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2008年5月12日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(9)

法科大学院構想は,従前の司法研修所のみによる実務法曹教育に代わるものとして,あるいはその欠点を補うものとして構想された。つまり,構想した者から見ると,従前の司法研修所の法曹教育には,根本的な(対症療法では治癒できない)欠陥があったと認識されたことになる。かような欠陥に満ちた従前の司法研修所における実務法曹教育とは,どのようなものだったのだろうか。

司法研修所における法曹教育は,民事裁判,刑事裁判,検察,民事弁護,刑事弁護の5教科に分かれ,それぞれ裁判官,検察官,弁護士がクラスに計5人つき,教官として教育を行う。その内容は,簡単にまとめれば,裁判実務における事実認定の手法と,訴状,起訴状,判決書を含む裁判実務文書の起案が中心である。また,5科目の中では,民事裁判に最もウェートが置かれ,司法修習生は,特に入所後3ヶ月間の前期修習中,要件事実論という民事裁判における精緻な論理構造の習得に多くの時間を割く。それまで受験勉強に明け暮れてきた修習生にとって新鮮な体験であり,筆者を含め多くの修習生は要件事実論に夢中になった。

女性修習生が数人,通勤電車の中で要件事実を論じ,「ヒニンよ,ヒニンしなければだめよ。なんでヒニンしなかったの?」と大声で議論して周囲のひんしゅくを買ったという本当の話もある。ヒニンとは否認のことであり,相手の主張を認めないことを意味する要件事実論上の用語である。

司法研修所における法曹教育の主眼が,裁判実務の習得に置かれていたことは間違いない。前述のとおり,司法研修所卒業生の8割以上が弁護士になるのに,なぜ裁判実務を中心に教育がなされるのか。これを「最高裁による思想統制」と批判する見解もあるが,筆者はそう思わない。これは,裁判実務の習得を通じて,裁判官・検察官・弁護士は同じ言語を話せるようになるためのプロセスと見るべきであると思う。平たく言えば,お互いに話が分かるようになるのである。これは裁判官から見ると,訴訟進行を円滑に行うために大変便宜であるし,弁護士から見ると,裁判官や検察官が何を考えているか分かるようになる。事件の筋が見えるようになるのである。その意味で,裁判実務を統一して修習することに利点があることは間違いない。しかし他方,市民から見れば,「ヒニン」の実話のように,法曹三者が一般市民に分からない言語で話をする有様に「ギルド的」な疎外感を感じる面もあろう。

要件事実論が前期修習の要になる理由はもう一つある。それは,我が国の民法体系がドイツ民法に主として由来する成文法主義を取っている点だ。成文法主義においては,国が制定し,法典に記載された法律(成文法)が良くも悪くもルールであり,法律実務家には法典の精緻な論理解釈や事実への当てはめの技術が高度に要求される。これに対して不文法主義は,法典はもちろん存在するものの,これに優位する高度なルールが存在すると観念され(例えると,人間が作った法律の上に,神様が作った法律がある,ということです。神様が作った法律は紙に書いてありません。だから不文法と呼ばれます),法律実務家には,紙に書かれていないルールを探求する技術を求められる。アメリカの弁護士が,日本の法律実務家から見ると目を剥くような突拍子もない理屈を言い出すことがあるのは,彼の国が不文法国であることと無縁ではない。これに対して,成文法主義をとる日本では,明治以来100年以上にわたり,法文の論理解釈技術が積み上げられ,職人の技として伝承され,これが近年の裁判官によって要件事実論として体系化されたのだ。

ところで法科大学院構想の基礎となったロースクールは,英米のものが典型であるが,いずれも不文法国である。したがって,我が国にロースクール制度を導入することは,成文法国に不文法国の制度を導入することであり,この点で「木に竹を接ぐようなもの」(園部逸雄もと最高裁判事)という批判は的を射ていると言えよう。

明治時代,日本はフランスに倣った民法典を作ろうとしたが,日本伝統の儒教的価値観にそぐわないと批判され(「民法出デテ忠孝亡ブ」と言われた。),ドイツ民法典に乗り換えたことがある。このように,法体系をどうするかという問題は,国の在り方の根本に関わる問題である。その意味で,ロースクール制度の導入が,日本の法体系や国の在り方にどのような影響を与えるかという問題は,深く検討されるべきである。

いずれにせよ,制度の善し悪しを論じることは本稿の目的ではない。木に竹を接ぐにせよ,その是非が十分に検討され,相応の理由に基づいて導入されるのであれば,結構なことであり,結果として失敗しても,チャレンジとしては意味がある。しかし,我が国における法科大学院構想は,その是非が十分に検討され,相応の理由に基づいて導入されたのであろうか。まして,本稿の主題である日弁連は,特に法曹人口問題との関係において,どの程度真剣に法科大学院構想を検討したのだろうか。(小林)

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