪いである。

ところが今回は,応対に出た若い女性は私が「どうせ理解できないだろう」と高をくくって始めた説明を半分まで聞かないうちに問題点を理解し,あとは手取り足取り,素晴らしい対応をしてくれた。ちなみに,日曜日であったにもかかわらず,コールセンターが受付をしていたことも驚きなら,全く待たされなかったことも5年前とは大違いであった。これがネット社会の浸透または「高度情報社会化」ということなのかもしれないとしみじみ実感した。NTT西日本様,この5年間信用しなくて申し訳ありませんでした。そして,応対してくれた女性の方にこの場を借りて御礼を申し上げます。(小林)

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2007年8月17日 (金)

リチウムイオン電池事故の報告義務について

ソフトバンクモバイル株式会社のノキア・ジャパン製携帯電話を充電中に,松下電池工業株式会社製リチウムイオン電池が発熱し床を焦がす事故と発煙する事故が発生し,た件に関連して,平成19年8月17日付日本経済新聞朝刊に,「電池不具合報告の手順は」という囲み記事が掲載された。

これによると,本件に関する消費生活用製品安全法上の主務大臣への報告義務は,ノキア・ジャパンにある。また,それ以前から松下電池が海外での事故事例を知っていたとしても,法的責任はない。とされている。

この記事の内容は間違いではないが,やや不正確,ないし誤解を招く部分があるように感じる。

消費生活用製品安全法35条によると,主務大臣に対する事故情報報告義務が発生するのは,次の条件を充たす場合である。なお,報告の期限は10日である(消費生活用製品安全法施行規則3条)。

① 消費生活用製品の

 ② 製造又は輸入の事業を行う者が

 ③ 重大製品事故が生じたことを知ったとき

第一の問題は,①の「消費生活用製品」にあたるのは何か,という点である。リチウムイオン電池は当然該当するとして,携帯電話そのものも該当することは案外盲点ではないだろうか。本件事故が発生した時点においては,事故の原因となる欠陥が電池のみにあるのか,充電用機器も含む携帯電話本体にあるのか,それとも両方にあるのか,不明だった筈だからである。

第2の問題は,②の「製造又は輸入の事業を行う者」にあたるのは誰か,であるが,第1の問題を踏まえて考えれば,電池を製造した松下電池と,携帯電話を製造したノキア・ジャパンが該当することは明白である。一方,携帯電話を販売したソフトバンクモバイルは,小売業者であり,「製造」したわけではないので,主務大臣への報告義務は発生しない。小売業者は,消費生活用製品安全法34条により,製品事故情報を一般消費者に提供する責務(同法上,義務ではない)と,重大製品事故情報を製造事業者に通知する責務がある。報道によると,ソフトバンクモバイルは7月28日の事故を受け,同月30日に,事故情報をノキア・ジャパンに報告し,8月14日にホームページを通じ事故を公表しているから,この責務を果たしていることになる。

第3の問題は,③の「重大製品事故が生じたことを知ったとき」にあたるかである。「重大製品事故」とは,「製品事故」の中でも重大なものをいうから,ただの「製品事故」は除外される。

では,「製品事故」と「重大製品事故」の違いはどうなっているのか。

まず,「製品事故」とは,消費生活用製品の使用に伴い生じた事故のうち,その欠陥によって生じたものではないことが明らかな事故以外のものであって,①一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生した事故,または,②消費生活用製品が滅失し,またはき損した事故であって,一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生するおそれのあるもの,である(消費生活用製品安全法2条4項)。

次に,「重大製品事故」とは,一般消費者の生命身体に対し,①死亡,②加療30日以上の傷害,③一酸化炭素中毒,のいずれかが発生するか,または,④火災が発生したこと,がこれにあたる(消費生活用製品安全法施行令4条)。

これだけを見比べてもどこが違うのか,理解しづらいが,本件においてのポイントは,④の「火災が発生したこと」にあたるか否かである。報道による限り,本件事故は「床を焦がす」「携帯電話が発煙する」の2件であり,これらが「火災が発生したこと」に該当するか否かは,法律家としてみる限り,やや疑問が残るところである。というのは,例えば放火罪は,火が独立して燃焼したときに既遂になるとされているからだ。しかし,結論としては,この法律の趣旨などに照らし,この程度の事故でも「火災が発生した」と見る余地はあろう。そうであるとすれば,これらの事故を知ったノキア・ジャパンには,主務大臣に対する報告義務が発生することになる。

そして,松下電池も製造者であり,重大製品事故を知った以上,当然,主務大臣に対する報告義務が発生する。この点は記事に記載されておらず,松下電池には報告義務がないと誤解されかねない点であり,問題である。「すでにノキア・ジャパンが報告したから」報告義務が免除されるとは,法律上どこにも書いていない。逆に,消費生活用製品安全法施行規則の定める報告書の様式上,事故原因や事故への対応を報告するものとされていることからして,電池の直接の製造者である松下電池にしか分からない情報もありうる以上,ノキア・ジャパンが報告したからといって,松下電池の報告義務が免除されるということにはならない筈である。松下電池は本件携帯電話の部品の製造業者であるが,部品の製造業者といえども,報告義務を負う。ちなみに,独立行政法人製品評価技術基盤機構が発行した「生活安全ジャーナル」第4号には,「部品でも単体で販売され,一般消費者が購入できるものは消費生活用製品と捉えられます」との解説がある。

ところで,前述したとおり,松下電池は昨年12月に,ノキアから同社製携帯電話の電池不具合の報告を受けていた。この電池が今回問題となったものと同一であるか否かは記事上不明であるが,ノキア・ジャパンのホームページによれば,世界規模では約100件の過熱に関する報告があるとのことである。これは報告義務の対象にならないのか,が問題となるが,記事は海外での事故については報告義務はないとしている。この点は私も経済産業省製品安全課に問い合わせたが,同様の回答だった。その理由は,特に明文で定めてあるわけではないが,「日本の法律だから,報告義務の根拠となる事故は,国内での事故が対象になる」とのことである。

しかしこの解釈は不当だろう。これによると,日本人が,日本製品を海外で使用中に重大製品事故が発生しても報告義務対象外になるが,これが不当であることは明白であり,本法律の趣旨にも反する。どこで事故が起きようが,メーカーが重大製品事故発生を「知った」以上,その製品が国内で販売されている限り,報告義務があると解釈する方が当然だろう。仮に,消費生活用製品安全法上の報告義務がないとしても,例えば製造物責任法(PL法)や不法行為法上の法的責任が問題となるときに,海外での事故事例を知っていたことは,当該メーカーにとって極めて不利な事実になることは間違いないと思う。(小林)

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2007年8月15日 (水)

「清川村が暴走車抑止対策として宮ヶ瀬湖周辺に防犯カメラ設置へ」のニュースについて

神奈川新聞社が運営するカナロコに平成19年8月4日掲載された記事によると,「宮ケ瀬湖周辺での暴走車両による事故や騒音に悩まされてきた清川村は,今秋までに村内の道路に向けて防犯カメラを設置することを決めた。」とのことである。記事の内容は下記の通りであるが,不思議なニュースだと思う。

地域住民の安全のため,暴走行為を抑止したいという気持ちはよく分かる。しかし,暴走行為の取締は警察の仕事であり,村の仕事ではない。村は何を根拠に県道を通行する車両一般を撮影することができるのか。また,警察との関係はどうなっているのか。

行政法には,法律による行政の原則というものがある。これによれば,最低限,国民に義務を課したり権利を制限したりする場合には法律の根拠が必要,という考え方である。例えば,公道において警察が写真撮影することについては,警察法2条1項「警察は,個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」を根拠として,一定の要件のもとに認められることは,判例上確定している。逆に言えば,警察といえども,法律の根拠がなければ,公道において一般市民を撮影することは許されない。おそらく現時点で清川村には,公道において一般市民を作成することを許す法律上の根拠はないと思う。もし条例を作る予定であるとしても,このような条例を作成することが許されるかという問題がある。

また,記事には,「村は,プライバシー保護のため,撮影画像内容の県警への提供についてはガイドラインを策定。専門家らでつくる委員会で,提供の妥当性や提供基準を定期的に審議する。」と記載してあり,いかにもプライバシー問題に配慮し,警察との関係でも一定の緊張関係を保つという書きぶりである。しかしそれは無理であろう。違法な暴走行為とは,主として道路交通法の各種条項違反を指すが,「問題はあるものの違法とはいえない暴走行為」と「違法な暴走行為」の判定は,実際にはかなり微妙であり,警察官でなければ判断できないうえ,警察官なら全員同じ判断をするというわけでもあるまい。となれば,村としては,最低限,「問題のありそうな暴走行為」の録画画像をあらいざらい警察官に閲覧してもらうことになるだろうし,警察官としては,立場上,違法か否かの限界画像の提出をあらいざらい要求することになるだろう。

繰り返すが,私は,報道された暴走行為の取締に反対するものではない。私が言いたいのは,警察の仕事は警察がやるべきだ,ということである。警察は,その使命から,強大な権力と実力を与えられている。その一部といえども,地方公共団体が警察の仕事を代行するというのは,長い目で見た場合,極めて危険な発想である。(小林)

ニュース本文は次のとおり。

「暴走車抑止対策として宮ヶ瀬湖周辺に防犯カメラ設置へ/清川村」

車のスピードを計測し取り締まることはできないが,車のナンバーと運転者の撮影が可能。重大な犯罪発生時に県警に画像を提供するとともにカメラの存在を看板などで周知,暴走行為自体を抑止する。

設置は厚木市内と宮ケ瀬湖畔を結ぶ県道など五カ所の予定。通行する車両を二十四時間撮影し,画像は光ファイバーを通じて村役場で確認できるようにする。

同村は観光地の宮ケ瀬湖を抱え,周辺にはスピードの出しやすい直線道路や幅の広いカーブが多い。そのため,専門雑誌や漫画本などで周辺が”名所”として紹介され,暴走車両が増加。週末の夜には制限時速三十キロの道路を百キロ以上で走る車もあるという。

住宅近くで暴走車両が激突する事故も発生し,地域住民から苦情が寄せられてきた。

そのため,村は注意を呼び掛ける看板を設置し,路面に凹凸を施したり道路中央部に反射板のついた金属板を設置したりと対策を取ったが,暴走車両は増加の一途だった。

村は,プライバシー保護のため,撮影画像内容の県警への提供についてはガイドラインを策定。専門家らでつくる委員会で,提供の妥当性や提供基準を定期的に審議する。

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2007年8月11日 (土)

ウォークスルー虹彩認証システムについて

松下電器産業株式会社とパナソニック システムソリューションズ社は,総務省の研究開発プロジェクト「ユビキタスセンサーネットワーク技術に関する研究開発(2005年から開始)」の中の「高精度人物認知技術の開発」の成果として,虹彩認証を活用して歩きながらでも高精度に人物確認が可能な国内初の「ウォークスルー虹彩認証システム」を開発したと発表した。

虹彩認証は,人の虹彩(「黒目」と呼ばれている部分)パターンが指紋と同様各人各様である性質を利用する生体(バイオメトリック)認証の一種である。虹彩認証は精度が高いと言われているが,現在は,専用の器具に眼を押し当てて数秒間静止する必要があるため,多数の人に対して短時間で虹彩認証を行うことが困難であった。今回発表された技術は,人がゲートを歩いて通過するだけで高精度に認証を行う世界初の技術だそうだ。

このニュースを聞いて,「マイノリティ・リポート」を思い浮かべた人は少なくあるまい。この映画では,全市民は虹彩情報の登録を義務づけられ,街中至る所に虹彩認証システムが存在し,街を歩いただけで氏名が特定されて壁に広告が映写されたり,地下鉄に乗っただけで警察が居場所を察知したりする。主人公は警察の目を逃れるため,ヤミ手術を受け他人の眼球を移植するのだ。この映画の舞台は西暦2054年だが,50年待つ必要はなさそうである。

法律的に見た場合,「マイノリティ・リポート」はバイオメトリック認証の法的問題点を二つ浮き彫りにしている。その一つは,人が,好むと好まざるとにかかわらず,その行動を詳細かつ網羅的に把握されることが技術的に可能になった,ということである。他の一つは,虹彩のような生体認証情報は,パスワードと異なり,「必要に応じて変更する」ことができないということである。一度盗まれたら,目玉を入れ換えない限り,一生回復できない損失を被ることになる。

例えば運用方法はどうなるのか。ニュースリリースによれば,このシステムは当面,空港に設置されることを想定しているようである。ところで現在,パスポートのICタグ搭載が国際的に進行しているから,このシステムとタグリーダーを組み合わせれば,直ちにパスポート記載事項と虹彩情報を連結した膨大なデータベースができあがることになる。セキュリティの観点からは,このようなデータベースの存在を一概に否定することはできないが,他方,運用に関する明確な規準が無いことには懸念をいだかざるを得ない。

こういった分野に関する法律家の取組は,始まったばかりであり,しかも歩みは遅い。一方で,技術はどんどん進歩している。技術の進歩は歓迎だが,このようなニュースに接すると,法律家としては複雑な思いもある。(小林)

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2007年8月 7日 (火)

「プライバシーに配慮したネットワークカメラ」ComeCamについて

 

 筑波大学第三学群情報学類知能情報メディア主専攻の樋口潤氏の卒業研究論文「見られていることを気づかせるネットワークカメラシステムの提案と試作」をネットで見つけて拝読した。ネットワークカメラのプライバシー問題に配慮した技術的提案ということであったが,期待はずれの感を否めない。

論文は,ユビキタスコンピューティングの一環をなすネットワークカメラの設置を考える際,プライバシーに関する弊害を考慮しなければならないと問題提起した上で,「見られていること」を被撮影者に通知するとともに,被撮影者が手振りなどで簡便に撮影を拒否したり,撮影者を特定の対象に誘導したりできるシステムを提案する。

たしかに,この問題提起は正しい。しかし,論文は,ネットワークカメラが「なぜ」プライバシー問題をもたらすかについて理解が足りず,その結果,解決または緩和策としての提案が的はずれになっていると感じる。

ネットワークカメラは「なぜ」プライバシー問題をもたらすのか。この問題はよく,フランスの哲学者ミシェル・フーコーの考案した監獄施設「パノプティコン」によって説明される。これは,囚人がどこにいても,看守から囚人を見ることは可能であるが,囚人から看守を見ることができない仕組みである。このような仕組みの監獄に収容された囚人は,実際に監視されていると否とにかかわらず,「看守に見られている」ことを前提として,自由な行動を控えるようになるとされる。自由行動が万一見られていれば規律違反として処罰されるかもしれないという囚人の心理からすれば当然であろう。つまり,「見られているか,見られていないか,分からない」という状態は,囚人にとって,「いつも見られている」という状態と同一になるのである。これを「囚人が看守の視線を内在化した」という。監獄の運営者からすれば,規律を守らせるため看守を増員するという方法もある。しかしそれは不経済なので,看守の視線を囚人に内在化させることにより,効率的に規律を維持することができる。このように,「パノプティコン」においては,「看守に見られているか,見られていないか,分からない」ような監獄の構造がポイントである。

これをネットワークカメラに当てはめてみると,こういうことになる。つまり,撮影されている市民は,実際に自分が見られているのか,見られていないのか,分からない。この場合,市民は,見られていることを前提として,自由な行動を控えるようになる。「見られているか,見られていないか」を「録画されているか,録画されていないか」と言い換えても同じである。つまり,市民にとって,ネットワークカメラに撮影されているということは,「いつも見られている」または「いつも録画されている」ことと同義なのだ。これこそが,ネットワークカメラを防犯カメラとして利用する場合における最大のポイントであり,本質である。そして,論文が指摘するネットワークカメラのプライバシー問題は,ネットワークカメラが防犯カメラとして使用される場合,最も問題になる。

論文が提案するシステムは,誰が見ているかを被撮影者に知らせるシステムである。裏を返せば,誰も見ていないことも,被撮影者に知らされる。誰も見ていないことを知らせるのは,ネットワーク防犯カメラにとって,「自分は案山子です」と宣言することに等しい。これは,ネットワーク防犯カメラの本質を否定するものであり,自殺行為である。だから,ネットワーク防犯カメラの運用者は,このシステムを採用することができない。ということは,論文が提案するシステムは,ネットワーク防犯カメラのプライバシー問題を全く解決しないし,改善もしないということになる。論文が提案するシステムは,同論文が指摘するように,ネットワークカメラをコミュニケーションツールとして使用する場合にのみ有益でしかない。

実は,私自身は,ネットワーク防犯カメラのプライバシー問題と,パノプティコンを同列に考えることに多少違和感をもっており,そのことはいずれこのブログに書きたいと思っている。しかし,いずれにせよ,パノプティコンの概念はネットワーク防犯カメラのプライバシー問題における基本概念だから,これを無視しては駄目である。論文執筆者の樋口氏をはじめ,この分野の技術者,研究者の方々には,是非,ご自分の研究分野だけではなく,「パノプティコン」のような心理学的・哲学的概念をも研究され,それを技術開発に反映させて頂きたいものである。(小林)

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2007年8月 1日 (水)

原発の安全設計について

平成19年7月16日の新潟県中越沖地震の際,設備の火災や放射性物質漏れを起こした柏崎刈羽原発の安全設計が議論されているが,聞いていると,何となく違和感がある。もちろん私は原発の専門家ではないし,ニュースを全部フォローしているわけではないから,すごく基礎的な認識違いがあるかもしれないが,リスクアセスメントの考え方と通じるところがあるので,備忘のためメモしておきたい。

マスコミの論調は,原発建設前の地質調査で断層の脅威を過小評価したことを問題としているようであるが,それは視点が間違っていると思う。もちろん,原発建設に先立ち,周辺の地質や断層の調査を行うべきだし,その脅威を過小評価してはならないのは当然だ。しかし,調査や評価には限界がある。「科学的調査・評価の結果安全と判明しました」とは,最大限善意に解釈しても,「現在の科学・技術水準では危険性を証明できませんでした」ということと同義である。つまり「安全」とは,「危険でない」ことではなく,「危険性を証明できなかった」ことでしかない。

そうであるならば,柏崎刈羽原発の問題点は,断層の評価を誤ったことではない。断層の評価にあわせて,原発の安全設計を行ったことにある。つまり,断層の評価とは切り離したところに,原発の安全設計基準を置くべきであったのに,(結果的に間違っていた)断層の評価にあわせて安全設計基準を適用したところが問題だったのである。言い換えれば,断層の評価にあわせて安全設計基準を変更するという設計思想それ自体が間違いであった。すなわち,原発は,直下に断層が発見されようがされまいが,巨大で活発な断層が直下に存在することを前提とした安全設計がなされるべきなのだ。

もちろん,絶対安全を要求される原発といえども,日本が一瞬にして沈没するほどの大地震を想定する必要はない。大多数がやむを得ないと思う巨大地震が想定外となってもやむを得ない。どこで線引きするかは困難な問題であるが不可能ではないだろう。少なくとも,日本国土が有史以来経験した最大クラスの地震が直撃することは想定すべきであると思うが,この判断はまず専門技術者と行政府が国民に対して呈示すべきだろう。つまり,例えば,「日本の原発は,直下で阪神淡路大震災クラスの地震が起きても致命的な損傷がない安全設計になっています。しかし,建設コストとこれが反映する電気料金との関係を考えると,阪神淡路大震災クラスを超える地震が起きても致命的な損傷がない安全設計までは採用できません」と言うべきなのだ。これを受けて,国民が,許容可能なリスクと判断できるなら,原発建設を容認すべきということになる。これがリスクアセスメントという考え方ではないかと思う。

歴史にifはないが,もし,柏崎刈羽原発が,断層評価とは無関係の安全設計を施していたらどうなっていただろう。もちろん,それでも今回程度の損傷や放射性物質漏れは発生したかもしれない。しかし,この場合,東京電力としては,「当原発は,今回程度の揺れは想定した安全設計を施してあります。その証拠に,被害は僅少でした」と胸を張って言えたであろうし,数千億円を超すとも言われる観光・漁業被害等の二次被害も最小限度で済んだであろう。

このように,柏崎刈羽原発の問題は,「安全性の証明」が実は極めて難しい概念であることを教えてくれている。(小林)

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