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2008年3月 7日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(番外編1)~

マスコミでは,「第3次法曹一元戦争」の発端と経緯はどのように報道されているだろうか。

筆者の調べた限りでは,マスコミが法曹一元を取り上げたのは,1996年(平成8年)1223日の毎日新聞に掲載されたインタビュー記事で,矢口洪一元最高裁長官が「どう考えても我が国の法曹人口は少なすぎる。最低でも現在の倍の4万人は必要であり,これを実現するため,判事補制度の廃止,司法研修所に代わる法曹養成機関の設立,法曹一元の採用」を明言したことが最初である。翌199769日の毎日新聞では,日弁連「司法改革推進センター」事務局長の宮本康昭弁護士が,同センターの目標として法曹一元を掲げると答え,同年91日の毎日新聞では,翌年の司法シンポジウムに向け,法曹一元に関する弁護士の合宿が非常に盛り上がったと報じている。

このような動きを受け,1997910日の朝日新聞において,遠藤直哉前第二東京弁護士副会長が,司法試験合格者増に伴う研修弁護士制度の導入と,法曹一元制度の採用を提案し,同月6日の日本経済新聞の社説も「研修弁護士制度を法曹一元化の一歩として真剣に検討してみてはどうか」と述べ,同年1027日の朝日新聞社説,毎日新聞社説及び112日の日本経済新聞も,法曹一元への動きを積極的に評価している。

このように,法曹人口問題に関しては日弁連に批判的だったマスコミも,法曹一元論に関しては日弁連の積極的な姿勢を高く評価していたことが窺える。それまで叩かれ続けていた日弁連が,法曹一元論を全面に出せばマスコミを味方に付けられると考えたとしても不思議ではない。

話は飛ぶが,元裁判官の江田五月現参議院議長のホームページに,「日弁連の冒険」と題する,法曹一元に触れたコラムを発見した。論考にはこうある。「日弁連執行部は、司法試験合格者の急増と法科大学院(いわゆるロースクール)制度とで、法曹一元の実現に向けて前進する、と考えているようです。この評価は、私にはとても不思議で、危険なもののように思えます。司法試験の合格者が増えても、裁判官・検察官の人数が増えるとは限りません。仮に増やすとしても、新規採用を増やせばすむことで、キャリア・システムをやめる理由にはなりません。司法試験合格者が増えれば、新規採用も増やしやすいので、かえって都合がよいくらいでしょう。逆に、司法試験の合格者を3倍にするとなれば、その全員の修習費用の面倒をみることに、大蔵省が黙っているでしょうか。裁判官・検察官だけを国費で養成するから弁護士志望者は別途弁護士会で面倒をみろ、ということにでもなったら、法曹一元どころの話ではありません。総じてこのたび、日弁連はお役所のしたたかさを安く見積もりすぎているように見えます。国家権力を相手に、危険な火遊びを始めようとしているように見えます。その結果が(弁護士はともかく)国民にとってよいものになるのならよいのですが。」

このコラムは日弁連が合格者年3000人を受け入れた2000111日の臨時総会の直後に書かれたものであるが,実に的確に決議の問題点を指摘し,法曹一元論(そして弁護士)の末路を予言していたと言えよう。プロの政治家から見れば,日弁連内の熱気は火遊びでしかなかったのだ。

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