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2008年1月 3日 (木)

ルート225

中村義洋監督の「ルート225」をDVDで鑑賞した。映画「ヒノキオ」やCM「南アルプス天然水」等で注目の若手女優,多部未華子狙いのスケベ心で借りたDVDで,映画の内容には期待していなかったのだが,意外にも後味の良い佳作であった。

主人公は中学2年生の普通の女の子。早朝出勤・深夜帰宅で「いるんだかいないんだか分からない」父親と,「ありえねー」手抜きシチューを作る母親,ヘタレの弟との4人家族で,郊外の一戸建てに住んでいる。かといってグレているわけでもなく,帰宅の遅い弟を迎えに行く優しさもある,要するに普通の14歳である。そんな主人公と弟が,ある日突然,パラレルワールドに迷い込んでしまう。そこは一見,今までと同じ世界なのだが,友人関係が微妙に違っていたり,死んだはずの幼なじみが生きていて普通に登校したりしている。何より自宅に両親がいないのだ。主人公と弟は元の世界に帰ろうと奮闘するが,切ない結末を迎える。

この映画は「世にも不思議な物語」系の語り口をとりつつ,実際に描いているのは思春期特有の疎外感だ。人は大人になる過程で,社会や他人との疎外感,言い換えれば他人との付き合い方に悩みつつ,自分に合った距離感を体得して,社会の中での「居場所」を見つけていく。流行言葉で言うと,「自分さがし」だ。そして,自分と他人の間に一定の距離を取るということは,自分の世界と他人の世界とは異なるパラレルワールドである,ということを認めることに等しい。大人になるということは,友人はもちろん肉親とも,別の世界に住むということなのだ。

映画の中で,「この世界」と「元の世界」をつなぐ唯一のアイテムは,なぜか,読売巨人軍の高橋由伸のテレホンカード(ただし残り度数1)だ。ヘタレの弟はこれを使って元の世界に戻る手がかりを得ようとするが,主人公は「このテレカが元の世界と私たちを結ぶ唯一の物だから,使わない」と言う。これは男と女の発想の違いという見方もできるが,正しい解釈はおそらく,未だ子どもの世界にいる弟と,大人になりかけている姉の発想の違いということであり,そのことは,主人公の最後の選択によくあらわれている。

自分と他人は異なるパラレルワールドに属する住人であるとして,それなら,赤の他人と,友人や肉親を区別するものは何か。それは,「お互いが常にお互いを思いやっているという確信」があるか否かであろう。この確信を絆と言い換えてもよい。この絆さえあれば,別な世界に住んでいても,自分がこの世に存在する理由を実感することができる。主人公は,テレホンカードを別のアイテムに交換することによって,家族との絆を実感することができた。家族はいつか必ず別の世界,この世とあの世にばらばらになる。永遠に会えなくても,お互いを思いやっている確信があれば,ひとりぼっちにはならないのだ。ラストで主人公が見せる笑顔は,この実感を抜きにしては理解できないと思う。

多部未華子は,特別美人というわけでもないのに,時折見せるオーラが強烈で,それを見逃すまいと映画に引き込む不思議な魅力がある。少なくとも,初期の田中麗奈に匹敵する,将来性が大いに期待できる女優である。(小林)

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