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2008年2月16日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか?(番外編2)

「日弁連はなぜ負けたのか?」は,お陰様でたくさんのアクセスをいただいた。読んで頂いた方々に御礼を申し上げる。日弁連会長選挙は終わったが,この論考は,今後「ぼちぼち」続けていきたいと思う。

「日弁連はなぜ負けたのか」の(1)から(8)で,3000人増員を受け入れたのは日弁連の敗北であり,司法制度改革審議会に日弁連代表として出席していた中坊公平委員は敗戦投手であると書いた。

この認識に変更はないが,誤解しないで頂きたいのは,このとき日弁連は全66回にわたる審議の最終回まで闘い,刀折れ矢尽きて3000人増員を呑まされたのではない,という点だ。実際には,審議の前半戦で積極的に3000人増員を受け入れている。ではなぜ,積極的に3000人増員を受け容れたのか。ここに,法曹人口問題と並ぶ重要な要素として,法曹一元及び司法改革という概念が登場する。おそらく,中坊公平氏と日弁連執行部は,最低3000人の受け入れは避けられないと見切ったうえで,これと引換に,いわば条件闘争として,法曹一元及び司法改革の実現を図ったのだ。

筆者の見解に対して,「敗戦処理として責任を軽く考えてよいのか?」というご批判をいただいた。これはやや誤解していると思う。確かに,平成12年の時点では,「最低でも3000人」という選択肢しか無かったのだから,その意味では,3000人を選択した日弁連執行部に責任はないと思う(「5000人を選択しなかった責任」があるというなら話は別だが)。あくまで3000人を受け入れた責任を誰かに問いたいのなら,平成11年以前にまで遡って頂くしかない。しかし,平成12年当時の日弁連執行部が3000人受け容れと引換に「法曹一元」「司法改革」という条件を提示したこと,これを(一部にせよ)国に呑ませたこと,あるいは,ほかの条件を提示しなかったこと,について,その是非を歴史的に検証する必要も無い,とは言っていない。むしろ,この意味においては,当時の日弁連執行部の責任の有無や程度は,おおいに検討に値すると考える。

今年は「司法改革実践の年」と言われる。筆者のような「一応若手」のノンポリ弁護士からすると,お題目のように繰り返されてきた「司法改革」であるが,それがどのような経緯で実現したのか,何を犠牲にして実現したのか,日弁連は3000人増員を受け容れる代わりに何を守ろうとしたのか,そして,司法改革はその犠牲に見合ったものだったのか。守ろうとしたものは守れたのか。そろそろ,これらの検証に着手するべき時期に来ているのではないか。なお,筆者とほぼ同じ見解に立つと思われるものとして,豊崎寿昌弁護士のブログをご紹介する。(小林)

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