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2008年4月26日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(4)

19971028日,法曹三者協議会は,翌年からの司法試験合格者年1000人,将来1500人への増加を検討すると決定する。そのわずか2週間後,自由民主党司法制度特別調査会はロースクール制度導入の検討を含む「司法制度改革の基本方針」を発表した。このとき,自由民主党司法制度特別調査会の意図はどこにあったのか。合格者数年1500人までを前提とした検討を意図したのか,それとも,さらなる大幅増員を意図していたのだろうか。

当時の公式資料を見る限り,1500人を超える目標を掲げているものは見られない。政府の規制緩和推進政策も,司法試験合格者年1500人を掲げており,法曹三者協議会の結論は,その上限を打った形だ。公的機関が1500人を超える増員を打ち出すのは,1998年(平成10年)1223日,小渕恵三内閣総理大臣下で発足した経済戦略会議が中間答申として司法試験合格者2000人を提言するまで待たなければならない。つまり,199712月までは,公式見解としては1500名が上限であった。

199711月に公表された自由民主党司法制度特別調査会の「司法制度改革の基本方針」も,法曹人口の大幅増員を掲げるものの,何人にするとは言っていない。しかし,政権与党の国会議員があえて検討課題として掲げる以上,他機関の決定に追随するのではなく,それを超える意図があると考える方が自然であろう。そして,この意図は1998年に胎動を始める。

しかし,1997年末の日弁連執行部は,同年10月の臨時総会で,当面1000人,将来の1500人と決議したことで,気が抜けてしまっていたようである。自由と正義19983月号(脱稿は199711月ころ)でも,鬼追明夫日弁連会長は,「(当面,司法制度改革協議会の中期目標である司法試験合格者)年1500名という方向をにらみながら」と,暢気なことを言っている。

実際には,このとき,3000人に向けた大きなうねりが始まっていた。(小林)

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