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2008年3月29日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(11)~

法曹一元に対する日弁連の期待を背負って1999年(平成11年)7月に発足した司法制度改革審議会であったが,その審議の中で,法曹一元はどのように取り扱われたか。同審議会は,66回の審議中,「司法制度改革に向けてー論点整理」「中間報告」「最終報告」の三つの文書をとりまとめている。そこで,前例に倣い,三つの文書中,「法曹一元」という単語を検索してみよう。

まず,「司法制度改革に向けてー論点整理」中,法曹一元という単語は,10回用いられている。

次に,「中間報告」では,法曹一元という単語は,4回用いられている。

最後に,「最終報告」ではどうだろうか。

ゼロ,である。筆者も驚いて2回調べたが,「法曹一元」という単語は,ただの一回も用いられていない。司法制度改革審議会の最終報告書において,法曹一元という言葉は,抹殺されていたのである。

この最終報告に対する日弁連会長声明は,次のとおりである。

    当連合会が強く訴えてきた法曹一元に基づく裁判官制度の改革については、その理念に基づき、弁護士任官の推進、判事補の相当長期の多様な法律専門家としての他職経験、特例判事補制度の計画的・段階的解消、裁判官選考について国民も参加する推薦機関の設置、人事制度の非官僚化などを打ち出されたことは重要な意義をもつものです。

これはつまり,「法曹一元」という言葉は採用されなかったが,その「理念に基づく」いくつかの提言を積極的に評価する,という意味である。また,「法曹一元の理念である」という言葉を使わず,「法曹一元の理念に基づく」という,一歩引いた表現になっているのは,法曹一元にとって本質的な要素である判事補制度の廃止や,昇給・任地等に関する官僚的人事制度の廃止がほとんど含まれていないからであろう。最終報告書が採用されたのは,主として,裁判官に社会経験を積ませたり,弁護士任官を推進するなどして,「裁判官は世間知らず」という批判を回避するための方策に過ぎない。

司法制度改革審議会最終報告書における裁判官制度改革について,法曹一元の観点からどのように評価するかは,前述したとおり,事前の目標設定がなかったため,立場によって評価が分かれることとなった。裁判所におけるキャリアシステムと判事補制度が法曹一元の本質であるとの立場に基づくならば,上記最終報告書の内容は法曹一元論の完全な敗北と評価される。他方,裁判所に市民感覚を反映させるのが法曹一元論の趣旨と考える立場からすれば,上記最終報告書の内容は一定の前進と評価される。

現在,各単位会で,弁護士任官や,非常勤裁判官などの取り組みが行われている。しかし,2000年当時に存在したような,法曹一元に向けた熱気が見られないこともまた事実である。司法制度改革審議会の最終報告書が一度も「法曹一元」という言葉を使用しなかったことからしても,「法曹一元」という理想は,3度目の死を迎えたと見るべきだと思う。(小林)

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2008年3月28日 (金)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(5)

パワードスーツの設計者として,想定しなければならない事故態様の第一は,「転ぶ」「踏む」だと筆者は思う。これは,ヒューマノイドでも同様である。アシモが子どもの背丈で,成人女性ほどの体重なのは,「転ぶ」という事態を設計者が想定し,転んでも大きな事故にならない限界を想定しているからだと考えて間違いない。もちろん,技術が発達すれば,転ばないように体勢を変えたり,手をついたり足をついたりすることも可能になろうが,その際でも,他人を踏んづけることは避けられない。重たいパワードスーツに近くをうろうろされては,24時間土俵の砂かぶりに座るのと同じほど危険である。したがって,どれほど技術が進歩しようと,「転ぶ」「踏む」は,パワードスーツの避けられない宿命となろう。

「転ぶ」「踏む」という事故が避けられないとすれば,パワードスーツに課せられる本質的安全思想はどうなるか。この問題は,被害者として想定されるヒトを装着者と非装着者に分けて考える必要がある。

装着者との関係でいえば,装着者自身が自分のパワードスーツに踏まれる事態は想定できないから,転んだ場合の安全性を考えれば足りる。具体的には,物理的に防護することと,装着者があるレベル以上の動きをした場合には装着者の動きを優先させる機構とが考えられる。後者の場合はもちろん,装着者自身の筋力でパワードスーツを制御できるほど,パワードスーツが軽量であり,関節が柔らかいことが必要となる。いずれにせよ,装着者との関係では,パワードスーツの重量は,余り大きな問題にならないと考えて良い。

他方,被装着者との関係では,安全を確保する唯一の手段は,転ばれても踏まれても,大事に至らないほど,パワードスーツの重量が軽いことしか,解決策はない。もちろん,非常に重い物を持ち上げたり動かしたりするパワードスーツの場合は,自重も相当重くなるから,このようなパワードスーツについては,被装着者と隔離するほか方策がないことになる。

このように考えてくると,パワードスーツ3原則の第2条は,つぎのようになろう。

「一定以上の重量があるパワードスーツは,非装着者と隔離される。」ここに「一定」とは,将来,識者と政府機関によって画定される必要がある。常識的に考えて,装着者の体重と合計して100キログラムを超えるようなら,そのパワードスーツは非装着者との隔離を要求されることになろう。(小林)

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2008年3月25日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(10)~

日弁連は,2000111日の臨時総会決議で,法曹一元という単語を42回も繰り返して用いた。法曹一元は,戦前からの日弁連の悲願であり,すでに2回,潰えている。それが3度目の復活を遂げたのは,どういう経緯からだろうか。

1998年(平成10年)616日,自由民主党司法制度特別調査会は,「21世紀の司法の確かな指針」と題する報告書を発表した。ここには一言だけだが,「かつて臨時司法制度調査会において協議され,未だ基盤整備がなされていないとされた法曹一元の問題(中略)も検討課題と言える。」との一文がある。与党内でこの調査会はその1年前に発足しているから,法曹一元が同調査会で検討対象になったのは,1997年(平成9年)中であろう。いち政党内部とはいえ,与党内で法曹一元が議論の対象になったわけであり,これは日弁連にとって,朗報と受け止められたことは想像に難くない。

次いで,1998年の司法シンポジウムは,法曹一元を主要テーマに掲げた。シンポのテーマはだいたい1年前に決まるから,やはり1997年中に,日弁連としても法曹一元を再々度真剣に検討する必要がある,と考える事情が発生したのだろう。

199828日の日本経済新聞において,元最高裁長官の矢口洪一氏が,現行憲法が予定しているのは法曹一元であり,判事補制度は廃止すべきと発言した。なにしろ元最高裁長官だけでなく,「ミスター司法行政」と呼ばれたえり抜きのエリートであり,その発言は重い。同氏は1998年の9月には日弁連に招かれて法曹一元を求める講演をしている。

自由民主党司法制度特別調査会報告書作成にも関わった佐藤幸治京都大学教授は,「法曹一元 市民のための司法を目指して」(京都弁護士会1998)の中で,「法の支配の実現のためには法曹一元が不可欠」「法曹一元で裁判官の独立性が高まる」「法曹一元と陪審制は一体」「法曹一元をつくるには,大学が法曹専門教育の主たる担い手になるべき」「自民党の司法制度特別調査会の報告書の考え方を突き詰めていけば,法曹一元制に行きつくのではないかと私は理解している」と述べている。佐藤幸治教授の構想する法曹一元制度が,2000年11月1日の日弁連臨時総会決議文の構成と極めて類似していることは注目される。

佐藤幸治教授は,「自由と正義」19991月号においても,中坊公平氏,保岡興治衆議院議員らとの対談でも,上記同様の発言をした。

この佐藤幸治教授が,19997月,司法制度改革審議会の委員長に就任した。しかも,同年69日に成立した司法制度改革審議会設置法には,衆議院法務委員会の附帯決議として「審議会は、その審議に際し、法曹一元(中略)など司法制度をめぐり議論されている重要な問題点について、十分に論議すること。」との一文が付されている。日弁連としては,「これは本当に法曹一元が実現するかもしれない」と思ったとしても不思議ではない。法曹一元論については,理念倒れだとする痛烈な批判があることは前述の通りであるが,法曹一元を政府が決定すれば,あとは何とかなる,と思ったのかもしれない。

いずれにせよ,このような経緯で,法曹一元論は三度目の復活を遂げた。その先に悲劇が待ちかまえていたことは,日弁連にとって青天の霹靂だったかもしれないし,見る人が見れば,当然の結末だったかもしれない。(小林)

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2008年3月24日 (月)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(4)

パワードスーツと従来の機械が決定的に異なるのは,インターフェースが「操作者の意思を先取りして動作を命じることがある」点にある。これは操作性という点から見ると非常に便利だが,事故の原因にもなりうる。究極のパワードスーツとしては,脳に直結させることが考えられるが,これが操作者の意思を勝手に先取りして作動したらどうなるか。例えば,ゴルフのショットを打つとき,ヒトは頭の中で何回もスイングのイメージを行い,体の筋肉に命令を伝え(でも同時に筋肉は動かさず),その後本番のスイングに入る。もしイメージしただけでパワードスーツが勝手に動くなら,チャップリン「モダン・タイムス」の世界と紙一重だ。

また,ヒトは時として無意識あるいは無意味に体を動かす。その動きをパワードスーツが勝手に増幅して動作するという場合もあろう。このような場合に事故が起きたとき,これはヒトのミスか,パワードスーツの欠陥か,は難しい問題である。しかし,パワードスーツが広く普及し,ヒトがその操作に習熟した相当な未来の話であれば格別,当面の線引きとしては,曖昧な部分はパワードスーツの方に責任を負ってもらわなければいけないだろう。つまり,センサーの感度を落とし,操作性は多少犠牲にしても,「装着者が操作意思を決定しない限り,動作しない」という基本的な設計思想が必要と思われる。ロボット3原則に倣って言えば,これがパワードスーツ3原則の第1条になるのだろう。(小林)

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2008年3月21日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(9)~

日弁連は2000年の臨時総会決議により,法曹人口の大幅増員(司法試験合格者年3000人)を受け入れた。決議文と提案理由によれば,日弁連がこのような大幅増員を受け入れたのは,ひとえに「法曹一元」の実現のためであり,このことは,決議文と提案理由に「法曹一元」という単語が42回も繰り返し用いられていることに,象徴的に示されている。

しかし,法曹一元実現のために3000人を受け入れたという日弁連の論理は,筆者には大変胡散臭く思える。その最大の理由は,それほどまでして目標に掲げた法曹一元の理想が,2000年の決議の後,あっという間に小さくなってしまったからだ。2000年の臨時総会決議の後2007年の総会決議まで,「法曹一元」に日弁連が言及したのはたったの7回である。2000年の臨時総会では1回の決議で42回言及された「法曹一元」という単語が,その後7年間全部合わせても7回しか言及されていない。日弁連は,法曹一元の理想を忘れたのだろうか。それとも,すでに法曹一元は実現したとして,満足してしまったのだろうか。非常勤裁判官の採用,弁護士任官や判弁交流は,裁判官全体の数から見れば,細々と行われているに過ぎない。「弁護士も増えたが,裁判官も相当増えた」と言う暢気な弁護士もいるが,職業裁判官を増やしたら,法曹一元が遠のくばかりではないか。2010年に判事補制度を廃止するという計画はどうなったのだろうか。日弁連が本気で法曹一元の実現を目指し,そのために大幅増員を受け入れたのなら,その後遅々として法曹一元が進展しないことに対して,抗議の声を上げてしかるべきである。しかし,筆者の知る限り,日弁連がそのような抗議を行ったことを示す資料はない。

では,日弁連は2000年の臨時総会決議当時,初めから,法曹一元を実現する気がなかったのであろうか。「法曹一元」はただの建前であり,反対派を懐柔するための便法に過ぎなかったのだろうか。

筆者にはそうとも思われない。主なものを挙げるだけでも,1998年と2000年の司法シンポジウムは,法曹一元を主要テーマに掲げている。また,2000年の「自由と正義」511号は,法曹一元の特集号である。地方単位会も,京都弁護士会が発行した「法曹一元 市民のための司法を目指して」(1998)ほか,少なからぬ単位会が,法曹一元をテーマにした本や小冊子を発行している。いうまでもなく,このようなイベントや出版は,相当数の弁護士が,仕事と収入と睡眠時間を犠牲にして奮闘しなければ実現しない。こういった多数の弁護士の努力が,弁護士大幅増員を受け入れる便法・建前と割り切ってなされたとは考えられない。資料を見る限り,確かに2000年までは,法曹一元制度を実現させようという熱気が,日弁連内に存在していたようである。

2000年当時,日弁連は本気で法曹一元を実現させようと考えており,その基盤整備として法曹人口の大幅総員を受け入れたとするならば,なぜその後,法曹一元実現の熱意を急速に失ったのだろう。(小林)

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2008年3月19日 (水)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(3)

パワードスーツの安全を考える場合,インターフェースの問題は別途検討しておかなければならないような気がする。

インターフェースというと難しげであるが,「操縦装置の有無」と言い換えても大差ない。一般的に,人間が人間以外のモノを操縦しようとするとき,その「モノ」と「ヒト」の間に,インターフェースとしての操縦装置が存在する。

モノ

インターフェース

パソコン

キーボード,マウス

自動車

ハンドル,ペダル等

手綱,鐙

これら旧来のインターフェースに本質的なのは,それ自体は無意思・無判断であり,操縦者であるヒトの操作をそのまま,忠実にモノに伝達する,という点だ。そして,その前提として,ヒトはモノの操作方法を理解しており(たとえば,ハンドルを時計回りに回せば自動車は右に方向転換する,と理解している),この理解に基づいて,インターフェースを操作するという約束が存在する。

上記のようなインターフェースの本質と,その前提となる「操作方法の理解」は,今まではごく当たり前のこととして,意識さえされずに来た。その結論として,モノの操作によって事故が発生した場合,その原因は,「ヒトのミス」か「モノの欠陥」か「ヒトのミスとモノの欠陥の両方」の3つしか考えられず,「ヒトのミス」と「モノの欠陥」の境界線は明確であった。

しかし,パワードスーツの事故を想定してみた場合,インターフェースの問題は,上記のように単純には理解されないと思われる。

これをわかりやすく言い換えてみよう。例えば自動車を運転する場合,運転者の脳は外界から様々な情報(例えば,雨が降っている,前方に自動車が走っている,追越禁止区間だが対向車は無い,等)を取得し,脳内にある様々な意思(急ぎたい,でも免許の点数が残っていない,等)と照らし合わせた上で,一定の意思決定(追い越そう)を行い,この意思に照らして操縦方法(ハンドルを少し右に切る)を決定し,そこで初めてインターフェースを操作(ハンドルを3度時計回りに回す)する。一方インターフェースや自動車は,操縦者がどのような意思決定や操作方法の決定に基づいてその操作を行ったかは一切関知せず,インターフェースに従って動くだけである。

一方,パワードスーツにも,インターフェースはある。それは,筋電センサーや圧力センサーその他のセンサーであり,あるいは,これらセンサーからの情報を統合して判断するCPUである。これらのセンサーやCPUは,もちろん,操作者の意思決定,操作方法の決定を踏まえた操作を感知してモノを動作させることもあるが,そうではなく,「操作者の操作方法の決定を勝手に探知してモノを動作させる」ことがありうる。例えば,装着者が「右腕を挙げよう」という意思決定をせず,単に心の中で思っただけなのに,右腕の筋電センサーが筋電の上昇を感知し,勝手にパワードスーツの右腕を上げる動作を行う,という場合が考えられる。このような場合に事故が起きたら,それは「ヒトのミス」なのか,それとも「モノの欠陥」なのだろうか。このように,旧来のモノとヒトとの関係に比べると,その境界は非常に曖昧になっている。(小林)

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2008年3月17日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(8)~

司法試験合格者年3000人を事実上受け入れた2000年の日弁連臨時総会決議は,「法曹人口」の33回よりも多い42回,「法曹一元」という単語を繰り返した。なぜこれほど多数回,同じ言葉を繰り返したのか。前稿までで基礎的なお勉強をすませたことでもあり,再度,決議文と提案理由にあたってみよう。

本決議文は,柱書のほか,下記3項に大別される。

第1項は,判事補制度の廃止と弁護士からの裁判官任官,及び陪審・参審制の導入を求め,

第2項は,「法曹一元制の実現を期して」,国民が必要とする法曹数を確保することを宣言し,

第3項は,「法曹一元制を目指し」,法科大学院の設立に協力すること,を宣言している。

このうち,第1項の判事補制度の廃止や弁護士任官は法曹一元そのものだから問題ない。陪審制は本来法曹一元と異なる概念だが,刑事司法への国民参加という文脈でとらえることにより,法曹一元と趣旨を同じくするものと理解できる。問題は第2項と第3項である。

まず,第2項で,「法曹一元を期する」ことが,なぜ年間3000人という法曹人口大幅増に結びつくのか。すでに垣間見たとおり,法曹一元と弁護士人口の大幅増は,論理的に直結しないし,イギリスの伝統的法曹一元制が示すとおり,制度的にも無関係である。しかし日弁連は,優秀で幅広い人材を弁護士の中から裁判所に投入するためには,まず弁護士自身が社会の隅々まで行き渡る必要がある,という見解を採用した。ここに,「法曹一元制の実現を期して」,その基盤整備のために,弁護士の数を大幅に増やす,という論理が登場する。

次に,第3項で,「法曹一元制を目指す」ことが,なぜ法科大学院の設置に結びつくのか。まず,法曹一元を期して法曹の大幅増員を遂行する以上,従前の司法研修所による法曹教育では不十分となる。そこで,代替機関として法科大学院を想定するとともに,幅広い人材を養成し,地域に密着した法曹を養成する(日弁連の提言する法曹一元制度は裁判官の異動がない)ため,多数の法科大学院を全国に設置することが必要となる。このように,法曹一元制を目指すためには,多数の幅広い人材としての法曹を養成する機関として,多様かつ全国的な法科大学院の設立が必要になる。

2000年の臨時総会決議が,法曹一元という単語を42回も使って説明しようとしたことは,要約すると,概ね,上記のような内容となる。

それなりに筋の通った話であることは分かる。読者の皆さんは,なるほど,と納得されただろうか。

筆者は全く納得できない。むしろ,かなりの胡散臭さを感じる。それはなぜだろうか。(小林)

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2008年3月15日 (土)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(2)

200711月,自転車に乗っていた47歳の女性が,横断歩道で75歳の女性をはねて死亡させたとして,翌年1月,重過失致死罪の容疑で書類送検されたと報じられた。

最近,自転車と歩行者の事故は社会問題になりつつあり,このニュースもその一つだが,他の自転車事故と違うのは,加害者が乗っていた自転車がパワーアシスト付のものだったという点だ。一般に,パワーアシスト装置付の自転車は,普通の自転車に比べ,モーターとバッテリーの重量が10キロ近く重くなり,衝突の重力加速度も大きくなる。被害女性も,もし普通の自転車にはねられていたら死亡しなかったかもしれない。このニュースは,パワードスーツそのものではないにせよ,パワーアシスト機器の危険性を示唆するものともいえる。

さて,パワードスーツの具体例として,「パワーローダー」や「ランドメイト」や「ロボットスーツHAL」を想定してみた場合,これらパワードスーツに特徴的な事故の態様としては,次のものがある。

1 転ぶ。

2 人や物を踏む。押し(挟み)つぶす。

3 人や物を落とす。

5 人の関節と逆方向に曲がる。

このほか,これらパワードスーツの事故原因として,普通に考えられる操作ミスのほか,次の原因には注意しなければならないだろう。

1 子どもや老人,障害者などが装着した場合

2 不正改造,不正使用,非純正部品の使用

3 老朽化

また,パワードスーツ独特の,インターフェースの問題を別に考えてみなければならない。(小林)

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2008年3月13日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(7)~

このように,弁護士や法学者の中でも法曹一元に関する理解には幅があるが,他方共通するのは,法曹一元は戦前に遡る弁護士会の「悲願」であり,1964年の臨司意見書で「たなざらし」になった挫折をふまえ,その後の弁護士会においては司法の「理想」として語られてきた,という点である。そして,「理想」であるだけに,その中身が吟味されないまま,様々な意味が付与され,「ご都合主義的な概念」として多用されてきた一面もあるのだろう。

さて,このような弁護士会の理想とする法曹一元論に対しては,次のような痛烈な批判があることにも言及しておかなければならない。

京都大学の棚瀬孝雄教授は,「法曹一元の構想と現代司法の構築」(ジュリスト1170号。20001月)の中で,次のように主張する。すなわち,在野法曹であれば必ず職業裁判官より市民感覚が優れ,世間の表裏に通暁しているとなぜ言えるのか。大企業の顧問弁護士が庶民感覚を有するのか。弁護士会が裁判官選任に関与すれば「民主的」で「市民感覚」に優れると言うが,全ての弁護士が市民の側に立っているとはいえず(企業側や体制側の弁護士もいれば,市民の中にも多様な利害対立がある),民主的で公平な裁判官選任が担保され得ない。「裁判官には社会常識がない」という一般論も,科学的な検証がなされていない。しかも,法曹一元制度は,我が国の大陸法系の実体法を英米法系のそれに変更することを伴い,さらに,裁判官が争点整理から審理・和解又は判決まで主体的に関わる職権主義的訴訟手続を,当事者主義的訴訟手続に大転換することにつながるのであり,それは,弁護士費用の高騰といった国民にとってのリスクをもたらす可能性があるから,法曹一元制度を採用するには,国民的合意と支持が不可欠である。教授は言う。「裁判所がかりの訴訟運営を漫然と続けながら法曹一元性を採用するということは,私には不可能なことを主張しているように見える。」

棚橋教授は,上記のような問題点のほかに,従前の法曹一元論は,東西対立というイデオロギー構造の中で,体制側の裁判所と市民側の弁護士という文脈で語られてきたが,東西対立構造が終焉を迎えた今日,弁護士会が語ってきた法曹一元論も構造的な修正が迫られるのではないか,と示唆している。

法曹一元をめぐる論考は多数に亘り,筆者にはこれを網羅し検討する能力も余裕もない。また,本稿の主旨は法曹一元論そのものを良いとか悪いとか評価することではないから,法曹一元論の内容の是非については立ち入らない。筆者が本稿で検討したいのは,2000年(平成12年)当時,日弁連にとって法曹一元論は,本気で実現を企図するほどの実体を備えていたのか否か,である。

このような見地から2000年当時の日弁連の公式見解を検討してみると,第一に,理論的裏付けが希薄であるといわざるを得ない。すでに指摘したとおり,法曹一元論は歴史的に変容しており,2000年ころの日弁連内部での理解にも幅があるのであって,日弁連執行部がこれらを批判的に検討したうえで,「日弁連が目指す法曹一元はこれだ!」と宣言したようには見受けられない。むしろ,会内合意の獲得を最優先にして,総花的抽象的な法曹一元論を呈示しているようにしか思えない。筆者から見て最大の理論的問題点は,かつて確かに裁判所に見られた所内人事の不適正さや,行政寄り・保守派寄りの判決が,裁判官のキャリアシステムを主たる原因とするものなのか,それとも,冷戦構造化の東西イデオロギー対立に基づくものなのか,という理論的検討が疎かであり,そのため,東西冷戦構造が終結した後の法曹一元論の理論的支柱が脆くなってしまったことにある。

理論的問題点もさることながら,第二に,明確な戦略が描かれていないことが致命的な問題点であると思う。日弁連の公式見解は到達点の青写真にすぎず,到達点にどうやって行くのか,という検討が全く見られない。法曹一元論は,百年以上続いてきた裁判所のキャリアシステムを根本から覆す大事業であって,裁判所が猛烈に抵抗することは必至であるのに,これを打ち破る戦略が全く示されていないのはどういうことなのだろうか。「戦略は軍事機密です」という反論があるならまだマシだが,日弁連執行部に機密にするほどの戦略があったのかは大いに疑問である。「矢口洪一と佐藤幸治が支持するのだから,総理大臣も動く」と安易に考えていたのではないかという疑問を筆者は払拭できないし,仮にそう考えていたなら(つまり,内閣府直轄の司法制度改革審議会で決まれば裁判所のキャリアシステムは廃止されると考えていたなら),三権分立に関する日弁連執行部の理解が疑われる。

そもそも,法曹一元が本当に実現したら,日弁連はどうするつもりだったのだろう。青写真の通り,2010年に判事補制度が廃止されたら,その後,全国規模で数十人から百人規模の弁護士任官者が継続的に確保されなければならない。しかも,その弁護士任官者は弁護士会内で能力を認められたエリートでなければならないのだ。もし定員割れが発生したら日弁連は世間の笑いものになる。少ない裁判官任官のポストを,弁護士同士が争うようでなければ,法曹一元にした意味はない。一体,青写真を書いた先生方は,弁護士登録後10年~30年の有能な弁護士が,こぞって任官を希望する有様を想定できたのだろうか。

第三に,戦略的目標(法曹一元の実現,判事補制度の廃止)がとても大きく,一朝一夕には達成できない以上,日弁連執行部としては,当面の戦術的目標を掲げ,どこに橋頭堡をつくるか明確にしなければならなかったのに,それがない。具体的には,法曹一元の本質が判事補制度の廃止にある以上,判事補制度を廃止するための第一目標が設定されなければいけなかったのに,それがない。その結果,その戦術的目標達成のためにはどんなリスクとコストが想定されるのかという事前検討ができなくなったばかりか,事後の検証もできなくなってしまった。後述するように法曹一元論が葬り去られたにもかかわらず,「法曹一元の理念は残った」などという,ふざけた評価がなされたのは,ひとえに,事前の戦術的目標の設定が無かったからにほかならない。(小林)

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2008年3月12日 (水)

住基ネット合憲判決について

200036日,最高裁判所第一小法廷は,住基ネットを意見とした大阪高等裁判所の判決を破棄し,住基ネットが合憲であるとの判断を下した。

最高裁は,何人も憲法13条に基づき,個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を有するという昭和44年の最高裁判所大法廷判決を引用した上,住基ネットがこれに違反するかを検討している。

そして,住基ネットによって管理・利用等される本人確認情報は,氏名,生年月日,性別及び住所からなる情報に,住民票コード及び変更情報を加えたものであって,それ自体個人の内面性に関わる秘匿性の高い情報とは言えないこと,住基ネットのシステムに対する不正アクセス等によって容易に漏洩する具体的危険性はないこと,本人確認情報の目的外利用や秘密漏洩,不正なデータマッチング等は懲戒処分又は刑罰によって禁止されていること,本人確認情報保護に関する審議会等によって,情報保護の制度的措置を講じていること,などを理由として,住基ネットが憲法13条によって保障された上記自由を侵害するものではないと結論づけている。

住基ネットを意見とした大阪高裁判決との違いはおそらく2点ある。1点は,大阪高裁判決がプライバシー権ないし自己情報コントロール権という憲法上の権利を認め,その侵害があるか否かという判断を行ったのに対して,最高裁は,このような名前の権利を認めるか否かという判断は行わず,昭和44年の最高裁大法廷が認めた自由が侵害されるか否か,という判断をしている点だ。この点はかなり理論的な問題なので,本稿ではこれ以上立ち入らない。

もう一点は,住基ネットそのものの危険性に対する評価の違いだ。この点については,大阪高裁が「具体的危険がある」と判断し,最高裁が「具体的危険はない」と判断した,との分析も可能だが,これでは水掛け論だ。最高裁が高裁の判断を覆す以上,それなりの理屈を用意したはずだ,という前提で分析しなければいけないと思う。

このような視点で見てみると,大阪高裁判決との違いは,最高裁が本人確認情報の不正使用や漏洩を防止する制度や,懲戒・刑事手続制度による取締を重視している点にある,と言うべきだと思う。

最高裁の理屈は,このようなものではないか。住基ネットは人間が作り運用するシステムである以上,情報が漏れる可能性があるかないかといえば,ある,と言わざるをえない。しかし,情報が漏れる可能性があるという一点をもって,住基ネットを否定して良いのか。むしろ,システムを運用する制度や,違反者を罰する制度によって,つまりシステムを運用する人間を統率する制度によって,安全性を確保するべきではないのか。事後的規制となるが,それはやむを得ない。そして,どの程度の制度が必要かは,情報の重要性によって変わってくるが,住所氏名等といった本人確認情報程度なら,現行の制度で十分である。

最高裁の立場は,一般論として,このように言い換えることもできる。すなわち,国がそれなりの理由があって新たに始めた制度について,それにデメリットやリスクがあるというだけで,その制度を止めてしまえ,と司法は言うべきではない,という立場だ。どんな制度にも利点もあれば欠点もある。欠点より利点がまさる,という国の判断については,司法は原則として文句を付けない,とする立場ともいえる。行政寄りとか政府寄り,と批判されるゆえんだが,民主的基盤を持つ国会や行政府に比べて,民主的基盤の薄い司法は一歩引くべきだ,という発想は,一つの賢明な考え方であると思う。

ただ,住基ネット支持者に注意して頂きたいのは,これをもって住基ネットにお墨付きが出た,と誤解しないでほしい,という点だ。今回の最高裁判決も言うように,不正な情報利用や漏洩に対しては懲戒や刑事処分が下されることが,住基ネット合憲の理由になっているということは,今後,不正な情報利用や漏洩が明らかになった場合,これに対する司法の制裁は厳しくなる,とも予想されるからである。その意味で,住基ネットのセキュリティを保持する責任は,今回の最高裁判決によって重くなったと言ってよい。

ところで,高裁判決後上告を断念した箕面市との関係では,違憲判決が確定している。箕面市はどうするのか,注目される。(小林)

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2008年3月11日 (火)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(1)

パワードスーツとは,外骨格,鎧あるいは衣服の外形を持ち,人体に装着され,アクチュエーターや人工筋肉などを使用して人体の動作を補助したり,強化したりする機械のことである。主にSFの世界で用いられ,強化スーツとか,ロボットスーツとか呼ばれていたが,ロボティクスの発達によって現実のものとなってきた。医療福祉介護分野では,パワーアシストスーツと呼ばれることが多い。

パワードスーツの元祖は,ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」であろう(残念なことに映画版では登場しなかったが)。最近のものとしては,「エイリアン2」に登場した「パワーローダー」が記憶に新しい。日本のコミックでは,「アップルシード」に登場する「ランドメイト」が典型である。「ガンダム」や「マジンガーZ」もパワードスーツといえないことはないが,操縦する必要があるという一点において,決定的な差がある。操縦桿を操作しなければ動かないという点で,「ガンダム」や「マジンガーZ」は,むしろ「鉄人28号」に近い。これはインターフェースの問題として,後述することにする。

SFの世界でなく,現実化したパワードスーツとしては,サイバーダイン社の「ロボットスーツHAL」を挙げないわけにはいかないだろう。このほか,松下電器からスピンアウトしたベンチャー,アクティブリンク社のパワーアシストスーツがあるし,海外ではアメリカが軍用パワードスーツの開発に懸命である。

さて,パワードスーツが実用化されるためには,設計上及び運用上,安全面への配慮が重要である。また,万一事故が起きたときの責任分配規準が明確であることが必要となる。事故が起きたとき,想定外の法的責任を負わせられるようでは,企業が開発に尻込みをしてしまうからだ。そこで,法的には,事故が起きたときの責任分配規準,言い換えれば,企業がどの程度配慮すれば法的リスクを最小限に抑えられるか,が問題となる。

この問題に直接答える法律はもちろん存在しない。そこで,事故事例を中心に,規準を考えていくことになる。パワードスーツの事故事例なんてあるのか?と思われようが,近い事例なら結構存在する。(小林)

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2008年3月 9日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(6)~

司法試験合格者数年3000人を日弁連が受け入れた2000年臨時総会の決議文及び提案理由において,日弁連執行部は,「法曹一元」という単語を42回も用いた。しかし,「法曹一元」という言葉の意味は,日弁連総会決議という公式声明の中でも,歴史的に変容していることは,本稿(4)でご紹介したとおりである。それでは,歴史を縦軸と位置づけた場合,横軸はどうか。実は,1997年から2000年に限ってみても,「法曹一元」の理解にはかなりの幅がある。

日弁連が2000218日に行った「法曹一元の実現に向けての提言」によると,法曹一元の制度構造は,「裁判官以外の法曹資格者(主として弁護士)から市民を含む裁判官推薦委員会の推薦を受けた者のみが裁判官となる制度であって,従前の昇給・転勤等の人事制度を廃止する」ものであり,2010年をもって新規判事補の採用を廃止するとする。このようにして選任された裁判官の数は3000名(ちなみに2000 年当時の判事数は1360名)を想定し,これを支える弁護士数を確保する,というものである。これが,20005月における日弁連の公式見解としての「法曹一元」の内容である。この公式見解には,ロースクールへの言及はなく,陪審制・参審制への言及もない。弁護士人口についても増員を言うだけで,数についての言及はない。20001117日に開催された第18回日弁連司法シンポジウムは法曹一元をテーマにしたが,基調報告の内容は,基本的に上記提言に沿ったものとなっている。なお,こうした日弁連の立場を中心になって推進したと思われる小川達雄弁護士(京都弁護士会)は,自由と正義511号「『20世紀の宿題』法曹一元制度の実現へ」(2000)は,日弁連提言と同様の私案を提起しつつ,法曹一元の裁判官3000名を支えるための司法試験合格者数を年1500人とし,2003年からは年40人,2010年からは年140人,2019年からは年100人の弁護士を裁判所に供給することにより,2020年ころまでに全キャリア裁判官は消滅すると推計している。

井垣康弘神戸家庭裁判所判事(当時)は,自由と正義511号「私の構想する『法曹一元制度』」(2000)で,「日本型ロースクールを設け,判事補制度を廃止し,法曹有資格者で裁判官以外の経験を10年以上有する者(主として弁護士)から,任期10年,任地・ポスト固定,報酬同額の条件で,民意の反映するような方法で判事を任用するべきである(あわせて陪審制度・参審制度を導入するべきである)とする立場に「全面的に賛成」であると述べる。ここで,法曹一元とロースクール,あるいは陪審制度との関連が述べられているが,井垣判事の理解するところの「日本型ロースクール」が何を意味するのか,あるいは,法曹一元と陪審制度等との論理的関連は明らかにされていない。

戒能通厚名古屋大学教授は,自由と正義489号「法曹一元と裁判官【司法改革を展望して】」(1997)で,「法曹人口増加や研修期間を短縮する等の司法改革が,『法曹一元』の概念をご都合主義的に歪曲して語られ,独り歩きして,それぞれの主張を裏付け権威づける都合のいい概念として多用されている」として,法曹一元の名の下に修習期間短縮を受け入れようとする立場を批判する。同教授によれば,日弁連が範とするイギリスの法曹一元制度は,バリスタという特権者のギルド集団の中で,「尊敬を勝ち取る」ことによってのみ裁判官への道が開かれる制度が,国民の自由の擁護者として支持されてきたものであり,官僚司法と対峙するものの,民主主義とは相容れない制度であるという。もっとも,イギリスの法曹一元制度自体,急激に変容しつつあることは,教授自身指摘している。

松井康浩もと日弁連事務総長は,自由と正義498号「司法制度の改革と法曹一元制度」(1998)で,我が国は「支配者」と「国民」に二分されており,法曹一元は司法を支配者から国民が奪取する行為であって,法曹一元が実現されれば,「誰が見ても違憲の」自衛隊は違憲となり,日米安保条約も当然破棄されると予想する。法曹一元のための弁護士増は不要であり,法曹養成の費用は専ら国費で賄うべきであると主張する。乱暴に要約すれば,この主張は国費を元手に司法権を通じて日本に革命を起こそうというものである。革命の善し悪しはさておいても,日弁連事務総長の要職にあった人物が,「弁護士が裁判官になれば革命が起こってすべてがうまくいく」という脳天気な議論を本気で行っていることに驚きを禁じ得ない。(小林)

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2008年3月 7日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(番外編1)~

マスコミでは,「第3次法曹一元戦争」の発端と経緯はどのように報道されているだろうか。

筆者の調べた限りでは,マスコミが法曹一元を取り上げたのは,1996年(平成8年)1223日の毎日新聞に掲載されたインタビュー記事で,矢口洪一元最高裁長官が「どう考えても我が国の法曹人口は少なすぎる。最低でも現在の倍の4万人は必要であり,これを実現するため,判事補制度の廃止,司法研修所に代わる法曹養成機関の設立,法曹一元の採用」を明言したことが最初である。翌199769日の毎日新聞では,日弁連「司法改革推進センター」事務局長の宮本康昭弁護士が,同センターの目標として法曹一元を掲げると答え,同年91日の毎日新聞では,翌年の司法シンポジウムに向け,法曹一元に関する弁護士の合宿が非常に盛り上がったと報じている。

このような動きを受け,1997910日の朝日新聞において,遠藤直哉前第二東京弁護士副会長が,司法試験合格者増に伴う研修弁護士制度の導入と,法曹一元制度の採用を提案し,同月6日の日本経済新聞の社説も「研修弁護士制度を法曹一元化の一歩として真剣に検討してみてはどうか」と述べ,同年1027日の朝日新聞社説,毎日新聞社説及び112日の日本経済新聞も,法曹一元への動きを積極的に評価している。

このように,法曹人口問題に関しては日弁連に批判的だったマスコミも,法曹一元論に関しては日弁連の積極的な姿勢を高く評価していたことが窺える。それまで叩かれ続けていた日弁連が,法曹一元論を全面に出せばマスコミを味方に付けられると考えたとしても不思議ではない。

話は飛ぶが,元裁判官の江田五月現参議院議長のホームページに,「日弁連の冒険」と題する,法曹一元に触れたコラムを発見した。論考にはこうある。「日弁連執行部は、司法試験合格者の急増と法科大学院(いわゆるロースクール)制度とで、法曹一元の実現に向けて前進する、と考えているようです。この評価は、私にはとても不思議で、危険なもののように思えます。司法試験の合格者が増えても、裁判官・検察官の人数が増えるとは限りません。仮に増やすとしても、新規採用を増やせばすむことで、キャリア・システムをやめる理由にはなりません。司法試験合格者が増えれば、新規採用も増やしやすいので、かえって都合がよいくらいでしょう。逆に、司法試験の合格者を3倍にするとなれば、その全員の修習費用の面倒をみることに、大蔵省が黙っているでしょうか。裁判官・検察官だけを国費で養成するから弁護士志望者は別途弁護士会で面倒をみろ、ということにでもなったら、法曹一元どころの話ではありません。総じてこのたび、日弁連はお役所のしたたかさを安く見積もりすぎているように見えます。国家権力を相手に、危険な火遊びを始めようとしているように見えます。その結果が(弁護士はともかく)国民にとってよいものになるのならよいのですが。」

このコラムは日弁連が合格者年3000人を受け入れた2000111日の臨時総会の直後に書かれたものであるが,実に的確に決議の問題点を指摘し,法曹一元論(そして弁護士)の末路を予言していたと言えよう。プロの政治家から見れば,日弁連内の熱気は火遊びでしかなかったのだ。

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2008年3月 6日 (木)

三浦和義氏のイケメン弁護人と法曹人口問題

サイパンで逮捕された「ロス疑惑」の三浦和義もと被告にイケメンのバーライン弁護士が選任された。

今回はこのニュースを法曹人口論の視点から見てみたい。

小学館の日本大百科全書によると,サイパン島は面積122平方キロ,人口7万5800人(2001年現在)の小さな島である。面積でいうと小豆島(95平方キロ)より少し大きく,人口は佐渡島(7万2000人)とほぼ同レベルだ。

そこで,佐渡島に何人弁護士がいるか調べてみると,2007年現在2人である。一人は法テラスであるから,法テラスが設置される前は坂田弁護士お一人の,いわゆる弁護士ゼロワン地区であったと思われる。

一方サイパンには何人の弁護士がいるのだろう。まさか件のイケメン弁護士一人ではあるまい。「サイパンきっての敏腕弁護士」とか言って,実は1人しかいなかった,というのなら笑い話だ。

本年3月3日の読売新聞社説氏をはじめ,法曹人口論に弁護士過疎問題を指摘する人からすれば,サイパン程度の小さな島に,相当数の弁護士がいるという事実は,増員論にブレーキを掛けようとする日弁連や法務省(鳩山法務大臣ら)に対する反論の材料に使える,と考えるかもしれない。

しかし,少し待ってほしい。例えば,サンスポドットコムの記事によれば,バーライン弁護士(43歳)は,「サイパンでは著名な事件を数多く担当し,多くの日本人の弁護を手がけたほか,外国人の刑事事件,労働事件,富豪の遺産相続事件などで手腕を発揮した。現地ではスポーツマンとして知られ,サッカーやラグビーではサイパン代表としてプレーしたほか,ヨットでも地元の大会に出場するなどして楽しんでいるという」とのことである。

バーライン弁護士は筆者とほぼ同年代だが,筆者から見て,とってもうらやましい弁護士である。事件の質量と,生活の豊かさの両面で,同レベルの日本の弁護士としては考えられない豊かさを享受しているからだ。筆者は,日本で同レベル(仕事面と,生活面の両方)の豊かさを享受している弁護士は,殆どいないと確信する。いるとすれば,親が金持ちか,配偶者が金持ちか,悪人か,副業で大いに稼いでいるかのいずれかであろう。筆者だって,著名な事件を数多く担当して,大いに稼ぎ,ヨットが持てて,スポーツを存分に楽しめる余暇を持てるなら,喜んで佐渡島に行く。しかし日本の現実は,そんなものではない。

このような日本(佐渡島)とアメリカ(サイパン)の違いはどこにあるのか。いろいろな見方が可能である。筆者は回答に到達していないが,少なくとも確実に言えることは,弁護士を増やせば弁護士過疎地域が無くなるという議論の底の浅さである。(小林)

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2008年3月 5日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(5)~

概ね以上のような内容を持つ「法曹一元」という理想であったが,この理想が,かつて2度「死んだ」ことは,年長の弁護士にとっては,日本がかつて戦争で負けたことくらいの常識に属する。

明治31年,植村俊平弁護士が「将来は判事の数を減らして新任の判事は必ず弁護士より採用すること」を唱えたのが,法曹一元論の始まりとされている。

法曹一元論は弁護士会も唱えるところとなって立法活動が開始され,法曹一元化法案が昭和13年,14年,15年にそれぞれ国会に上程され,衆議院で可決されたが,いずれも貴族院で廃案となった。記録によれば,弁護士に限らず,時の法学者や裁判官も,法曹一元の理念を支持していたという。日本経済聯盟(今の経団連のようなものか?)も法曹一元を望む意見書を出した。日本史的には,当時の法曹一元論は大正デモクラシーの一内容と位置づけられるのだと思う。

太平洋戦争により,法曹一元論は一度中断するが,終戦の年である194511月,司法省に司法制度改正審議会が設置され,法曹一元が検討の俎上にのぼったが見送りとなった(法曹一元論一度目の死)。しかし弁護士会は法曹一元論を諦めず,運動を継続した結果,1962年,臨時司法制度調査会(臨司)が法曹一元を重要な検討課題とする。しかし結局,「法曹一元の制度は,これが円滑に実現されるならば,我が国においても一つの望ましい制度である。しかし,この制度が実現されるための基盤となる諸条件は,未だに整備されていない。」と結論づけ,法曹一元論を再び棚上げした(法曹一元論の二度目の死)。これは,弁護士会内で,「法曹一元葬式論」と評価された。(以上,坪井明典毎日新聞論説委員「法曹一元に関する戦前の取り組みから学ぶもの」(自由と正義513号 2000)の要約)

この棚上げにより,法曹一元論は挫折体験として弁護士会に語り継がれることになる。その後法曹一元論は弁護士会の「悲願」となり,総会決議などで折に触れ言及されつつ,実現の時を待っていた。

そして1997年ころ,突如,法曹一元論は復活の産声を上げる。1998年と2000年に開始された司法シンポジウムは連続して(司法シンポジウムは隔年で開催される)法曹一元を主要テーマに取り上げ,「自由と正義」は2000年の1月号で法曹一元の特集号を発行した。法曹一元は各単位会でも議論の対象となり,京都弁護士会が発行した「法曹一元 市民のための司法を目指して」を始め,各地の弁護士会が法曹一元を論じた冊子を発行した。

以上,戦前戦後を通じて3度目の復活をした法曹一元論が,2000年の臨時総会決議に結実したのである。その結果法曹一元は実現することとなったのであろうか。

前述した坪井明典氏は論考の中でこう述べている。「臨司意見書は,弁護士会がしつこく繰り返す法曹一元論に終止符を打つために,お葬式を出したのだ。『一つの理想』という言葉は,お葬式の供花に過ぎない。これでもう,化けて出てこないというつもりだった。(中略)『二度あることは三度ある』ともいう。今回棚上げされれば,今度こそ法曹一元に本当に葬式を出すことになる。二度と化けてでることもできない状況に陥りかねない。」

法曹一元論に,三度目の葬式は出たのだろうか。(小林)

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2008年3月 3日 (月)

次世代ロボット環境構造化プラットフォームについて

ATR(国際電気通信基礎技術研究所)と東芝が,環境情報構造化プラットフォームの実証実験に着手したと報じられた。

これは簡単に言い直すと,部屋とか建物とか,イベント会場とか,といった空間全体を大きなロボットの顔にしてしまう,という考え方だ。

ロボットというと一般市民はアトムのような大きさの人間型ロボットを想像するが,この大きさに,人間の期待する機能や性能を詰め込むのは,現代の技術では到底不可能だし,100年経っても無理かもしれない。何しろ人間が持っている個々のセンサーは細胞一個分の大きさしかないのに,ロボットのセンサーときたら,大きくて,性能が低い。かといって,人間が満足するほどのセンサーを詰め込んだロボットは,顔だけで数メートル四方を超えるだろう。

そこで発想を変えて,必要なセンサーを空間に取り付けてしまう,というのが,「環境情報構造化」の第一段階の考え方である。つまり,部屋などの空間に,カメラやマイク,各種センサーを縦横無尽に取り付けて,中の人間などの情報を集めるのだ。これはユビキタスの考え方と同じである。そうすれば,センサーの大きさや性能の低さに余り悩まないで済む。性能が低ければ,たくさん取り付けたらよいのだから。そして,これらのセンサーが受け取った情報を,部屋の中にいる人間型ロボットに電波で送信すればよい。そうすれば,人間型ロボットは,たくさんのセンサーを積まないで済む。

もっとも,部屋中のセンサーが集めた情報は,それだけでは種々雑多で,それを直接ロボットに送信しても,受信したロボットの方で意味が分からず困ってしまう。これを解析するコンピューターの大きさや費用や消費電力も馬鹿にならない。そこで,部屋中のセンサーが集めた情報は,これらを統合して,標準化し,意味づけをした後で,個々のロボットに送信する必要がある。この「情報→統合→意味づけ」の過程を「構造化」と呼んでいるわけである。ここで「意味づけ」というのは,例えば「子どもが1人で,大きな声を上げながら,部屋の座標Aから座標Bに向かって,時速3.4キロで直進している」といった情報であり,これを受信したロボットが,「迷子誘導モード」になって,その子どもの前に回り込んで話しかける,といった案配である。

プライバシー権との関係で言うと,部屋中にセンサーが張り巡らされるわけであるから,当然,様々なプライバシー情報が取得されることになる。したがって,これらを適切に処理する法的手当が必要になる一方,技術的には,プライバシー情報を適切に切り離していくことにより,法的問題を回避しうることになる。このあたりの法的・技術的な切り分けがうまくいくと,大変面白いことになるのではないかと,密かに期待している。(小林)

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2008年3月 2日 (日)

WEBで知財の質問に答える専門弁護士サービス

NTTラーニングシステムズ株式会社が,「知的財産権問題の早期解決と人件費削減を支援するWebサイト『IPR知財辞典』サービスの提供を開始」すると発表した。例紹介や用語解説のほか、専門弁護士に相談できる機能も設けた。ネット上で簡単に情報を探せるようになるため、企業の法務関連の人件費を節約できるという。個別のケースについて法的な質問があれば、知財に詳しい弁護士にウェブ上で直接何度でも質問し、メールで回答を得ることができる。月額利用料は社員100人未満の企業で5万2500円の基本料に加え社員1人あたり500円など企業の従業員数によって異なる。社員1000人以上の企業では315000円の固定料金となるそうだ。

この報道は,色々な見方が可能だろう。

私のような一般の弁護士から見ると,具体的事例に関する法的質問をWEBで答えるのは,一般的には,非常に難しいし,リスクが伴う仕事だ。でも,知財に限定すれば,WEBで答えられる範囲は限定されているし,リスクも少ないだろう。この手の法的サービスを求める需要は多いのかもしれない。

コストの面から見ると,中小企業なら月額5万円で「知財専門の顧問弁護士」を雇えるというメリットもある。もっとも,上記のとおり,個別具体的な事例になったら,WEBでは無理だろうが。

謳い文句に「企業の法務関連の人件費を節約できる」とあるのは,気になるところだ。法務部門の人件費節約の要求が,すでに経済界に一般的になっているとすれば,すでに余り始めている弁護士の行き先がいよいよ狭くなっていることを意味する。弁護士へのアクセス障害は古くから言われていることだが,このニュースが端的に示すとおり,ITは簡単にアクセス障害を埋めていく。この種のサービスを経済界が求めるなら,弁護士が異論を唱える余地はない。しかし,国の政策で増やされ,結局余った弁護士はどうすればよいのだろう。(小林)

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2008年3月 1日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(4)~

日弁連が,司法試験合格者数年3000人を受け入れた2000年の臨時総会決議の決議文と提案理由の中で,42回という異常な回数に亘り言及した「法曹一元」とは何か。実は,この決議文や決議理由を読んでも,よく理解できない。この決議自体が,法曹一元の定義を,同年5月の定期総会決議に譲っているからだ。そこで,20005月の定期総会決議の決議文を見てみると,日弁連の言う法曹一元とは,次の内容である。

★「市民の司法」を担う裁判官は、人権感覚を身につけ、司法の救済を求める人々とともに裁かれる立場から幅広い経験を積んできた人から選ばれる必要があります。また、市民も参加する民主的選考手続を経た人が任命される制度にするべきです。さらに、昇任・昇給など官僚的な人事制度を伴わないものでなければなりません。このようにして、弱者に優しい心と権力にたじろがない勇気をもった裁判官を実現することが、私たちが求める法曹一元制です。

何を言っているか分かりますか?筆者にはよく分からない。裁判官のキャリアシステムを否定していることは分かるが,では誰が裁判官になるのかについて,この決議文は曖昧である。そこで,1968年の第19回定期総会・司法の民主化促進に関する決議の提案理由と比べてみる。

    司法制度を民主化し、これを真に国民のものとするためには、現行の裁判官任用制度を廃止しまして、多年国民の中にありまして、社会の表裏に通じ生きた社会経験と広い視野を有する弁護士から裁判官を任命する制度を実現することが、唯一の方策であると信ずるのであります。

ここでは,裁判官を弁護士から任命することが法曹一元であると明言している。法曹一元は,本来,弁護士から裁判官を任命することだったのだ。ところが,2000年の決議では,「弁護士から」という言葉が抜け落ち,「民主的手続きを経た人」に代わっている。また,2000年の決議では,官僚的な人事権が否定されている。

この違いを理解することは,法曹一元の概念を理解する上で有益である。法曹一元は,もともと,「世界の狭い職業裁判官より,社会の表裏を知った弁護士が裁判官になる方が民主的で,国民の利益になる」という,牧歌的な発想であった。この牧歌的法曹一元論は,「弁護士が裁判官になることがなぜ民主的なのか」という素朴な疑問に対抗できず,力を失う。その後,冷戦構造の中で,裁判所が左翼的と見なした裁判官の再任を拒否したり,昇級や転勤等で露骨な差別をしたりしたことから,在野性の強い弁護士を裁判官にするとともに,昇級・転勤等の人事権を裁判所から剥奪することこそ,司法の独立を,ひいては国民の人権を守ると考えられるようになる。そして,弁護士の裁判官任官に民主的基礎を与えるため,選任過程の民主化が必要とされたのである。

ところで,法曹一元の制度的根幹となるのが,判事補制の廃止である。裁判官は判事と判事補(裁判官に任官して10年未満の者)とからなるが,判事は通常,判事補から任命されていた。判事補は,裁判所に判事として採用してもらいたいから,どうしても「お上」の顔色を窺うようになり,それが個々の判決に反映することになる。このような理解から日弁連は,判事補から判事を任命する制度(判事補制度)が,官僚司法制度の中核であるとして,その廃止を求め続けてきた。つまり,法曹一元と,判事補制度の廃止は,表裏一体の関係にある。法曹一元の本質は,判事補制度の廃止にある。(小林)

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