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2008年3月21日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(9)~

日弁連は2000年の臨時総会決議により,法曹人口の大幅増員(司法試験合格者年3000人)を受け入れた。決議文と提案理由によれば,日弁連がこのような大幅増員を受け入れたのは,ひとえに「法曹一元」の実現のためであり,このことは,決議文と提案理由に「法曹一元」という単語が42回も繰り返し用いられていることに,象徴的に示されている。

しかし,法曹一元実現のために3000人を受け入れたという日弁連の論理は,筆者には大変胡散臭く思える。その最大の理由は,それほどまでして目標に掲げた法曹一元の理想が,2000年の決議の後,あっという間に小さくなってしまったからだ。2000年の臨時総会決議の後2007年の総会決議まで,「法曹一元」に日弁連が言及したのはたったの7回である。2000年の臨時総会では1回の決議で42回言及された「法曹一元」という単語が,その後7年間全部合わせても7回しか言及されていない。日弁連は,法曹一元の理想を忘れたのだろうか。それとも,すでに法曹一元は実現したとして,満足してしまったのだろうか。非常勤裁判官の採用,弁護士任官や判弁交流は,裁判官全体の数から見れば,細々と行われているに過ぎない。「弁護士も増えたが,裁判官も相当増えた」と言う暢気な弁護士もいるが,職業裁判官を増やしたら,法曹一元が遠のくばかりではないか。2010年に判事補制度を廃止するという計画はどうなったのだろうか。日弁連が本気で法曹一元の実現を目指し,そのために大幅増員を受け入れたのなら,その後遅々として法曹一元が進展しないことに対して,抗議の声を上げてしかるべきである。しかし,筆者の知る限り,日弁連がそのような抗議を行ったことを示す資料はない。

では,日弁連は2000年の臨時総会決議当時,初めから,法曹一元を実現する気がなかったのであろうか。「法曹一元」はただの建前であり,反対派を懐柔するための便法に過ぎなかったのだろうか。

筆者にはそうとも思われない。主なものを挙げるだけでも,1998年と2000年の司法シンポジウムは,法曹一元を主要テーマに掲げている。また,2000年の「自由と正義」511号は,法曹一元の特集号である。地方単位会も,京都弁護士会が発行した「法曹一元 市民のための司法を目指して」(1998)ほか,少なからぬ単位会が,法曹一元をテーマにした本や小冊子を発行している。いうまでもなく,このようなイベントや出版は,相当数の弁護士が,仕事と収入と睡眠時間を犠牲にして奮闘しなければ実現しない。こういった多数の弁護士の努力が,弁護士大幅増員を受け入れる便法・建前と割り切ってなされたとは考えられない。資料を見る限り,確かに2000年までは,法曹一元制度を実現させようという熱気が,日弁連内に存在していたようである。

2000年当時,日弁連は本気で法曹一元を実現させようと考えており,その基盤整備として法曹人口の大幅総員を受け入れたとするならば,なぜその後,法曹一元実現の熱意を急速に失ったのだろう。(小林)

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