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2008年2月 6日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか?(番外編1)

平成19年2月5日の読売新聞が、日弁連会長選挙公聴会で宮崎・高山両候補が表明した弁護士増阻止の動きを「業界利益の追求」と牽制した。これを増田尚弁護士が「永遠のワンパターン」と批判したのに対して、筆者が「確かにワンパターンだが,『敵』は10年前にも同じ戦術で勝ったのだから,当然,勝ちパターンで攻めてくるわけである。むしろ,『弁護士の生活不安』を全面に出して,負けパターンを繰り返す愚こそ責められるべきであろう。」と書いた。これに対して増田弁護士から、「しかし、2000年当時、3000人問題に関していえば、日弁連は、そのように主張することすらせず、最初から戦いを放棄していた」との反論をいただいた。

こうなっては当事者以外どうでもいいような話であるが、増田弁護士のブログ経由で当ブログをご覧になる読者も多いようだし、弁護士としては、主張の違いはともかく、事実に反する指摘を看過できない。

まず2000112日、3000人を事実上容認し紛糾した日弁連総会の翌日の日本経済新聞は、「日弁連の臨時総会が紛糾したのは、弁護士の間に自らの生活を直撃しかねない増員への反発が根強かったためだ。」と解説している。これは、高山候補ら反対派が、弁護士の生活問題を主張していたことを示している。また、1996311日の毎日新聞に掲載された日弁連会長インタビューには、「法曹人口を増やすことは、弁護士の生活(中略)にかかわる面もあり、弁護士会でも見解が分かれています。」という日弁連会長の発言が記載されている。このように、当時の反主流派に限らず、会長も、弁護士の生活不安を法曹人口増に反対する理由の一つに挙げている。だから、「日弁連は法曹人口増が弁護士の生活不安につながるという主張をしなかった」という増田弁護士の指摘は事実ではない。ちなみに、この会長とは鬼追明夫弁護士であり、宮崎候補の推薦人の1人であるが、この話題とは無関係である。大事なのは、当時の日弁連会長が、法曹人口増に反対する理由に弁護士の生活を掲げた、という点だ。

すでに「日弁連はなぜ負けたのか?(6)」に記載したことであるが、日弁連による「弁護士の生活不安」の主張は、マスコミにどう評価されたか。

「日弁連とは何者だ。監督官庁を持たない一種のカルテル組織ではないか」(1995330日産経新聞)

「ギルド化する弁護士,正義を掲げ権益も守る?競争生む増員に逃げ腰」(199558日 日経産業新聞)

「質の低下などの問題を理由に妥協の道を閉ざすのでは,一部に根強い既得権を守ろうというだけの増員反対論に力を貸すことにならないか。」(19951019日朝日新聞)

「法曹人口増員は(中略)司法基盤整備と並行して進めるべきだとの主張は商売敵が増えることをおそれた改革つぶしとも見られ,旗色が悪い。」(1995年10月31日 朝日新聞)

「駄々っ子みたいなごね得狙いの反対者の巣窟」(19951227日 毎日新聞)

「弁護士一人ひとりが(司法改革の最大の担い手であるという)使命を忘れ、内向きの狭い発想に閉じこもるのでは、司法はますます国民から見放されるだろう。」(19961219日朝日新聞社説)

筆者は当時の日弁連(あるいは日弁連反主流派)とマスコミとの、どちらの主張が正しかったかを論じるつもりはない。重要なのは、10年前、日弁連の執行部も反主流派も、弁護士の生活問題を法曹人口増反対の理由に掲げたが、それらはマスコミから、「弁護士ギルド」「既得権益擁護」「ごね得」と、さんざんな批判を浴び、人口問題における日弁連の敗北につながったという点だ。

もちろん、マスコミによる不当な批判に対しては、日弁連は反論するべきである。10年前と今とで、事情が変更した部分もあろう。かつて批判されたからといって萎縮したのでは、「羮に懲りて膾を吹いている」との誹りを免れまい。しかしだからといって、10年前の事実を知りもせず、あるいは忘れ、かつて失敗したのと同じ戦法で敵に立ち向かうのはただの愚者である。法曹人口問題において、日弁連が弁護士の生活問題を主張すること自体は結構だ。しかしそれには細心の注意が必要であり、少なくとも、全面に出すのは愚の骨頂である。(小林)

このブログの記事は、小林正啓個人の見解であり、日弁連会長候補者やその選挙事務所とは全く関係ありません。

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コメント

「2000年当時」の「日弁連(執行部)」の対応を問題にしたのに、96年の鬼追会長(当時)の発言や、反執行部派の言動を問題にされてもなぁ、という気はしますが。そもそも、中坊氏が「敗戦処理投手」であるならば、司法審が始まる前から勝敗が決まっていたわけですから、小林先生の見解と当職の見解とは、その点では矛盾しないように思いますが、いかがでしょうか。
いずれにせよ、「失敗」の原因は、弁護士攻撃によって国民の権利を侵害しようとしていた規制緩和勢力(引用されている日経記事など、その典型的な論者ですよね。)と対決することなく、これと共闘さえしてしまったこと(背景には、「裁判所主敵論」ともいうべき「官僚司法の打破」という方針があったわけですが。)であるというのが私見です。新自由主義・新保守主義に対する日弁連執行部の見方が甘すぎたと考えています。

投稿: 増田尚 | 2008年2月 7日 (木) 12時57分

コメントありがとうございます。「弁護士攻撃によって国民の権利を侵害しようとしていた規制緩和勢力」ですか?うーん、その辺からして認識が違うのですよね。誰が何のために弁護士を攻撃して自国民の権利を侵害するのでしょうか?「戦争をするため」ですか?高山先生も言っているではないですか。「地獄への道は善意で敷き詰められている」って。増田先生の言う「弁護士攻撃」や「国民の権利侵害」も、善意に基づくものだとしたら?
いずれにしろ、90年代の日弁連執行部をどのように評価するかについては、私なりに勉強した上で、改めて発表したいと考えています。そのときに、ご教授ご批判を賜れば幸甚です。

投稿: 小林正啓 | 2008年2月 7日 (木) 20時15分

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