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2008年4月 2日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? ~法曹一元とは何だったのか(12)~

司法制度改革審議会において,法曹一元がどのように議論されたかに興味のある方は,是非,同審議会の議事録をお読み頂きたい。集中審議第2日目200088日),3日目89日),第28回829日),第36回1031日)において,法曹一元論は大いに議論されている。議論は,法曹一元論と判事補制度の廃止を強硬に主張する中坊公平員と,これに反対する裁判所代表の藤田耕三委員との激論が中心である。

中坊公平委員は,法曹一元問題について,よく戦ったと思う。判事補制度を廃止しなければ,弁護士会として法曹人口増員に賛成できない,という,脅しとも取れる発言さえしている。しかし最終的には,中坊委員は,委員会の説得に失敗した。その理由は第1に,「法曹一元」という言葉の多義性(あいまいさ)と,東西冷戦時代下のイデオロギー色が嫌われたこと,第2に,「判事補制度には致命的な欠陥がある」と中坊委員がいかに力説しても,判事補から判事になった者に一般的普遍的に欠点があるとは受け取られず(むしろ,多くの調査結果は現在の裁判官に国民の多くが満足していることを示しているとされた),また,弁護士が判事補より判事にふさわしいという理解も信頼も得られなかったこと,当の弁護士自身に任官への熱意が見られなかったこと(弁護士任官の多くは今も昔も,適任者の一本釣りで行われている),等が挙げられよう。結局のところ,法曹一元論について従前から指摘されていた曖昧さや理念倒れ,冷戦時代の遺物,といった批判を克服できなかったため,中坊委員ほどの論客をしても,他の委員を味方につけることができなかったともいえよう。法曹一元論は,未熟で,時代遅れで,理念倒れの議論だった。

結局,審議会での議論は,「現行の判事補制度は,利点もあるが,欠点もある。国民のための司法という観点からすれば,利点は残しつつ,欠点の是正に努めればよい。判事補制度を廃止する必然性までは認められない」という,至極穏当な結論に落ち着いたのである。

審議会の中では,一橋大学名誉教授の竹下守夫副委員長は,法曹一元論反対の論陣を張った。佐藤幸治委員長は,現代裁判所制度の問題点の指摘には積極的であったものの,判事補制度の廃止という法曹一元論の本質については,中立を通したように見える。もともと,法曹一元論,判事補制度の廃止を提唱していた佐藤幸治教授であるが,なぜ,日弁連と共同歩調を取らなかったのであろうか。あるいは,佐藤幸治教授にとって,法曹一元や判事補制度の廃止はあまり重要なことではなかったのだろうか。1997年,自民党や佐藤幸治教授が法曹一元を言い出したのは,日弁連に法曹人口大幅増と法科大学院設立を呑ませるための策略だったのか。筆者に調査する余裕はないが,少なくとも,佐藤幸治委員長が本気で法曹一元・判事補制度廃止を考えていたのか否かについては,司法制度改革審議会終了後における佐藤幸治教授の発言を詳細に追跡すれば,自ら明らかになると思う。

江田五月現参議委員議長は,当時,こう書いている。「日弁連は、法曹一元制度採用、法律扶助制度の大巾な拡充、裁判官・検察官の大巾な増員、などと抱き合わせにしてOKサインを出していたのですが、このへんのところは(案の定)適当にすっぽかされて、『年間3000人』と『法科大学院』だけが一人歩きをする内容になりました。(中略)審議会にここまでいいように「いいとこ取り」をされたのは、日弁連の偉い人たちが、『われわれの主張は正しいのだから審議会でそれが通るはずだ』とばかりに突っ込んでいったからです。大甘もいいところです。『貧弱な戦術手段しかもっていないのに、過大な戦略目標を追求した』のです。孫子は2500年も前に、こういう戦争はやっちゃならんと言っています。曰く、『小敵の堅は大敵の擒なり』と。」

江田五月氏が「つける薬もないような人たち」,要するに「馬鹿」と罵倒した対象に中坊公平氏が含まれることは当然だが,同氏だけでない。1998年から3年がかりで「法曹一元」で大騒ぎをした挙げ句,無惨な敗戦を喫した「日弁連の偉い人たち」は,ちゃんと首を洗ったのだろうか。すくなくとも,資料を見る限り,日弁連や各単位会の「偉い人たち」が完敗を認める記述には接することができない。自虐的にせよ,「法曹一元葬式論」を認めていた昭和30年代の日弁連の方が,よほど健全だったと思う。それどころか,「司法制度改革審議会は,法曹一元という言葉こそ使わなかったが,その理念を反映し…」といった言い訳めいた発言に終始している。しかし,法曹一元の本質は,すでに述べたとおり,判事補制度の廃止である。判事補制度の廃止か,廃止へ向けた道筋が付けられない限り,法曹一元論は敗北したというほかはない。

筆者は以前,3000人問題に関して,「司法制度改革審議会発足の時点で,すでに勝負は決まっていた。中坊公平委員は,戦犯というより敗戦投手というべきである」と書いた。しかし,法曹一元論という切り口で見ると,中坊公平委員は敗戦投手と呼ぶより,「貧弱な戦術手段しか持たないのに,過大な戦略目標を追求した」ドン・キホーテと呼ぶに相応しい。そして,当時の日弁連は,ドン・キホーテを大いに盛り上げた哀れなサンチョ・パンサというべきであろう。

ちなみに,法曹一元論における日弁連の敗北が事実上確定したのは,平成12年(2000年)1031日である。つまり,臨時総会の前日だ。「法曹一元」を42回も繰り返した決議文がすでにできあがり,翌日に臨時総会を控えた日に,法曹一元論は葬り去られたのだ。歴史の皮肉というほかはない。日弁連執行部が翌日の総会で,法曹一元論の敗北を認めれば,決議は否決されるし,認めなければ,後日「嘘つき」と非難されることになる。最悪のタイミングである。1031日の晩,日弁連執行部の先生方は眠れぬ夜を過ごしたと思う。気の毒な話ではあるが,彼らが「嘘つき」を選択した責任は免れないと思う。(小林)

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