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2007年9月27日 (木)

電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン改訂について

総務省は,平成19年9月12日,「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン第26条の解説改訂版」を公表した。改訂の趣旨は,位置情報サービスの多様化やGPS機能付端末の普及を受け,位置情報サービスを提供する際に電気通信事業者が講じるべき「必要な処置」の内容を明確化したものとのことである。

位置情報サービスということなら,ユビキタスネットワークシステム(UNS)やネットワークロボット(NRT)にも大いに関係がある。そこでこの機会に,上記ガイドラインやその解説を勉強してみることにする。

ガイドライン26条1項には,利用者の同意なき限り,電気通信事業者が位置情報を他人に提供することを原則として禁止している。例えば,妻が浮気夫の居場所を突き止めるため夫の持つ携帯電話の位置情報を教えてもらうことはできない。また,会社がGPS付携帯電話の加入契約者であったとしても,これを持たせた営業社員に無断で居場所を知ることもできない(このガイドラインは「加入者」と「利用者」の概念を区別しているから)。例外としては,裁判所の令状がある場合が典型である。例えば,容疑者のアリバイ情報を確認するために位置情報履歴を提供してもらう場合がこれにあたる。その他緊急事態(誘拐被害者の居場所を突き止める,とか)などの違法性阻却事由がある場合にも同様である。このように,位置情報は,その端末を持つ利用者個人のプライバシー情報として,通信の秘密(電気通信事業法4条)に準じる強い保護が与えられるとされている。

ガイドライン26条2項は,電気通信事業者が位置情報を利用者ではなく,加入者に提供したり,第三者に提供させる場合には,利用者のプライバシー権が不当に侵害されたりしない処置を講じることを義務づけている。今回解説の改訂があったのは,この2項についてである。

必要な措置として,ガイドラインの解説は4つを列挙している。

第1は,利用者の具体的同意である。この同意は,その時々になされることが理想である。事前に同意を行ってもよいが,撤回できなければならないとされる。つまり,夫が「私はここにいますよ」という情報を妻に提供することを事前に同意することは可能であるが,愛人とホテルに行くときには,簡単な操作で,この同意が撤回できるようにしておかないといけない。

第2は,位置情報が提供されていることを,利用者に明示することである。明示の方法としては,「位置情報提供中」との表示を待受画面に表示する等が考えられる。先の浮気夫の例で言えば,「位置情報を妻に知られたくなければ携帯電話の電源を切ればいいじゃん」と思われるかもしれないが,愛人とホテルにいる浮気夫といえども,仕事上重要な電話が来るかもしれず(そうか?まあそういう場合もあるでしょう),常に携帯電話の電源を切ることはできない。この場合に「携帯電話」のサービスと「位置情報提供」のサービスを区別し,位置情報提供サービスだけいつでも停止できるようにしなさい,ということである。

第3は,権限のないものが位置情報をモニタリングしたり,不正な情報取得がないようにするための措置(暗証番号等のセキュリティ確保)や,電気通信事業者による不必要な位置情報取得の禁止である。これも,利用者の位置情報が不正に流出することを未然に防ぐための措置といえる。

第4は,電気通信事業者が第三者と提携して位置情報提供サービスを行う場合,第三者による不正が行われないように配慮し,不正があったときはその第三者への情報提供を遮断できるようにしておくことである。

上記ガイドライン26条は,位置情報が利用者のプライバシー情報であるとの認識に立つ限り,至極まっとうなものであり,今回の解説の改訂は,これをわかりやすく敷衍したものとして評価できる(実際のところ,改訂前の解説は,非常に分かりにくい)。

そしてこの考え方は,携帯電話端末を取り扱う電気通信事業者のみならず,将来は,ユビキタスネットワークのプロバイダなどに及ぼされていくことになるであろう。もっとも,その場合に新たな問題が生じるのか否かという点については,今後研究していく必要がある。(小林)

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2007年9月23日 (日)

愛国者法とデビルマン

9月11日深夜,NHKBSの海外ドキュメンタリー「9.11テロから6年」(アメリカWBGH制作)を視た。テロ以降,愛国者法などに基づく広く一般市民を対象にした令状無しの盗聴やホテル宿泊者全員の名簿収集,インターネットの広範な監視などの実態を暴き,これらがプライバシー権を保障した合衆国憲法に反しているのではないかと問いかける番組である。

印象的だったのは,政府側に立つ中国系アメリカ人の弁護士が,「戦争中だというのに,国家が正義のために一般市民を盗聴することが,なぜ問題なのか」と言い放ち,インタビュアーがほとんど絶句する場面であった。

永井豪の代表作「デビルマン」の漫画版をご存じだろうか(以下ネタバレ)。氷河期以来の長い冬眠から目覚めた悪魔族は,機械文明を持たず,数も少ないため,人類に太刀打ちできずにいた。悪魔族の持つ最大の能力は自分以外の生物と合体することであったが,理性を持つ人間と合体すると,悪魔・人間とも発狂して死んでしまう。ところが,悪魔族は無差別に人間と合体し,発狂して死ぬという文字通り一人一殺の無差別テロを行う。もちろん悪魔族の方が少数だから,これだけなら人類が滅びる遙か前に悪魔が滅びてしまう。しかし人類は,善良な一般市民が突然悪魔に変化し発狂して死ぬ事件が頻発し,その有様をテレビが繰り返し放送すると,市民の中に多数の悪魔が紛れ込んでいると思いこむ。

そこで人類は,大規模な悪魔狩りを始め,悪魔と無関係の市民を多数殺害するとともに,悪魔と疑われる市民を通報させる相互監視のシステムを導入する。このシステムは集団リンチを生み,国家同士は相互不信に陥った挙げ句戦争を繰り返し,人類は自滅の道を辿る。

「悪魔」を「アルカイダ」と読み替えれば,1972年に発表されたこの作品は,まるで現代の予言書である。私は,BSドキュメンタリーを見た後「デビルマン」を読み返し,背筋に寒気が走った。(小林)

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2007年9月19日 (水)

PL法における「瑕疵の推定」について

PL法(製造物責任法)は,製造物に欠陥があるときに,製造者に損害賠償義務を負わせるが,この欠陥には「設計上の欠陥」と「製造上の欠陥」の2種類があるといわれている(もう一つ「指示警告上の欠陥」という概念があるが,これは製品そのものの欠陥ではないので,ここでは省く)。そして,私たち弁護士がメーカーの人に対して話をするとき,「欠陥」は「設計上の欠陥」を指すのが普通である。しかし,メーカーの担当者は,「欠陥」には「製造上の欠陥」もあるとい点を忘れないでいて欲しいと思う。

大阪地方裁判所平成6年3月29日判決は,テレビについて,「絶対安全が求められる」と指摘した。その趣旨は,包丁やアイロンなどは,ユーザーが誤った使い方をすればユーザー自身に危害が及ぶ製品であるが,テレビは,ユーザーが普通に使う限り,ユーザー自身に危害が及ぶことはあり得ない製品である,このような製品については,ユーザーが普通に使っているのに事故が起きた場合,ユーザーが「欠陥」を証明する必要はなく,「欠陥」の存在が推定される。「欠陥」の存在が推定される,ということは,「設計上の欠陥」または「製造上の欠陥」のどちらかが推定される,という意味だから,メーカー側が「設計上の欠陥はない」ことを立証するだけでは反論として不十分になる。幕の内弁当を食べたら食中毒になった,と訴えられたときに,「卵焼きは安全でした」と反論しても不十分なのだ。メーカーは,設計上の欠陥がないことのほかに,「製造上の欠陥もない」ことを立証しないといけない。そして,この立証は極めて困難である。

弁護士の話を聞きに来るメーカーの担当者は,たいがい設計部門の人だから,「安全設計さえ行えば大丈夫」と考えがちではないかと,時々心配になる。あるいは,メーカー側としては(特に日本のメーカーは),製造工程の管理には絶対の自信を持っているのかもしれない。また,品質管理のノウハウについて,弁護士から話を聞く必要はないと思っているのかもしれない。まことにごもっともである。しかし,グローバル化した部品調達の中では日本人の力量だけで製造工程を管理することは不可能であるし,日本人の「巧」としての製造技術の低下が指摘されて久しい。

そうであるとすれば,メーカー側には,設計段階において欠陥がないことと,製造過程においても欠陥がないこととの,両者を証明する万全の準備が求められることになる。そのためには,設計者には,基本設計のみで安全を追求するだけではなく,製造過程においても欠陥が生じないような設計や,仮に製造過程において多少の不良が生じても,製品全体としては危険が発生しないような設計が求められる。つまり,「安全設計」の意味は,「設計図通りに作れば安全な設計」という意味から,「設計図から多少違っても安全な設計」という意味に,変化しているということもできる。(小林)

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2007年9月15日 (土)

「市営住宅11号棟が防犯カメラ」のニュースについて

平成19年9月2日付苫小牧民報社のホームページによると「苫小牧市住吉町の市住11号棟駐車管理委員会(村上博会長)は,団地周辺の防犯対策にビデオカメラを設置したそうである。周辺では以前から違法駐車や車上荒らし,ゴミの不法投棄が絶えなかったとのことであり,市は「自治会単位で防犯カメラを設置する例は聞いたことがない」というが,村上会長は「住民の不安が続いていることから設置に踏み切った。自分たちの棟は自分たちで守る」と話しているという。

このニュースに対しては,いろいろな意見があり得るだろうが,これらを整理するための大事な視点は,このようなカメラの設置運用が適法か違法か,という問題と,適法であることを前提にして,妥当か否か,という問題を分けて考えることだ。

まず適法か違法かの問題について考えると,この記事には多少の疑問はあるものの,基本的には,一定の条件のもとで,適法と考えてよいと思う。この防犯カメラには,11号棟の住民以外も撮影されるのだろうが,防犯カメラ設置の背景も理解できるし,撮影範囲も合理的な範囲内にとどまっていると想像されるし,撮影時間も限定的であるし,もちろん,警告文も掲示されているのであろう。他方,疑問点としては,設置運用主体が不明確(「駐車管理委員会」とあるが,この委員会にゴミの不法投棄や周辺道路での違法駐車などを監督する権限はあるのか?)点が指摘できる。また,適法といえる条件として,明確な設置運用基準が策定されている必要がある。

しかしこのニュースでむしろ問題となるのは,妥当か否か,という点であろう。この報道は,防犯カメラの設置が20棟近くある市営住宅の1棟でだけ,という点が非常にユニークである。このユニークさは,「自分たちの棟は自分たちで守る」という村上駐車監理委員会長の言葉に,端的に表れている。市営住宅全体で防犯カメラを設置するのではなく,なぜ1棟だけなのか?「自分の棟は自分たちで守る」という村上会長の発言は,守る範囲がなぜこんなに限定されているのだろうか。

非常に失礼な想像で恐縮だが,11号棟の周りで頻発する車上荒らしなどについて,その犯人の心当たりが,村上会長にはあるのではないだろうか。その犯人は,同じ市営住宅の別の棟の住人であると考えているのではないだろうか。

もし万が一,そうであるとすると,今回の防犯カメラ設置が妥当か否かという問題に関しては,重大な疑問が発生する。カメラの設置により,犯罪や違法行為が払拭されれば最善であるが,もしカメラの設置にかかわらず,犯罪や違法行為が繰り返された場合,どうなるであろうか。犯人の人相が明確に撮影されていたり,犯人と名指しされた人が「確かに写っているのは私です。すいません」と素直に認めてくれたりするならよいが,実際にはうまく行かないものである。家庭用カメラで遠方から夜間撮影を行ったところで,人相が明確に撮影されるとはまずあり得ないし,画像が不鮮明であれば,「犯人」と名指しされた人が素直に罪を認めるとは限らない。むしろ,「濡れ衣を着せられた。名誉毀損だ。11号棟の連中は俺の住んでいる7号棟の住人を目の敵にしている」などと触れて回るかもしれない。仮に犯人が明確に特定され,相応の処罰を受けたとしても,その犯人が11号棟の住人に対して逆恨みをしないとも限らない。

つまり,「自分たちの棟は自分たちで守る」という,やたらローカルな村上会長の「愛棟心」は,20棟近くあるこの市営住宅という一種の団体の一体感に,「不信」という楔を打ち込んだかもしれないのだ。20棟近くある市営住宅の一棟一棟が,「自分の棟は自分たちで守る」をスローガンに,それぞれ別個に防犯カメラを設置しだしたらどうなるのだろうか。まるで黒澤明の「用心棒」のように,「11号棟派」と「7号棟派」との間に,市営住宅を二分する抗争が勃発する,というような事態にならなければよいが,と他人事ながら心配である。

防犯カメラに犯罪抑止効果を期待するのはある程度正当だし,それなりに結構なことである。しかし,防犯カメラの設置が善い結果だけをもたらすとは限らない。また,防犯カメラを設置しても犯罪や不当な行為が起きることはある。これらの行為が撮影されていたとき,どうするのか。防犯カメラを設置運用するときは,このような事態を想定し,その際の手順と,ある種の覚悟を決めておく必要がある。(小林)

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2007年9月11日 (火)

街頭防犯カメラシステムが相互不信のシステムであることについて

先日,「警視庁八王子署が街頭防犯カメラ1000台設置計画」のニュースに関し,「街頭防犯カメラシステムは相互不信のシステムなのだから,運用者が『私は悪用しません。信じて下さい』と言うだけでは駄目だと書いた。この点に関し,東海大学の高橋直哉准教授の「防犯カメラに関する一考察」(法学新報112号。2005730日)をご紹介したい。

この論文の結語として,高橋准教授は,次のように言う。

「現代社会において,見知らぬもの同士が「互いに相手を不当に攻撃しない」という信頼感を相互に持つための手段として,防犯カメラは一定の役割を果たしうるであろう。しかし,防犯カメラが作り出す信頼感とは,どういうものであろうか。この信頼感は,犯罪を行わない理由に関する規範的な了解に基づいた他者への信頼を創出するわけではなく,単純に,犯罪発生を事実として抑止することによって生まれる信頼感に過ぎない。

防犯カメラの普及した社会は,表面的には平穏が保たれているように見えても,その根底には常に相互不信の根が伏在していることになるであろう。それは,いわばホッブズ的自然状態(万人の万人に対する闘争)が潜在化しているような状況であるということもできる。防犯カメラだけでは,お互いを理解し,尊重しあえるような社会は生まれないということを私たちは忘れてはならないであろう。」

平易に言い換えればこういうことであろう。今ここに互いに面識のない二人の人間と防犯カメラがあったとする。この人間は,それぞれ,「防犯カメラがあるから,相手は私を不意に襲ったりしない」と信頼することができる。しかしその信頼は,「相手は私を不意に襲ったりするほど悪い人ではない(さらに進んで,善人にちがいない)」という信頼では決してない。防犯カメラによってもたらされる安心感は,防犯カメラそのものに対する信頼に基づくものであり,面識のない相手に対する信頼に基づくものではない。防犯カメラによって,他者と自分との間に見えない檻が存在するという信頼感に過ぎない。したがって,防犯カメラの作り出す安心感に依存してしまうと,他人を信頼することができなくなるのである。(小林)

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2007年9月 7日 (金)

光市母子殺害事件弁護団に対する懲戒請求について

光市母子殺害事件弁護団に対する懲戒請求が4000件近くに達しているという。平成19年9月5日には,この懲戒請求を扇動したとして,弁護団の一部が橋下徹弁護士に対して損害賠償請求訴訟を提起したと報道された。

私は報道されたレベルでしか事件を知らない。件の弁護団は,報道されていないレベルで,一部または全部無罪を勝ち取りうる優秀な弁護活動を展開しているかもしれないが,あくまで報道される範囲に限って言うと,疑問に思う点もある。被告人にとってあまりにリスクの大きい弁護活動を展開しているような気がする。この弁護活動を,いろいろな視点から批判することは基本的には自由である。しかし,批判することと懲戒請求を申し立てることは意味が違うし,橋下弁護士自らが懲戒請求するのではなく,マスメディアを通じて懲戒請求申立の「扇動」を行うことは,もっと意味が違う。今回弁護団が言うような扇動を橋下弁護士がしたとすれば,法的責任を免れないであろう。懲戒請求は自由にやって良いものではなく,不当な懲戒請求者には,損害賠償義務が発生するという最高裁判所の判決もある。今回懲戒請求を行った数千人は,弁護団に損害賠償金を支払うリスクを覚悟しないといけない(もっとも,その後の報道によれば,弁護団は懲戒請求者本人に対しては損害賠償を請求しない予定とのことである)。

ところで,面識もないし名前も知らないが,私が尊敬する弁護士の一人に,松本サリン事件で最初に被疑者となり,後に完全に濡れ衣であることが明らかになった人の代理人を務めた方がいる。この弁護士は,日本中が(もちろん私自身も)「あの人が犯人だ」と確信していた時期に,無実を釈明する記者会見を,現地の自宅兼事務所で行った。繰り返すが,この時点では,この人が無実になるとは限らなかったのである。もし警察が捜査方針を転換せず,それ以降もこの人を犯人と取り扱ったとき,この弁護士が日本中から激烈なバッシングにあったことは,想像に難くない。それほど大きなリスクがあるのに,自宅を記者会見場に設定した弁護士の勇気には,感服するしかない。弁護士には,このような種類の勇気が必要であると思う。

それならば光市事件弁護団の弁護方針を,勇気ある行動として私が賞賛するかと聞かれれば,そんなことはない。では,この弁護団と,松本サリン事件の弁護士と,どこが違うのかと問われても,よく分からない。たぶん,弁護士にとって勇気よりも大事なのは,真実を見通す眼力なのだろう。この眼力が間違っていると,弁護士本人にとっては勇気に基づく正義の行いであっても,はたから見たら茶番にすぎない,ということなのかもしれない。(小林)

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2007年9月 3日 (月)

「司法試験合格者3千人、多すぎる」 法相が「私見」

第二次安倍内閣の鳩山法務大臣が,平成19年8月31日,記者団のインタビューに「毎年司法試験合格者が3000人増えるのはちょっと多すぎるのではないか」と発言したとのことである。同日のasahi.comや,翌9月1日の日本経済新聞に掲載されていた。「法科大学院の現状についても『的低下を招く可能性がある』と述べ、現在の政府の計画に疑問を呈した。」とのことである。あくまで「私見」と断っての発言ではあるが,鳩山法務大臣はもともと文教族であり,法科大学院にも影響力がある人だから,この発言は重いと見るべきだろう。

2チャンネルでも相当話題になっており,発言から1日も経っていないのに,投稿が1000を超えたスレッドもある。

9月1日現在では鳩山法務大臣の発言を紹介しただけの日本経済新聞であるが,同新聞は立場上,この発言に猛反発しなければならないはずだ。それとも,時流を読んで立場を変遷するつもりだろうか。注視していきたい。

鳩山法務大臣の発言の背景には,もちろん,司法修習生の就職難がある。2007年問題といわれた今年は,予想ほど悪くはないにせよ,現時点で100名前後の修習生が就職先を見つけられずにいると見られている。これ以外に,2回試験に合格できず,司法研修所を卒業できずに就職浪人する司法修習生が100人から150人くらいでる可能性がある。これらを単純に合計して良いかはやや疑問ではあるが,仮に単純合計すれば,司法修習生の1割以上が浪人する計算となる。

浪人しなかった修習生も,全員が幸福な就職をしたとは限らない。就職を焦るあまり不本意な事務所に就職した若手弁護士は,数ヶ月から1,2年でその事務所を飛び出してしまう。実数は誰も把握していないが,就職後1年前後で事務所を辞める若手弁護士の数はおそらく増えている。これらの若手弁護士は,後に続く修習生の就職活動のライバルになるから,就職難はますます加速する。

大阪弁護士会には司法修習生の就職難問題に取り組む委員会がある。いま検討しているのは,大阪にある約1500の法律事務所の8割以上を占める「弁護士一人事務所」を一軒一軒回って,「修習生を採用して下さい」と頼んで歩こうか,という問題だ。しかし,普通に考えて,イソ弁を採用したい弁護士は,頼まれなくても採用するだろうし,一軒一軒頼んで歩くことに多少の効果が見られるとしても,2,3年で限界に達することは明白である。そのようなわけで,この問題に積極的に賛成する委員はいない。法律事務所に採用されなかった修習生を企業や地方公共団体に就職させるという考えもあるが,企業や公共団体としても,どこにも就職できないような修習生は採用したくないだろう。

日弁連にもいろいろな立場があるが,本流とされている立場は,司法試験合格者3000人体制の到来を前提としている。中坊公平氏らが旗振り役となって,大騒動の末3000人を容認した手前,弁護士会内で3000人の削減を語るのはタブーという雰囲気さえある。その中での鳩山法務大臣の発言であるが,日弁連も,ぼやぼやしているとはしごを外される可能性がある。

いまの修習生や,ロースクール生の中には,一流企業に就職していい給料をもらっている大学同期を横目にして,自分の人生の選択を後悔している人も少なくないであろう。私自身も大学入試制度改革に振り回された世代であるが,彼らを本当に気の毒だと思う。(小林)

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2007年9月 1日 (土)

ロボラボトークセッション

平成19年8月28日,大阪市のロボットラボラトリーにて,大阪産業創造館とロボットラボラトリーが主催するトークセッションが開かれ,20分ほどお話しをさせて頂いた。以下はその時の原稿である。

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平成16年3月26日,東京都港区六本木の森タワーで,6歳の男の子が自動回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故がありました。本日は,この事故を題材に,サービスロボットの安全を考えてみたいと思います。

そもそも,次世代ロボットのトークセッションでなぜ自動回転ドアなのかといいますと,自動回転ドアは,センサーとコンピューター,駆動系を備えた自動機械であり,コンピューターの程度はかなり低級ではありますが,経済産業省のいう次世代ロボットの定義に当てはまるからです。つまり,自動回転ドアは,ヒューマノイドではないものの,「ドアマンロボット」であるといえます。つまり,森タワーの事故は,ロボット殺人事件の第一号という見方もできるわけです。

本日は,森タワーの事故について,3つの視点を対比してお話しします。一つは,安全工学の視点,2つ目は,行政の視点,3つ目は司法の視点です。この視点を比べることで,ロボットの安全性について,立体的な理解をして頂ければと思います。

一つ目の安全工学からの視点について,ここでは,東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏の分析をご紹介します。畑村氏は,森タワーの事故に関して,「ドアプロジェクトに学ぶ」という技術者向けの本と,「危険学の勧め」という一般向けの本を著していますが,「危険学の勧め」において,本件自動回転ドアを「恐怖の殺人機械」と評価しています。つまり,存在自体が悪,ということです。

畑村氏によれば,本件事故の最大の要因は,「本質安全設計と制御安全設計の順序を取り違えたこと」にあります。つまり,自動ドア設計者の世界には,人が挟まれても重大な傷害を発生しないための基本的な前提すなわち「暗黙知」として「10ジュール則」があり,これが本質安全設計の前提であった。ところが本件自動ドアは極めて重く,また素早く回転するため,「10ジュール」の数倍の圧力を発生する代物であった。本質安全設計の考え方からすれば,自動ドア本体の重さを3分の1にするか,回転速度を2分の1以下にしなければならないのに,設計者はそれをせず,各種センサーの設置という「制御安全」によって安全性を確保しようとした。しかしセンサーによる制御には所詮限界があり,起こるべくして起こったのがこの事故だ,ということです。

ここでは,畑村名誉教授が本質安全設計の重要性を口を酸っぱくして主張している,という点を頭にとどめておいてください。

二つ目の視点として,行政の取り組みをご紹介します。本件事故を受けて,経済産業省および国土交通省が「自動回転ドアの事故防止対策に関する検討会」を立ち上げ,ガイドラインを作成しました。この検討会のスケジュールを見てみると,事故が起きたほぼ2週間後の平成16年4月8日に第1回検討委員会が開催され,事故の3ヶ月後にはガイドラインが制定されています。これは,官庁の対応としては,不自然なほど迅速な取り組みといえます。事故の社会的影響がそれほど大きかったからとも言えますが,ここまで迅速な取り組みは,産業界の圧力があったから,という側面があったことも否めません。当時,官庁が何らかの対応策をとらなければ,自動回転ドアは全国のビルから撤去されかねない状態だったからです。

このガイドラインの詳細について,興味がある方はホームページをご参照下さい。その要点は,①他形式ドアの併設,②緩衝材やセンサーの配置,③安全確認,監視要員の配置や注意喚起,④定期点検の励行,といったものです。

つまりこのガイドラインの内容は,畑村名誉教授が口を酸っぱくして主張した本質安全設計には一切触れず,制御安全,および運用上の安全確保に重点をおいたものとなっていることが分かります。

もちろん,検討会の委員の念頭に本質安全設計の確保が無かったはずはありません。しかし,実際問題として,自動回転ドアの重量を3分の1にしたり,回転速度を2分の1にしたりすることは極めて困難であり,僅か3ヶ月という機関では,本質安全設計に踏み込んだガイドライン作成に至らなかったことは想像に難くありません。ちなみに,この検討会の委員であった明治大学の向殿政男教授は,次世代ロボット安全性確保ガイドライン検討委員会の座長であり,本質安全に踏み込んだガイドラインを作成しておられます。

3つ目の視点として,司法の対応をご紹介します。司法手続には民事裁判と刑事裁判がありますが,本件では民事裁判は提起されず,関係者を処罰する刑事裁判だけが行われました。とはいえ関係者は逮捕されず,メーカーと森ビルの担当者6名が書類送検され,このうち3名は不起訴,残りの3名が業務上過失致死罪で起訴され,いずれも執行猶予付の有罪判決がなされて確定しています。

有罪の理由として判決が述べているのは,森ビル内外の他の自動回転ドアでも,同種事故が頻発していたのに,これに対応するための安全対策が極めて不十分であった,ということです。そして,ユーザーである森ビルの担当者に比べ,メーカーの担当者は,事故情報を詳しく知っていたという意味でも,安全対策をとりえたという意味でも,責任が重いとされています。

先に紹介した安全工学の視点や行政の取り組みと比べると,刑事裁判の特徴は,次の点で際だっています。第1に,会社そのものや,会社のトップが責任を問われていないという点です。第2に,畑村名誉教授が主張する本質安全や,自動回転ドアガイドラインが励行する制御安全にはほとんど触れられておらず,運用上の安全対策に重点がおかれているという点です。これらの特徴は,刑事裁判という制度や,起訴した以上は有罪判決をとらなければならないという検察官の立場からするとやむを得ないとも言えるのですが,畑村名誉教授に言わせれば,責任追及だけで,安全確保には何の役にも立たない,ということになるでしょう。

ちなみに民事では,森ビルから被害者の遺族に7000万円が支払われて示談が成立したため,遺族による民事訴訟は提起されませんでした。本件の場合,死亡したのが6歳児であったため,将来年収の予測が困難であったという特徴がありますが,もし裁判が提起されていた場合,交通事故の相場観からは,ご両親の慰謝料として2000万円から2500万円,将来年収から得た利益として3000万円前後,合計して6000万円前後と推測されます。もっとも,本件の場合,回転ドアに飛び込んだ被害者に過失がなかったとは言えず,森ビルやメーカー側がこの点を争えば,過失相殺割合5割もありえた事案だったかもしれません。皆さんは7000万円で示談,という解決をどのように受け取るでしょうか。

また,森ビルとメーカーとの関係もあります。森ビルは,示談金7000万円のほか,森ビルからの自動回転ドア撤去差し替え費用をメーカーに請求するとの報道がなされています。もし裁判になった場合,森ビルの請求はどの程度認められるか分かりませんが,メーカーにしてみれば,数億円規模の損失が生じる危険があります。さらに,会社内部での責任追及や,株主との関係での経営トップの責任問題なども残ります。

さて,以上,森タワーの事故に関して,安全工学,行政,司法の3つの視点から概観しました。これをまとめると,同じ事故を評価するにしても,立場や制度が違えば,評価の中身が違ってくる,ということが分かります。このことは,メーカーの側から見れば,安全対策といっても,事故発生を防止するための安全対策と,万一事故が発生した場合に責任を軽減するための安全対策は,微妙に違う,ということになります。もっとも,このような「安全感覚」のズレは,立場や制度が違うから違ってよい,というものでもありません。安全工学も,行政も,司法も,それぞれの立場から出発して,等しく同じ目標を目指していくべきであると思いますし,現にその方向性は発生してきています。

特に法律の見地から申し上げますと,機械事故に関して法律家がとるべき方向性は,事故が起こってしまってから,その責任の押し付け合いをするのではなく,事故が起こる前に,可能な限り事故発生のリスクを排除するとともに,万一事故が起きたとしても,その責任を可能な限り軽減するための方策を事前に打っておく,ということになると考えています。これは「予防法学」という考え方であり,現に,会社法の世界では広まっている考え方ですが,機械工学の分野では,その取り組みは緒についたばかりです。しかし,皆様におかれましては,是非,予防法学を取り入れ,事故が発生する前から法律家のアドバイスを受けておくことをお勧めいたします。(小林)

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