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2008年3月25日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(10)~

日弁連は,2000111日の臨時総会決議で,法曹一元という単語を42回も繰り返して用いた。法曹一元は,戦前からの日弁連の悲願であり,すでに2回,潰えている。それが3度目の復活を遂げたのは,どういう経緯からだろうか。

1998年(平成10年)616日,自由民主党司法制度特別調査会は,「21世紀の司法の確かな指針」と題する報告書を発表した。ここには一言だけだが,「かつて臨時司法制度調査会において協議され,未だ基盤整備がなされていないとされた法曹一元の問題(中略)も検討課題と言える。」との一文がある。与党内でこの調査会はその1年前に発足しているから,法曹一元が同調査会で検討対象になったのは,1997年(平成9年)中であろう。いち政党内部とはいえ,与党内で法曹一元が議論の対象になったわけであり,これは日弁連にとって,朗報と受け止められたことは想像に難くない。

次いで,1998年の司法シンポジウムは,法曹一元を主要テーマに掲げた。シンポのテーマはだいたい1年前に決まるから,やはり1997年中に,日弁連としても法曹一元を再々度真剣に検討する必要がある,と考える事情が発生したのだろう。

199828日の日本経済新聞において,元最高裁長官の矢口洪一氏が,現行憲法が予定しているのは法曹一元であり,判事補制度は廃止すべきと発言した。なにしろ元最高裁長官だけでなく,「ミスター司法行政」と呼ばれたえり抜きのエリートであり,その発言は重い。同氏は1998年の9月には日弁連に招かれて法曹一元を求める講演をしている。

自由民主党司法制度特別調査会報告書作成にも関わった佐藤幸治京都大学教授は,「法曹一元 市民のための司法を目指して」(京都弁護士会1998)の中で,「法の支配の実現のためには法曹一元が不可欠」「法曹一元で裁判官の独立性が高まる」「法曹一元と陪審制は一体」「法曹一元をつくるには,大学が法曹専門教育の主たる担い手になるべき」「自民党の司法制度特別調査会の報告書の考え方を突き詰めていけば,法曹一元制に行きつくのではないかと私は理解している」と述べている。佐藤幸治教授の構想する法曹一元制度が,2000年11月1日の日弁連臨時総会決議文の構成と極めて類似していることは注目される。

佐藤幸治教授は,「自由と正義」19991月号においても,中坊公平氏,保岡興治衆議院議員らとの対談でも,上記同様の発言をした。

この佐藤幸治教授が,19997月,司法制度改革審議会の委員長に就任した。しかも,同年69日に成立した司法制度改革審議会設置法には,衆議院法務委員会の附帯決議として「審議会は、その審議に際し、法曹一元(中略)など司法制度をめぐり議論されている重要な問題点について、十分に論議すること。」との一文が付されている。日弁連としては,「これは本当に法曹一元が実現するかもしれない」と思ったとしても不思議ではない。法曹一元論については,理念倒れだとする痛烈な批判があることは前述の通りであるが,法曹一元を政府が決定すれば,あとは何とかなる,と思ったのかもしれない。

いずれにせよ,このような経緯で,法曹一元論は三度目の復活を遂げた。その先に悲劇が待ちかまえていたことは,日弁連にとって青天の霹靂だったかもしれないし,見る人が見れば,当然の結末だったかもしれない。(小林)

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