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2007年8月 1日 (水)

原発の安全設計について

平成19年7月16日の新潟県中越沖地震の際,設備の火災や放射性物質漏れを起こした柏崎刈羽原発の安全設計が議論されているが,聞いていると,何となく違和感がある。もちろん私は原発の専門家ではないし,ニュースを全部フォローしているわけではないから,すごく基礎的な認識違いがあるかもしれないが,リスクアセスメントの考え方と通じるところがあるので,備忘のためメモしておきたい。

マスコミの論調は,原発建設前の地質調査で断層の脅威を過小評価したことを問題としているようであるが,それは視点が間違っていると思う。もちろん,原発建設に先立ち,周辺の地質や断層の調査を行うべきだし,その脅威を過小評価してはならないのは当然だ。しかし,調査や評価には限界がある。「科学的調査・評価の結果安全と判明しました」とは,最大限善意に解釈しても,「現在の科学・技術水準では危険性を証明できませんでした」ということと同義である。つまり「安全」とは,「危険でない」ことではなく,「危険性を証明できなかった」ことでしかない。

そうであるならば,柏崎刈羽原発の問題点は,断層の評価を誤ったことではない。断層の評価にあわせて,原発の安全設計を行ったことにある。つまり,断層の評価とは切り離したところに,原発の安全設計基準を置くべきであったのに,(結果的に間違っていた)断層の評価にあわせて安全設計基準を適用したところが問題だったのである。言い換えれば,断層の評価にあわせて安全設計基準を変更するという設計思想それ自体が間違いであった。すなわち,原発は,直下に断層が発見されようがされまいが,巨大で活発な断層が直下に存在することを前提とした安全設計がなされるべきなのだ。

もちろん,絶対安全を要求される原発といえども,日本が一瞬にして沈没するほどの大地震を想定する必要はない。大多数がやむを得ないと思う巨大地震が想定外となってもやむを得ない。どこで線引きするかは困難な問題であるが不可能ではないだろう。少なくとも,日本国土が有史以来経験した最大クラスの地震が直撃することは想定すべきであると思うが,この判断はまず専門技術者と行政府が国民に対して呈示すべきだろう。つまり,例えば,「日本の原発は,直下で阪神淡路大震災クラスの地震が起きても致命的な損傷がない安全設計になっています。しかし,建設コストとこれが反映する電気料金との関係を考えると,阪神淡路大震災クラスを超える地震が起きても致命的な損傷がない安全設計までは採用できません」と言うべきなのだ。これを受けて,国民が,許容可能なリスクと判断できるなら,原発建設を容認すべきということになる。これがリスクアセスメントという考え方ではないかと思う。

歴史にifはないが,もし,柏崎刈羽原発が,断層評価とは無関係の安全設計を施していたらどうなっていただろう。もちろん,それでも今回程度の損傷や放射性物質漏れは発生したかもしれない。しかし,この場合,東京電力としては,「当原発は,今回程度の揺れは想定した安全設計を施してあります。その証拠に,被害は僅少でした」と胸を張って言えたであろうし,数千億円を超すとも言われる観光・漁業被害等の二次被害も最小限度で済んだであろう。

このように,柏崎刈羽原発の問題は,「安全性の証明」が実は極めて難しい概念であることを教えてくれている。(小林)

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