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2007年12月30日 (日)

司法試験の合格者増

毎日新聞平成19年12月23日の「闘論」に,司法試験の合格者増をめぐる青山学院大法科大学院教授の宮澤節生氏と埼玉弁護士会会長の小川修氏の主張が紹介されている。一般の読者諸氏は,この主張を読んでどのような感想を持たれるのだろうか。筆者は弁護士だから,当事者的な立場にあるわけだが,できる限り公平な視点で評論を試みる。

宮澤節生教授は,「国民のニーズは高い」として,年3000人の司法試験合格者は国民のニーズに照らして,多すぎるとは言えないと主張する。ただ,法科大学院が増えすぎた結果,合格率が下がったのは問題であるから,「全校で身を削り」総定員数が4000人(つまり合格率は7~8割)になるようにすべきだと主張する。

小川修会長は,弁護士の求人難や,裁判官が増員されない現実を見ても,司法試験合格者数3000人には根拠がない,と主張する。

まず宮澤教授の主張について言えば,国民の利益と言いながら,その実,法科大学院の経営上の都合を最優先する偽善者ぶりが際だっている。大量増員された弁護士の質の確保については,自由競争原理を持ち出すつもりだろうが,それならば,法科大学院にも自由競争原理を当てはめ,法科大学院の淘汰を容認しなければ一貫しないだろう。ところが宮澤教授は,「全校で身を削り」,すなわち横並びの定数削減を主張し,法科大学院は1校も倒産させないという護送船団方式を提唱している。宮澤教授が誰の利益を代表しているかは明白だ。

一方小川修会長の主張について言えば,余りに無責任という批判を免れない。平成22年までに司法試験合格者数を3000人程度にすることは政府の閣議決定事項であり,また,日弁連自身も,平成12年の総会で,これを容認する決議をしている。つまり日弁連は,一度,国民に対して司法試験合格者3000人を約束しているのだ(もっとも決議文上は一定の条件付だが,それはここでは触れない)。小川会長の主張は,平成12年以前の主張としてなら理解は可能だが,今ころになって議論を蒸し返すことは,大人の行動とは言えない。下手をすれば国民の信用を失う危険な主張である。日弁連がこの約束を変更すべきであると言うなら,その前に,かつて日弁連として行った判断が間違っていたことについて,その理由と弁解と謝罪を国民に対して行う必要がある。

実は,小川修会長の主張は,よく読むと,国民に対するものでなく,日弁連執行部に対する批判であることが分かる。日弁連執行部は大いに批判してもらって結構だが,それならば,その批判を毎日新聞に掲載するのは筋違いである。内輪の議論と,外向けの議論は区別しなければ駄目だ。

このように見てくると,宮澤教授の主張は国民のためといいながらその実法科大学院のことしか考えておらず,小川会長の主張は国民に向けた体裁を取りながらその実内輪に向けた批判であることが分かる。つまりどちらも国民不在の主張である。もっとも,ここで言う国民とは何か,ということになると大変難しいのだが,それはまた別の機会に。(小林)

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2007年12月26日 (水)

規制改革推進会議第2次答申

平成19年12月25日,政府の規制改革会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)が第2次答申を決定した。このうち,「法曹人口の拡大等」の「具体的施策」に記載された司法試験合格者数の拡大についての記述は,次のとおりである。

「司法試験合格者数の拡大について、法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備状況等を見定めながら、現在の目標(平成22 年ころまでに3,000 人程度)を確実に達成することを検討するとともに、その後のあるべき法曹人口について、法曹としての質の確保にも配意しつつ、社会的ニーズへの着実な対応等を十分に勘案して検討を行うべきである。」

これだけでは第2次答申の意図は分からないが,第1次答申の該当箇所と比べてみると,なかなか興味深い。第1次答申の該当箇所は,次のとおりである。

「司法試験合格者数の拡大について、法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備状況等を見定めながら、現在の目標(平成22 年ころまでに3,000 人程度)を前倒ししてこれを達成することを検討するとともに、その達成後のあるべき法曹人口について、法曹としての質の確保にも配意しつつ、社会的要請等を十分に勘案して、更なる増大について検討を行うべきである。」

第1次答申は平成22年3000人という目標を「前倒しして達成」するとともに,「さらなる増大」を提案している。これに対して,第2次答申は,平成22年3000人という目標を「確実に達成することを検討」すべきと述べるのみで,さらなる増大はもちろん,3000人の前倒しも提案していない。また,「確実に達成」ではなく,「確実に達成することを検討」であり,かなりトーンの下がった表現になっている。「霞ヶ関用語」としては,「検討」という文言が入ったということは,おそらく,「達成できなくてもやむを得ない」という意味である。つまり,司法試験合格者数の増大に関して,第2次答申は,平成22年3000人の看板を事実上降ろした可能性が高い。(小林)

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2007年12月20日 (木)

社会還元加速プロジェクトに出席しました

内閣府に呼ばれて、社会還元加速プロジェクト「高齢者・有病者・障害者への先進的な在宅医療・介護の実現」第1回タスクフォース会合というのに出席してきた。

長ったらしい名前だが、この会議は安倍総理時代の「イノベーション25」という政府戦略の柱の一つとして、今後5年間で高齢者・有病者・障害者への先進的な在宅医療・介護を実現するための「何か」を実用化するためのプロジェクトなのだそうだ。その「何か」が何かは今ひとつ分からなかったが、介護用次世代ロボットがその「何か」の有力候補であるようだ。そこで、次世代ロボットの安全性についての法的見解を求めるという趣旨で、筆者が会議に呼ばれることになったらしい。ちなみに、内閣府の担当者以外の各省庁からの出席者は、いずれも課長・室長級で、厚生労働省4名、経産省2名、総務省1名であった。ちなみに「社会還元加速」というプロジェクト名もいまひとつ意味不明だが、要するに、要素技術の開発に多額の国費をつぎ込んだのだから、そろそろ成果を社会に還元しなさい、ということらしい。

今回は第1回ということもあり、全体像があまり把握できなかったが、筆者が発言してきたことは次の2点である。

第1点は、最近次世代ロボットの運用上のガイドラインについて議論する際、次世代ロボットの定義に関して医療用や介護用ロボットを含むのか否かという不毛な議論に接することがある。経産省と厚労省には、医療用や介護用ロボットの定義を明確にしてほしい。

第2点は、経済産業省が策定し、筆者もかかわった次世代ロボット安全性確保ガイドラインは、メーカーにリスクアセスメントの実施を求めるとともに、ユーザーにも応分のリスク負担を求めるものになっている。それ自体に反対するつもりはないが、リスクを負担するべきユーザーとは誰かについては、ガイドライン上、曖昧なままとなっている。この曖昧さは、特に医療用・介護用ロボットの場合に問題になる。なぜなら、治療や介護を受ける人は、完全に受け身の立場であり、自ら事故を回避することができない以上、リスク負担は最小限に限定されるべきだからだ。将来的に介護用次世代ロボットの運用ガイドラインを想定するのであれば、この問題を念頭に置く必要がある。(小林)

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2007年12月16日 (日)

防犯カメラの客引き抑止効果

最近のネット記事から二題ご紹介したい。

平成19年12月6日の新潟日報のホームページによると,「JR新潟駅前の繁華街、新潟市中央区東大通1の街頭に東大通1丁目町内会が防犯カメラを設置、6日から運用を始める。ネオンの下で増え続ける悪質な客引き抑止が主な目的で、町内会では『誰もが気楽に立ち寄れる街づくりにつなげたい』とカメラ設置をPRしている。」

JCASTテレビウォッチの12月10日版は,「防犯カメラあると危ない!?ぼったくり事情2007」で,日本で初めて警察が該当監視カメラ50台を設置した新宿歌舞伎町のぼったくり事情を紹介するテレビ番組を引用していた。その中で,「興味を引いたのは、阿部リポーターに声をかけてきた客引きが、防犯カメラが設置されているエリアは『逆に警察の取り締まりが甘い』と指摘したことだ。客引きや阿部が映っている場所周辺には防犯カメラが設置されていた。安部はすでに午前2時で、店は営業できない時間のはずだと、客引きに指摘したが、客引きは『やってるよ』とどこ吹く風だ。スタジオで取材内容を報告する阿部は『カメラがあるから(警察が)来ない』『(来ないから客引きが)やりやすい状態になっている』とまとめた。」とのことである。

これら二つの記事の内容は,明らかに矛盾する。該当防犯カメラに悪質な客引きを抑止する効果があるのかどうか,あるいは,効果があるとしてもそれには一定の条件が必要ではないか,ということは,そろそろきちんとした検証を要する時期にきている。そうしないと,街頭防犯カメラの大半が「税金の無駄遣い」という評価を受けることになりかねない。このことは,ひいては,ネットワークカメラの社会的存在意義そのものを脅かすことになると思う。(小林)

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2007年12月12日 (水)

転んでも許されるロボットの大きさとは

本田技研が,新型のアシモを発表した。私が感心したのは,コップを机の上に置く動作よりも,すれ違う人間を回避したり,道を譲ったりする仕草であった。人間との共同が生活が実際どの程度可能になったかは未知数であるが,少なくとも,ロボットと人間が共同生活を行う様子を示すビジュアルとしては,出色のデモンストレーションだったと思う。

さて,アシモのような次世代ヒューマノイドロボットの安全性を法的側面から専攻している私が,常々感心しているのは,アシモの大きさである。Wikipedia によると,身長130センチ,体重52キロだそうだ。人間に当てはめると,身長は小学校低学年,体重は高校生くらいか。

次世代ヒューマノイドロボットにとって,人に危害を与える可能性が最も高い事故は転倒である。まともに転倒して人を巻き込んだ場合はもちろんであるが,ロボットが転倒を避けようとして人に衝突したり,人の足を踏んづけたりすることも大いにありうる。このような事故はおそらく避けられない以上,次世代ヒューマノイドロボットは大きくても重くてもいけない。その点,アシモの体重なら転倒して人を巻き込んでも大事故にはならないだろうし,小学生程度の身長なら,人を巻き込む範囲も狭くて済む。

なにより,人間の感情からすると,小学生程度の大きさのロボットなら,多少の事故は大目に見てやろうという気になる。アシモの制作者はアトムを参考に身長を決めたというのが公式見解であるが,転倒事故の被害を最小限にする配慮もあると思う。大きい方が技術的には楽であろうが,性能をグレードアップしても身長130センチを固持するあたり,アシモの開発チームはなかなかのものである。(小林)

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2007年12月 8日 (土)

ユビキタスネットワークシンポジウム2007

 11月29日に秋葉原ダイビルで開催されたユビキタスネットワークシンポジウムのパネルディスカッションに参加させて頂いた。300名を収容するホールは250人以上の出席を得てほぼ満席の盛況であり,ユビキタスネットワークの技術がいよいよ社会的実施の段階に入っていることを実感した。このパネルディスカッションの際,各パネラーが10分程度プレゼンを行うということだったので,用意した原稿を下記に掲載する。

                  記

UNS2007パネルディスカッション

ユビキタスネットワーク社会実現のためのこれまで今後

~法律の見地から何が必要か~

私からは,ユビキタスネットワーク社会実現のために,法律の見地から日本に何が必要か,ということを簡単にお話し致します。

まず,ユビキタスネットワーク社会とは,高度に発達したネットワーク社会であると同時に,ヒトとネットワークとが,シームレスに繋がった社会であるということができます。

ここに「シームレス」ということの意味は,キーボードなどの入力デバイスをヒトが操作することなしに,ヒトに関する情報をネットワークが取得することを意味します。そのために必要なデバイスとして,RFIDシステムや,カメラ,マイク,指紋や虹彩等のスキャナが開発されています。

ヒトとネットワークがシームレスに繋がることは,大変な利便性をもたらすと予想されます。

しかし反面,ヒトの保持するプライバシー情報が,そのヒトの意思に反してネットワークに取得されることもあります。また,一旦ネットワークが取得した情報は,高度化したネットワークを駆けめぐり,ほかの情報と合体して,そのヒトに思わぬ不利益をもたらすかもしれません。このように,ユビキタスネットワーク社会を実現するためには,プライバシー権との調整を図ることが,避けて通ることのできない法律的課題です。

ところで,このような法律的課題とは裏腹に,現在の日本では,ユビキタスネットワークデバイスが,驚異的な速度で普及しつつあります。例えばネットワークカメラは,店舗やマンションはもちろん,全国各地の繁華街や商店街に,凄まじい勢いで設置されています。世界に目を転じますと,イギリスは全国に約400万台とも言われる監視カメラを設置しており,監視カメラ先進国とも呼ばれますが,日本にイギリス並みの監視カメラが設置される日もそう遠くないと思われます。

このような傾向に対しては,監視社会化を招くとして警鐘を鳴らす人たちもいます。しかし,このような意見は圧倒的少数派であるのが現状です。このことは,ユビキタスネットワークを推進する見地からは,大変好都合のように見えます。しかし,本当にそうでしょうか。

「京都府学連デモ事件判決」という,最高裁判所大法廷が昭和44年に行った有名な判決があります。この判決や,これに続く一連の判決によると,警察が公道など公の場所において,罪なき一般市民を撮影することが許されるのは,現に犯罪が行われているときか,その前後に限られ,しかも,犯人を撮影するうえで必要不可欠な範囲に限られるとされています。この裁判例によれば,商店街などが設置して通行人を撮影し録画する行為は,違法になってしまいます。

もちろん,この最高裁判所の判決は,昭和44年という,ビデオカメラもデジタルカメラもない,市民1人ひとりがカメラ付き携帯電話を持ち歩く時代が来るとは想像もできない時代に出された判決ですから,これがそのまま現代に妥当するとは限りません。しかし,明確なルールが存在しない以上,この判決は現代においても生きています。つまり,現在普及しつつあるユビキタスネットワークデバイスは,常に,裁判所によって違法と判断され,撤去や損害賠償が命じられるリスクにさらされていると言って過言ではありません。

現在の日本では,監視カメラに関してはいくつかの地方自治体で条例が制定されています。また,RFIDに関しては,2004年に総務省と経済産業省がガイドラインを策定しています。しかし,プライバシー権とネットワークとの調整の問題は,本来,条例やガイドラインによる規制になじむものではありません。全国に等しく適用される法律によるルール作りが急務であると考えます。

現在,ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第一に,ユビキタスネットワーク社会を推進する研究者や技術者に対して,不必要なブレーキになるという弊害を発生させています。私はユビキタスネットワークに関するいくつかの研究会に参加していますが,研究者や技術者の方々が,裁判を起こされ違法とされることをおそれるあまり,研究開発を躊躇する事例に接しています。法規制とかルールなどというと,一見,ユビキタスネットワーク社会の推進を縛り妨げるかのように聞こえます。しかし,適切な法規制やルールは,むしろ,ユビキタスネットワーク社会を推進するものです。自動車は道路の左側を通行しなければならないという道路交通法上のルールは,自動車産業の発展を阻害したでしょうか。むしろ,車と車,あるいは車と人との関係を適切に規律するルールこそが,自動車産業を発展させたと言えるのではないでしょうか。

ユビキタスネットワークシステムとプライバシー権を調整するための法律が存在しないことは,第2に,日本や日本の企業が情報技術を世界標準とするに際して,大きな妨げとなる危険があります。例えば先ほど触れたイギリスは,監視カメラ先進国である一方,情報コミッショナーという第三者機関を設けるとともに,個人データ保護法をはじめとする法制度が,日本より遙かに整備されています。また,世界では,情報コミッショナー制度を有する国の国際会議である「データ保護・プライバシー・コミッショナー国際会議」が開催されており,今年で29回を数えますが,情報コミッショナー制度を持たない日本は,各国コミッショナーによる非公開会議に参加することさえできません。このままでは,日本は,情報プライバシー保護制度後進国の烙印を押され,ユビキタスネットワークシステムの輸出や他国のネットワークとの接続を断られることにもなりかねません。

以上,日本においてユビキタスネットワーク社会を実現するためには,適切な法的ルールを定める必要があること,国民に拒否反応がない今こそが,法的ルールを定める好機であること,そして,そのためにはまず,イギリスやヨーロッパをはじめとする先進国の制度を研究する必要があることを申し上げて,ご説明とさせて頂きます。(小林)

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2007年12月 6日 (木)

千葉大学のロボット憲章について

20071121日,千葉大学はロボット憲章(知能ロボット技術の教育と研究開発に関する千葉大学憲章)を制定した。制定趣旨は,「遠くない未来社会に生物の一部機能をはるかにしのぐロボットが出現する」時代にあって,「光と影の両面を有する先端的ロボットの研究開発に携わる者の責任は極めて重大である」として,「地球生態系の維持・保全を規定に据えて,人間の尊厳,人類の福祉,恒久平和と反映,そして,安全安心な社会に資するロボット研究開発と教育をこそ率先して推進する立場から」この憲章を制定したとのことである。これは全5条からなるが,適用範囲を定める第1条と第5条以外の3ヶ条が憲章の内容を定めるものであり,要約すると,

第2条が平和目的の民生用ロボット教育・開発のみを行うこと

第3条が非倫理的・非合法的利用防止技術をロボットに組み込むこと

第4条がアシモフのロボット3原則を遵守すること

となっている。

この憲章を紹介するニュースやブログをいくつか拝見したが,おおむね好意的な内容であった。

しかし筆者は大いに批判的である。

第1に,筆者は,技術者や研究者が「倫理」で自らを縛ることは正しくない,と思う。確かに,筆者の知る範囲のロボット研究者・技術者の中には,明らかに「マッド系」に属する人がいる。マッド系の考えることは常人の想像の域を超えており,法律家の目から見ると「おいおい,そりゃマズイよ」ということを平気でやろうとする。しかし,研究者や技術者たらんとする者は,それくらいでいいのである。言い換えれば,そのくらい過激なことを考えたりやったりしないと,世の中を変えていくことはできないのである。「倫理」や「法律」などといったルールの適用は,哲学者や法律家などに任せておけばよい。倫理や正義に反することをおそれて,自らに歯止めをかける科学者は,結局たいした仕事はできないと思う。

なるほど,生命科学や核化学など,一部の科学分野ではこうした倫理規範が必要な分野が出てきていることは事実である。しかしこれらは,技術の先端性もさることながら,「間違いを犯したら後戻りが出来ない」点に,倫理規範制定の必要性が存在している。違法な治療である患者の生命が救われたとして,その治療を取り消すことはできない。

第2に,「憲章」なるものの中身があまりに稚拙である。例えば2条に「平和目的の民生用ロボットに関する…研究開発のみを行う」とあるが,ここに「平和目的」とは何を指すのか。「平和目的」とは軍用ロボットの開発を排除する趣旨か。しかし,「軍用=非平和」という発想は,その是非はともかく,国際的な常識と異なるのではないか。スイスやスエーデンのロボット研究者に嗤われないのか。また,「軍用」とは何を指すのか。武器に限定されるのか,武器以外の軍用(例えば兵員の運送や武器の保管)も含むのか。武器そのものでないとしても,武器に転用されうる技術を含むのか。例えば千葉工業大学が開発した「床下点検ロボット」は直ちに偵察ロボットに転用されうるが,そのようなロボットの開発は許されるのか。また,軍隊または軍需産業がスポンサーになることは認めるのか。防衛省がスポンサーになることは許さないとして,三菱重工ならどうなのか。米国政府はどうか。DARPAはどうか。米軍を最大のスポンサーとするNASAはどうなのか。

このように,この憲章の文言は法的解釈が不可能であるほど中身が曖昧であるし,厳格に(つまり研究者の研究可能範囲を狭める方向に)解釈すればするほど,ロボット技術の競争力を狭める結果になることは目に見えている。そこまでしなければならないほど,日本のロボット技術は他国を引き離して世界のトップレベルにあり,かつ,このような憲章で自らを縛らなければ行けないほど,危険な領域に達しているのであろうか。筆者にはそうは思われない。

第3に,「アシモフの3原則を遵守する」という下りである。筆者も一部しか読んでいないが,ロボット3原則を巡るアイザック・アシモフの一連の著作は,全体としてみる限り,ロボット3原則だけではうまくいかない,という結論になっているはずだ(k-takahashi’s 雑記)。ロボット3原則を理想として掲げるのは結構であるが,この3原則の妥当性について様々なシミュレーションを行ったアシモフの苦悩を,この憲章の制定者は理解した上で採用しているのだろうか。(小林)

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2007年12月 2日 (日)

「見守りロボット実用化へ」のニュースについて(4)

小学生にICタグを所持させ,通学路のポイントを通過するたびに通過情報と通過児童の画像を学校や親に自動配信する「街角見守りロボット」を導入する際,保護者が,「子どもの画像がその親に配信されるのは差し支えないが,親でないほかの保護者に配信されるのはプライバシーの侵害だ」と主張することがあるようだ。「街角見守りロボット」をめぐる法律問題は,すでに述べてきたとおり何点かあるが,実際問題としては,このような親の主張にどう対応するか,という点が,業者や学校を悩ませているらしい。

確かに,「街角見守りロボット」のシステムからすれば,太郎君と花子さんが仲良く手をつないで「街角見守りロボット」の前を通過したとき,「手をつないで歩く太郎君と花子さん」の画像が太郎君の保護者と花子さんの保護者の両方に配信されることになる。双方の両親が知り合いであればともかく,見も知らぬ保護者に自分の子どもの画像が配信されることに抵抗感がある,という心理は理解できる。法律的に見ても,子どものプライバシー権は,保護者と学校に対してのみ放棄(公開)したのであって,同じ学校とはいえ赤の他人に対して放棄(公開)したのではない,という理屈は成り立つ。

しかし他方,すでに述べたように,このシステムは児童ではない一般通行人を承諾なく撮影するものであり,一定の条件の下で適法になるとはいえ,これを不愉快に思う市民もいよう。このような市民に対する思いやりもなく,自分の子どもの画像についてだけプライバシー権を主張するのはいかがなものか,という気もする。

そうすると,「街角見守りロボット」に守られるという恩恵を享受している子どもについて,他の保護者に画像を見られたくない,という意味でのプライバシー権は一応認められるものの,それは,一般通行人の有する同様のプライバシー権よりは劣る,と考えるべきだろう。平たく言い換えると,一般市民が撮影された画像を学校や親に配信されることを我慢しなければならないのであれば,児童やその親も我慢しなければだめ。他方,自動マスキングなどの「プライバシー保護技術」により,一般市民の画像が学校や親に配信されない手当がなされているのであれば,この技術を児童にも適用して,親にのみマスキングを外した児童の画像が配信されるようにしてもよい。しかし,一般市民のプライバシー権には何の配慮もせずに,児童の顔にだけマスキングするのは,不公平でだめ,ということになる。(小林)

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