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2008年2月18日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(1)~

「法曹一元」という言葉は,若い弁護士でも,耳にしたことがあると思う。それはかつて,「弁護士自治」や「法の支配」と並んで,弁護士にとって究極の理想とされていた(本稿では,後述する理由から,あえて過去形を使う)。実は,この「法曹一元」という言葉は,法曹人口問題において,重要な位置を占めている。

それを一言で言えば,2000年11月1日の日弁臨時総会決議は,「法曹一元の実現を期するため」に,年3000人という法曹人口大幅増員を受け入れたのだ。

それほどの重要性のある「法曹一元」とは何だったのだろうか。本稿では,法曹一元という視点から,法曹人口問題を俯瞰してみる。

法曹一元問題と,法曹人口問題は,法曹養成問題を通じて結びつく。

石井美和氏の「法曹養成を巡る制度と政策 法曹三者の力学を中心として」によれば,法曹養成をめぐる法曹三者の関係は,昭和34年の臨時司法制度調査会(臨司)以降,平成7年の法曹養成制度等改革協議会意見書に至るまで,要するに,合格者の若年化を企図する法務省・最高裁VS日弁連,という構図で理解される。

合格者の若年化自体は特に争うべきことではないと思われるが,それが対立を生んだのは,法曹養成施設としての司法研修所の物理的キャパシティが原因である。昭和45年に東京都千代田区紀尾井町から文京区湯島に移転した司法研修所は,修習生を詰め込んでも700人程度が限度とされるため,これ以上の合格者の増員は,湯島の施設を前提にする限り,研修期間の短縮か,又は,法曹三者の分離修習を必然的にもたらす。合格者数を700人以内に維持しつつ,若年合格者を増やすためには,若年受験者を人為的に優遇する制度の導入が不可欠になる。まとめると,湯島の司法研修所を前提にする限り,若年合格者を増加させるためには,①修習期間の短縮,②分離修習,③若年受験者優遇制度,のいずれかの導入が不可欠になる。

余談になるが,44期の筆者が過ごした湯島研修所と馬橋寮での修習生としての生活が,上記のような法曹三者協議の舞台になっていたことについて,感慨を覚えずにはいられない。法曹三者による「コップの中の戦争」のコップが,実は司法研修所の物理的キャパシティだったというのは,一面,いかにも役人的であり,その予算第一の発想に苦笑するほかない。しかし他方,馬橋寮の実態は確かに,予算を第一に考えざるを得ない実情を反映していた。朝霞世代には伝説であろうが,馬橋寮はオンボロの建物で,8畳の4人部屋(!)の真ん中をベニヤ板で仕切って2人部屋にしており(但し2人部屋になったときは,一人が出て下宿するという不文律があり,その基金を皆で出し合った),ベニヤ板の薄さといったら「照明の紐を引く音が聞こえる」というものだった。筆者の部屋は諸般の理由で宴会部屋となり,「ベニヤの隣人」からの苦情は数知れず。共同浴場も一日おき。女性修習生の部屋とは廊下がカーテンで仕切ってあるだけで,女性修習生の部屋で酒盛りをしたり朝まで話し込んだりした。くっついたの別れたのという話も日常茶飯で,気恥ずかしい言い方だが,要するに受験で失った青春を,皆が必死で取り戻そうとしていた。ひどい生活だったが,そのせいで,寮で一緒に過ごした法曹とは,ある種の一体感が今でも続いている。朝霞の寮がどういうものか知らないが,このような一体感が喪失しているとすれば,筆者個人としても,法曹界にとっても,残念に思う。(小林)

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