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2008年1月30日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか?(8)

法曹人口問題で日弁連が敗北するに至った経緯をおさらいしてみよう。

法曹人口問題は、平成元年、裁判官・検察官希望者不足を解消するため最高裁・法務省が支持した「丙案」(若手受験者にゲタを履かせて優遇する案)に、日弁連が反対するという「コップの中の戦争」としてスタートした。しかし、法曹人口問題は国民に規制緩和問題として認知されたため、大幅な増員に反対する日弁連の態度は、世論の猛烈なバッシングにさらされた。これを受けて日弁連の方針は、平成6年の臨時総会決議を翌年に撤回するなど迷走し、日弁連が当事者として参加していた法曹養成制度等改革協議会を機能不全に陥らせた。ここに至って政府は法曹三者による法曹人口問題解決能力を見限り、司法制度改革審議会を設置して法曹人口問題の解決を図る。「コップの中の戦争」をコップごとひっくり返し、法曹三者はお飾りのように圧倒的少数派として審議会に参加させるにとどめた。この審議会では法曹人口大幅増大は既定路線であり、ただ、法曹の質の維持をどうやって図るかという点だけが問題であった。しかしこの点は法科大学院の設置により解決の目処が立つ。そこで司法制度改革審議会は、平成1288日、司法試験合格者年3000人を事実上決定するに至るのである。

歴史的評価は私の手に余るが、結果論としてみる限り、日弁連の第一の失策は、必要以上に「丙案反対・修習2年」に固執したことであろう。日弁連が丙案反対に固執した理由は、分離修習による法曹一元の危機、法曹資格機会均等の破壊などが挙げられ、修習2年への固執は法曹の質の維持が目的であった。しかし、丙案が廃止されたことと、3000人体制を比べて、3000人体制の方が良かったと言えるだろうか。

日弁連の第二の失策は、第一の点の裏返しであるが、法務省や最高裁だけを相手にした近視眼的な「兄弟喧嘩」に明け暮れ、その三兄弟が外部からどう見られているかに思いをいたさなかった点であろう。

そして第三の失策は、「これ以上法曹三者間の内部抗争に明け暮れるなら、司法改革問題の当事者から外す」という明確なサインが政府からあったにもかかわらず、これを見落とした点、あるいは気付いていたのに対処できなかった点である。

以上に付け加えるなら、日弁連、というより弁護士にありがちな欠点として、「正しいことであれば必ず認められる」という、法律の世界での理想を、政治の世界に持ち込みがちな点があげられる。言うまでもなく政治の世界は強いものが正しい、「勝てば官軍負ければ賊軍」の世界である。私はこの論考を纏めるに当たって、「正しかったか、間違っていたか」という判断を慎重に排除したつもりである。したがって、合格者3000人という決定が正しかったか、間違っていたかは、本論考の対象外である。本論考で私が対象としているのは、「日弁連はなぜ負けたか」という問題であって、「日弁連は正しかったか」あるいは「日弁連は間違っていたのか」ではない。

外から侵略されているのに、一致団結せず、内部抗争に明け暮れたため、結局外国に滅ぼされた国は、歴史上、枚挙に暇がない。法曹人口問題に関して日弁連は、実に幼稚な対応しかできなかったと評価されてもやむを得ないと思う。我々弁護士は、日弁連として余りに惨めな展開を辿った歴史を深く反省するとともに、これを繰り返さない努力をするべきであろう。

日弁連会長選挙の候補者である高山俊吉弁護士は、平成8年(1996年)の法律時報683号に「丙案廃止に向けた闘いのために」と題する論考を寄せ、その末尾に、誇らしげに次のように記している。「とまれ厳しい条件と情勢の中でも丙案を葬り去る一歩手前まで到達し得たことを考え、運動への確信をもってこれからの闘いを取り組みたいものである。『われらが到達した峰に主峰を目指す砲台を揺るぎなく据えよ。』」

高山弁護士は、このとき、目の前の「主峰」にばかり気を取られ、足下の「峰」が音を立てて崩れ始めていたことに気付かなかったようである。(小林)

「日弁連はなぜ負けたのか?(1)~(8)」は小林正啓の個人的見解であり、日弁連会長候補者宮崎誠・高山俊吉両氏及びその選挙事務所の意見とは一切関係ありません。

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