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2008年6月24日 (火)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(3)

このガイドラインの要点となる3本柱の第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係である。本ガイドラインでは,この部分に関する条文が最も多くなっている。しかし,内容としては,プライバシー情報や個人情報の流通に関する法令やガイドラインを集約したものであって,これらの法令やガイドラインに比べて,特に目新しい点があるわけではない。要するに,電子タグなどのユビキタス技術によって取得された情報は,その本人が予め承諾した範囲と,これに準じる合理的な範囲についてだけ,流通することが許されるし,事業者は,本人の予測を不当に裏切らないよう配慮しなければならない,ということが書いてある。

内容としては,次の3点に集約できると思う。第1点は,セキュリティである。電子タグに搭載できる情報量は近年飛躍的に増大しつつあるが,ヒトに装着する電子タグの場合,個人情報やプライバシー情報そのものを電子タグに記録することは,原則として許されない。電子タグには基本的に,装着されるヒトのIDのみが記録されており,このIDがサーバーに送信されることにより,サーバーに保存された個人情報やプライバシー情報が呼び出されるようにならなければいけない。また,記録されるIDそれ自体も暗号化される必要があるし,暗号化されるべき程度は,そのヒトの属性(例えば,○○小学校の生徒であるとか,○○百貨店の顧客会員であるとか)が分かる程度では足りない。将来的には,IDをシャッフルしてランダムに発行する第三者機関が必要になるかもしれない。

第2点としては,個人情報の抽象化である。「男性」「45歳」という情報は筆者の個人情報であり,筆者の意思に反して流通させることは許されないが,他方,これらの情報と筆者との結びつきを完全に断ってしまえば,もはや筆者の情報ではなく,統計情報として,自由な流通が許されるようになる。実は,ユビキタスネットワークの事業主も,個人情報そのものが欲しいわけではなく,統計情報が欲しいだけの場合も多い。そして,統計情報の自由流通を認めることは,マーケティングその他の領域において,莫大な経済効果をもたらす。そこで,情報と本人の関係を完全に断絶した統計情報については,本人の意思と関係なく自由な流通が認められると規定してある。

第3点としては,ネットワーク監視カメラの取得する本人の情報を「位置情報」「行為情報」と特定したことである。監視カメラの取得する情報の法的性質については,肖像権の問題と考えるのが一般的であるが,これは誤りであり,監視カメラの取得する情報の本質は「位置情報」と「行為情報」,つまり「いつ,どこで,誰が,何をしたか」である。そして,位置情報と行為情報を取得するという意味では,監視カメラと電子タグとの間に差異はない。そこで,監視カメラの取得した情報についても,電子タグシステムが取得した情報と同様の流通制限に服することが規定してある。

このガイドラインの要点となる3本柱の最後は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

ユビキタスネットワークシステムが,社会に受け入れるためには,それが正当に運営されているという社会の信頼が不可欠である。従来これを担ってきたのは司法手続による事後救済であるが,ユビキタスネットワークシステムによるプライバシー権侵害の場合,本人が権利侵害に気づかない場合も多く,また,一つ一つの権利侵害は僅少であって,司法による事後救済になじまない場合も多い。そこで,本ガイドラインは,事業目的の公開や責任者と連絡先の明示,苦情処理システムの構築などの内部統制システムの構築を義務づけることを通じ,社会の信頼を確保しようとしている。

将来的には,第三者認証機関を設け,その認証を受けた事業者は,国民のプライバシー権に十分配慮したユビキタスネットワークシステムの運用を行っているとの信頼が付与される,というような仕組みが検討されなければならないと思う。(小林)

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2008年6月23日 (月)

鈴木健太郎氏のご意見

大阪弁護士会の元事務局長を務められ、現在は法テラス大阪にご勤務されている鈴木健太郎氏から、拙稿について貴重なご意見をメールでいただいたので、同氏のご了解を得て、2通にわたるご意見を一つにまとめたうえで掲載します。大阪弁護士会事務局の要職として司法改革の経緯をつぶさに目撃された方として、勇気あるご意見を寄せて頂いたことにつき、心から感謝申し上げます。

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いつもブログを拝見させていただいております。

「日弁連はなぜ負けたのか?中間まとめ」で、今までの内容をコンパクトされて読みやすくなっています。鋭く、自己批判(弁護士会)をしながら、行く末を心配されている様子が良く理解できました。

元事務局職員からの意見としてお読みください。

官僚機構に対抗しうる組織を日弁連は持っていなかったことです。片手間で相手をするほどの軟弱な相手ではないのに、軟弱な組織の日弁連が対抗しうるはずがありません。日弁連が、勝つためには、「情報収集・分析」「官僚と同じように毎日研究検討できる人材の確保-弁護士が担当」「有能な職員の育成」という組織固めが必要です。

烏合の衆のようにまとまりのない意見や毎年変わる活動をすることでは、勝てません。弁護士だけで、政策決定をせず、事務局にもその一端を担わせ、オール日弁連態勢を築かないと組織運営はもう無理だと思います。

(私は)弁護士会時代に初代の法曹養成対策特別委員会の事務局を務めていたので、臨司意見書から現在までの状況は大体は把握しておりました。

司法試験改革、法曹人口等の問題では、委員会において賛否両論の意見がありました。反対意見の中で「今日のような結果になる」との指摘(説)をされていた先生がすでにおられました。如何せん少数意見であり、司法改革という集団ヒステリーに取り付かれていた当時の状況では通るはずもありません。きっと当時の大阪では、会員は経済的に豊かで余裕があったのでしょうね。また、弁護士独特の倫理観、社会への貢献という考え方が、心の中のエゴを抑制していたのでしょうか。

勝ったか、負けたかは、まだ勝負は付いていません。これからの弁護士、弁護士会のあり方によって変化すると思います。なにせ、弁護士は正義の味方、ヒーローですから、負けては話が続きません(笑い)。

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2008年6月20日 (金)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(2)

このガイドラインの内容は,大きく,次の3つの柱からなっている。第一は,電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係であり,第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係であり,第3は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。

第一の「電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係」とは,要するに,ヒトに電子タグを装着することは,物に装着するほど簡単ではない,ということである。ヒトに電子タグを装着する方法はいろいろあり,カードで携帯させたり,ランドセルや靴に装着したり,首からかけたり,腕輪・足輪にしたり,体内に埋め込む(マトリックスにありましたね)方法もある。前者ほど装着は簡便だが,忘れたり,他人の電子タグと入れ替えが発生したり,悪意で破棄・破壊されたりする危険がある。後者ほど,装着された個人特定の確実性が増すけれども,他方,「電子首輪」と言われたり,「監視社会」と言われやすくなる。要するに,ヒトの精神的拒絶反応を招きやすい。

この問題に関しては,「電子タグの体内埋込など一切禁止すればよい」とか,「本人が同意した場合に限定すればよい」という考え方もありうる。しかし筆者は,特に,意思決定能力が乏しい子どもや老人などに関して,電子タグの体内埋込や,腕輪・足輪方式の採用の問題は避けて通れなくなると思う。例えば,小学生の安心安全のため,ランドセルに電子タグを装着される実証実験が行われている。しかし,この装着方法では,誘拐犯人に破棄されるリスクを回避できない。また,徘徊老人の管理のため,電子タグを体内に埋め込むということも考えられる。腕輪や足輪では,痴呆老人はこれを本能的に取り外そうとかきむしってしまうため,体内埋込しか選択肢がない場合があるのだ。

このような考え方に対しては,老人の人権侵害だと反対する意見もあろう。しかし,現実に手錠や縄でベッドに縛り付けられている痴呆老人が,病院敷地内といえども自由に行動できるようになるならば,電子タグの体内埋込は一つの可能性になるはずである。

腕輪・足輪での電子タグの装着や,体内埋込の問題と,とても似通っているのが,バイオメトリクスの問題である。バイオメトリクス技術の場合,人体への侵襲を伴わないが,他方,一度他人に取得されると,「マイノリティ・リポート」の主人公のように,他人と体の一部を交換しない限り,一生それに拘束されることになる。その意味で,バイオメトリクス技術を用いたユビキタス・トレーシングシステムは,電子タグの体内埋込に勝る人権侵害を引き起こす可能性がある。

そこで,電子タグの体内埋込・足輪・腕輪の使用や,バイオメトリクス技術の使用に関しては,相当厳しい制限を設けなければいけない。(小林)

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2008年6月19日 (木)

弁護士人口を増加させたい財界の目的は?(2)

弁護士人口を増加させたい財界の目的は,弁護士費用を安くすることにはない。弁護士人口が増えれば,むしろ,財界の優良企業が支払う弁護士費用の総額は間違いなく増加する,と筆者は書いた。

筆者は経済の専門家ではないから,この見解にそれほど自信があるわけではないが,仮に筆者の見解が正しいとして,弁護士から,次のような反論がありうる。「なるほどお前の言うとおりかもしれない。しかし,庶民相手の定型的事件で喰っている私のような町弁の収入はやはり減るのではないか?」

それはたぶんそうなるだろう。だから,筆者の事務所を含む庶民相手の定型的な事件を主として取り扱う事務所は,薄利多売を指向しなければいけなくなる。そして,薄利多売を実現するためには,1事件あたりのコストを大幅に軽減しないといけない。

ここで問題が発生する。なぜなら,法律事務所を経営するについて,最大のコストは,事務所の家賃でも事務員の給料でもなく,弁護士自身の労働時間だからである。平たく言えば,現在の一般的な法律事務所の職務体勢では,弁護士自身がやらなければならないことが多すぎる。裁判所には弁護士自身が行かなければならない,打ち合わせや書面作成も,弁護士自身がしなければならない。一日が24時間である以上,どんなに事務処理能力の高い弁護士であっても,自分自身の労働時間を今以上に切りつめる(=1事件あたりに費やす時間を減らす)ことは極めて困難である。

現在,弁護士は,イソ弁を安く雇用することによって,自分の労働コストを切り下げていると思われる。しかしイソ弁の給料を安くすると言っても,もう限界である。そこで,このまま弁護士人口増が続く限り,将来的には,今まで弁護士が自分の体と脳みそを使ってやっていた仕事を,弁護士以外の人間に遂行させるようにならざるを得ない。出廷や,打ち合わせや,書面作成を,弁護士以外の法律事務所職員にやらせることになる。このようなやり方は,実は,司法書士事務所や税理士事務所が,普通に行っていることだ。一般には余り知られていないのかもしれないが,司法書士事務所や税理士事務所においては,司法書士や税理士の資格を有する経営者の他に,無資格者が雇用されており,この無資格者が事実上,資格者と同じ仕事をしている。つまり,定型的な業務を中心とする弁護士の業態は,司法書士や税理士の業態に近づくということであり,このように考えると,経済原理としては,当然のことのように思える。実際,自己破産や債務整理に特化した法律事務所は,弁護士一人あたり10人以上の事務員を雇用し,法律上許される範囲であるが,一般の弁護士が自分でやっている仕事を事務員にやらせている。もちろん,それが国家社会にとって良いことなのか,悪いことなのかは別問題である。弁護士が非弁護士に弁護士が行うべき仕事をさせることは,現在の法律では禁止されている。しかし,今般の法曹人口大幅増員を決定した国家の意思は,この方向を自ら選び取ったことに間違いない。(小林)

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2008年6月18日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? 中間まとめ(1)

半年にわたり掲載してきた「日弁連はなぜ負けたのか?」ですが,一旦中断することにしました。そこで,以下3回にわたり,今までのまとめを行います。

Ⅰ 法曹人口問題の歴史まとめ(2000年まで)

1.         現在の法曹人口問題は,直接的には,1989年(平成元年)に端を発する。当時,司法試験合格者の高齢化と,バブル経済による任官・任検者の減少を憂慮した最高裁と法務省は,司法試験合格者数問題に関し,いわゆる丙案(若年受験者にゲタを履かせて優遇する案)を支持する。これに対して日弁連は,丙案は司法試験の統一性,独立性,平等性の理念に反し,任官・任検者と弁護士との分離修習への途を開くものであって,戦前の司法試験制度に逆戻りするとして,強く反対した。

対案として日弁連は,司法試験合格者を年700人に単純増員する提案を行うとともに,法曹三者協議に外部委員を加えた「法曹養成制度等改革協議会」に議論の場を移すことにより,丙案廃止への国民の支持を得ようとする。

なお,司法試験合格者の高齢化と任官・任検者減少の問題が法曹三者間で論じられたのは,1989年(平成元年)が最初ではない。1960年代初頭に設けられた臨時司法制度調査会(臨司)は,判事・検事志望者不足を緊急の課題とするものであったが,同時に,東西冷戦構造に基づくイデオロギー対立を背景にしていたと,少なくとも日弁連には理解されていた。当時日弁連は,臨司路線はアメリカ(西側)寄りの日本政府による司法統制であるとして,裁判官の供給源は若年司法試験合格者ではなく,弁護士であるべきとして法曹一元を主張する。臨司の詳細は割愛するが,1960年代の臨司を巡る法務省対日弁連の対立の構図は,本稿の直接の検討対象である1989年(平成元年)以降の法曹人口問題にも受け継がれており,臨司当時に日弁連の思想的バックボーンとなった東西対立のイデオロギーは,主流派・反主流派を問わず(もちろん反主流派において直截的・典型的であるが)受け継がれている。

2.         法曹三者協議会での硬直した対立状況を,外部委員を入れることにより打破しようとした日弁連の目論見は完全に外れる。法曹養成制度等改革協議会が発足した1991年(平成3年)は第三次行革審発足の年でもあり,政府・財界から,法曹人口問題は規制改革問題と認識されたため,法曹養成制度等改革協議会では,「フランス並み(但し,人口補正なし)」である法曹人口3万人を指向し,司法試験合格者数年1500人との見解が大勢を占める。

3.         この中で日弁連は,700人を超える司法試験合格者数の増加に反対し続けた。その主たる論拠は,700人を超えると過当競争になる,過当競争は弁護士の経済的独立性を害し,ひいては公益・人権擁護活動を阻害するという「経済的独立論」であった。しかし,経済的独立論は,「弁護士の思い上がり」「そんな人権なら守ってもらわなくて結構」という世論の猛反発を招く。しかし日弁連は,1994年(平成6年)1221日の臨時総会における「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」において,司法試験合格者数を「今後5年間800人程度を限度とする」案を圧倒的多数で議決した。

4.         この議決は,「既得権益擁護」「ギルドのカルテル組織」「改革つぶし」「だだっ子」と,世論の大批判を浴びる。その結果,業務独占や弁護士自治の撤廃も現実化の兆しを見せた。このときマスコミがこぞって示した,激情的とさえ言える日弁連に対する反感は,現代の法曹人口問題に関するマスコミの対応にも受け継がれている。危機感をいだいた日弁連は,前年の決議を事実上撤回し,1995年(平成7年)112日,「1999年(平成11年)から司法試験合格者1000人程度に増員すること」を容認する。しかし,すでに合格者数年1500人を目指すべしとした法曹養成制度等改革協議会多数意見との乖離は埋められず,1995年(平成7年)1113日に発表された同協議会の意見書は,1500人と1000人の両論併記に終わる。マスコミの弁護士会批判も相変わらず続いた。また,1995年(平成7年)1211日,司法試験管理委員会は丙案実施を決定した。この間法曹三者協議会や法曹養成制度等改革協議会における日弁連執行部は,会内の分裂を反映して意思決定が極端に遅く,案を日弁連に持ち帰って検討し,妥協を重ねて会内合意が成立する頃には後手に回ることを繰り返した。これは,強制加入団体の宿命とも言えるが,外部から「日弁連に政策決定能力なし」と判断され,後の司法制度改革審議会から日弁連の代表が外される(中坊公平氏は正式な代表ではなく,個人の有識者としての資格で参加している)原因となる。

5.         その後,「弁護士の経済的独立」論に代わって法曹人口増抑制の理論として登場したのが,「法曹の質の維持」論であった。修習生の増加による修習期間1年への短縮を主張する最高裁に対し,日弁連は法曹の粗製濫造を招くと抵抗し,19971028日,協議は修習期間1年半で妥結する。これは,法務省・最高裁に妥協したように見えるが,1年超の修習期間を確保することによって,司法試験合格者数の倍増を阻止する「実」を取ったものであった。また,この協議において,日弁連自身が法曹養成に人的経済的負担を申し出たこと(研修弁護士制度)は,世論から好意的に受け止められた。ここで発生した「弁護士会が主体となって法曹を養成しなければならない」という思想は,その後のロースクール構想に承継されていく。

他方,この協議で明らかになった司法研修所の物理的予算的限界論は,同時に,現状の司法研修所の物理的予算的規模を前提とする限り,年1500人を超える司法試験合格者を出すことが不可能であることを,明らかにするものであった。

6.         1997年(平成9年)1028日の法曹三者協議決定の僅か二週間後である1111日,自由民主党司法制度特別調査会は,ロースクールの導入を検討課題として提言する。これは,明言こそしていないものの,司法試験合格者数年1500人を大幅に超過した場合における,司法研修所に代わる法曹養成機関の設立を意図するものであり,この意図は,1998年(平成10年)後半には表面化する。そして,偏差値により序列化した日本の大学制度を前提とする限り,司法試験合格者をコンスタントに輩出する国公立・私立大学にロースクールを設けた場合,司法試験合格者数を年3000人とすることが最低条件であった。しかし,当時の日弁連執行部の念頭に3000人という数字はなく,「2003年(平成15年)に1500人を巡る攻防が始まる」と暢気な予測をしていた。

7.         1998年(平成10年)1026日,文部科学省の大学審議会は,ロースクール構想の検討を答申し,これを受け,1999年(平成11年)311日,文部科学省内に「法学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」が発足する。これに先立つ1999年(平成11年)24日,司法制度改革審議会設置法案が閣議決定され,法曹三者の代表を排除した政府審議会が司法制度改革の主導権を握る。1999年(平成11年)610日,同審議会メンバー13人のうち5人を大学の代表者である学者が占めることが内定する。このとき,法科大学院制度の実施と,司法試験合格者数を年3000人以上とすることとが,内定したといってよい。つまり,司法制度改革審議会の審議が始まった時点において,法曹人口問題の勝敗は決していたのだ。これほどの短期間に,ロースクール構想が具現化した背景には,少子化と国立大学独立法人化の激流の中にあった大学の危機感があった。

ところで,法曹人口問題を含む司法改革は,1970年(昭和45年)の衆議院附帯決議により,法曹三者の意見一致の責務が課せられたことから,法曹三者協議会が司法改革・法曹人口問題解決の権限を事実上独占していた。法曹養成制度等改革協議会の設置は,日弁連自らその枠組みを踏み出すものであったが,1999年(平成11年)に設置された司法制度改革審議会は,法曹三者以外(文部科学省と大学,財界,労働組合と消費者団体の代表,作家)を委員に加える一方,法曹三者の代表を排除する(法曹関係委員3名は現役の法曹ではない)ものであり,上記衆議院附帯決議の枠組みを事実上骨抜きにするものであった。平たく言い換えると,日弁連はそれまでの法曹三者協議会という「コップの中の戦争」に明け暮れていたところ,政府にそのコップをひっくり返されてしまったのである。しかし日弁連は,後述する事情により,かかる枠組みには特に異論を唱えず,当時「ミスター司法改革」「平成の鬼平」と言われ国民的人気を博していた中坊公平氏を事実上の代表者として審議会に送り込み,同氏に対する万全のサポート体勢を敷いた。

8.         時期をやや遡るが,日弁連執行部は,遅くとも1998年(平成10年)秋には,1500人を大幅に超える法曹増員が現実化しつつあることを知った。しかし,1000人になるのにさえ必死で抵抗していた日弁連の大勢は,1500人を超える法曹増員論に抵抗するどころか,これを支持する。その理由は,明治31年以来100年にわたる日弁連の悲願であった「法曹一元」と,陪審制や被疑者国選弁護制度,扶助制度の公的制度化など,日弁連が提言してきたいくつかの司法制度改革の採用を前向きに検討するという明確なメッセージが,1997年(平成9年)11月ころ,政府与党から示されたためである。日弁連は,司法改革と法曹一元を実現する好機ととらえ,自由民主党司法制度特別調査会に出席して積極的に政策提言を行うほか,1998年(平成10年)と2000年(平成12年)の2回にわたり,法曹一元をテーマに司法シンポジウムを開催し,法曹一元への気運を大いに盛り上げた。

9.         ロースクール構想に関しても,日弁連は,法曹一元と各種司法制度改革を実現する以上,司法試験合格者数の大幅増を受け入れる必要があること,その場合,従前の司法研修所における法曹教育に代わるもの,又は補完するものとしてロースクール構想の導入を支持する。また,法曹一元を採用する以上,地方大学においても法曹養成を行う必要があるとして,ロースクールの数的限定を主張しなかった。第二東京弁護士会は,自前でロースクールを設立する。また,第二東京弁護士会を中心とする一部の弁護士は,司法研修所の廃止を提言したが,多くの弁護士会は,司法研修所とロースクールの二段階養成を支持した。

10.     1999年(平成11年)1124日,司法制度改革審議会第7回審議において,東京大学の青山義充副学長(当時)が,将来の日本の法曹人口は,少なくともフランス並み(但し,フランスの人口は日本の約半分だからこれを補正して)の75600人を目指すべきであり,これを達成するために年3000人の司法試験合格者が必要と発言した。

2000年(平成12年)2月に行われた日弁連会長選挙では,高山俊吉候補が,法曹人口増問題については「弁護士が幅広く人権活動を行うことができるのも,経済基盤があってこそ」と主張し,ロースクールは「統一・公正・平等という司法試験の理念を失わせる」と反対し,司法制度改革審議会の司法改革路線に真っ向から異を唱えたのに対し,久保井一匡候補は,従前の執行部路線の承継を公約して当選した。

2000年(平成12年)28日と22日,日弁連の事実上の代表である中坊公平氏が,司法試験合格者数年3000人を事実上容認するプレゼンを行う。そして,2000年(平成12年)88日,司法試験合格者数年3000人が,司法制度改革審議会内で事実上決定する。既に指摘したとおり,3000人という数字は,司法改革・法曹一元実現に必要な人数として算定されたものではなく,法科大学院を全国の主要大学に設置するため必要な最低限の数字として算定されたものであった。

11.     日弁連が悲願とした法曹一元は,その多義性・曖昧さ,理論的脆弱性,東西冷戦のイデオロギー色,判事補制度の欠陥論が説得力を持たなかったこと,弁護士任官希望者がほとんどいない現実,等の理由から,司法制度改革審議会内での支持を全く得られず,形式的にも実質的にも,2000年(平成12年)1031日までに,完全に葬り去られる。ところが,日弁連は「法曹一元への足がかりは残った」として,翌111日に開催された日弁連臨時総会では,全文中に42回も「法曹一元」と繰り返し記した決議文が賛成多数で採択された。この42個という「法曹一元」の文言数は,「司法改革」の12個,「法曹人口」の33個より遙かに多い。決議文上明白であるが,法曹増員も法科大学院制度支持も,全て「法曹一元を期して」のことであった。

12.     他方,裁判員制度をはじめとするいくつかの司法改革は,司法制度改革委員会意見書の採用するところとなり,閣議決定を経て,現在,順次実行され,また,実行されようとしている。(小林)

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日弁連はなぜ負けたのか? 中間まとめ(2)

法曹人口問題を巡る1989年(平成元年)から2000年(平成12年)までの歴史を振り返るとき,これをまとめると,どういうことになるのだろう。

この一連の経緯は,組織としての日弁連が,内部分裂して当事者能力と社会の信頼を喪失する1997年(平成9年)ころまでの過程と,執行部が強力なリーダーシップを持つことによって当事者能力を回復する2000年(平成12年)までの過程として見ることができる。

この過程は,日弁連という,強制加入団体であり,もともとさまざまな立場や考えを持つ弁護士の寄せ集めが,戦後50年間の長いまどろみの後,法曹人口問題という黒船によって開国派と攘夷派よろしく分裂したときに,団体としての一体性を回復する唯一の選択であったと思う。そして,この執行部は,弁護士会の相対多数によって民主的に選出されたものであるから,弁護士会と会員は,執行部の意思決定の結果について,良きにしろ悪しきにしろ,対外的にはこれを引き受ける責任を負う。それが社会のルールというものだ。高山俊吉弁護士や一条の会に代表される弁護士の最大の誤りは,このルールを真っ向から否定している点である。それは,日弁連が社会の信用を失うことであり,日弁連の団体としての一体性を喪失させることである。

他方,この一連の過程が日弁連にとってとても不幸であったことは,強力なリーダーシップを得て執行部が取り組んだ2000年までの過程が,敗北に終わった点だ。この点については,「一連の司法改革に成功した」と積極的に評価する意見もあるが,当時の日弁連が究極かつ第一の目標に掲げた「法曹一元」において完敗を喫した以上,全体的な評価としては,間違いなく敗北である。しかも,その負け方は,惜敗ではなく,かなり恥ずかしく,みっともない負け方であった。江田五月現参議院議長の言葉を借りれば,自分が言っていることが正しい以上これが通るはずだと信じて猪突猛進し,貧弱な戦術しか持たないのに,過大な戦略目標を追求したのである。結局のところ,当時の日弁連執行部はアマチュアであり,プロを相手に,無謀な戦いを挑んだのだ。

2000年(平成12年)までの日弁連執行部の取り組み自体は,大いに非難に値するし,非難されるべきであると思う。それは,個人の責任を追求するためでなく,我々が未来において同じ過ちを繰り返さないために必要だからだ。

しかし,筆者としては,それよりも重大な日弁連執行部の過ちを指摘しなければならない。それは,日弁連執行部が,「敗北した」という事実をひた隠しにして,これを認めてこなかったことである。何よりもこの点が,現在に至る分裂と混乱の原因である。

日弁連は負けたのだ。それなのに,多くの弁護士,特に若手は,日弁連が負けたという歴史的事実を知らない。だから,なぜ負けたかを学ぶこともないし,過去の教訓を未来に生かそうという発想も持てない。多くの若手は,目の前に突きつけられた「司法改革」と「3000人」と「法科大学院」の関係を理解できず右往左往しているが,その責任は専ら,「日弁連は負けた」という事実をひた隠しにしてきた日弁連執行部にある。今までの日弁連執行部は,歴史を未来に受け継ぐという重大な責務を放棄した点において,最大の非難に値する。

「日弁連はなぜ負けたのか?」という標題で半年にわたり,駄文を書き連ねてきたが,この標題の趣旨はなにより,日弁連が負けたことは当然の前提ですよ,という点をアピールする点にあった。もちろん書き始めた時点では筆者の直感に過ぎなかったが,現時点では,確信に変わった。何回でも繰り返すが,日弁連は負けたのだ。それもかなり無惨で恥ずかしい負け方をしたのだ。この事実を正面から受け止めない限り,弁護士の未来を語ることはできない。

もっとも,「その逆は真か?」と問われても,すなわち,「敗北の事実を真正面から受け止めれば,未来は開けるのか?」と問われても,答えることはできない。むしろ,この半年間勉強してみて,筆者はとても絶望的な気持ちになっている。というのは,これだけ愚かで稚拙な戦を戦って敗北した日弁連であるが,その執行部を構成し支えた弁護士1人ひとりは,とても有能な実力者だからである。日本の「ベスト&ブライテスト」と言ったら言い過ぎかもしれないが,当時の弁護士会の最優秀な頭脳と実力を集めてもなおこの体たらく,という事実は,先の日弁連の敗北の原因が,個人の資質にあるのではなく,弁護士会の組織としての本質的欠陥にあることを示唆していると思う。もしそうであるとすれば,過去を真正面から受け止めたところで,弁護士会に未来は開けない。(小林)

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日弁連はなぜ負けたのか? 中間まとめ(3)

本稿をもって,「日弁連はなぜ負けたのか?」を一応終了したい。もちろん法曹人口問題などについての発言は折に触れ続けていくつもりだが,歴史的事実をご紹介して検証して連載する,という作業は,一旦中断する。

もちろん,必要な歴史的事実の検証が終了したわけではない。筆者が今まで行ってきた勉強に関しては,重大な二つの作業が欠落している点をお断りしておかなければならない。

一つは,司法改革の歴史的検証である。司法改革は,現在の日弁連を支える一つの柱であり,その歴史的検証は不可欠であるが,これを行うためには,最低限,1960年代に遡って諸資料にあたらなければならないが,この時期の資料はインターネットでの入手が困難であり,仕事の片手間に調査するには,筆者の手に余る。

もう一つは,2000年(平成12年)以降,現在までの歴史的検証である。特に,司法制度改革審議会の最終意見書が,政府の閣議決定として結実するまでの約1年間の過程とそれ以降である。これは筆者の直感にすぎないが,おそらくこの事務作業の過程で,裁判所と法務省の官僚は,自分らに不利な部分を徹底的に骨抜きにしたと思う。一方日弁連は,馬鹿正直に,司法改革の実現に「だけ」邁進したのではないかと想像している。この部分の検証は,とても重要である。実務的かつ地味な部分であり,公式資料も乏しいだろうが,いつか取り組んでみたい。

振り返ってみると,筆者が半年にもわたり,自分にとって何の役にも立たない駄文を書き連ねて来られたのは,先の日弁連選挙のさなか,それまでの百倍に達するアクセスを当ブログにいただき,その後も熱心な読者がおられたことが原動力になっている。いただいたコメントも,多くは真摯なものであった。筆者の事実認識や意見が全て正しいはずもなく,今後も大いにご批判を仰ぎたい。長い間当連載を読んで下さった方々に,心から御礼を申し上げたい。ありがとうございました。(小林)

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2008年6月17日 (火)

品質管理と情報管理(2)

「品質情報」は,「品質」とは別に独り歩きする。価値の高い情報ほど,独り歩きのパワーは高い。だから,「消費期限切れ牛乳の使用」という価値の高い情報に接した不二家経営者は,「品質管理」にのみ目を向けず,「情報管理」に目を向けなければいけなかった,というのが,筆者の試論である。

それでは,不二家の経営陣は,どうすればよかったのか。第一に,コンサルタント会社が作成した不必要にセンセーショナルな品質情報が,その内容と体裁とによって,極めて高い情報価値を持つ,ということに気づくべきだったのだ。従って,経営陣としては,会議で配付された資料を,その場で回収するべきであった。実際には,回収完了は翌日にずれ込み,この間密かにとられたコピーが外部に流出したのである。

こう書くと,まるで情報の隠蔽を勧めているようであるが,そうではない。誤解しないで頂きたいのは,資料を回収したところで,情報は無くならない,という点だ。回収した資料といえども社内外のどこかに保管されているはずだし,仮に全て焼却して地球上から抹殺しても,人間の頭の中に情報は残る。つまり情報は不死不滅なのである。だから,不二家経営陣は資料の回収をするべきであったが,それだけでは足りない。情報が不滅であり,かつ価値が極めて高い情報である以上,いつか漏れることを前提に,次の手を打たなければならない。

それでは,資料を回収した後,経営陣は何をするべきであったか。それは,情報の価値を減殺することであった。既に指摘したように,情報の価値を増大させるものもあるなら,減殺させるものもある。情報は実体と離れて独り歩きすると言ったが,もちろん実体と無関係ではない。したがって,例えば,「品質管理情報が間違いである」との情報は,情報価値を減殺する。品質情報が正しかったとしても,適切な対応策をとったとか,社内基準には違反したが消費者の健康には全く影響がないことを証明する情報とかは,先の情報価値を減殺する。マスコミに漏れる前に,プレスコールを行うことも,情報価値減殺効果が高い。経営陣は,このような情報減殺行為を準備しておくべきだったのだ。

なるほど,当時の不二家の経営陣は,「消費期限切れ牛乳の使用」という情報に接したとき,事実確認を指示しているし,その2週間後に,工場に対して抜き打ち検査を実施している。これらの行為は,間違いではない。しかし,「情報管理」の観点から見るとき,これらの行為を指示した経営陣の目的は「品質管理」にのみ向いており,「情報管理」に向いていなかった。これが,不二家にとって,とても深刻な事態を引き起こした原因と考える。

さて,このような視点から不二家問題を概観するとき,不二家経営陣は,どういう体制をとっていれば,報告書の情報価値の高さに気づくことができたのだろう。それは,常に情報の価値を評価する体制をとっておけばよかった,ということになる。ここで大事なのは,情報の価値を評価するのがいつであるか,という点だ。言うまでもなく,マスコミに漏れた時点では遅すぎる。部署を問わず,社内に情報が発生した時点で,これを評価する体制が理想である。例えば,「部課長クラスは,RAI(Red Alert Information)に接したときは,必ずこの情報を情報管理部に通知すること」という内規を定め,情報管理部において,RAIの判断基準や対応体制を事前に決めておく,という体制である。

このように,不二家事件は,「情報管理」の失敗という観点から分析すれば,より理解しやすいし,役にも立つと思う。(小林)

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2008年6月16日 (月)

電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(1)

2008年(平成20年)618日,東京明治記念館で,ユビキタスネットワーキングフォーラムシンポジウム2008が開催される。ここでは,異種センサーネットワーク間の相互接続共通プロトコル「OSNAP」の紹介と,標記ガイドラインの紹介とが行われる。筆者はガイドラインの策定にかかわった関係で,ガイドラインの趣旨や内容について,プレゼンを行う。参加費無料なので,この方面に興味がある方は,ぜひお越し下さい。

いまや電子タグは,物に対する正確かつ簡便なトレーサビリティを提供し,物流を支える大きなインフラになりつつある。そして,電子タグは,「物」だけでなく,「ヒト」に装着され,そのトレース(追跡)を行うために使用され始めている。物に装着される電子タグに関しては,既に総務省と経済産業省が策定したガイドライが存在する。物についてガイドラインが存在する以上,ヒトについてガイドラインがないのはおかしい。筆者がこのガイドライン策定にかかわった理由は,一言で言うと,こういうことである。

「普及し始めの技術に,ガイドラインで法律的な縛りをかけるのは,研究者や事業者に萎縮効果を与える。」という意見もあるが,これは誤解だと思う。ガイドラインがあった方が,その範囲内では,研究者や事業者はのびのびと行動できる。この方面の研究者や事業者の話を聞くと,法律的には全然問題がないのに,「これってもしかして違法?」と考えすぎて,萎縮してしまっている人がいる。このような人たちに自由に研究や事業をして貰うためには,ガイドラインは是非とも必要だ。もちろん,研究者の中には,「マッド系」の人がいて,法律的に見るととんでもない人権侵害となる研究を一生懸命やっている。このようなマッド系の人たちには,多少我慢をして貰わないといけない。個人的には,マッド系の研究者は大好きなのだが。

ところで,このガイドライン案は,ヒトに電子タグを装着する場合に関する条文と,電子タグ以外のユビキタス技術,すなわちネットワーク監視カメラシステムまたはバイオメトリクス技術を用いて人を追跡する場合に関する条文の,両方を定めているのが一つの特徴だ。なぜこうしたかというと,カメラやバイオメトリクス技術を用いたヒトの追跡は,法律的には,電子タグを用いたヒトの追跡と同質であり,将来的には,両者が融合していくからだ(そのときには,OSNAPなどの相互接続共通プロトコルなどが活躍するのでしょう)。もっとも,バイオメトリクスは電子タグに比べ技術的に未熟であり,普及にはなお数年待たなければいけないから,このガイドラインも,量的には,電子タグが中心となっている。(小林)

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2008年6月15日 (日)

弁護士人口を増加させたい財界の目的は?(1)

「弁護士を増やせば,弁護士費用の価格競争が発生して安くなる。弁護士人口を増加させる財界の目的は,弁護士費用を下げることにある。」という見解を述べる弁護士が少なからずいる。

筆者は,この見解は,たぶん,間違っていると思う。「間違っている」で語弊があるなら,「不正確」と言い換えてもよい。

弁護士が増えて,弁護士間の競争が激しくなった場合,弁護士費用は一般的に安くなるか。確かに,定型的な事件は,原則として,安くなるだろう。例えば,典型的な定型的事件である自己破産事件は,既に価格競争が始まっている。貸金返還請求事件や,交通事故事案も,その多くは,定型的な事件に属するから,これに関する弁護士費用も安くなるだろう。

しかし他方,複雑な事件や,専門的な事件に関する弁護士費用は,高くなる。なぜなら,これらに対応する能力のある弁護士の数が,相対的に少なくなるからだ。専門的な弁護士のブランド力が上がると言い換えてもよい。また,さほど複雑・専門的といえなくても,依頼者に資力の余裕がある場合は,わざわざ費用の高い弁護士を選ぶ。こういった依頼者は,弁護士費用の高低より,勝訴率の高低を重視するからだ。依頼者に資力の余裕が無くても,事件がさほど複雑・専門的でなくても,依頼者が,その事件で勝訴することに重大な価値をおいている場合には,高い弁護士を選ぶ。また,このような傾向に呼応して,あえて実力以上の料金設定をする弁護士も現れる(というか,もう現れている?)。

ほかにも考慮要素があるかもしれない。いずれにせよポイントは,弁護士が増えても,全部の事件の弁護士費用が安くなるわけではない,一部の事件の弁護士費用は,むしろ高くなるはずだ,ということである。

特に,財界の優良企業が依頼するような弁護士の弁護士費用は,弁護士が増えたときの方が,間違いなく高くなる。もし読者が優良企業の法務担当者であるとして,今までより弁護士の数が大幅に増えたとして,事件解決を安い弁護士に頼むか,高い弁護士に頼むかというとき,安い弁護士に頼むだろうか?筆者なら,万一負けたときに「安い弁護士に頼んだから負けたのだ。」と社内批判を浴びるリスクを避けたいから,安い弁護士に頼むことは絶対にしない。重要な選択基準は,高いか安いかではなく,その弁護士の能力である。費用が高くても能力の高い弁護士に依頼するというのが,優良企業やお金持ちの当然の選択となる。このように見てくると,財界の意図が弁護士費用を下げることにあるという見解は間違いであることが分かる。

「弁護士が増えれば,企業内弁護士を安く雇用することができるから,財界は弁護士を増やそうとしているのだ」という見解もあるが,同様に間違いである。確かに,弁護士を増やせば,企業内弁護士一人あたりの給与額は減るかもしれない。しかし,減るとしても,大学院卒業レベルの一般会社員以下には減らない。しかも,今まで企業内弁護士を雇ったことのない大半の企業からすれば,給与水準が下がったところで,企業内弁護士を新たに雇用することによって,その給与分の固定支出が新たに発生するのである。このような企業の立場から見れば,弁護士を増やしたいということは,「うちにも企業内弁護士が来てほしい」という期待のあらわれかもしれないが,「企業内弁護士に払う費用を減らしたい」という意欲のあらわれではない。

つまり,財界の立場から見れば,弁護士を増やすということは,間違いなく,弁護士に払う経費が増えることを意味する。仮に,弁護士1人あたりに払う金額が減るとしても,支払う企業の側からすれば,弁護士に支払う金額の合計は増えるのである。

弁護士を増やしても,弁護士に支払う金額の合計は減らない,むしろ増えるというのなら,なぜ財界は,弁護士を増やせと言うのか。それは,財界が,国内的にも国際的にも,企業が競争に生き残るコストとして,弁護士に金を払わないといけなくなる時代が来る,と予測したからである。好きで弁護士に金を払いたいわけでは勿論無い。払わなければいけない時代がもうすぐ来る,その時代が来てから弁護士を養成したのでは遅いから,今から増やしたい,というのが財界の判断だと思う。もちろんその判断の中に,「仮に弁護士が必要な時代が来なくても,依頼しなければいいじゃん。」という考えがあったことは否定できないが。

冒頭紹介したような弁護士の間違った見解は,司法制度改革を巡る財界人の発言の中で,「弁護士を増やせば競争が生まれる」という言葉の中の「競争」を価格競争とのみ理解することにより生じた誤解だと思う。財界が期待している「競争」は,価格競争ではない。

以上の見解は,たぶん正しい。筆者は経済学を知らないが,以上述べたようなことは,経済学の基本的な知識で説明できることではないかと思う。

ところで弁護士の中には,「財界が弁護士を増やそうとしているのは,事件単価を下げて,弁護士を飢えさせることが目的である。弁護士が飢えれば,目の前の事件処理が精一杯になって,政府や財界が中国やアジアに対する侵略戦争を起こそうとしても,止めることができなくなる。つまり,財界の目的は,弁護士を黙らせて,侵略戦争を起こすことにあるのだ」と主張する人がいる。先般日弁連会長候補になった高山俊吉弁護士もそう言っていた。私はこの見解も間違いだと思うが,理由を述べる必要があるだろうか。(小林)

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2008年6月14日 (土)

エレベーター圧死事故 シンドラー社は立件されず?(2)

標記ブログの追伸。

スイス放送協会が運営するswissinfo.chというサイトで,佐藤夕美という日本人の記者が,「シンドラーのエレベーター事故 文化の違い?」という記事書いていた(2006616日付)ので紹介する。

この記事によれば,スイス国内では,シンドラー社のエレベーターで死亡事故が起きたことより,記者会見で謝罪したことの方が興味を持って報道されたとのことである。この記事が紹介するドイツの日刊紙は,「日本では人の生命にかかわる技術については他の国と比べて,非常に厳しく完璧さを求められる。記者会見で頭を下げに本式に謝罪したことをシンドラーの米国のベンゴシは,会社が過ちを認めたことになると戦慄(ホラー)を持って受け止めた」と報じたそうである。

また,事故当初,シンドラー社の広報部長は,「日本のメディアの圧力」に対して不満を表明したとのことである。また,会社の方針として,「エレベーターの管理会社はシンドラー社と契約していないが,原因を究明し,今後の参考にしたい。捜査が終了するまでは,事故の原因,状況については一切のコメントを控える」と対応しているとのことである。これに対して記事は,「その理路整然さが,人間的な思いやりに欠けると受け止められたのだろう」と記しているが,日本人としての率直な感想であろう。

謝罪に関するシンドラー社の態度については筆者の予想どおりであったが,他方,「生命にかかわる技術に求められる完璧さ」が日本人の特質であると,ドイツ人記者にさえ思われている,というのはやや意外だった。

こういった違いが,記事が指摘するように文化の違いであるのか,そうでないのかは検討の余地があろうが,いずれにせよポイントは,経済や情報がどんどんグローバル化していく中で,そうでないものの重要性が,逆に増している,ということだと思う。(小林)

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2008年6月13日 (金)

品質管理と情報管理~不二家事件より(1)

シュークリームの原料に「消費期限切れ」牛乳を使用していたことが報道されたことに端を発する一連の不二家事件に関し,株式会社不二家から依頼を受けた郷原信郎弁護士ら5人の有識者が,平成19330日,「信頼回復対策会議最終報告書」という意見書をまとめた。平易かつ力強い言葉でまとめられたこの意見書は,弁護士を含め,コンプライアンスを考える者にとって必読の文献だと思う。

意見書によれば,一連の事件で不二家が甚大な打撃を被った原因は,同族会社の硬直性と社内意思疎通の悪さを背景に,社長の独断で選んだ外部コンサルタント会社の作成した不必要にセンセーショナルな報告書が社外に流出したこと,これを知った対応の遅れと誤り,捏造に近い誤報を重ねたマスコミにあるとしている。

この意見書の個々の論点については,それぞれ正当な指摘だと思う。ただ,以前から,何回読んでも,何となくしっくり来ないという,漠然とした違和感を覚えていたのも事実である。意見書の標記に不統一が見られることから,起案を分担して合体したようであり,そのせいで全体の印象が多少散漫になったのかもしれないと思っていたが,そうでもないような気がしてきた。以下一つの試論を述べる。

意見書によれば,コンサルタント会社が消費期限切れ原料牛乳の使用を指摘したのは平成181113日(事件が報道される約2ヶ月前)の社内会議の席上である。これに対して経営陣は,事実確認を優先するよう指示し,1129日,品質保証部による工場の抜き打ち検査が行われた。また,1115日には,問題とされた工場を含む全工場に,品質管理体制の徹底とコンプライアンス遵守が指示されている。意見書は,「事実公表を行わず,原因究明も問題の根本的な解決も行わず,『遵守指示』だけを行ったという,この時点での不二家の対応は,全く過ったものと言わざるを得ない」としている。

そうだろうか。少なくとも,これでは,意見を言われた不二家側としては,「じゃあどうすればよかったのですか?」と思っただろう。大事なのは,間違っていたと指摘することより,どうすればよかったかを指摘することだ。

いささか乱暴な試論かもしれないが,筆者としては,「消費期限切れ牛乳の使用」「雪印の二の舞」というセンセーショナルな指摘があった時点で,品質の確認作業とは全然別個に,この情報そのものに対する対応をするべきであったと考える。言い換えれば,「品質管理」と「情報管理」を混同したのが間違いであり,当時の不二家としては,「品質管理」を行うことはもちろん,「情報管理」をすべきであったのに,「品質管理」だけを行い,「情報管理」を行わなかったのが,最大の問題であると考える。つまり,「品質」と「品質(に関する)情報」は,似て非なるものだということだ。もっと平たく言い換えるなら「品質情報」は「品質そのもの」とは別に,「独り歩きをする」ということだ。

不二家事件が明るみに出た発端は,「消費期限切れ牛乳の使用」という「品質情報」が,社外に流出したことにある。これが,「品質情報は独り歩きをする」ということだ。

ちなみに,「独り歩きする」パワーは,情報の価値に比例して高くなる。つまり,報道価値の高い情報ほど,腕白な五歳男児のように,目を離すとどこに行くか分からなくなる。不二家の場合,その前の雪印事件で醸成された「食の信頼崩壊」という社会情勢や,不必要にセンセーショナルな報告書の体裁が,情報の価値を飛躍的に高めていた。(小林)

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2008年6月11日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(16)

「法科大学院の初期設計ミスが露呈した」。20071123日の日本経済新聞はこのように論じた。曰く,「80以上もの乱立したロースクール卒業者の新司法試験合格率は最終的には二,三割とも言われ,高い授業料を払って三回しか受験資格のない学生たちは,(多彩で先進的な多くの科目を自由に履修するという法科大学院構想の理念どころか)ひたすら試験科目の勉強のみに熱中し,いまやロースクールは高級予備校化したとすら言われている」。

20076月には,慶應義塾大学法科大学院の植村栄治教授が,司法試験問題を学生に漏洩したと疑われ,司法試験考査委員を解任された。司法試験予備校は,法科大学院より格下かもしれないが,試験問題の不正入手はしていない。慶応義塾大学法科大学院は,「高級予備校と化した」どころか,低級予備校以下に堕落したというべきだろう。

法科大学院の「予備校化」と「不正行為」の背景となった「乱立」はなぜ発生したか。法科大学院側から見て最大の原因は,司法試験合格者数は年3000人にとどまらず,更に数千人規模で増加する,との見通しにあった。2002年(平成14年)7月,政府の総合規制改革会議は,司法試験合格者年3000人の早期実施と,それ以上の合格者増を中間答申している。司法試験合格者枠は,近い将来,5000人,6000人に増える,と法科大学院が予測する素地は確かに存在した。

政府与党が,関連する宗教団体の経営する大学への法科大学院設立を認めさせるために,認可基準を緩和したという,真偽不明の噂もある。

日弁連にも責任がある。日弁連の事実上の代表であった中坊公平委員は,司法制度改革審議会で,たびたび,年3000人というのはミニマムの数字であると発言している。また,2000年(平成12年)111日の臨時総会決議では,法科大学院に関し,「全国に適正配置する」ことを求めている。これは,法曹一元の理念に照らした場合,地元に密着した弁護士と,その弁護士の中から選任された裁判官が誕生する必要があるため,法科大学院を各地方都市に設立する必要が生じることによるものだ。司法試験合格率の高い大学は,大都市に集中しているから,地方都市に法科大学院を設立することは,必然的に,学生定員数の飛躍的増加(と合格率の低下)を招く。ここでも,法曹一元の理念が,法曹人口を大幅に増加させる理屈として登場している。

「法科大学院構想は日弁連とは無縁のところで進行したから関係ない」という意見を述べる弁護士もいる。しかし,上述の通り,日弁連は法科大学院構想の実現を積極的に支援し,実現させたのだから,その結果として生じた様々な問題に取り組む責任があると思う。

そして,日弁連として取り組むべき最も大きな問題は,法曹人口の大幅増員と法科大学院の設置,司法研修所における法曹教育比重の相対的低下が,それ以前の法曹と本質的に異なる法律家を生み出すのではないか,また,それにより,社会における法律家の存在意義が,それ以前と大きく変わってしまうのではないか,という点である。これはおそらく,今後の弁護士と日弁連のありかたを根本から変えることになると思う。もっとも,この点は,余りに大きな問題なので,別の機会に論じたい。

ともあれ,法科大学院構想に関して,日弁連は,この構想を通じて法曹一元を実現するという目的については敗北したが,いくつかの司法改革施策を実現させたという意味では,一定の成果を得た。しかし,そのために日弁連や個々の弁護士が払った,あるいはこれから払うことになる代償がどれだけのものになるのかは,未検証である。これは筆者の直感であるが,日弁連が積極的に支援し協力した法科大学院制度の設立は,将来,弁護士自治を相当程度失わせることになると思う。弁護士自治を失えば,弁護士会はただの業界団体になる。そうなれば,法科大学院制度を実現するために,日弁連は魂を売った,という歴史的評価を受けることになる。(小林)

以上で,「日弁連はなぜ負けたのか?法科大学院構想編」を終わります。

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2008年6月 9日 (月)

法曹人口増反対決議を行うことの無責任さ

現在,大阪弁護士会として,法曹人口増の反対決議を行う動きがある。急激な法曹人口増による過当競争は,弁護士の質の低下をもたらすとともに経済的基盤を揺るがし,社会正義と人権の擁護という弁護士の社会的使命を果たせなくなるというのがその理由だ。推進者は,会員弁護士の総意ならやるべきだ,と血気盛んだが,筆者は,これはとても無責任な決議だと思う。

だからといって,本稿では「そんなことをしたら司法改革が頓挫する」などというおエライさん的な筋論を言うつもりはない。法曹人口増の反対決議は,別の意味で,とても無責任である。

無責任であることを,証明してみよう。

法曹人口増反対決議の最大の問題点は,決議したからといって翌年の司法試験合格者が減るわけではない,という点だ。つまり,弁護士会に司法試験合格者数を決定する権限がないので,この決議をしても効果がないのである。

推進者も,もちろんこれは分かっている。だからといって声を上げないのでは何も解決しない,現に過当競争にさらされ,弁護士の経済的基盤が脅かされているのだ。単位会から声を上げ,全国的に結集して,法曹人口増員反対に向けた大きなうねりを作り出そう!というのが彼らの主張である。増員反対は弁護士エゴとの批判があるが,弁護士が過当競争を免れて経済的基盤と質を確保し,ボランティアの公益活動と人権活動に打ち込む余裕ができるのだから,結果的には市民の利益になるという。

なるほど,とても美しい主張だ。

しかし,この主張が支持されるためには,これより優れた別の選択肢が存在しないことが前提だ。効果がある選択肢と,効果が無い選択肢とがある場合に,わざわざ効果が無い選択肢を選んでおいて,美しい主張を唱えても,それは茶番である。そこで問題は,法曹人口増反対決議より効果のある別の選択肢は無いのか?ということになる。

実は,あるのだ。それは要するに,新人弁護士の登録に対して,参入障壁を作ればよいのである。

具体的方法は色々あろう。数年間は新規登録を一切認めないという方法もあるし,登録料を一挙に10倍にする方法もある(登録料を出すのは裕福な勤務先事務所だから,この金を恵まれない弁護士に還元することで,弁護士の経済基盤を確保することができる)。こういったやり方が過激すぎるというのであれば,登録申請者には法科大学院と司法試験の成績を提出させ,一定以上の成績を収めたものでなければ登録を認めない,としてもよい(これなら質の維持が可能だ)。ほかにもやり方があろう。大事なことは,法曹人口増を抑制する効果のある,別の選択肢が存在する,ということだ。

この方法を導入すれば,過当競争が回避でき,弁護士の質と経済基盤が確保され,人権活動への障害も無くなる。さらに,新規登録を断られた新人弁護士が弁護士過疎地に行けば,過疎解消にも役立つ。効果があるうえ,一挙両得の素晴らしいアイデアである。難点といえば,大阪限りということだけだ。これは,大阪弁護士会の決議である以上,やむをえない。そこで,大阪を皮切りに,全国の弁護士会で参入障壁を作ればよい。最終的には全国レベルの大きなうねりを作り出し,法曹人口増の阻止が実現できる。

参入障壁なんか作ったら,それこそ弁護士のエゴだと言われないか?との批判がありうる。この批判に対しては,法曹人口増反対決議推進者の主張を,そっくりそのまま申し上げて反論としたい。参入障壁を作られて困るのは,登録を希望した新人と,これを採用しようとする裕福な法律事務所だけである。弁護士の質が維持され,経済的基盤の確立された既存の弁護士が公益活動と人権擁護に一生懸命働くのだから,大阪府民はちっとも困らない。だから,新人弁護士の参入障壁を作るのは,弁護士のエゴでは全然無い。

そんなに急いでやらなくても,という批判に対しても,法曹人口増反対決議推進者の主張をそのままお返しする。若い弁護士は,いま,経済的に困っているのだ。何年たったら実現するか分からない法曹人口増反対決議をしている暇など無いはずである。

だから,効果が無くて悠長な法曹人口増反対決議は,とても無責任である。

いくらなんでもそんな過激な,冗談でしょう,って?どうだろう。(小林)

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2008年6月 7日 (土)

3000人問題と法曹の質の問題について

筆者の父は,定年退官したもと裁判官であり,今から50年近く前は司法研修生であった。その父から,司法研修所で印象に残った2人の同期生の話を聞いたことがある。

一人は,これほど頭の切れる人間がこの世にいるのか,というほどの能力の持ち主であった。検察官志望だったこの男は,人格識見とも,父が逆立ちしても到底かなわない人物であり,「こんな男と同期では,検事になっても出世はおぼつかない」と思った父は,検察官志望を撤回したそうである。この男とは堀田力といい,特捜検事として名をはせ,ロッキード事件の捜査及び公判立会検事として活躍したが,将来を嘱望されながら退官し,現在は弁護士資格を持ちつつ,さわやか福祉財団理事長や,コメンテーターなどとして活動している。

さて,もう一人は,「こんな馬鹿でも司法試験に受かるのか」と驚き呆れた人物であった。司法研修所でも,余りのデキの悪さに,まさか二回試験は通るまいと思われていたらしいが,この男は予想に反して二回試験を突破し,これも検察官になった。ただし堀田力と違い,あっさり退官して弁護士になり,その後弁護士業界ではさまざまな悪い噂をまき散らしたが,1995年(平成7年)以降,一躍時の人となった。

固有名詞を出すと問題になりうるので控えるが,その男とは誰あろう,某宗教団体の教祖の弁護人を買って出たうえ,「おお馬鹿者!」「も~う,やめてぇ~」など一連の発言とパフォーマンスで,マスコミの寵児となった「あの人」である。

つまり父は,同期のトップと,同期のビリを両方知っているのだ。

で,このユルい話が「3000人問題と法曹の質」というお堅い標題とどんな関係があるのかって?

司法試験合格者数3000人になると,法曹の質が低下する,という意見がある。既に,基礎知識が欠落した修習生が現れている,と主張する。しかし,司法試験合格者数300人だった父の同期から,あの「ぶぁっかもん!」弁護士が出ているのだ。つまり,どんな制度でも,どんな合格者数でも,間違って合格する人はいる。だから,3000人の中で10人や20人,「やめてぇ~」レベルの馬鹿や阿呆がいたからと言って,それは制度の本質的欠陥とは言えないのである。それでも,3000人になると法曹の質が低下するというのなら,件の弁護士に匹敵する馬鹿を100人以上連れてくるか,そうでなければ全体の平均または標準偏差を持ち出さないと,議論としては裏付けを欠くことになると思う。(小林)

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2008年6月 6日 (金)

監視カメラを利用したPV

Telegraph.co.ukの記事によると,イギリスマンチェスターのアマチュアバンド「The Get Out Clause」は,カメラマンと機材を用意する予算がないので,イギリスの道路のそこら中にあるカメラを使うことを思いついた。つまり,監視カメラの前で演奏を行い,その映像でPVを作成しようということである。イギリスには1300万台の路上監視カメラがあるので,ロケハンには苦労しなかった。このバンドは,マンチェスター市内の80もの場所で演奏を行った。その中には何と,バスも含まれていた。そして彼らは,情報自由法に基づいて映像の提供を請求したところ,約4分の1の監視カメラ運用者から映像の提供を受け,これを編集してPVを作成した,とのことである。

何ともたくましいブリテン野郎だが,監視カメラの法律問題としてみると,この顛末にはいくつか注目するべき点がある。

まず何と言っても,イギリスの監視カメラが1300万台という情報だ。筆者の最新の情報では500万台だったのに,あっという間に二倍以上に増えたことになる。

次に,監視カメラに写った本人が,その映像公開を請求する権利を有し,4分の1とはいえ,その実効性が認められたことだ。日本には,監視カメラに写った人がその映像を公開する権利があるとは,少なくとも一般には解されていない。しかし,世界的に見ても,日本の情報法の考え方に照らしても,監視カメラに写った人の映像開示請求権は認められる方向に進むことは間違いない。日本の監視カメラの運用者は,このような請求に耐えられるだろうか。

最後に,このPVを見る限り,バンドメンバー以外の一般市民の映像は,おおむね,適切に処理されて,誰が写っているかが分からないように処理されている,ということが注目される。このブリテン野郎は,案外繊細にプライバシー権に配慮していることが分かる。もっとも,マンションのベランダに佇む家族の映像は,プライバシーの観点からは問題があると思われるが,画角(下からあおって撮っている)や解像度を見ると,この映像に限っては,監視カメラの画像ではなく,映っている人たちは俳優なのかもしれない。(小林)

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2008年6月 5日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(15)

2000年(平成12年)11月1日の日弁連臨時総会決議の提案理由は,「国民が必要とする適正な法曹人口」を5万人と試算し,これを実現するために,司法試験合格者数は年3000人程度が必要としている。

5万人という法曹人口について,提案理由文は,諸要素を総合的に考慮した,ともっともらしい理屈を述べているが,これまで概観してきた経緯に照らせば,これが建前であったことは明白である。本音は,全国に法科大学院を設置し,その経営が成り立つ最低ラインとして,司法試験合格者数年3000人を受け入れることにあった。

ではなぜ,日弁連が全国に法科大学院を設置し,その必然的な結果として弁護士数が飛躍的に増大することを容認する選択を行ったのか。それは第1に,法曹一元を実現するためであり,第2に,いくつかの司法改革の施策を実現するためであった。

この二つの目的のうち,法曹一元構想が無惨な敗北に終わったことは既に述べた。確かに,弁護士の大幅増員は法曹一元実現の必要条件かもしれないが,弁護士が増えたからといって,法曹一元が実現するわけではない。「法曹一元を期する」と言う以上は,その手懸かりを確保しておかないといけなかったのに,中坊公平委員と当時の日弁連執行部には,この点の認識が,なぜか,ぽっかりと抜けていた。

つぎに,司法改革については,裁判員制度,被疑者国選弁護など,いくつかの施策が実現し,また実現されようとしている。これは日弁連が法科大学院構想を支持し,法曹人口大幅増員を受け入れた一つの成果といえる。問題は,これらの司法改革の施策が,法曹人口増の大幅増に見合うものであったといえるか否かであるが,法科大学院の問題を離れるので,別の機会に論じたい。

一方,日弁連が法科大学院構想を積極的に支持し,法曹人口の大幅増員を受け入れたことは,いくつかの重大な問題を日弁連に突きつけることになったと思う。

その第1は,1997年以前の日弁連の態度との断絶ぶりである。日弁連が「国民が必要とする適正な法曹人口」を5万人と認めたことは,1997年以前,司法試験合格者数年1000人にも抵抗していた日弁連が,国民の利益を考えていなかったと認めることである。これは同時に,かつて法曹人口増員論抵抗の理由として日弁連が唱えた「弁護士の経済的基盤の確保論は,既得権益にしがみついた弁護士の業界エゴでした。すいません。」と,日弁連が公式に認めたことをも意味する。

第2は,1997年,日弁連が法曹人口増を抑制する武器として用い,一定の成果を挙げた「法曹養成機関の予算的限界論」を,日弁連自らが放棄したことを意味する。私立大学はもちろん,独立行政法人となった旧国立大学が法曹養成を行う以上,予算的限界が消滅してしまったからだ。

第3は,法科大学院の設立によって,日弁連は「後戻りのできない選択」をしてしまったという点である。単に,「国民の必要とする適正な法曹人口」の試算を間違った,というだけなら,後になって「あのときの計算は間違いでした。すいません訂正します。」と言えばよい話であり,後戻りが可能である。しかし,一旦設立させた法科大学院は,容易なことでは潰すことができない。まして,法科大学院制度全体を消滅させることは,事実上不可能である。つまり,後戻りができないのである。現在,法曹人口増に反対する弁護士の中には,「弁護士に自由競争原理を導入したのだから,法科大学院にも自由競争原理を導入すべきだ。過剰な法科大学院は潰せばよい。」という勇ましい意見を言う人がいる。筆者も潰れた法科大学院の教員や従業員に同情するつもりはないが,学生についてはそうはいかない。民間英会話学校の倒産でさえ,生徒の去就が社会問題になることを想起して欲しい。教育機関の倒産によって,若者が夢を絶たれるという事態は,社会にとって大きな損失だから,法科大学院はおいそれと潰すことはできないのである。

もちろん,かつて法曹人口増に抵抗するために用いた武器を自ら放棄したからといって,日弁連執行部が,2000年当時,年3000人を超える増員を容認したわけではない。その証拠としては,建前にせよ,モデル国とされたフランスが,他の先進諸国中最も法曹人口の少ない国であったこと,司法試験合格者数年3000人という数字が,法科大学院の経営が成り立つ最低レベルであったことが挙げられる。しかし,かつて法曹人口増に抵抗するために武器を放棄した結果,2000年以降,法曹人口増に抵抗する武器は「国民が必要とする法曹の量と質を確保する」という,とても曖昧な概念のみとなってしまった。しかも,「国民が必要とする法曹の量」という概念は,実際のところ,算定不能である。したがって,今後法曹人口論を論じるとき,日弁連が武器として使えるのは,「法曹の質」という概念だけとなる。(小林)

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2008年6月 4日 (水)

エレベーター圧死事故 シンドラー社は立件されず?

平成20年6月2日の産経webによると,3日で事故から2年を迎える港区エレベーター圧死事故で,警視庁は,管理体制の不備が事故原因であるとして,保守管理業者の立件に向けた詰めの捜査をしている一方,製品の欠陥性は薄いとして,シンドラー社の立件は見送る方針であるという。記事によると,事故原因はブレーキパッドの摩耗であり,事故直前に点検をしながら摩耗を発見できなかった管理業者の責任しか51496ca8_2問えないとのことである。

この報道が事実であるとすれば,事故当初の報道とはずいぶん違う話だ。事故当初からずいぶん長い間,シンドラーバッシングとでも言うべき報道だったと記憶している。当時の新聞の見出しを列挙するだけでも,「シンドラー社捜索 コメントのみで沈黙守る社長ら」(平成18年6月8日日経朝刊),「圧死事故シンドラー社エレベーター 閉じ込めなどトラブル多発」(6月8日西日本讀賣朝刊),「シンドラー社エレベーター『明らかに欠陥商品』石原都知事が批判」と,事故原因特定前から,シンドラー社のエレベーターが原因と決まったような報道ぶりである。シンドラー社の主たる取引先であった公共団体でも,入札業者の指名停止が相次いだ。記者会見や遺族への弔問にあらわれた日本法人社長の容貌が,何となくナチの残党っぽい感じであったこともあってか(失礼!),感情的な反発がとても強かったと記憶する。

事故の1ヶ月後ころから,事故原因はブレーキパッドの摩耗にあり,事故直前の点検作業で摩耗に気づかなかった管理会社に責任があるという方向に収束していくが,世論も遺族もこれを許さなかった。遺族は度々,警視庁と東京地検に対して,シンドラー社の立件を要求しており,事故後2年経ってもまだ起訴がなされていない状況にある。今日に至っても,エレベーターやエスカレーターの事故があると「またシンドラー社」と報道され,「シンドラー・エレベーター」は極めて知名度が高くなっているが,他方,事故当時の管理会社の名前は,誰も思い出せない。

この凄まじいバッシングの中で,シンドラー社は法的責任を否定し,謝罪を拒否し続けた。遺族への情報提供も,捜査中を理由に拒み続けた。2006年(平成18年)12月に日本法人社長が辞任するが,その理由も「日本社会の信頼を失った道義的責任を取る」というもので,法的責任はないとの見解を貫き通した。

この事件は,シンドラー社や報道機関や関係者に,とても重い課題を残していると思う。まずシンドラー社に関しては,結果的に法的責任がなかったとして,一切謝罪しないという対応に問題がなかったのか,問題がなかったとしても,日本で円満に商売を継続するためには謝っておいた方がよかったのではないか,という問題がある。おそらく,スイス人の経営陣には,責任の所在も明確にならないうちに謝るなどということは,考えもつかないことだったのだろう。他方日本人の感覚からすれば,法的責任の有無とは別に,事故後すぐに頭を下げていれば,これほどのバッシングは起きなかったことになる。毒入り餃子事件でも感じることだが,製品事故の当事者が国境をまたぐ場合の対応は,とても難しい。

報道機関についても,大いに問題がある。シンドラー社製エレベーターに対する批判報道の大半は,「閉じこめ」に関するものであり,「圧死」事故とは全く異なる形態であったにもかかわらず,報道機関は故意にこれを混同し,閉じこめ事故が多いなら,圧死事故にも法的責任がある,との論調で報道し続けた。しかし,シンドラー社は,「閉じこめ」は安全装置が働いた結果であるから,同社製エレベーターが安全であることの証明でこそあれ,事故ではないという対応を取り,これがさらなる反発を招いた。

また,有識者の多くは,この事故の背景にはエレベーター製造会社と保守管理業者が分離し,情報の共有が行われなくなったことにある,と訳知り顔で解説するだけであった。それはその通りかもしれないが,それだけでは同種事故の防止にはほど遠い。

経済産業省は,六本木ヒルズ森タワーの自動回転ドア事故のときは6ヶ月でガイドラインを策定したが,エレベーターの監督官庁である国土交通省は,事故後検討委員会を立ち上げたものの,その後ガイドラインを策定したとの報に接しない。

事故から2年。何かよい方に変わったことがあるのだろうか。(小林)

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2008年6月 3日 (火)

久保利英明弁護士は,誰の代理人か

平成20年6月2日の日本経済新聞「法務インサイド」に,「法曹人口拡大を問う」と題して,鳩山法務大臣と久保利英明弁護士との対談が掲載された。

文意がやや分かりにくいのは,担当記者の文章力もあろうが,発言者の立場が不明確であることも原因のような気がする。

まず鳩山法務大臣だが,同大臣は当然,法務省の立場を代表している。そして,法務省の立場を一言で言うと,「文科省と日弁連が司法改革を駄目にした」というものだ。法務省にしてみれば,1997年(平成9年)までは法務省と最高裁と日弁連の法曹三者で,「ドラえもん」の男の子達のように仲良く喧嘩して(日弁連はもちろんのび太ですね),司法界を牛耳っていたのに,日弁連が突如文科省と結託し,法科大学院制度を創設した。文科省が教育改革問題で成功したことなど無いのに,日弁連は文科省の口車に乗せられた大馬鹿者で,案の定,法科大学院はこの体たらく,ということになる。このような観点から,記事の鳩山大臣の発言を注意深く読むと,人口問題というより,法科大学院教育の問題性を指摘していることが分かる。法務大臣が,「弁護士の質の高さは絶対に守りたい」と発言することには,とても大きな政治的含意がある。この発言を聞いた誰が「ムカッ」とするかを想像してみれば,それは明らかだ。

やや分かりにくいのは,久保利英明弁護士の立場だ。記事には,同弁護士はもと第二東京弁護士会会長であり,大宮法科大学院大学の創設に参画とある。同大学は,第二東京弁護士会と学校法人佐藤栄学園が提携して2004年(平成14年)に開学。佐藤栄学園理事長の佐藤栄太郎氏は埼玉県を中心に11の学校を運営する立志伝中の人物のようだが,被害者の会なるサイトもある。その佐藤栄太郎氏が,設立当初,「日本一の合格率を目指す」(2004年1月26日朝日新聞)と豪語した大宮法科大学院大学だが,2007年(平成19年)度司法試験合格者数は,出願者数62名に対して最終合格者数6名。合格率1割を切り,全国最低レベルである。しかも,「学力偏重は駄目」という佐藤理事長の言葉(上記朝日新聞)にもかかわらず,平成19年6月29日の各紙では,司法試験考査委員を兼ねる大宮法科大学院大学の弁護士兼教授が,自ら出題・採点した司法試験問題材料に演習し,採点基準を生徒に配布したと報じられ,慶應大学の入試問題漏洩疑惑事件と並び,「法科大学院の受験予備校化」として世間の非難を浴びた。法曹人口増の論客の一人であった宮澤節生教授も早稲田大学に移籍してしまった。平成20年の法科大学院志願者減少は,46大学に定員割れを生じたと報じられたが,大宮法科大学院大学は,間違いなく定員割れをした法科大学院の筆頭だろう。

このあたりを書き出すとキリがないから結論を急ごう。要するに大宮法科大学院大学は,司法試験合格者数の見直しが行われれば,真っ先に潰れる大学である。そして久保利英明弁護士は,大宮法科大学院大学の立場を代理しているのだ。久保利英明弁護士の発言は,少なくとも3000人の合格者を確保し,大宮法科大学院の延命を図るためのものと考えれば理解しやすい。「法曹人口5~6万人では足りない」「そのために法科大学院を作った」「法曹の質を高めるため,法科大学院では法曹倫理を教えている」という久保利弁護士に発言は,いずれも,大宮法科大学院の代理人としての弁論と考えれば,素直に理解できる。もちろん,理解することと賛同することは別問題だが。

筆者がこのようなことを久保利弁護士に直接申し上げたら,久保利弁護士は色をなして反論されるだろう。しかし,「大宮法科大学院大学の創設者」という歴史的事実は,一生,久保利弁護士に付いて離れることはない。

ところで,世間から見ると,「口八丁で黒を白と言いくるめる」と思われている我々弁護士だが,弁護士にだって,守らなければならないいくつかの約束がある。その代表は,「誰の利益のために行動しているかを明らかにする」というルールだ。また,「誰の味方かを誤解されるような紛争には関わらない」というルールもある。

久保利弁護士は,弁護士である以上,自分が大宮法科大学院大学の利益のために行動していることを,どの記事においても明確にするべきである。もしそうでないと言うなら,誤解を受けやすい自らの立場に鑑みて,法曹人口問題や法科大学院問題についての発言を控えるべきである。久保利弁護士は大変お忙しい身であり,日本を代表する法律実務家の一人であって,国家社会のために,ほかにして頂くべきことは沢山あるのだ。(小林)

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2008年6月 1日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか? 法科大学院構想編(14)

法曹人口増問題は,1997年(平成9年)10月,将来の1500人を視野に入れたところで,一旦上限を打つ。これは,当時の司法修習制度と予算の物理的限界であった。翌11月に登場したロースクール構想は,1500人では全然足りないとする自由民主党司法制度特別調査会の意思に基づいて発想されたものであり,かつ,ロースクール構想は,本質的に,司法試験合格者年1500人では成立し得ないものだった。従って,従来法曹人口増に抵抗を続けていた日弁連の立場からすれば,ロースクール構想に反対して然るべきところだが,現実には,日弁連はロースクール構想に異議を唱えることはなかった。それは,ロースクール構想が,日弁連の悲願である「法曹一元」と「司法改革」の衣をまとって登場したからであった。

1999年(平成11年)62日,司法制度改革審議会設置法が成立する。同日,日弁連の小堀樹会長(当時)は,「司法制度改革実現のため長年にわたり着実な取り組みを進めてきた当連合会の活動の成果ともいうことができ、国民主権の下における司法の改革が広く国民各層の間における議論を踏まえて実現されようとすることに格別の意義を認める」との談話を発表し,これを歓迎した。

司法制度改革審議会設置法成立の9日後である1999611日,司法制度改革審議会委員13人が内定する。うち5人は学者であり,このうち北村敬子中央大学商学部長と鳥居泰彦日本私立大学連盟会長の2名を除く佐藤幸治座長(京都大学教授),井上正仁東京大学教授,竹下守夫駿河大学長の3名は,現在も法科大学院協会の役員を務めている(筆者注;佐藤幸治氏は平成203月をもって退任した)。このときをもって,法科大学院制度の発足は内定したとみてよい。

もっとも,この時点では,日弁連が法科大学院構想に対して公式にどのような態度を取るかは未定であった。すでに指摘したとおり,日本に法科大学院制度を設けるためには,司法試験合格者数は最低でも年3000人は必要と計算されたため,日弁連が反対する可能性があったからである。

しかし,19991119日,日弁連は法曹人口に関して,「市民が要望する良質な法的サービスの提供と法曹一元制度を実施するためには、弁護士の人口が相当数必要であり…法の支配を社会のすみずみまで貫徹させる観点から…日弁連は国民が必要とする弁護士の増加と質の確保を実現する」との基本的提言を行い,将来の司法試験合格者に1500人という「上限」を付した1997年の基本方針を事実上撤回した。

19991124日,司法制度改革審議会第7回審議において,東京大学の青山義充副学長(当時)が,将来の日本の法曹人口は,少なくともフランス並みの75600人を目指すべきであり,これを達成するために年3000人の司法試験合格者が必要と述べたが,日弁連の事実上の代表であった中坊公平委員はこのとき,全く発言していない。なお,同年出版された文藝春秋12月号において,中坊公平委員は,日本が必要とする法曹人口として6万人とする試算を行っていた。

このようにして,司法試験合格者数年3000人に向けたレールが着々と敷かれていく。

1999年末から2000年にかけて,日弁連会長選挙が行われた。

このとき初めて(後に5回連続して立候補する第1回目として)立候補した高山俊吉弁護士は,選挙公報において,「弁護士が幅広く人権活動を行うことができるのも,経済的基盤があってこそ」であり,その裏付けのない弁護士人口の極端な増加は,弁護士の質を低下させ,弁護士自治を害し,ひいては社会的弱者の立場にある民衆に被害を与える,と主張した。この主張は,日弁連が1995年以降封印したはずの「弁護士の経済的基盤確保」論である。また,法科大学院構想に対しては,「有為の人材を閉め出すとともに,統一・公正・平等の理念を確実に失わせる」として反対した。

これに対し,対立候補の久保井一匡弁護士は,「国民が必要とする弁護士の増加と質の確保を実現する」という方針で対応すると主張し,従前の日弁連執行部路線の承継を公約するとともに,法曹養成制度に関しては,「法曹一元の実現に向け,大学関係者とも協議しつつ,法曹養成制度も改革する」としており,間接的な表現ながら,法科大学院構想を支持した。

この選挙では,事実上,司法試験合格者数年3000人程度を想定した法曹人口増の可否と,法科大学院構想の是非が争点になっていたと見られる。

久保井一匡弁護士が日弁連会長に当選した直後である2000年(平成12年)2月822,司法制度改革審議会において,中坊公平委員が,日弁連として司法試験合格者年3000人を事実上容認することとなるプレゼンを行う。そして,200088日,司法試験合格者数年3000人が事実上内定する。(小林)

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