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2008年5月24日 (土)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(12)

1997年(平成9年)末から検討が開始された法科大学院構想は,司法試験合格者数年数千人時代を念頭に置いていた。すなわち,司法試験合格者数年1500人を前提にする限り,法科大学院構想が成立し得ないことは,少し考えれば分かるはずだった。しかし,1998年(平成10年)中,法科大学院構想は法曹人口の大幅増員をもたらすと指摘した弁護士は,筆者の知る限り,誰一人いない。1997年末から1998年にかけて,日弁連執行部は,「2003年ころ,1500人を巡る攻防が始まる」という,暢気な予想していた。

もっとも,1998年秋になると,「司法試験合格者数千人の時代が近い」という認識が生まれ始めてきた節がある。

199839日,大阪弁護士会で行われた講演会で,矢口洪一もと最高裁長官は,毎年4000人くらいの有資格者(但し,全員が弁護士にはならず,有資格者として企業法務に携わる者もいるとする)を輩出させる必要があると述べた。

19981119日,「自由と正義」掲載のため行われた座談会で,佐藤幸治教授は,ロースクール制度の導入とともに,「私は少なくとも毎年数千人の合格者を考えています」と明言した。同教授は,翌年7月,司法制度改革審議会委員長に就任する,司法制度改革のキーマンとなる人物である。「司法試験合格者数千人」という発言について,このときが最初であったのかは不明だが,このころ,「ロースクール制度を導入するなら,司法試験合格者は数千人規模になる」という認識が,日弁連内に生まれ始めたと思われる。

19981120日,日弁連理事会で承認された「司法改革ビジョン」は,同年6月に公表された自由民主党司法制度特別調査会の報告書の対案として策定されたものであるが,その中で,「司法試験合格者数の確保については,不断に検討を加えていくことが必要です。」と述べている。一見,「検討する」こと以外何も言っていないように見えるが,前年の決議は1000人あるいは1500人という「人数」を明記していた。その数字を撤廃したということは,当時の日弁連執行部において,それ以上の増員があり得ると想定していたことを窺わせる。

一方,この「司法改革ビジョン」には,ロースクール制度の検討を明言した自由民主党司法制度特別調査会に対する対案であるにもかかわらず,ロースクール制度導入への言及はない。これは,ロースクール制度導入に対する日弁連としての意思決定が,まだ白紙であったことを示している。

199811月ころの,法曹人口問題及びロースクール問題に関する日弁連執行部の認識は,この程度のものだった。

一方,日弁連外においては,19981223日,「経済戦略会議中間とりまとめ」が,「司法試験合格者を毎年2000人以上に速やかに引き上げる」ことを提言した。

政府が司法制度改革審議会設置法案を決定するのは翌1999年(平成9年)24日であり,同審議会のメンバー13人中5人を学者が占めることが内定するのは同年610日である。3000人への外堀は着実に埋まって行く。歴史にIFはないが,仮に,日弁連が「20103000人」に有効な異議を述べるチャンスがあったとすれば,それは1998年冬までのことだったと思う。それを知ってか知らずか,日弁連は何ら異議を述べないまま,1998年が暮れた。(小林)

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