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2008年2月22日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(2)~

閑話休題。700人という司法研修所のキャパシティを前提として,分離修習や修習期間の短縮,若年受験者の優遇を図る法務省と最高裁の提案に対して,日弁連は徹底的に反対した。その理由は,石井氏によれば,戦後司法試験制度の理念と,法曹一元の理想にあるという。

すなわち,戦後導入された司法試験制度は,戦前のそれと比較して,次の特徴を有する。

ア)        裁判官・検察官・弁護士の試験の統一(統一性)

イ)        行政官試験との峻別(分離独立性)

ウ)        一切の受験資格の制限撤廃(開放性・平等性)

エ)        採用試験ではなく資格試験であること(資格試験性)

修習期間短縮による修習の不徹底は,修習終了後の裁判所・検察庁における新人研修をもたらし,司法試験の統一性を害するうえ,弁護士任官を排除することにつながり,法曹一元を害する。また,若年受験者の人為的優遇は,様々な経歴を持つ者を不利にして,司法試験の開放性や平等性を害する。統一修習は,法曹一元の最後の砦である。日弁連はこのように主張して,反対の姿勢をとり続けたと思われる。

日弁連が戦後司法試験の理念と法曹一元の理想にこだわり続けたことの是非はさておき,このこだわりが,法曹三者の協議を機能不全に導き,のちの司法制度改革審議会の設立から合格者3000人増員に至る一連の経緯について,その一因になったことは,否定しがたい事実であると思う。

筆者は「日弁連はなぜ負けたのか(1)~(8)」で,法曹人口問題という視点で見ると,司法制度改革審議会が発足した時点で日弁連の敗北は既定事実として決まっていたと書いた。しかし,その司法制度改革審議会に,日弁連は,消極的に,嫌々ながら引きずり込まれたのではなく,法曹一元という視点から見ると,むしろ積極的に参加していった経緯が窺える。

それでは,日弁連がここまでこだわった法曹一元の理想とは,どういうものだったのか。「法曹一元」については,私自身,深くは理解していない概念である。期の若い弁護士の多くは,なおさらであろう。そこで,日弁連が理想に掲げた法曹一元とは何だったのかについて,検証してみることにする。(小林)

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