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2008年4月30日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(5)

1997年(平成9年)1028日,日弁連は,翌年からの司法試験合格者数年1000人,その後1500人の検討を開始することを認めた。これは,法務省・最高裁の意見をほぼ丸飲みした形であり,当時の政府見解に照らしても,人数としては上限を打った形になっている。そのためか,1997年末の日弁連執行部は,当面の戦場を「1000人と1500人の間」と見定めていた節がある。岩井重一弁護士は,「自由と正義」19981月号「司法試験・法曹養成制度改革の経緯と概要」で,「2003年に三者協が再開されるまで手を拱いていることは決して許されるものではなく」と述べ,1500人を巡る攻防が2003年に開始されると予想している。現実には「20031500人」どころか,「20003000人」なのだから,この予想は大ハズレだが,当時,「三者協議に関する合同会議事務局長」という最前線にあった岩井重一弁護士にしてこの程度であるから,あとは推して知るべしであろう。しかし,その時すでに,政府与党内では,「数千人」を念頭に置いた制度設計が始まろうとしていた。

ここで,当時,日弁連がどのような戦術を用いて法曹人口増員論に抵抗してきたかを見てみよう。

1994年ころ,日弁連が法曹人口大幅増に反対する理由の第1は,「弁護士の経済的独立性の確保」であった。たとえば,日弁連法曹養成問題委員会が作成した「法曹人口問題に関する意見書」(199412月号)は,弁護士増員の可否について,「弁護士の使命を果たすための会務活動はもとより,プロボノと言われる活動など対価の伴わない弁護士の公益的な活動は,客観的には弁護士のその他の職務で生計を維持することによって初めて成り立っている」から,「競争によって淘汰される弁護士が質の悪い弁護士とは限らず,会務や再審事件等の人権擁護活動にエネルギーを注ぐ弁護士が淘汰される危険さえある」とある。要するに,法曹人口が増えて弁護士間の競争が激化すると,弁護士の経済的余裕が無くなり,人権擁護と社会正義の実現(弁護士法1条)という弁護士の使命が実現できなくなる,という主張だ。

しかし,この主張は,マスコミから猛烈な反発をうける。たとえば,若林誠一NHK解説委員がこう言っている。「(日弁連の臨時総会を傍聴して)一番びっくりしましたのは,法曹人口をふやすということになると日本人の人権が守れないといった議論が行われたこと(です)。それは,人口をふやすと競争がふえる。そうすると,弁護士さんが,人権擁護活動といった銭にならない仕事をしなくなって,金もうけばかりに走ってしまうから,したがって日本人の人権が守れなくなるのだ,こういった議論が堂々と行われたりしたわけですね。そのときに私も,あるいは私と同じような立場にいます新聞社の論説委員などが口をそろえて言ったのは,そんな人権だったら守ってほしくない,こういうことだったわけです。そういった思い上がった議論が行われているというようなことが確かに法曹三者の中であるというのが率直な印象であります。」

この発言は1998年(平成10年),衆議院法務委員会における参考人としての供述であって,いつの臨時総会を傍聴した際の出来事なのか不明だが,文脈上,法曹人口が問題となった日弁連臨時総会(19941997年)を指すと思われる。また,自由と正義199412月号の土屋公献日弁連会長(当時)の巻頭言に,「特権意識によってしか護れない人権ならば護って貰わなくとも結構と反発する論説委員も現に存在しています。」との下りがあり,若林氏の供述とも一致することから,若林氏が「びっくりした」という日弁連臨時総会は,1994年のものである可能性が高い。

経済的余裕が無くなれば人権活動ができなくなる,というのは,正直言って,筆者の本音でもあるが,それが,マスコミから「思い上がり」「そんな人権だったら護ってもらわなくて結構」という反応を呼ぶというのは,我々弁護士として,肝に銘じなければならないことだろう。

19941221日の日弁連臨時総会決議の後,日弁連に浴びせられたものすごいバッシングの中には,「弁護士は思い上がるな!」という声が多く含まれていたと思われる。

そこで,日弁連が法曹人口増大に反対する理由として,経済的基盤論に代わって登場するのが,「法曹としての質の維持」論であった。(小林)

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PRIVATE CONVERSATIONとは密談か?

平成20430日の各紙報道によると,砂川事件の最高裁判所判決(1959年)の前に,当時の駐日米大使と田中耕太郎最高裁判所長官が「密談」していたことを示す文書が米国国立公文書館で見つかった。発見者で国際問題研究者の新原昭治氏は,「内政干渉であり,三権分立を侵すものだ」と話しているという。

砂川事件とは,法学部の学生なら「統治行為論」として必ず勉強する有名な事件である。立川米軍基地拡張反対デモ隊の一部が,基地内に数m立ち入ったとして住居侵入罪に問われた裁判で,一審の東京地裁は旧安保条約が違憲であると判断した。これに対して最高裁判所大法廷は,日米安保条約のような高度な政治性のある条約が憲法に違反するか否かの判断は,原則として司法判断になじまず,一見極めて明白に憲法違反でない限り,裁判所の司法審査権の範囲外であると判断した。今回見つかった文書は,この最高裁判所判決の前に,駐日米大使と最高裁長官との間に「密談」があったとするものである。

しかしちょっと待ってほしい。毎日新聞にはこの文書の原文が掲載されているが,この原文によると,「密談」に該当する英文は"SECRET CONVERSATION"ではなく,”PRIVATE CONVERSATION”である。直訳すれば,せいぜい「私的な会話」,もしくは「非公式な意見交換」であろう。直ちには「密談」にはならない。もしかしたら,「米国政府内文書に,”PRIVATE CONVERSATION”とあれば『密談』を意味する」というお約束があるのかもしれないが,それなら,そう書いてもらわないと困る。それに,会話の内容は「最高裁大法廷の判断までに少なくとも数ヶ月かかる」というごく一般的かつ抽象的なものであり,最高裁長官でなくても答えられるレベルのものである。毎日新聞によると,奥平康弘東大名誉教授は「話の内容が何であれ批判されるべきことだ」とコメントしたそうだが,最高裁長官たるもの,駐日米大使とこの程度の会話をしてもいけないのだろうか。

筆者は密談の存在自体を否定するつもりはない。それもあり得る話だと思う。しかし,”PRIVATE CONVERSATION”だけで「密談」と決めつけるのは短絡的すぎる。例えば,最高裁長官を米大使館に呼びつけて会話したなら確かに大問題だし,最高裁長官に直接電話をかけて聞いたのでも問題であろう。しかし例えば,何かのパーティでワイングラスを片手にこの程度の会話を交わすなら特に問題はないと思う。逆に,裁判係属中だからと言って一切の会話を拒否するのも,一国の最高裁長官の取るべき態度としては大人げないと思う。つまり,大事なのは”PRIVATE CONVERSATION”かどうかではなく,そのシチュエーションなのだ。新原昭治氏は,せっかく昭和史上の大発見のすぐ近くにいる(のかもしれない)のだから,もう少し慎重に調査して発表すべきだったのではないか。”PRIVATE CONVERSATION”程度で「密談」と大騒ぎするのでは,勇み足との誹りを免れないだろうし,共産党の政治宣伝と勘ぐられてもやむをえないだろう。(小林)

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2008年4月28日 (月)

電子監視について

韓国の憲法制定60周年を記念する「法律の日」では,性犯罪者の足首に装着し、全地球測位システム(GPS)によってその行動を監視する「電子足輪」の装着実験が行われたとのことである。参加者たちは「軽い」(電子足輪の重さは150グラム)、「不思議だ」(電子足輪を外して1メートル以上離れれば警報音が鳴る)といった感想を連発した。法務部の関係者は電子足輪の効果について、「米ニュージャージー州で性犯罪者225人に着用させたところ、再犯者は一人だけとなった」と説明した(以上,朝鮮日報より)。

このシステムを,日本では「電子監視」という。電子監視は,欧米では導入が進んでいる。仮釈放中のパリス・ヒルトン嬢はGPS付き足輪をつけさせられたそうだし,「ディスタービア」という映画では,自宅謹慎処分を受け,電子監視によって自宅から一歩も出られなくなった高校生が主人公である。

日本では,法務省が,仮釈放中の受刑者に対する電子監視の実施を検討中だ。また,性犯罪者等の再犯を予防するために,一定の前科者については,電子監視を実施するべし,という意見もある。たとえば,平成1937日の参議院予算委員会で,自由民主党の坂本由紀子議員が電子監視導入賛成の立場から質問を行ったのに対して,長瀬法務大臣は,「プライバシー等を制約する度合いが高いし,かえって社会復帰を阻害するのではないか,などの慎重意見が多い」としながらも,「諸外国の例も参考にしながら引き続き慎重に検討してまいりたい」と答弁した。

法律的には,仮釈放中の電子監視と,受刑後の電子監視は全く意味が異なる。仮釈放中の受刑者は,本来「塀の中」に入れられても文句が言えないわけだから,自宅に帰される代わりに電子監視を受けても,人権侵害とはいえない。生活や更生をサポートする身寄りがいるなら,社会復帰の手助けになるかもしれない。これに対して,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視は,一般市民と平等に保障されている自由を,特定犯罪の前科がある,という理由で制限するのだから,憲法が保障する基本的人権の侵害や平等原則の違反にならないか,という問題が発生する。これに対して,性犯罪者の再犯を防止し,子どもや女性の安全を重視する立場からは,受刑後の再犯防止を目的とする電子監視の導入が要求されているわけだ。

電子監視は,犯罪者の監視だけが目的となるわけではない。例えば,痴呆老人の徘徊防止策としても,検討に値する。もっとも,痴呆老人の中には,足輪や腕輪を掻きむしって取り外そうとする人もいるから,そういう人に対しては,発信器の体内埋め込みも検討されるだろう。「電子首輪」であると,単純に反対する意見もあろう。しかし,「電子首輪」でも,現実に首輪をされたり足かせをされている介護老人を救えるかもしれないのだ。また,電子監視は,子どもの安心安全システムや,従業員の行動監視のためにも用いられるかもしれない。

いうまでもなく,これらのシステムを導入するためには,プライバシー権をはじめとする権利との調整が不可欠である。そして,プライバシー権をどのレベルで保証するかという判断規準は,各国それぞれ相当違う。だから,法務大臣には,諸外国の制度を検討することも必要だが,我が国の人権感覚も検討していただく必要がある。

余談になるが,冒頭に紹介した韓国の「法律の日」の記念式典では,「歌手のユン・ヒョンジュが『守れば守るほど気分爽快』という、法令遵守のテーマソングを発表した」そうだ。プライバシー権の感覚もそうだが,このようなテーマソングを堂々と発表するあたり,お隣の国なのに,感覚が相当違うと実感させられる。(小林)

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2008年4月26日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(4)

19971028日,法曹三者協議会は,翌年からの司法試験合格者年1000人,将来1500人への増加を検討すると決定する。そのわずか2週間後,自由民主党司法制度特別調査会はロースクール制度導入の検討を含む「司法制度改革の基本方針」を発表した。このとき,自由民主党司法制度特別調査会の意図はどこにあったのか。合格者数年1500人までを前提とした検討を意図したのか,それとも,さらなる大幅増員を意図していたのだろうか。

当時の公式資料を見る限り,1500人を超える目標を掲げているものは見られない。政府の規制緩和推進政策も,司法試験合格者年1500人を掲げており,法曹三者協議会の結論は,その上限を打った形だ。公的機関が1500人を超える増員を打ち出すのは,1998年(平成10年)1223日,小渕恵三内閣総理大臣下で発足した経済戦略会議が中間答申として司法試験合格者2000人を提言するまで待たなければならない。つまり,199712月までは,公式見解としては1500名が上限であった。

199711月に公表された自由民主党司法制度特別調査会の「司法制度改革の基本方針」も,法曹人口の大幅増員を掲げるものの,何人にするとは言っていない。しかし,政権与党の国会議員があえて検討課題として掲げる以上,他機関の決定に追随するのではなく,それを超える意図があると考える方が自然であろう。そして,この意図は1998年に胎動を始める。

しかし,1997年末の日弁連執行部は,同年10月の臨時総会で,当面1000人,将来の1500人と決議したことで,気が抜けてしまっていたようである。自由と正義19983月号(脱稿は199711月ころ)でも,鬼追明夫日弁連会長は,「(当面,司法制度改革協議会の中期目標である司法試験合格者)年1500名という方向をにらみながら」と,暢気なことを言っている。

実際には,このとき,3000人に向けた大きなうねりが始まっていた。(小林)

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2008年4月24日 (木)

世界一安全な国を作る8つの宣言

平成20418日,自由民主党は「地域の絆を再生し,世界一安全な国へ~世界一安全な国を作る8つの宣言~を発表した。

この宣言によると,わが国の刑法犯認知件数は一時より低くなったとはいえ,いまだ昭和の安定期の1.4倍近くであり,国民の体感治安が依然として悪いことから,治安を維持する必要性は大きいとして,「地域の絆」再生をはじめとする8つの施策を提言している。

その中で,防犯カメラに関連する部分は,次の2点だ。

まず,「宣言1 防犯ボランティアを支援し,世界一安全な地域社会をつくります。」の中で,「街頭防犯カメラの設置拡充などを通じた犯罪に強いまちづくりの推進」として,街頭防犯カメラを整備促進する助成措置,個人住宅に対する防犯カメラ設置への助成,「個人のプライバシーにも配慮しつつ,防犯カメラの整備が図られるように,防犯カメラの設置・運用の在り方について検討する」とされている点だ。

次に,「宣言8 治安関係人員・予算を確保し,世界一安全な国を守ります。」の中で,「犯罪の痕跡の確実な記録による追跡可能性の確保」を挙げ,「ATM,コンビニエンスストア等に設置される防犯カメラ画像等における犯罪の痕跡を適切かつ確実に必要な期間保存し,捜査に活用できるように,個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消を含め,電気通信事業者,金融機関等の適切な協力を確保するための取組を推進する」「自動車ナンバー自動読取システムを拡充する」とある点である。

すでに何回か指摘したとおり,防犯カメラシステムは相互不信の象徴であり,「地域の絆」とは基本的に相容れないものである。また,「プライバシーにも配慮しつつ」とあることと,「個人情報の保護を理由とする捜査への非協力の解消」とあることが,どう関係するかもよく分からない。このように,この自由民主党の提言は,あまり作り込まれていないという印象を受ける。

しかし,この提言の出来がどうであれ,街頭防犯カメラ設置の動きは拡大し続けるであろうし,犯罪捜査に対する防犯カメラシステムの寄与は高まるであろう。これは他方で,国民のプライバシー権や行動の自由に対する脅威が増すことを意味する。これを守るためには,街頭防犯カメラの設置を一定の条件の下で認めるガイドラインの策定が必要だろう。現在日弁連が策定しようとしているような,原則違法となるような厳しすぎるガイドラインでは,結果として,野放図な防犯カメラの蔓延を認めることになると思う。(小林)

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2008年4月22日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(3)

法科大学院構想は,1997年(平成9年)1111日に産声を上げた。そのきっかけはどこにあったのだろう。

話は1988年(昭和63年)まで遡る。日本最難関といわれた司法試験は,合格者の高齢化と,裁判官・検察官志望者不足という問題点を抱えていた。同年,法務省と最高裁は,いわゆる丙案(3割程度の若年受験者にゲタを履かせて優遇する案)を支持する。これに対して日弁連は,司法修習の理念である公平性と平等性に反するとして強硬に反対し,対案として1990年(平成2年),合格者年700人の単純増員を提案する。この対立は1990年(平成4年)1016日,1992年から5年間,年700人の単純増員を実施し,若年合格者の合格状況などを見た後,一定の条件が満たされなければ丙案を導入するという妥協が成立する。しかしこの条件が満たされる可能性は低く,丙案実施は不可避と予想されていた。

一方,法曹三者間の上記「コップの中の戦争」は,コップ外の政府や財界などから規制改革問題と認識され,先進諸国に比べ圧倒的に少ないとされる法曹人口の大幅増員が主張される。そのため日弁連は,丙案を巡る法務省・最高裁との攻防と,法曹人口大幅増員を主張する政府財界との攻防の二正面作戦を余儀なくされる。

日弁連は1994年(平成6年)1221日,丙案回避とともに,司法試験合格者数を,今後5年間年800人を限度にする,と決議するが,この決議は弁護士会の業界エゴだとする猛烈な批判を浴び,翌1995年(平成7年)112日,前年の決議を撤回して,1999年(平成11年)以降の合格者数1000人容認,修習期間2年間堅持,丙案回避の基本方針を決定する。しかし決定の十日後,司法改革協議会は司法試験合格者数1500人を多数意見として採用し,日弁連の主張は少数意見に留まった。しかも,19951211日,司法試験管理委員会は丙案実施を決定する。(以上 岩井重一「司法試験・法曹養成制度改革の経緯と概要」(自由と正義491号))

その後の法曹三者協議の結果を受け,19971015日,日弁連は1998年から合格者を年1000人,修習期間の16ヶ月への短縮を認めるとともに,将来の司法試験合格者数を年1500人とすることも事実上容認すると,執行部方針を変更し,1028日,法曹三者協議会でも,合格者1000人,修習期間16ヶ月が決定される。

このように,法曹人口論における日弁連は,1990年以降,700人→800人→1000人→1500人と,ずるずると後退していった。日弁連は,法務省や最高裁に比べて極端に意思決定が遅く,三者協議の場から日弁連に持ち帰って検討を重ね,会内合意を得るころには後手に回ることを繰り返した(この経緯は,自由と正義19993月号「法曹養成制度改革座談会」に詳しい。)そして,当面年合格者数1000人,数年後の1500人も見通しに入れるという形で,19971028日に一応の決着を見たのである。

ところで,先に述べたとおり,自由民主党の司法制度特別調査会がロースクール構想の検討を含む「司法制度改革の基本方針」を発表した19971111日は,法曹三者協議会が修習期間短縮と司法試験合格者数年1000人(と将来の1500人)を決定した1028日の僅か二週間後である。つまり,「司法制度改革の基本方針」は法曹三者協議会の1028日の決定を受けて策定されたのである。

ロースクール構想が誕生したきっかけは,その2週間前に法曹三者協議会が行った司法試験合格者数年1000人と将来の1500人,という決定にあったのだ。(小林)

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2008年4月21日 (月)

上履きにICチップ

毎日新聞の記事によると,大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校で,自動の上履きに入れたICチップで自動の居場所を探知する実証実験を開始したとのことである。池田小学校といえば,8人の児童が殺害された悲惨な事件があった小学校であるが,この小学校が再び事件や災害に見舞われた場合,どこに児童がいるかを迅速に把握し,避難誘導させるのが狙いということのようだ。なるほどそういうアイデアもあるのだなあ,という気もするが,例えば避難訓練を徹底して行うこと以上に,上履きにICチップを入れて児童の居場所を探知するメリットがあるのか無いのかは,よく分からない。また,このような用途にICチップを用いるのであれば,一つでも探知漏れがあってはいけないことになるが,ここまでの精度を確保するのは技術的に至難の業ではないか,と思う。まあ,このあたりを確認するための実証実験なのだろうが。

おそらく上履きに仕込まれるICチップは自ら電源を持たないパッシブタグなのだろうが,これでは電波が微弱で感知精度が上げられないという問題がある。素人のアイデアだが,どうせ上履きに仕込むのなら,児童が履いて歩くたびに発電するアクティブタグを開発してはどうだろう。そうすれば電波の微弱性という問題は解決できるのではないか。

もちろん,法律家の視点で見ると,児童の居場所を逐一把握するシステムってどうなのだろう,という気もするが,それは,それなりに精度が上がった上でのお話しになると思うので,当面はこの実証実験の行方に注目したい。(小林)

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2008年4月20日 (日)

公道のビデオ撮影「必要な範囲ならば適法」

強盗殺人事件の容疑者と,事件後ATMの防犯カメラに写った人物との同一性を確認するなどの目的で,この容疑者を公道上でビデオ撮影したり,パチンコ店の防犯カメラや警察官の携行するカメラで撮影したりした警察の行為について,平成20415日,これを適法とする最高裁判所の判決がだされた,という新聞報道があった。

一般の読者は,何を当たり前な,と思い,報道価値を疑うかもしれないが,この判決が報道されたのには,それなりの理由がある。

この容疑者の弁護人が引用した最高裁判所大法廷昭和44年12月24日判決(京都府学連デモ事件)は,大学で憲法を学んだ学生なら必ず触れる有名な判決である。この判決は,許可ルートをはずれて行進を始めたデモの隊列を写真撮影した警察官の行為について,「何人も,その承諾なしに,みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有し,警察官が,正当な理由もないのに,個人の容ぼう等を撮影することは,憲法一三条の趣旨に反し許されない。」ものの,「現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて,証拠保全の必要性および緊急性があり,その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときは,撮影される本人の同意がなく,また裁判官の令状がなくても,憲法一三条,三五条に違反しない。」という判断を行った。弁護人は,この判決に基づき,「現に犯罪が行われたわけでも,その直後でもないのに,犯罪の被疑者であるという理由でビデオ撮影することは,この判例の規準に反し,許されない」と主張したわけである。

この主張に対して判決は,昭和44年の最高裁大法廷判決は,「警察官による人の容ぼう等の撮影が,現に犯罪が行われまたは行われた後間がないと認められる場合のほかはゆるされないという趣旨まで判示したものではない」として,弁護人の主張をあっさりと退けた。

この部分は確かに判決の言うとおりであろう。昭和44年の最高裁大法廷判決は,「○○の場合には,適法」と判断しているだけで,「○○以外の場合は違法」とか,「○○の場合に限り適法」とか判断しているわけではない。しかし,だからと言って,この大法廷判決が,公道において許される写真撮影の範囲について,何の影響力もないかといえば,そんなことはない。では,どの範囲に,この大法廷判決の影響力は及ぶのか。この問題を,法律家はしばしば「判例の射程距離」という業界用語を使って論じる。

今回の最高裁判決も,直接的には昭和44年の最高裁大法廷判決の問題ではないとしつつ,それでは余りに素っ気ないと考えたのか,本件ビデオ撮影の適法性如何について,一定の判断を行っている。

それはすなわち,①被撮影者が犯人と疑われる合理的な理由が存在し,かつ,その被撮影者を特定する必要があり,しかも,その目的に必要な限度における撮影であること,②公道やパチンコ店は,「通常,人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所」であること,の2点に照らし,問題となったビデオ撮影は,捜査活動のため適法なものであるとした。

この判断のうち,①については異論はない。しかし,②については,やや説明が弱いと思う。なぜなら,「見て観察する」ことと,「撮影して記録する」こととは,プライバシー権侵害の程度に重大な差異があるからだ。だから,「他人に見られても仕方ない場所です」と言っても,「他人に撮影されても仕方ない場所です」とは言えないし,まして,あらかじめ設置された防犯カメラならまだしも,警察官の携行する隠しカメラによって撮影されることが「仕方ない」とはいえない。

また,今回問題となった捜査手法は,現在普通に用いられていると思われるが,近い将来,容疑者を探し出すために,駅や幹線道路に警察がビデオカメラを設置し,通行人を洗いざらい撮影する,という捜査手法が用いられることになる。このとき,今回の判決の規準が意義を持ちうるのか。すなわち,不当な捜査の行き過ぎを抑制する効果を持ちうるのか,という問いかけに対しても,この判決は弱いと思う。本件において,問題となったビデオ撮影が結論として適法になることについて異論はないが,もう少し突き詰めた理由を示してほしかったと思う。(小林)

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2008年4月18日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(2)

1997年(平成9年)1111日,自由民主党司法制度特別調査会(会長 保岡興治衆議院議員)が策定した「司法制度改革の基本方針」中,「法曹養成のあり方」の中に,「ロースクール方式の導入など,法曹人口の大幅増加に対応する法曹養成のあり方について検討する」と記載され,法科大学院構想の正式な検討が開始された。

1998616日,半年の検討を経た自由民主党司法制度特別調査会は,「21紀の司法の確かな指針」と題する報告書を公表し,この中で,米国ロースクール方式の導入を検討対象としている。

19981026日,文部科学省の大学審議会は,自由民主党の提言を受け,「今後,法曹養成のための専門教育の課程を修了した者に法曹への道が円滑に開ける仕組み(例えばロースクール構想など)について広く関係者の間で検討していく必要がある。」と述べた。ちなみに,同年6月の中間答申にロースクールという文字はないが,同月6日の熊本日日新聞は,大学審議会大学院部会がロースクールの設置を検討したと報じている。このことから,文科省大学審議会の内部では,自由民主党内部での検討と平行して,19985月ころまでに,ロースクールの設置が検討されはじめたことが分かる。

1999年(平成11年)311日,大学審議会の答申を受け,文科省「法学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」が発足した。この会議は,2000年(平成12年)317日まで,10回の会議を重ね,法曹養成に関する国内外の情報や議論を集約する作業を行った。

1999年(平成11年)727日,司法制度改革審議会が発足する。この審議会は13人の委員中5人を学者が占め,後に法科大学院協会理事長となる佐藤幸治教授を委員長とするものであり,発足当初から,法科大学院構想の実現を意図するものだった。

1999920日,東京大学が日本型ロースクールの創設を提案したのを皮切りに,116日に一橋大学,2000123日に早稲田大学,311日に中央大学,以下多数の大学が,独自のロースクール構想を発表する。

2000年(平成12年)530日,文科省の「法学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」は,「法科大学院(仮称)構想に関する会議」へと発展して発足した。そして,200087日,同会議は司法制度改革審議会において,「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議における議論の整理」と題したプレゼンテーションを行う。翌8日,司法試験合格者数年3000人が,事実上決定されるのである。

一つの制度が発想されてから実現される過程として,法科大学院構想の誕生から現実化までの道のりは,実に見事というほかはない。199711月の与党内での検討開始から,文科省,各大学での検討を経て,司法制度改革審議会で事実上のGOサインが出るまで,とてもスムースで,全く滞留がない。

このとき,日弁連は何をしていたのだろうか。(小林)

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2008年4月16日 (水)

au携帯の電池パックで新たに事故2件

報道によると,KDDIは平成20年3月,京セラ製のau携帯電話「W42K」で、電池パックが発熱したり発火する事故が13件発生したとして、電池パックおよそ21万4000個の自主回収と交換を始めていたが,4月,月に入り、神奈川県内で新たに2件、回収対象の電池パックで発熱や発煙する事故が発生していたことがわかりました。うち1件で男性が軽いやけどを負ったということである。

次世代ロボットと安全の問題を考えるとき,リチウムイオン電池の安全性は重要な問題である。特に,ヒトより小さい小型ロボットの多くは,リチウムイオン電池を搭載することになるから,これが発火すると,火災に直結する可能性がある。携帯電話の場合,常にヒトが携行することが普通だから,以上発火しても,ユーザーが気付くか,悪くても軽いやけどで済むが,次世代ロボットの場合,「一人(?)で留守番」することになるので,異常発熱・発火が火災に直結するのだ。

電池の欠陥で火災になったと場合,電池メーカーだけでなく,ロボットメーカーも製造物責任を免れない。また,消費者生活用製品安全法による届出義務がある。このあたり,運用や理解がまだ統一されていない部分があるようだから,注意しておく必要がある。(小林)

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2008年4月14日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(1)

2000111日の日弁連の臨時総会決議は,司法試験合格者数年3000人を事実上受け入れた。しかし,このとき決議されたのは人口問題だけではない。これ以外に,①法曹一元の実現,と②法科大学院設立・運営に対する主体的かつ積極的な関与,を決議している。そして,①の法曹一元に関する日弁連の決議が,理念倒れの無惨な敗北に終わったことはすでに述べた。

そこで本稿では,②の法科大学院に関する決議について,法曹人口の視点から,検証してみたい。

法科大学院とは,法曹養成を目的とした高等教育機関であり,2004年(平成16年)の法整備に基づき発足した。文科省の資料によると,2006年(平成18年)現在,全国74大学に法科大学院が設置され,定員数の合計は5825人である。

当初,司法試験合格率7~8割と想定して構想された法科大学院であったが,司法試験合格者数3000人としてもなお合格率が2~3割と予想されるほどの「乱立」状態となってしまっている。そのため,法科大学院の中には,さらなる合格者増を求める声が強い。これが,今後の法曹人口を論じる上で,重大な問題となっていることは周知の通りだ。

もともと,司法試験合格者を年1000人に増やすのにも大反対していた日弁連の立場からすれば,このような問題をはらんだ法科大学院構想に協力していくと宣言したこと自体,とても奇妙なことに思える。

日弁連は,なぜ,法科大学院構想に積極的に協力していくという道を選択したのだろうか。(小林)

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2008年4月12日 (土)

矢口洪一の陰謀?

1997年(平成9年)まで,日弁連は,司法試験合格者数が年1000人になるのにも必死の抵抗を続けてきた。ところが,同年末,法曹一元を実現しよう,と言われると,掌を返すようにそれまでの抵抗を止め,200011月には司法試験合格者数年3000人を受け入れる。法曹人口の歴史をごく簡単にまとめるとこうなる。「法曹一元」とは,日弁連にとってそれほど魅力のある「人参」だった。このとき,日弁連の鼻先に人参をぶら下げた一人に,矢口洪一氏がいる。

19983月,矢口洪一氏は大阪弁護士会で法曹一元に関する講演を行った。社会の仕組みが事前規制から事後救済へと変わっていき,事後救済機関としての司法の役割が増す中で,裁判所が国民と弁護士から尊敬されるためには,優秀な弁護士が裁判官に就任する法曹一元制度の採用が必要であり,かつ,それは容易であると主張している。これを聞いた弁護士たちは,もと最高裁長官が,戦前から弁護士会の悲願だった法曹一元論を支持する有様を見て,希望に胸を熱くしたことだろう。まさしく「人参馬」状態である。

そして,日弁連は一生懸命法曹一元実現を目指し,「法曹一元を期するため」司法試験合格者数年3000人という弁護士人口の大幅増を受け入れるが,これとほぼ同時に,法曹一元論はあっさりと葬り去られた。

この経緯から,法曹一元論は弁護士会を罠にかける陰謀だったという説が生まれる。筆者はこれには賛同できない。功成り名を遂げた矢口洪一氏が,当時数年しかない余命をかけて日弁連を罠にかける理由が全然ない。

しかし他方,矢口洪一氏が本音を全て語っていたかと言えば,そうとも思われない。なぜなら,上記講演でも,当時の他の文献をみても,矢口洪一氏は,法曹一元実現を阻む最も大きな障害に言及していないからだ。

法曹一元実現を阻む最も大きな障害とは何か。それは,「弁護士に,裁判官になる動機がない」という点である。法曹一元が機能するためには,すなわち,法曹一元制度下での裁判官の判決が説得力を持つためには,その裁判官が衆目の認める優秀な弁護士であったことが必要だ。「でも・しか」で裁判官になられては,法曹一元は実現しない。そして,任官する弁護士の優秀さを制度的に保障するためには,競争の存在が不可欠である。つまり,法曹一元が実現するためには,優秀な弁護士が裁判官就任を「競って志望する」という環境が必要なのである。ではそのような環境が存在するかというと,当時も今もまったく存在しない。筆者は,人格識見の優秀さを衆目の認める弁護士を何人か知っているが,これらの弁護士が,裁判官を志望しているかと言えば,それは全くない。このように,我が国の現在の弁護士業界には,法曹一元を導入するための素地が全く存在しないのである。

したがって,法曹一元を導入するというのであれば,優秀な弁護士に,事務所経営をなげうってでも裁判官に任官したい,と思わせるだけの強力な動機付けを行う必要がある。その動機とは,名誉と収入の両方しかない。すなわち,裁判官の待遇と社会的地位を飛躍的に改善させることが,どうしても必要である。矢口耕一氏にとって法曹一元とは,裁判官が,弁護士にとって,あこがれの職業になることなのだ。これこそ,矢口洪一氏が最も言いたかったことであり,かつ,自らの口から言えなかったことではないのだろうか。

法曹一元論不採用で決着がついた後である2003年(平成15年)920日の読売新聞掲載インタビュー記事で,矢口洪一氏は,次のように述べている。「(1960年ころ)最高裁では弁護士からの裁判官任官を呼びかけたことがあるんです。しかし,残念ながらほとんど来なかったのです。弁護士会には明治のころから『一元だ,一元だ』という声がありましたが,全く来る気もない。問題は,あげて裁判官の報酬に集約されます。これはもう戦後ずっと激しい攻防があったテーマなんです。財政当局も含めましてね。」と。これが「ミスター司法行政」であった矢口洪一氏の本音だったのであろう。三権分立の考え方からすれば,裁判官には国会議員並みの収入と社会的地位,そして老後の生活保障がなされてもおかしくない。もっともこれを矢口洪一氏自らの口から言うとお手盛りになってしまうので,法曹一元論で日弁連を焚きつけて,日弁連が裁判官の待遇改善を主張してくれることに期待した可能性は,十分にあると思う。矢口洪一氏にとって,法曹一元とは,裁判官を法曹三者という「三角形」の頂点に立たせることを意味した,ということになる。意地悪な見方をすれば,法曹一元論実施が結果として頓挫しても,その前提となる裁判官の待遇の飛躍的改善だけ実現すればそれでよい,と考えたかもしれない。

しかし,事態は矢口洪一氏が想定していたとおりには運ばなかった。日弁連は,法曹一元を阻む最大の障害は裁判官に転勤があることであると主張し,他方,裁判官の給与面での待遇改善は要求しなかったからである。これは矢口洪一氏からは,とてもトンチンカンな主張に見えたと思う。弁護士である筆者から見ても,馬鹿げた主張である。弁護士会が本当に,転勤さえなければ弁護士は裁判官を志望する,と考えていたのなら,各単位会の会長は,退任後裁判官になるとでも定めればよい。しかし実際には,そのようなことを定めた弁護士会は一つもなかった。

弁護士会側にも言い分はある。弁護士会から見た「法曹三者」は,横一列の「だんご三兄弟」であって,矢口洪一氏が想定するような,裁判官を頂点とする「三角形」ではなかった。だから,弁護士の待遇をさておいて裁判官の待遇を飛躍的に改善せよ,と日弁連が主張するという発想を持てなかったのだ。しかし,それはさておき,「大人の判断」として,日弁連が裁判官の待遇改善を強硬に要求する,という戦術はあったはずなのだ。つまるところ,日弁連は,矢口洪一氏が想定したほどは,おつむが良くなかった,ということなのだろう。(小林)

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2008年4月 6日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(13)~

以上,法曹一元論という視点から,法曹人口問題を概観してみた。まとめると,こういうことになる。

戦前から日弁連の理想であり悲願であった法曹一元論は,二度葬り去られた後,1997年(平成9年),突然の復活を遂げた。日弁連は熱意を持って法曹一元の実現に取り組み,司法制度改革審議会においてその実現を図る。しかし,法曹一元論はその理論的脆弱さや戦略・戦術の無さなどから,審議会内の合意を全く得られず,20001031日,みたび葬り去られる。それにもかかわらず,その翌日である111日の臨時総会において,日弁連は,「法曹一元」という単語を42回も用い,「法曹一元を期するために,法曹人口の大幅増員を受け入れる」との決議を行った。日弁連は公式には「法曹一元への手がかりは残った」と評価したが,その後,法曹一元への熱意は失われる。つまり,法曹一元論において,日弁連は完敗した。残ったのは,法曹人口大幅増員と,法科大学院制度の導入,そしていくつかの司法改革の施策だけであった。

 もちろん,一般論としては,日弁連が必要ないし重要と考えた制度について,時機を見てその実現にチャレンジすることは意義のあることだし,それが結果的に失敗することもあるだろうし,努力が無駄になったり,失ったりするものもあるだろう。それ自体はやむを得ないことであって,失敗した執行部の責任を必要以上に追求することはよくないと思う。

しかしそうはいっても,法曹一元論に関する日弁連の戦いぶりは,余りにも稚拙であり,その負けぶりは,恥ずかしいほどの惨敗である。日弁連は,「法曹一元」の実現によって何を目指そうとしたのか,どうやって「法曹一元」を目指そうとしたのか,そのためにどんなコストやリスクを覚悟したのか,よく分からない。加えて,最も腹立たしいのは,日弁連が公式には完敗したことを認めていないため,敗北の事実が,会内に共有されていないことだ。だから,未だに折に触れ「法曹一元を実現するためには…」といった定型句を用いる弁護士会のお偉いさんが後を絶たない。日弁連執行部にとって,恥ずかしすぎるほどの負け戦であったことは理解できる。しかし,このままでは,法曹一元論はいつの日か4度目の復活を遂げ,そして4度目の葬式を迎えることになる。動員される弁護士の努力は全て無駄になり,日弁連には「理想倒れの書生。付ける薬のない馬鹿」という評価が下される。

筆者としては,「法曹一元は,日弁連が理想とするほどの価値や内容があったのか?」という疑問を感じずにはいられない。法曹一元には,法曹人口大幅増による犠牲に見合うだけの価値があったのだろうか。少なくとも,その価値があるか否か,という真剣な検討がなされたことがあったのだろうか。日弁連は,法曹一元論復活の兆しに,余りに安直に飛びついたのではないか。むしろ,大幅増員を受け入れるなら,もっと真っ当な対価を求めるべきだったのではないだろうか。一つの決議に42回も繰り返された「法曹一元」という言葉は,人口問題で追いつめられた日弁連の見た幽霊であり,うわごとでははなかったのか,という批判に,日弁連は答えられるのだろうか。(小林)

以上で「日弁連はなぜ負けたのか?~法曹一元とは何だったのか~」を終わります。

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2008年4月 2日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(12)~

司法制度改革審議会において,法曹一元がどのように議論されたかに興味のある方は,是非,同審議会の議事録をお読み頂きたい。集中審議第2日目200088日),3日目89日),第28回829日),第36回1031日)において,法曹一元論は大いに議論されている。議論は,法曹一元論と判事補制度の廃止を強硬に主張する中坊公平員と,これに反対する裁判所代表の藤田耕三委員との激論が中心である。

中坊公平委員は,法曹一元問題について,よく戦ったと思う。判事補制度を廃止しなければ,弁護士会として法曹人口増員に賛成できない,という,脅しとも取れる発言さえしている。しかし最終的には,中坊委員は,委員会の説得に失敗した。その理由は第1に,「法曹一元」という言葉の多義性(あいまいさ)と,東西冷戦時代下のイデオロギー色が嫌われたこと,第2に,「判事補制度には致命的な欠陥がある」と中坊委員がいかに力説しても,判事補から判事になった者に一般的普遍的に欠点があるとは受け取られず(むしろ,多くの調査結果は現在の裁判官に国民の多くが満足していることを示しているとされた),また,弁護士が判事補より判事にふさわしいという理解も信頼も得られなかったこと,当の弁護士自身に任官への熱意が見られなかったこと(弁護士任官の多くは今も昔も,適任者の一本釣りで行われている),等が挙げられよう。結局のところ,法曹一元論について従前から指摘されていた曖昧さや理念倒れ,冷戦時代の遺物,といった批判を克服できなかったため,中坊委員ほどの論客をしても,他の委員を味方につけることができなかったともいえよう。法曹一元論は,未熟で,時代遅れで,理念倒れの議論だった。

結局,審議会での議論は,「現行の判事補制度は,利点もあるが,欠点もある。国民のための司法という観点からすれば,利点は残しつつ,欠点の是正に努めればよい。判事補制度を廃止する必然性までは認められない」という,至極穏当な結論に落ち着いたのである。

審議会の中では,一橋大学名誉教授の竹下守夫副委員長は,法曹一元論反対の論陣を張った。佐藤幸治委員長は,現代裁判所制度の問題点の指摘には積極的であったものの,判事補制度の廃止という法曹一元論の本質については,中立を通したように見える。もともと,法曹一元論,判事補制度の廃止を提唱していた佐藤幸治教授であるが,なぜ,日弁連と共同歩調を取らなかったのであろうか。あるいは,佐藤幸治教授にとって,法曹一元や判事補制度の廃止はあまり重要なことではなかったのだろうか。1997年,自民党や佐藤幸治教授が法曹一元を言い出したのは,日弁連に法曹人口大幅増と法科大学院設立を呑ませるための策略だったのか。筆者に調査する余裕はないが,少なくとも,佐藤幸治委員長が本気で法曹一元・判事補制度廃止を考えていたのか否かについては,司法制度改革審議会終了後における佐藤幸治教授の発言を詳細に追跡すれば,自ら明らかになると思う。

江田五月現参議委員議長は,当時,こう書いている。「日弁連は、法曹一元制度採用、法律扶助制度の大巾な拡充、裁判官・検察官の大巾な増員、などと抱き合わせにしてOKサインを出していたのですが、このへんのところは(案の定)適当にすっぽかされて、『年間3000人』と『法科大学院』だけが一人歩きをする内容になりました。(中略)審議会にここまでいいように「いいとこ取り」をされたのは、日弁連の偉い人たちが、『われわれの主張は正しいのだから審議会でそれが通るはずだ』とばかりに突っ込んでいったからです。大甘もいいところです。『貧弱な戦術手段しかもっていないのに、過大な戦略目標を追求した』のです。孫子は2500年も前に、こういう戦争はやっちゃならんと言っています。曰く、『小敵の堅は大敵の擒なり』と。」

江田五月氏が「つける薬もないような人たち」,要するに「馬鹿」と罵倒した対象に中坊公平氏が含まれることは当然だが,同氏だけでない。1998年から3年がかりで「法曹一元」で大騒ぎをした挙げ句,無惨な敗戦を喫した「日弁連の偉い人たち」は,ちゃんと首を洗ったのだろうか。すくなくとも,資料を見る限り,日弁連や各単位会の「偉い人たち」が完敗を認める記述には接することができない。自虐的にせよ,「法曹一元葬式論」を認めていた昭和30年代の日弁連の方が,よほど健全だったと思う。それどころか,「司法制度改革審議会は,法曹一元という言葉こそ使わなかったが,その理念を反映し…」といった言い訳めいた発言に終始している。しかし,法曹一元の本質は,すでに述べたとおり,判事補制度の廃止である。判事補制度の廃止か,廃止へ向けた道筋が付けられない限り,法曹一元論は敗北したというほかはない。

筆者は以前,3000人問題に関して,「司法制度改革審議会発足の時点で,すでに勝負は決まっていた。中坊公平委員は,戦犯というより敗戦投手というべきである」と書いた。しかし,法曹一元論という切り口で見ると,中坊公平委員は敗戦投手と呼ぶより,「貧弱な戦術手段しか持たないのに,過大な戦略目標を追求した」ドン・キホーテと呼ぶに相応しい。そして,当時の日弁連は,ドン・キホーテを大いに盛り上げた哀れなサンチョ・パンサというべきであろう。

ちなみに,法曹一元論における日弁連の敗北が事実上確定したのは,平成12年(2000年)1031日である。つまり,臨時総会の前日だ。「法曹一元」を42回も繰り返した決議文がすでにできあがり,翌日に臨時総会を控えた日に,法曹一元論は葬り去られたのだ。歴史の皮肉というほかはない。日弁連執行部が翌日の総会で,法曹一元論の敗北を認めれば,決議は否決されるし,認めなければ,後日「嘘つき」と非難されることになる。最悪のタイミングである。1031日の晩,日弁連執行部の先生方は眠れぬ夜を過ごしたと思う。気の毒な話ではあるが,彼らが「嘘つき」を選択した責任は免れないと思う。(小林)

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2008年4月 1日 (火)

パワードスーツ(パワーアシストスーツ)の安全(6)

パワードスーツ3原則の第1条と第2条が決まった。では,第3条はなにか。

「転ぶ」「踏む」以外で,パワードスーツによる事故態様として想定されるのは,「押す」「挟む」「落とす」ことによる事故だ。これらは,装着者のミスによっても発生しうる事故であるが,設計者として,このような事故を避けるための基本思想はどうあるべきだろうか。

この点については,現在,筆者にも独自の案はない。おそらく,従来の安全設計思想に倣うしかないと思う。それは,「常に安全側にある」という設計思想だ。これは,フェイル・セーフとフール・プルーフの双方を含む概念であり,機械やセンサーが故障しても,また,装着者が操作ミスをしても,常に安全側にあるように設計する必要があると考える。

具体的に言えば,例えば,介護補助用のパワードスーツの場合,被介護者を抱き上げる途中に故障した場合には,抱き上げた状態でアームが固定される必要がある。また,被介護者を挟んだり,車いすを押したりする場合には,一定以上の応力を検知した場合にはそれ以上押したり挟んだりしない機構が必要である。

以上,ごく簡単に,パワードスーツ3原則を考えてみた。

第1条は,装着者が操作意思を決定しない限り,動作しない。

第2条は,一定以上の重量があるパワードスーツは,非装着者と隔離される。

第3条は,常に安全側にある。

である。

パワードスーツは,これらの条件を充たすことが必要であるが,これらは同時に,操作性や敏捷性など,機能上の要請と衝突することになる。設計者の方々は,これらの諸条件をうまく調整して,パワードスーツを開発して頂きたい。それが叶えば,パワードスーツは,21世紀最初の大発明として社会に歓迎されることになるだろう。(小林)

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