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2008年1月30日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか?(2)

司法試験合格者数3000人が公式な数字として表明されたのが平成12年(2000年)88日の司法制度改革審議会集中討議二日目の記者会見の席上であり、それまで公式には1000人を主張してきた日弁連は、この日、事実上敗北した。では、敗北に至る経緯はどうなっているのだろうか。

合格者数3000人を決定した司法制度改革審議会は、「司法制度改革審議会設置法」(平成1169日公布)という法律に基づいて設置され、同年727日から平成13727日までの二年間に、3日間の集中討議日を入れると実に66回開催された。委員は13名であり、その構成済界から2名、学者5名、作家・労働組合・主婦連から各1名、弁護士3名である。弁護士3名といっても、一人は元裁判官、一人は元検察官であり、生え抜きの弁護士は中坊公平委員一人だ。つまり、3人の弁護士はそれぞれ、裁判所、検察庁、日弁連の事実上の代表である。会長は京都大学名誉教授佐藤幸治である。

佐藤幸治委員長は、平成11年(1999年)1022日の日本経済新聞のインタビューで抱負を聞かれ「まず司法の容量を拡大する必要がある。質の高い法曹人口を増やすためにしっかりとした法学教育を確立することが課題だ」と答えている。このように、法曹人口問題と法曹養成問題は、司法制度改革審議会における最大の論点であり、設置当初からの論点だった。

ところが、司法試験合格者数3000人という話は、議事録上、平成11727日の第一回会議から、平成1284日の第27回会議まで、全く出ていない。初めて出たのは、平成1287日の集中審議第1日目であり、翌8日には「年3000人の合格者でおおむね一致」と発表されている。合格者数問題は、司法制度改革審議会設置以前から何年にもわたって議論が重ねられてきた問題であるから、これがたった1日で決まったとは考えにくい。おそらく審議会設置当初より、オフレコで議論がなされてきたと見るべきだろう。(筆者注 その後,平成11年11月24日の第7回審議会で,東京大学の青山義充副学長が3000人にすべしと言及していることを知ったので,この旨訂正します。)

ところで、司法試験合格者数を何人にするかという問題は、法曹人口を総体で何人にするかという問題と密接な関係がある。なぜなら、「全部で何人にするのか、この人数に達成するまで何年かけるのか」の二つの要素で、毎年の司法試験合格者数が決まってくるからだ。この点の議論は審議会設置当初からなされていたが、ターニングポイントとなったのは、平成12222の第13回会議で中坊公平委員が「フランス並みの56万人を目指すのが適切」という私案を発表したこととされている。この点は翌日の日経新聞に「中坊氏が大幅増員案」との見出しで「大幅増員に反対の多い弁護士出身の中坊委員が示した増員案は波紋を広げそうだ」と報じられている。もっとも、このとき中坊委員は、法曹人口の総体の数を述べただけで、1年当たりの司法試験合格者数には言及していない。しかし、法曹人口56万人を達成するのに、10年かけるとすれば、1年当たりの合格者数3000人という数字が自動的に算出されることになる。中坊公平委員は、合格者年3000人になるのは織り込み済みで、「フランス並み」という私案を作成したことは間違いない。

この中坊委員の私案をとらえて、今回日弁連会長候補に立候補している高山俊吉弁護士は、「3000人は中坊が勝手にやったこと」と断罪している。果たしてそうだろうか。(小林)

「日弁連はなぜ負けたのか?(1)~(8)」は小林正啓の個人的見解であり、日弁連会長候補者宮崎誠・高山俊吉両氏及びその選挙事務所の意見とは一切関係ありません。

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