電子タグを利用した個人の位置情報等提供サービスの運用に関するガイドライン(2)
このガイドラインの内容は,大きく,次の3つの柱からなっている。第一は,電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係であり,第二は,電子タグなどのユビキタス技術によって取得され流通するヒトの情報と権利との関係であり,第3は,システム運用に対する社会の信頼を得るための方策である。
第一の「電子タグを装着されることそのものとヒトの権利との関係」とは,要するに,ヒトに電子タグを装着することは,物に装着するほど簡単ではない,ということである。ヒトに電子タグを装着する方法はいろいろあり,カードで携帯させたり,ランドセルや靴に装着したり,首からかけたり,腕輪・足輪にしたり,体内に埋め込む(マトリックスにありましたね)方法もある。前者ほど装着は簡便だが,忘れたり,他人の電子タグと入れ替えが発生したり,悪意で破棄・破壊されたりする危険がある。後者ほど,装着された個人特定の確実性が増すけれども,他方,「電子首輪」と言われたり,「監視社会」と言われやすくなる。要するに,ヒトの精神的拒絶反応を招きやすい。
この問題に関しては,「電子タグの体内埋込など一切禁止すればよい」とか,「本人が同意した場合に限定すればよい」という考え方もありうる。しかし筆者は,特に,意思決定能力が乏しい子どもや老人などに関して,電子タグの体内埋込や,腕輪・足輪方式の採用の問題は避けて通れなくなると思う。例えば,小学生の安心安全のため,ランドセルに電子タグを装着される実証実験が行われている。しかし,この装着方法では,誘拐犯人に破棄されるリスクを回避できない。また,徘徊老人の管理のため,電子タグを体内に埋め込むということも考えられる。腕輪や足輪では,痴呆老人はこれを本能的に取り外そうとかきむしってしまうため,体内埋込しか選択肢がない場合があるのだ。
このような考え方に対しては,老人の人権侵害だと反対する意見もあろう。しかし,現実に手錠や縄でベッドに縛り付けられている痴呆老人が,病院敷地内といえども自由に行動できるようになるならば,電子タグの体内埋込は一つの可能性になるはずである。
腕輪・足輪での電子タグの装着や,体内埋込の問題と,とても似通っているのが,バイオメトリクスの問題である。バイオメトリクス技術の場合,人体への侵襲を伴わないが,他方,一度他人に取得されると,「マイノリティ・リポート」の主人公のように,他人と体の一部を交換しない限り,一生それに拘束されることになる。その意味で,バイオメトリクス技術を用いたユビキタス・トレーシングシステムは,電子タグの体内埋込に勝る人権侵害を引き起こす可能性がある。
そこで,電子タグの体内埋込・足輪・腕輪の使用や,バイオメトリクス技術の使用に関しては,相当厳しい制限を設けなければいけない。(小林)
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