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2008年5月 4日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(6)

法曹人口増員の要求に対して,弁護士の過当競争は人権活動を阻害するという日弁連の主張は,「思い上がり」と批判され,代わって正面に出てきたのが,法曹養成の「法曹としての質の維持」論であった。

「法曹としての質」は,法曹養成「機関」及び法曹養成「期間」の問題である。法科大学院が登場する以前,法曹養成「機関」は専ら司法研修所であり,法曹養成「期間」は裁判所法に基づき2年とされていた。この2年間,司法修習生には給与が支給される。筆者の頃(平成2年)は手取りで月額20万円前後であった。

しかし,従来一学年500人であった司法修習生が1000人,1500人へと増加すれば,従前の予算では賄えなくなる。予算の総額が決まっている以上,司法修習生の給費制を維持するなら,2年間の修習は不可能だ。そのため,司法試験合格者増は,必然的に法曹養成「期間」の短縮を要請する。1996年以降の法曹三者協議で,最高裁が司法修習期間の1年短縮を主張したのは,当然の成り行きであった。

これに対して日弁連は,最高裁の主張は法律実務家の粗製濫造につながるとして,修習期間2年間の維持を強硬に主張する。予算に限界があるとの反論に対しては,弁護士会が人的経済的な負担も行うとまで主張した。具体的には,研修弁護士制度の提案である。これには最高裁も理解を示し,法務省の取りなしもあって,間を取った形で,19971028日,1年半の修習期間が合意された。(以上,岩井重一「司法試験・法曹養成制度改革の経緯と概要」(自由と正義491号))

日弁連が修習期間2年を主張した理由は,法律実務家としてふさわしい質の養成であった。しかし,法曹人口増の抑制も目的の一つにあったことは間違いないと思う。修習期間が2年から1年に短縮されれば,同じ予算で修習生の倍増が可能になる理屈である。日弁連は修習期間短縮に反対することを通じて,間接的に,修習生の増加を食い止めようとしたのである。

余談になるが,自由と正義19993月号「法曹養成制度改革」座談会は,その内容の生々しさにおいて,必読の文献である。なにより,表題が「法曹養成制度改革座談会」でありながら,内容の大半は法曹人口問題である点こそ,当時の日弁連にとって,法曹養成問題イコール法曹人口問題と認識されていたことを示している。

修習期間2年堅持という日弁連の主張は,結局1年半の修習として妥協した。批判もあったようだが,この妥協は老獪な交渉の結果と評価できる。なぜなら修習期間1年半なら,4月入所9月修了と10月入所3月修了を交互に繰り返すという極めて変則的な運用を行わない限り,修習生の増員に結びつかないからだ。しかし,このような変則的な運用は,予算編成・執行のあり方としても,教官の異動のあり方としても非現実的である。つまり,修習期間1年半の妥協は,日弁連にとって,法曹人口増を食い止めるという「実」を取ったものといえる。

修習期間の短縮を主張する最高裁に対して,自ら負担を背負ってでも法曹養成を充実させる,という日弁連の主張は,マスコミにも好意的に受け止められた。

19971027日の朝日新聞社説は,このようにいう。「日弁連のなかには,増員すれば競争が激しくなり,弁護士の基盤が脅かされかねないという慎重論が根強くあった。それを抑え,改革に取り組んできた歴代執行部の苦労は想像できる。ここで後ろ向きの姿勢をとっていれば,業界エゴとの批判を浴びるだけでなく,日弁連の自治能力にも疑問符がつくところだった。(修習への弁護士の積極的関与は)これまで,対応が後手後手に回ってきた感のある日弁連が,初めて自分から投げたボールである。内容の詰めはこれからだが,最高裁,法務省は提案を真剣に受け止めて実現をめざすべきではないか。」

いずれにせよ,1997年の法曹三者合意は,次の3つの効果をもたらした。

第一は,法曹人口が大幅に増加しないのは,法曹養成予算が限られているからだ,という認識を広めたことである。司法研修所に法曹養成をさせている限り法曹人口は年1500以上は増えない,ということを政府・自民党・財界がはっきりと認識した,ということである。自民党司法制度改革特別調査会がロースクール構想の検討を提案したのは,法曹養成予算の問題を解決し,1500人を大幅に上回る法曹人口養成の基盤とするためであった。

第二は,日弁連内に,法曹養成は弁護士会が率先して行うべきだという思想を発生させたことである(塚原英治弁護士「法律家の養成と弁護士会の役割」(自由と正義19981月号)など)。そして,この思想は,ロースクール構想になじみやすいものであった。

第三は,「法曹の質を維持する」という日弁連の主張は,その背後に法曹人口増抑制の目的があったにせよ,世論に受け入れられた,ということである。司法試験合格者年3000人を事実上受け入れた日弁連臨時総会決議にもある「国民が必要とする(法曹人口)数を,質を維持しながら確保する」との文言は,このような歴史的背景に基づいている。(小林)

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