第50回日弁連人権擁護大会シンポジウム
平成19年11月1日,日弁連が浜松市「アクトシティ浜松」で開催した人権擁護大会シンポジウムの第1分科会「市民の自由と安全を考える」を聴講した。人権派とは言い難い私であるが,監視カメラやネットワークカメラの問題を専攻する以上,現時点における日弁連の到達点を知る必要があると思い,はるばる浜松まで出張した次第である。シンポジウムには弁護士のほか報道記者や一般市民,学生など,800人を超える出席者があり,盛況であった。
シンポジウムの前半は600ページ近くに及ぶ基調報告書の紹介と寸劇,後半は監視社会の問題に取り組む国内外の著名人によるパネルディスカッションだった。パネラーは大谷美紀子弁護士,木下智史関西大学教授,フリージャーナリストの斎藤貴男氏,田島泰彦上智大学教授,浜井浩一龍谷大学教授,エンパワメント・センター主宰の森田ゆり氏,そして米自由人権協会共同代表を務めたバリー・スタインハード氏であった。バリー氏は「1992年から2002年まで、米自由人権協会(American Civil Liberties Union: ACLU)の共同代表を務め、2002年からテクノロジーと自由に関するプログラム部長を務めている。1990年代後半から2000年頃、米国におけるインターネット盗聴捜査の拡大に反対して活動してきた。現在の関心は、反テロ愛国法の成立にともなう、個人情報の国家による一元管理と監視システム問題など。NSA(国家安全保障局)が主導する、全世界の大量の通信を傍受するスパイ・システム「エシュロン」の存在を明らかにした人物としても有名」だそうである。もっとも,出席者が多すぎて掘り下げが足りず,後半全体としてはやや欲求不満の内容となった。
さてシンポジウムの前半に戻るが,まずは長大かつ詳細にわたる基調報告書をまとめ上げたスタッフに敬意を表したい。しかし,内容が多岐にわたりすぎたせいか,全体として散漫になったという印象をぬぐえない。
まず,シンポジウムの副題を「9.11以降の時代と監視社会」とする以上,9.11同時多発テロが国家や社会にもたらした変化に主題を絞るべきであった。9.11以降に発生した人権侵害事例や監視社会化の兆候といえども,全てが9.11の影響を受けて発生したものではないだろう。そうである以上,今回取り上げる事例は,9.11の影響を強く受けたものに限定するべきである。ところが,シンポジウムでは,公安警察が青年法律家協会の総会に参加するため宿泊したホテルに宿泊者名簿の提出を求めた事件が紹介された。けしからん話であることは分かるが,このような事例は数十年前から繰り返されてきたはずであって,9.11と直接の関係があるとは思えない。どうせ紹介するなら,例えば自衛隊情報保全隊が自衛隊イラク派遣に反対する集会をスパイしていた事件などが,9.11による監視社会化を象徴する事件として紹介に値しよう。
また,9.11以降の監視社会化を,国家権力対市民という,いかにも左翼の伝統的思考様式にあてはめてしまったことも感心しない。パネラーの中では唯一斎藤貴男氏が「現代の監視社会化は国家権力のみならず,商業的圧力によって推進されている」と指摘したが,他の出席者の反応はほぼゼロであった。さらに,現代監視社会化の基盤にある情報テクノロジーの高度化に全く触れられなかったことも残念である。私の理解によれば,現代の監視社会化は,いうまでもなく9.11以前から進行していたが,主としてこれを支えたのは高度に発達しつつある情報テクノロジーであって,9.11はかかる意味での情報テクノロジーの商業的価値を瞬時に開花させたものである。つまり,9.11以降の時代と監視社会の問題は,市民が高度に発達しつつある情報テクノロジーとどのように向き合うかという問題であり,この問題はユビキタス社会との関係性とも通底する,近未来社会の最重要課題である。この点に全く触れないでは,9.11以降の監視社会化を論じる意味はないと言って過言でない。その理由は長くなるので省略するが,一言で言うならば,テクノロジーこそ,人類にとって「エデンの園のリンゴ」だからである。
最後に,私が専門とする監視カメラの問題について触れておくと,その内容が2004年に九州弁護士会連合会が開催したシンポジウムから一歩も進化していなかった点も残念であった。監視社会化を支える情報テクノロジーの驚異的な進行速度に照らせば,この3年間の研究が全く進化も深化もしなかったことは致命傷に近い。商店街や公共施設に設置されている監視カメラは原則として違法というのが主宰する弁護士の立場であるならば,弁護士である以上,自分で裁判を起こして違法な監視カメラの撤去を求めるくらいの気概を持つべきであろうし,裁判の中でこそ,研究が進化するという面もあろう。このシンポジウムは政治集会ではなく,法律実務家の主催する集会なのだから。
以上,監視社会問題に対する日弁連の到達点を知るという趣旨で出席した日弁連人権擁護大会であったが,その内容は必ずしも満足できるレベルではなかったと言わざるを得ない。私と立場は違うが,彼らにも彼らの信念に基づく一層の努力を期待したい。(小林)
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