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2008年7月28日 (月)

公的資格制度論で忘れられたもの

「公的資格,特に業務独占資格という特権は,責任を伴う。だから,責任が果たせなければ,特権を剥奪するべきだし,責任を果たす人数が足りなければ,資格者増加や,業務独占範囲の見直しが不可欠となる」とは,規制改革会議の核となる考え方である。

この考え方は,それ自体間違いではない。しかし,公的資格制度のとても大事な点を忘れている。

公的資格制度や,これに伴う業務独占は,無資格者の参入を抑制・禁止するから,職業選択の自由(憲法22条)に真っ向から対立する。だから,自由主義国に公的資格制度や業務独占資格が存在するのは,一見,とても奇妙なことだ。しかし,どれほど自由主義的な国家であっても,公的資格制度のない国はない。それはなぜか。公的資格制度は,国家レベルの適材適所,すなわち「人材」の適正配置を通じて国家のあり方を左右する,とても重要な制度だからである。

公的資格制度は,必ず「特権」が伴う。なぜなら,資格に「特権」がなければ,「人材」が資格取得を目指さないため,「人材」の適正配置という国家戦略が実現しないからだ。この「特権」には,国家が付与する「特権」もあれば,そうでないものもある。国家が付与する「特権」としては,業務独占権や身分保障などがあり,それ以外の「特権」としては,社会的名声や経済的優位性などがある。

全体主義国家では,理論的には,資格に「特権」を付与する必要がないから,公的資格制度も必要ない。なぜなら,能力者にその職業を強制すればよいからだ。自由主義に反するかに見える公的資格制度だが,実は,自由主義社会においてこそ必要である。

そして,公的資格者は,職務を適正に遂行する「責任」を負う。殊に,業務独占資格者は,職務を適正に遂行するだけでなく,職務を遂行しなければならないという重い「責任」を負う。なぜなら,公的資格者が職務を適正に遂行しなければ,国民はその職種の適正なサービスを受けられなくなり,公的資格制度の意味がなくなってしまうからだ。

まとめると,公益資格制度は,3本柱で支えられている。それは「人材」と「特権」と「責任」である。この3本柱は,相互に関連している。

すなわち,その分野に「人材」を集めたければ,「特権」を厚くする必要がある。しかし,「特権」が厚すぎて,「責任」が軽すぎれば,国民は適切なサービスを享受できない。国家戦略的にも,他の重要な分野に「人材」が行かないという不都合が生じる。だが,「特権」に比べて「責任」を重くしすぎると,「人材」が去ってしまう。

そこで,国家としては,その時々の国家戦略を実現するため,いろいろな資格の「特権」と「責任」をうまく差配して,適切な人材を適切な職種に誘導する必要がある。例えば,明治初期の日本は,富国強兵の国家戦略のもと,高級官僚と職業軍人に特権を付与して人材を集めた。また,貧富を問わず優秀な人材を発掘するため,初等教育の教員を優遇して国費で養成し,全国各地に配置した。夏目漱石ほどの英才が東大卒業後中学教師として「ど田舎」の松山に派遣されたのは,当時の国家戦略に照らせば,特殊でも異例でもない。

大学医学部の偏差値が高いのは,医師という公的資格が,業務独占,社会的名声,経済的優位性,という№1クラスの「特権」を伴うため,学業に秀でた「人材」が競って医学部を目指すからである。

上級国家公務員も,一種の業務独占資格といってよい。若いうちは過酷労働と安月給であるにもかかわらず,特に文系の優秀な学生が競って上級国家公務員試験を目指したのは,国家的意思決定に直接関与するという職業上の充実感はもちろんだが,中堅以上になってからの強大な権限や,天下りに伴う莫大な生涯年収という「特権」と無縁ではあり得ない。近年,行政改革によって天下りに厳しい規制がかけられたことと,上級国家公務員試験を目指す学生が減少傾向にあることとは,決して無関係ではない。いうまでもなく,優秀な人材を官僚ではなく民間に配置することが国家戦略であるならば,この傾向に異論はない。

確かに,公的資格者に「特権」を付与することには,弊害がつきまとう。公的資格者は「特権」を既得権益化してその擁護に汲々とし,時に「責任」を忘れる。また,「特権」を持つ公的資格者と,「特権」を守る監督官庁との間に癒着が生じがちである。だから,「人材」と「特権」と「責任」とのバランスを常に見直すことはとても大事である。すなわち,その時々の国家戦略に照らし,「特権」と「責任」の関係を調整して適正な「人材」を配置することが,国家の責務となる。公的資格制度の運用に当たっては,「国家戦略」に相応した「人材」と「特権」と「責任」のバランスが,とても重要なのだ。

ここまで論じれば,規制改革会議の誤りは,明らかであろう。規制改革会議は,「特権」と「責任」しか見ておらず,「人材」を失念している。また,3者のバランスを取るという発想がない。その結果,「特権を剥奪したら,人材が集まらない」という視点が完全に欠落している。

「人材」を失念したとき,「特権」は「責任」の対価という誤解が発生する。しかし,「特権」は「責任」の対価ではなく,「人材」の対価である。平たく言えば,公的資格者は,その資格にふさわしい「人材」であるから,「特権」を持ち,「責任」を負うのだ。

10年前,日本は,「法化社会の実現」という国家戦略を立てた。そのために,優秀な人材を司法界に多量に投入すると企図した。それには,優秀な若者が,競って法律家を目指す国家的社会的環境を整える必要があった。少子高齢化社会において,優秀な若者も絶対数が減っている。だから,法化社会を実現するにふさわしい「人材」を集めたいなら,「特権」に重心を移してバランスを取らなければいけなかった。

ところが,政府や規制改革会議や日弁連が実行したことは,法曹の特権を縮小・剥奪することだけだった。なぜこれで人材が集まるといえるのか。いま,法曹界を巡る報道は,新人弁護士の就職難と,特権の縮小・剥奪だけである。これらのニュースに接する二十歳前後の若者は,よほどの物好きでない限り,司法試験を目指さないだろう。特権を失った司法界からは,怒濤のごとき人材離れが発生する。その結果,35年後の法曹界に登場する新人は,空前の材質低下を来す(絶後になることを祈るばかりであるが)ことになる。法科大学院で鍛えれば何とかなるって?どんなに磨いても,石は玉にならないのだ。(小林)

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2008年7月27日 (日)

デジタルサイネージ

京都大学美濃研究室が中心となって進められている「センシングWEBプロジェクト」全体会議で,NTTサイバースペース研究所の小池英樹氏が,現在取り組んでいるいくつかの研究を紹介してくれた。

その一つ,デジタルサイネージとは,ディスプレイに広告等の映像を流す技術だが,それだけでは,店頭で商品説明のビデオを垂れ流していることと変わらない。デジタルサイネージの特徴は,見る人にあわせて,映像を変更することにある。例えば,赤ちゃんを抱いた母親が通ればミルクの広告を表示し,若いサラリーマンが通ればビジネス指南書の広告を表示するという案配である。映画「マイノリティ・リポート」に,主人公が商店街を歩くと,レーザー光線が自動的に虹彩情報を読み取り,壁に主人公の興味を持ちそうなCMが表示されるシーンがあった(しかも,CMが主人公の名前を呼びかけていた)が,これが,現在想定されている究極のデジタルサイネージである。

デジタルサイネージの中で,小池氏のチームが取り組んでいるのは,通行人がどれだけこの広告に注目したかを知る技術である。具体的には,通行人の顔画像を自動的に特定し,その顔が広告の方を向いたか,どの程度注視したかを,画像処理技術を用いて自動的に解明する。この技術が実用化すれば,ネット広告がクリック数に応じて広告費用を算出するのと同じように,何人にどれだけの時間注視されたかで広告費用を算出することが可能になる。

デジタルサイネージは,現在,アメリカを中心に,将来性がとても期待されている。ただし,この技術が社会に受け入れられるためには,プライバシー権との調整が不可欠となる。広告側に設置されているセンサーが,どの程度の個人情報を取得することが許されるのかと,これに対する一般市民の信頼感をどうやって確保するのか。道を歩いていて,ふと広告に目をとめたことがきっかけで,次の角で突然,別のディスプレイから,「いまエビちゃんのハンドバックに目をとめたあなた。当店でエビちゃん推薦の新作ハンドバックをご覧になりませんか?」と話しかけられるような世界は,社会に許容されるのだろうか。

筆者自身としては,とても面白い世界が出現するという期待がある一方,筆者が前を歩くたびにディスプレイが次々と育毛剤やカツラのCMを表示する世界というのも,どうかなあと思っている。(小林)

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2008年7月25日 (金)

和歌山カレー事件で原因が特定されるまでを振り返る

食品に毒物が混入されていた場合,原因を特定することがどれほど困難であるかを実証する例として,和歌山カレー事件を振り返ってみる。和歌山カレー事件は,1998年(平成10年)725日,和歌山県園部市で,夏祭りの際住民に配られたカレーに混入されたヒ素により,60人以上が下痢や嘔吐の症状を訴え,4人が死亡した事件である。この事件は,発生当時,マスコミによってどのように報道されたのだろう。

事件の翌日である726日の東京新聞朝刊は,60人の患者を「食中毒症状」と報じ,和歌山市保健所は集団食中毒事件として調査を始めたとしている。カレー事件の第一報は,集団食中毒事件であった。

しかし事件の2日後である727日の日本経済新聞は,食べ残しのカレーと患者の吐瀉物から「青酸が検出された」と報じ,担当医師の「はじめから青酸化合物と分かっていれば,中和剤を投与するなどの手段もあったのだが」とのコメントを紹介した。この日から,事件名は各紙とも,「和歌山青酸カレー事件」となり,地下鉄サリン事件以来の大ニュースとして報じられる。青酸検出情報を受け,和歌山市の中谷病院では,青酸反応の報を受け,青酸中毒の解毒に用いられるチオ硫酸ナトリウムを患者全員に注射した。結果的には全く無駄な治療であり,不要な解毒剤による二次被害が出なかったことは幸いであった。

728日の中日新聞は,「今回の青酸カレー事件は当初『食中毒では』と診断されて青酸中毒の処置がなされず,4人が死亡した」と報じ,名指しは避けながらも,保健所の対応を非難している。

729日の日刊スポーツは,カレーを食べた後9時間後に死亡した人がいること,農工業で使用される青酸化合物特有の不純物が検出されなかったことから,「致死量ギリギリの高純度青酸カリ」が原因と報じた。しかし,この報道の根拠は,検出された青酸反応が極めて微少だったことにあった。結果論を言えば,このとき警察・報道機関・医療機関は,青酸以外の毒物の存在を疑ってしかるべきであったが,すでに関係者の頭は「青酸カレー事件」で一杯になっており,他の可能性を思いつかなかったようだ。82日の熊本日日新聞は,青酸中毒に気付かなかったと保健所所長を名指しして,その不手際を非難した。

ところが83日,事件は二転する。同日の日本経済新聞朝刊は,犠牲者の胃の中からヒ素が検出されたとし,「捜査本部は犯人がカレーに二種類の毒物を混入した可能性が高いと判断」と報じた。この時点ではまだ,青酸の可能性は排除されていなかったことが分かる。その後捜査機関とマスコミが,青酸の可能性を排除し,ヒ素中毒事件であることが公式に明らかになったのは,事件後3週間を過ぎた821日のことであった。

実は,和歌山カレー事件の原因がヒ素であったことは,事件当初から示唆されていた。青酸中毒特有のアーモンド臭がなかったこと,青酸中毒では見られず,ヒ素中毒の症状である下痢が報告されたこと,事件直後に毒物の混入を指摘する匿名電話があったこと,我が国の毒物混入事件でヒ素の使用は比較的多いこと,等の情報からすれば,ヒ素中毒の可能性は疑われてしかるべきだったとも言える。また,捜査本部がヒ素を検出する2日前には,患者の症状を聞いた外国の医師から,「ヒ素中毒を疑うべき」とのメールが寄せられていた。あとからみれば,これだけの情報が揃っていてもなお,当時の関係者は「食中毒」と「青酸中毒」との思いこみから抜けられなかったのである。

和歌山カレー事件に見られる原因特定を巡る混乱は,なぜ生じたのだろうか。警察,保健所,マスコミがそろいも揃って平均以下の知能しか持たなかったからなのか。筆者はそうとは思えない。後知恵で,結果論を振り回すことは誰にでもできる。しかし,その時現場に置かれた人間は,どんなに有能であっても,事実を見ることがとても難しいのだ。

和歌山カレー事件の3年前,地下鉄サリン事件で警察は,事件直後に毒物をサリンと特定した。しかしこれは,その前年の松本サリン事件があったからだ。松本サリン事件では,原因物質の特定に6日間を要し,その遅れが世間の非難を浴びていた。その警察も,和歌山カレー事件の報に接し,サリンと同種の有機リン酸系毒物の使用を(青酸とは別に)疑ったようだが,それ以前の毒物犯罪で多く用いられたヒ素の可能性には思い至らなかった。結局のところ,人間の応用力というものはこの程度のものだということなのだろう。

さて,筆者が今頃になって和歌山カレー事件を振り返るのは,この事件に,中国製毒入り餃子事件との共通点を感じるからである。毒入り餃子事件の場合,最初の被害発生から約1ヶ月間,販売業者が事件を公表して製品を回収しなかったことについて,マスコミの非難が集中した。しかし,最初の被害(餃子を食べた千葉県市川市の一家5人が有機リン系中毒とみられる症状を訴えた被害)をもって,メーカーが事件を公表して製品を回収することが可能だっただろうか。それは,和歌山カレー事件で,事件直後に,事件に使用されたカレールーのメーカーが,商品の自主回収を行うことに等しい。もし,事件の第一報を受けた直後に冷凍餃子を回収しなかったジェイティフーズが非難に値するならば,和歌山カレー事件の直後にカレールーを回収しなかったメーカーも同程度の非難に値しなければならない。ところが,和歌山カレー事件では,カレールーのメーカーは,非難どころか,話題にも上っていない。当時の客観的可能性としては,カレールーに毒物が混入されていたこともあり得たはずである。和歌山カレー事件で事件直後にカレールーを回収しなかったメーカーが非難に値しなければ,事件の第一報だけで冷凍餃子を回収しなかったジェイティフーズも,同様に非難に値しないはずである。「回収しておけば良かった」という識者の指摘は,後知恵にすぎない。

このように,著明な事件を引き合いに出して再発防止策を検討するに当たっては,後知恵を排除することは,とても難しいが,とても大切なことである。(小林)

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2008年7月23日 (水)

日弁連「法曹人口問題に関する緊急提言」に,町村官房長官「見識を疑う」のは「当然」と朝日新聞

日弁連が2008718日に公表した「法曹人口問題に関する緊急提言」に対して,唯一沈黙していた(というより10日に既に報道していた)朝日新聞が,「日弁連の見識を疑う」という町村官房長官のコメントを受けて,「当然。日弁連は司法改革の原点に帰れ」との社説を掲載した。このブログの流れ上,一応紹介しておく。「一応」というのは,社説の中身が,とてもつまらないからだ。

社説の中身がつまらない理由は,問題点,すなわち「質の低下」と「新人弁護士の就職難」に対する具体的な処方箋を示せず,関係者に対する努力要請にとどまっている点にある。つまり手詰まりであることを,間接的に認めているからだ。「過労気味の弁護士も少なくないのだから,積極的に新人弁護士を迎え入れて欲しい」と社説氏は述べるが,過労気味なのに新人が雇えない理由が時間不足に無いことは,社説氏自身,承知しているはずだ。

また,日弁連ないし弁護士に対する批判のトーンも低い。「ギルド」「エゴ」「特権」のオンパレードだった10年前とは隔日の感がある。

現時点で関心を持つべき点は,現在の議論がどの着地点に収斂していくか,であろう。閣議決定である「2010年ころまでに司法試験合格者年3000人」に即していうと,現実的な組み合わせは3つ,すなわち,「20103000人堅持」「3000人は堅持するが,2010年は先送り」「3000人を堅持せず,相当数減員する」である。第4の選択肢,すなわち「2010年より前に3000人を達成」という規制改革会議が主張する選択肢は消滅している

そして,法曹の質の問題と就職難の問題が手詰まりである以上,「20103000人堅持」も事実上無理であろう。

そうすると,残る選択肢は」「3000人は堅持するが,達成時期は先送り」「3000人を堅持せず,相当数減員する」となる。国内での議論がこの二つのどちらに収斂していくかが,とても注目される。(小林)

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2008年7月22日 (火)

法科大学院1期生「トンデモ答案」集

2008722日の日本経済新聞によると,最高裁判所は法科大学院1期生で司法試験に合格した司法修習生の卒業試験(いわゆる二回試験)の不合格答案の概要をまとめた。中には,被告人のアリバイの主張を無視したり,これを否定する内容の弁論を書いた修習生や,飼い猫を有償で預かったのに死なせてしまった場合の責任を問う問題で「猫を生きたまま返すことまで契約に含まれていないから,猫の返還義務に不履行はない」とした答案などの「トンデモ答案」が含まれているという。

紙面は,「法科大学院の教育内容が問われそうだ」としているが,アリバイの主張を無視するような資質は,教育以前の問題であって,法律家になる適性が根本的かつ修復不能なほど欠けていると言うべきであろう。このような資質に欠ける人間が相当数,法科大学院に入学し司法試験に合格しているとするならば,それは,法科大学院生の資質が無視しがたいほど低下していることの,一つの証拠となりうる。

ところで,今回最高裁判所が発表した内容は,本年6月24日の規制改革会議法務・資格タスクフォースでも一部触れられており,その意味で特に目新しいものではない。したがって(例によって),このニュースの報道価値は,最高裁がこの時機に,この報道をした背景にあると言うべきだ。そしてこれは言うまでもなく,718日に,日弁連理事会が法曹人口増員に関する緊急提言を受けてのものである。

世の中の動きを,とても流れの遅い川にたとえるなら,こういったニュースは,時々川底から浮かび上がってくる泡ぶくに等しい。我々一般人は,こういった泡ぶくを見つめて,川がどちらに流れているか,冷静に判断することが必要だ。(小林)

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2008年7月19日 (土)

日弁連「法曹人口問題に関する緊急提言」に,町村官房長官「見識を疑う」

日弁連は,2008718日,理事会において「法曹人口問題に関する緊急提言」を採択し,資料とともに公表し,記者発表を行った。

記者発表によると,今回の緊急提言は,「司法改革を推進する立場を堅持しつつ」「法曹人口急増のスピードが一連の法曹養成課程において,様々なひずみをもたらしている事実を直視し,増員のペースをスピードダウン」することを要請するものである。

この緊急提言に対し,町村信孝官房長官は,同日午後の記者会見において,「日弁連の見識を疑う」とコメントした。会見の内容はこちらをご覧いただきたい(但し19日午前11時時点で未公表)。

官房長官のコメントを整理すると,次の通りである。すなわち,「日弁連は結局,業界の利益が第一である。確かに,法曹三者の質の維持は重要だが,司法改革の立場をかなぐり捨てて,業界利益を言い出す見識を疑う。ただ,自民党内にも議論があり,政府法務省内でも検討がなされているから,さらに議論を煮詰めていきたい。」

官房長官が日弁連を批判する根拠は,次の2点だ。第1点は,自ら司法改革を推進すると約束すると言っておきながら,これを反故にする約束違反,という指摘だ。しかし,日弁連緊急提言は,司法改革推進の立場を堅持するとしているので,官房長官の批判はあたらない。日弁連も,やすやすと司法改革放棄の批判を浴びるほど,馬鹿ではない。

官房長官が日弁連を批判する第2の点は,「業界利益」という点だ。この点は,多少解説が必要だろう。なぜなら,例えば漁師が燃料高を理由にストライキをしたところで,同様の批判は受けないからだ。では,弁護士は「業界利益」との批判を受け,漁師は受けないのはなぜか。それは,弁護士が基本的人権の擁護と社会正義の実現を旗印にしているからだ。つまり,官房長官の批判の要点は,弁護士の偽善性にある。「社会正義だ人権だとおっしゃるけど,自分の稼ぎが大事なんでしょ」というわけである。この点は筆者としても意見を述べたいところであるが,本稿の主旨ではないから,後日にする。

次に押さえておきたいのは,町村信孝官房長官の立場だ。これにも二つある。第一はいうまでもなく,官房長官としての立場だ。今般の日弁連緊急提言は,2002年3月19日の閣議決定に異を唱えるものであるから,内閣官房長官として不快感を表明することは,立場上当然といえる。

第二は,町村信孝官房長官は文教族議員の有力者という点だ。2002811日の日本経済新聞は,法科大学院構想を巡る法務族と文教族の縄張り争いが加熱してきたとして,奨学金などの財政支援は学生個人にではなく,大学に給付するべしと主張する町村信孝現官房長官(当時は前文部科学相)を紹介し,「法務族にはこれまでの文科省による法学部教育は失敗だったとの思いが強く、『文教行政の制約を払いのけて大学院を軌道に乗せたい』(保岡興治・党司法制度調査会長)との立場。文教族は『法科大学院で縄張りを侵されると他の職業大学院構想でも他省庁が口を出してくる。絶対譲れない』(幹部)との姿勢だ。」としている。つまり,町村信孝官房長官は,法科大学院の倒産を容認できない立場にある。

現時点でのマスコミの姿勢はどうか。まず,日弁連緊急提言の背景については,「日弁連は増員による競争激化を懸念する声を無視できなくなったという事情がある。2月の日弁連会長選挙では,法曹増員をはじめ司法改革に批判的な候補者に約43%の票が集まった」(日本経済新聞),「合格者増加に伴い,都市部で『仕事が減る』との危機感が広がり,今年の日弁連会長選で宮崎誠候補は急きょ『見直し』を訴えて辛勝した」(中日新聞),「合格者急増で法律家の質の低下や弁護士志望者の就職難が指摘されていることを受けたもの」(産経msn)などがある。

次に,日弁連緊急提言に対する批判的論調としては,「法曹増員を認めてきた日弁連が方針を事実上転換するもので,司法制度改革趣旨に逆行する(法曹関係者),法務省や最高裁が改革の趣旨を踏まえて法曹養成に取り組んでいる段階であり,日弁連は責任を果たし切れていない(法務省関係者),新司法試験の結果を2回しか発表していない段階で方針を後退させるのは,法曹希望学生に動揺を与える(法科大学院教授)」(毎日新聞),「法科大学院などからの批判も予想される」(中日新聞)とするものがある。また,2000111日,日弁連自らが法曹人口増員を決議したことを指摘したのは日本経済新聞,毎日新聞,中日新聞である。

総じて,マスコミは日弁連緊急提言に対して批判的論調ではあるが,半年前のような感情的なものではない。他方,日弁連に同情的な記事は見あたらない。なお,毎日新聞による「法務省関係者」のコメントはミスリードだと思う。

現時点では,朝日新聞は何も報道していない。緊急提言に関しては,7月10日に報道済みだからだ。町村官房長官のコメントを,朝日新聞がどう報道するかは注目される。

現時点で我々一般の弁護士がしておくべきことは何か。第一に,宮崎日弁連会長の綱渡りは始まったばかりである。日弁連緊急提言の内容も,これに対する政府のコメントも,マスコミの論調も,予想の範囲内である。町村官房長官も,法務省等の検討待ちと言っている。だから,感情的な対応をせず,冷静に事態を分析することが必要である。

第二に,いろいろなシミュレーションをしてみることである。今回の日弁連緊急提言が,例えば司法改革を否定するような,もっと「過激な」ものであったらどうか。高山俊吉弁護士が日弁連会長選挙に当選していたらどうなっていたか。大阪弁護士会が当初企図していた案ならどうか。逆に,日弁連執行部が,スローダウンを主張しつつ,将来(2010年以降のいつか)の3000人または法曹人口5万人堅持を打ち出していたらどうか。

もうひとつ,「3000人は中坊と久保井が勝手に決めた」という間違った歴史認識は,いい加減撤回すべきだ。こんなことを言っていると,弁護士は世間からもっと馬鹿にされるだけである。(小林)

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ダスキン事件を振り返る(4)

以上,ダスキン事件を,食の安全とコンプライアンスの視点から振り返ってみた。では,当時のダスキン幹部としては,結局,どうすれば良かったのだろうか。実は,この点については,事件の真相が何だったのか,という検討をせずに語ることはできない。

筆者は先に「これ以上立ち入らない」と書いたものの,ダスキン事件を振り返ると,「実際に起きた事実(つまり神様が見た事実)」と,「ダスキンが会社として発表した事実」と,「訴訟でダスキンないし取締役が主張した事実」との間にズレがあり,それが,事件のわかりにくさに輪をかけているような気がしてならない。

「当時ダスキンにはかなり深刻な派閥抗争があった」という筆者のカンが正しいと仮定するならば,A社の製造する肉まんに無認可添加物が使用されていたことは,かなり早期から,社内の特定の部署では「公然の秘密」となっていたのではないかと思う。そして,それまで肉まんなど作ったこともないC社が参入に名乗りを上げたこと,誰かがC社社長に無認可添加物使用の事実を耳打ちしたこと,その後のダスキンがC社社長に「口止め料」を払った役員を処分しC社との契約を切ったこと,あえて「口止め料」と言う言葉を使って記者発表したこと,などは,すべて一方派閥の描いた絵である可能性があるし,他方,無認可添加物使用の告発は,他方派閥(またはC社)の逆襲である可能性が否定できない。また,件の取締役会で,無認可添加物の使用を「積極的には公表しない」と決定した,という点も,「積極的には公表しない」という言葉を使用した点において(裁判所がこの言葉に敏感に反応するとは想定していなかった点において),株主代表訴訟における取締役側弁護士のミスである可能性もあると思う。実際には,件の取締役会では無認可添加物の使用に関する対応は,もっと前に,もう少しきちんと検討されていたが,その内容は,「諸般の事情」により,裁判で主張するわけにはいかなかったのではないかと邪推する。

いずれにせよ重要なことは,ダスキン事件については,不祥事を知った幹部社員または取締役が法律的に適切な対応を取らなかったのは,自らの社内的地位の保全のためであった,ということである。コンプライアンスやCSRの教科書にはよく,「会社の利益のためではなく,社会の利益を考えて行動しなさい。それが結局は会社の利益です。」と書かれているが,人間の行動原理の中には,会社の利益のほか,本人の利益という重要なものがあることを,この事件は教えている。(小林)

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2008年7月15日 (火)

ダスキン事件を振り返る(3)

次に,問題の肉まんが全て売れてしまった後に事実を知った(とされる)11人の取締役はどうか。これらの取締役に対しても,株主代表訴訟が提起され,1審の大阪地裁(平成121222日判決)では元専務一人に5億円余の損害賠償を命じ,のこり10名の取締役については責任を否定した。これに対して2審の大阪高裁(平成18610日判決)は,11人の取締役全員に損害賠償を命じた。その金額は,2名に5億円余,9名に2億円余であった。

この11人の取締役の法的責任に関する最大のポイントは,彼らが事実を知った(とされる)時点で,既に無認可添加物が使用された肉まんは完売され,消費者の胃の中に収まっていて回収は不可能であり,かつ,当該添加物の使用は形式的には食品衛生法違反であるが実質的には危険性はなく,1300万個も販売されたのに健康被害は1件も起きていない,という点である。このような状況において,事後に事実を知った役員は,法律の観点から見た場合,どうするべきであったのだろうか。

高裁判決の認定によれば,これら11人のうち幹部二人は,事実を知った後,「事実を公表すれば消費者の非難は免れず信頼を損ねると判断し,積極的には公表しない」という方針を決定し,取締役会でこれを聞いた残りの取締役は,特に異議を唱えず黙認した。高裁判決は,この対応について,2億円ないし5億円の損害賠償責任を認めたわけである。

2006年(平成18年)828日の日本経済新聞によれば,原告株主側弁護団長の中山巌雄弁護士は,「企業が不祥事を自ら『公表する義務』を認めた画期的な判決」と評価し,記事自身,「不祥事を公表する義務」が取締役にあるとの論調である。

しかしこれはミスリードであろう。該当部分の判決文は,次のとおりである。「(事実が明らかになれば,ダスキンは消費者の信頼を失い,マスコミにたたかれ,企業存亡の危機をもたらすことは当時十分に予想されたのだから),そのような事態を回避するために,そして,現に行われてしまった重大な違法行為によってダスキンが受ける企業としての信頼喪失の損害を最小限度にとどめる方策を積極的に検討することこそが,このとき経営者に求められていたことは明らかである。ところが(9人の取締役は),そのための方策を取締役会で明示的に議論することもなく,『自ら積極的には公表しない』などというあいまいで,成り行き任せの方針を,手続的にもあいまいなままに黙示的に事実上承認したのである。それは,到底,『経営判断』というに値しないものというしかない。」

厳しい言い回しではあるが,この判決は,中山弁護団長が言うような「不祥事公表の義務」を認めてはいない。「不祥事を公表するか否かを含めて,対策を積極的かつ十分に検討する義務」を認めているだけである。つまり,幹部取締役の決めた方針だからと,批判的な検討を放棄することは,取締役の会社に対する善管注意義務違反であり,厳しい法的非難に値すると言っているのだ。平たく言えば,しゃんしゃん取締役会は駄目ですよ,と言っているのであり,それ自体,至極まともなことであって,驚くに値しない。深読みをすれば,取締役が不祥事公表のメリットデメリットをあらゆる観点からきちんと検討し,その結果,公表しない方がよい,という結論に達した場合には,仮に結果として事実が漏洩し,会社に莫大な損害が発生したとしても,取締役は法的責任を負わない,とも読み取れる。もっと意地悪な深読みをすれば,軽々に不祥事を公表して,莫大な損失を会社に与えたときには,取締役は損害賠償責任を負う場合があるという論理的帰結さえ,ありうる。つまり,この判決のポイントは,「不祥事を公表したか否か」ではなく,「不祥事を公表するか否かを十分に検討したか否か」なのである。

この点に関し,上記記事は,大阪弁護士会の山口利昭弁護士のコメントとして,「『不祥事を公表しない経営判断は許されない』との司法判断を役員は重く受け止める必要がある」と警告していると紹介するが,この記事も同様にミスリードであるし,何より山口弁護士のブログを見る限り,同弁護士はこうは言っていない。(小林)

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2008年7月14日 (月)

「なぜ企業不祥事は,なくならないのか」を読んで

國廣正,五味祐子弁護士著の「なぜ企業不祥事は,なくならないのか」(日本経済新聞出版社,2005年)を読んだ。

筆者の國廣弁護士は,「社員は悪くありません!」と社長が絶叫た山一証券が破綻した後,社員有志によって自主的に作成された「社内調査報告書」(1998416日)に関与し,その後,企業コンプライアンスやCSRの普及のため,積極的に活動しておられる,この分野の第一人者である。

この本で特に感心するのは,話がとても具体的な点だ。山一証券の「飛ばし」事件や日本ハムの「牛肉偽装」事件,東京電力の「原発事故隠し」事件など,実例に則した提言は,法律家以外の読者をも全く飽きさせないだろう。実例がまだ無い(というか,まだ表沙汰になっていない)事案については,具体的な設例とシミュレーションでカバーし,コンプライアンス担当者が「何をするべきか」を説得的に論じている。

著者は,「危機管理に魔法の妙薬はない。不断に行うリスク分析こそが,企業破綻を回避する唯一の方法である。問題の先送りは破滅をもたらす」と主張する。そして,「あなたの周りに,いまだに次のような発言をする上司が幅をきかせていないだろうか」と問う。

「危機は,今,そこに存在している。先送りは危険だというキミの意見にも一理ある。私もちゃんと分かっているんだよ」「しかし,まだ燃え上がっているわけではない。何も今,『事を荒立てる』必要はないではないか。状況が好転する兆しもないわけではないし…」「いや,何も私はこの問題を軽視しているわけではない。その重要性は十分に認識している。しかし,今は時期が悪いよ」「もう少し,慎重に『事態の推移を見守る』ことが必要だ」「それともキミには,今,この問題を一気に解決する妙案でもあるのかね?」

いるいる。このような上司は,筆者も見たことがある。ただし,企業にではなく,弁護士会にである。「この問題」を「法曹人口問題」に読み替えれば,この「上司の発言」は,法曹人口問題を先送りしようとする一部のエライ弁護士の発言と瓜二つである。「今は歯を食いしばって耐えるべき」というエライ先生の発言は,問題の先送りにほかならない。そして,このようなエライ先生は,弁護士会の中で,とっても幅をきかせている。

ということは,弁護士会は今,破滅の危機に直面していることになる。そうだとすると,國廣弁護士は,弁護士会にこそ,必要な人材である。講演などでお忙しいと思うが,ここはひとつ,本籍地の弁護士会のため,一肌脱いで頂きたいものである。(小林)

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2008年7月13日 (日)

ダスキン事件を振り返る(2)

まず,最初に事実を知ったとされる二人の取締役について,少なくともその後に販売された300万個の肉まんについては,販売を停止しなかった責任を免れることはできない。実害があろうが無かろうが,無認可添加物が使用された食品を販売することは,刑罰によって禁止された明白な食品衛生法違反であり,その販売を正当化することはできない。

ただ,現実問題として,当時の二人の取締役に,問題が指摘された肉まんの販売を中止するという選択が可能であったかはかなり疑問である。なぜなら,一時的にせよ各地の「ミスタードーナツ」の店頭から肉まんが消える事態は,無認可添加物の使用を公表するに等しいし,それは,ダスキンに重大な損失をもたらす可能性があった。他方,この添加物は日本では許可されていないとはいえ,実際には危険性は無いといって良いものだった。形式的には食品衛生法違反(3年以下の懲役または300万円以下の罰金)とはいえ,実際に下された処罰は20万円の罰金だったことも,実質的な違法性の低さを示している。

これに加え,当時のダスキン中枢部が深刻な派閥抗争の最中にあったという筆者のカンが正しければ,この二人の取締役が担当部署の失態を自ら明らかにすることは,その時点で,派閥抗争に敗北し,会社を放逐されることを意味する。実際のところ,この二人が翌年の派閥抗争で敗北しなければ,この件をヤミから闇へ葬ることは可能だったはずだ。このような状況で,この二人の取締役に,目前に迫った確実な危機と,将来起きるかもしれない危機の可能性の,どちらを回避するかと選択させたら,前者を選ぶのは当然といえよう。

この二人の取締役を被告とする株主代表訴訟において,1審の大阪地方裁判所(平成17210日)は,食品衛生法6条違反という具体的な法令違反が認められること,C社に支払った6300万円が,口止め料という,違法とは言えないまでも不当な隠蔽工作を行ったことを根拠に,ダスキン事件で同社が被った損害の全額である106億円余という膨大な損害賠償を命じた。続く大阪高等裁判所の判決は,事実認定はほぼ1審判決と同じであるが,取締役と損害との因果関係については,一審判決と違う判断をした。すなわち,仮に当時事実を公表しても,相当の損害がダスキンにもたらされることは避けられなかった,として,隠蔽による損害は全損害の半分と認定し,約53億円の賠償金の支払いを命じたのである。

京都大学の北村雅史教授は,53億円という「非情とも言える額の賠償責任」が妥当かを論じ,「(実際に多数の)健康被害を生じさせた雪印乳業の事件などに比べれば,(事件を公表しないことによるダスキンの)信用低下はそれほどひどいものにならないと予想していたのではないか」とし,そうであるとすれば,ダスキンが実際被った106億円余という巨額の損失を予見できなかったとして,この二人の取締役の賠償責任を,支払可能となる金額にとどめることができたのではないかと指摘する。これは示唆に富む指摘というべきであり,少なくともこの二人の代理人弁護士としては,実質的には危険性がなかった添加物の使用について,ヒステリックと言えるほどの世論の沸騰までは予見できなかった,という主張をするべきだったのではないかと思う(実際にそのような主張をしたか否かは未確認だが)。

この判決が53億円という巨額の賠償責任を二人の取締役に課したのは,「口止め料」の支払をはじめとする積極的な隠蔽工作を行ったと認定されたことが大きいと思われる。もっとも,これらの判決のうち,C社に支払った6300万円が口止め料であったか否かについては,実のところ,疑問が残る。この金が口止め料であることは,事件発覚の際,ダスキン自身が記者発表して認めたことであるが,その時点でのダスキン経営陣は,この二人の取締役を放逐した対立派閥によって構成されていたことには留意する必要がある。また,ダスキンはその後,C社社長を恐喝罪で告訴したが,結局C社社長は逮捕も書類送検もされていない。さらに,C社とダスキン間の訴訟の判決(大阪地裁平成17916日)では,この6300万円がダスキンとC社双方にとって口止め料と理解されていたとは言えない,と認定されている。確かに,製造委託契約の趣旨に反して無認可添加物入りの肉まんを製造したA社を切り,新たにC社と契約するとともに,設備投資資金として数千万円を交付することそれ自体は,経営判断としてあり得ることとも言える。

いずれにせよ,事実を知った二人の取締役に関して,コンプライアンスという観点からは一つの結論を得た。しかし,C社社長から無認可添加物の使用を聞いた後,300万個の肉まんの販売を中止することが実際には不可能だった,という点に照らせば,食の安全という観点からは,何ら結論が出ていないと言わざるを得ない。(小林)

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2008年7月10日 (木)

ニュースを読む視点

2008710日のasahi.comは,日弁連が司法試験合格者数年3000人の見直しに向け,従前の路線から方向転換する方針を固めたと報じた。法務省はこれを受け,近く省としての方向性をまとめる見通しとも報じ,司法制度改革の根本が大きく変わる可能性もあるとしている。記事全体としては,仕事が減ることを恐れる弁護士のエゴが背景にあるとして,司法制度改革に抵抗する日弁連を非難するトーンである。

この記事に対しては,弁護士の側からいろいろ反論も出るだろうが,言っても詮無いことだろう。マスコミの行動原理は,正しいか否かではない。報道価値のあるなしなのだ。

むしろこのニュースの読み方としては,「なぜ710日なのか?」という視点が重要である。なぜなら,先日のブログで紹介したとおり,日弁連執行部が報道された方針を会員にファックスしたのが71日であるから,10日の報道は遅い。他方,記事も認めるように,日弁連としての正式意思決定は来週(18日)だから,これを待って報道しても遅くない。つまり,日弁連のスケジュールに照らすと,この報道タイミングは,とても中途半端である。ではなぜ710日なのか。

これは相当の部分を想像と伝聞で補った筆者の仮説であるが,大阪の弁護士から見た一つの視点としてお読み頂きたい。

報道された日弁連の方針は,会員に公開されたのが71日であるが,それ以前から,マスコミには示唆されていた。これはそもそも,宮崎日弁連会長の選挙公約だから,それ自体は意外でも珍しくもない。3000人に反対した千葉県弁護士会の決議は報道価値ゼロとしてマスコミから黙殺されたし,同様の東北弁護士会連合会決議も地元紙1紙がベタ記事で報道しただけである。日弁連が同様の決議をすれば多少は報道価値もあろうが,地方単位会の決議に比べかなり「おとなしい」内容なので,大したことはない。だから,71日に日弁連執行部が方針を明らかにしても,マスコミは動かなかった。

マスコミが動かなかった理由は,もう一つある。それは,日弁連会長の「お膝元」である大阪弁護士会が,日弁連執行部案に比べてかなり踏み込んだ,日弁連から見てとても「過激な」弁護士会決議を提案する動きを示していたことだ。この動きが本格化すれば,マスコミ的にはとても面白い。俄然報道価値が上がる。大阪弁護士会の決議については,すでに予定稿が作成されていた。内容は知らないが,想像はつく。大阪という大単位会と日弁連との意思不統一を面白おかしく書いたものに相違ない。弁護士の「エゴ」に対する批判のトーンも,報道された記事より,ずっと強烈なものであったろう。記者は,予定稿発表のタイミングを,手ぐすね引いて待っていたに違いない。

ところが,大阪弁護士会の「過激な」動きは,「諸般の事情」で,いきなりトーンダウンした。大阪弁護士会執行部の作成した決議案は骨抜きにされ,日弁連執行部案と大差ないものになってしまった。そして,大阪弁護士会執行部が骨抜きになった決議案を事実上公開したのが,710日である。今後の展開は予断を許さないものの,当面,予定稿はボツである。そうなると,報道価値が多少あるのは日弁連執行部案だけとなる。このほか,サミットが終わってあまり大きなニュースもないという事情があったかもしれない。このような顛末で,asahi.comのニュースが報道されたと見る。

asahi.comのニュースも示唆するとおり,日弁連執行部方針は,法務省との綿密なすりあわせの結果,策定されたものとみてよい。日弁連が提言し,法務省がこれを受けて政策を示すという連係プレーである。もしこのとき,大阪弁護士会の「過激な」決議がなされ,これをマスコミが面白おかしく報道し,世論が弁護士批判に傾けば,日弁連と法務省の連携は破綻したであろう。法務省は知らぬ顔を決め込んで,3000人見直しなんてとんでもない,という態度を取る可能性はとても高かったと思う。法曹人口問題に関する限り,法務省は世論の動向にとても敏感である。つまり,大阪弁護士会の当初の「過激」な決議案は,3000人見直しの流れにブレーキをかける可能性が高かったと,筆者は思う。

法曹人口問題は,政治問題である。そして,政治とは,こういうものである。日弁連執行部の今回の動きがベストの選択なのか,筆者には分からない。しかし,少なくとも,会員の多数の意思だからというだけで,日弁連と相反する決議に走ろうとした大阪弁護士会に比べれば,政治的にましな選択であることは間違いない。(小林)

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2008年7月 9日 (水)

公共空間での撮影と画像の利用について

TVの野球中継で,親子連れの顔が鮮明に映ったりすることがたびたびあります。顔が識別できれば,『誰がいつ誰と野球場にいたか』ということがわかりえることになりますが,このようなケースでも,行動の記録を無断で世間に公開されたということに関する訴えが成立する可能性があるということでしょうか?」

というご質問をブログへのコメント欄でいただいた。

これは,①公共空間での撮影が許されるか,という問題と,②記録された画像データの利用がどの範囲で許されるか,という問題である。

まず①の問題について考えると,プライベートな空間(私邸の中など)であろうと,公共空間(野球場など)であろうと,人は,「みだりに撮影されない」という権利を持つ。これは,法律家の世界では,常識に属することだ。これに対して,「それならば,観光地で記念撮影するときに,第三者を写すことは違法なのか?」という質問を受けることになる。

もちろん違法ではない。その理屈としては,次の3通りがある。

1番目は,「撮影を承諾している」という理屈だ。例えば野球場でプロ野球の試合を観戦する場合,試合とともに観客席の様子がテレビ中継されることは常識であり,観客も当然それを想定して観客席に座っている。だから,観客が承諾している範囲内で,その観客を撮影しても違法ではない。言い換えると,観客が承諾している範囲を超えて撮影することは違法になりうる。つまり,試合の合間に観戦の様子をちらちらと撮影する程度なら承諾の範囲内だが,お忍びの有名人だからと言って試合そっちのけで撮影し続けたりするのは違法となる。ときどき消化試合で閑古鳥の鳴くスタンドで熱烈なキスを交わすカップルの様子が放送されることがあるが,これは概ね,承諾の理屈で違法性を回避できる。

2番目は,「撮影の目的と方法が合理的な範囲にある」という理屈だ。この場合には,承諾が無くてもよい。これは,撮影の目的が正当であり,かつ,撮影方法が正当であることが必要だ。事件報道のための撮影は,多くの場合,これに該当する。

3番目は,法律家の世界で受忍限度論と呼ばれる理屈だ。詳しい説明は避けるが,要するに,社会生活上,お互いに我慢しあうべき範囲である。観光地で記念撮影をするときに,第三者を写してしまうことになっても,それはお互い様であるといえる。

これらの3つの理屈の適用範囲は,それぞれ別個独立ではなく,お互いに重なり合っている。

次に②の問題について考えると,①の3つの理屈で撮影が正当化される場合であっても,その画像をどう利用するかについては,それぞれの理屈に基づいて,一定の制限が課せられることになる。例えば,承諾の理屈からすれば,テレビ報道を想定しない承諾しかなければ,その画像をテレビ報道することは違法となる。事件の加害者や被害者のプライベートビデオが放送されるとき,よく,他の被撮影者にぼかしがかけられるのは,そのためである。他方,事件の加害者や被害者当人の画像が放送されるのは,承諾の範囲外ではあるが,報道する正当性があるからである。

また,観光地で記念撮影するとき,第三者が写りこんでも問題ないことは先に述べたが,承諾なく撮影されてもお互い様といえるのは,その写真をプライベートで楽しむ範囲である。これを超える場合,たとえば,撮影した画像をホームページで公開する場合,第三者の容貌が分かる形で公開することは,違法となりうるので注意が必要である。(小林)

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2008年7月 7日 (月)

ダスキン事件を振り返る(1)

ダスキン事件とは,清掃用品レンタル最大手のダスキンが全国展開するファーストフード店「ミスタードーナツ」において2000年(平成12年)4月から12月にかけて販売された肉まんに,無認可の添加物TBHQが使用されていた,と報道されたことをきっかけとする一連の騒動である。

この事件も,食品の安全・安心を語るとき,避けて通ることができない重要事件である。ただ,他の著名な事件に比べ,論点が多岐に亘るうえ,真相が薮の中,と思える部分もあって,とても分かりにくい。

わかりにくいときは,当事者に争いのない事実から押さえていくのが,法律実務家の王道だ。

当事者に争いのない事実は,こうである。当時ダスキンが販売していた肉まんは,AB2業者が製造していたが,第三の業者に名乗りを上げたC社の社長が,A社の製造する肉まんに,TBHQが含まれている,とダスキン幹部に告げた。2人の取締役は,無認可添加物の使用を知りつつ,その後約3週間,肉まんの販売を継続させた。また,C社には合計6300万円の現金を支払い,かつ,第三の業者として肉まんの製造を委託した。他の11名の取締役がこの事実を知ったのは,TBHQを含む肉まんが全て販売された後であった。ダスキンは翌2001年(平成13年)夏ころから内部調査を開始し,責任者を処分するとともに,同年末をもってC社との契約も一方的に解消する。ここまではほぼ内密裡に進行したが,2002年(平成14年)39日,C社がダスキンを相手に契約破棄の撤回を求める訴訟を起こし,さらに515日,保健所が匿名の通報を受けてミスタードーナツ8店舗に立ち入り検査を行い,これを嗅ぎ付けた共同通信社がダスキンに取材を行ったため,521日,ダスキン自ら事件を公表した。この時点で既に1300万個,2人の取締役が事実を知ったとされるときからでも,300万個の肉まんが消費されていた。

TBHQというのは,酸化防止剤の一種であり,日本では食品添加物としての使用を認められていない(使用すると食品衛生法62項違反になる)が,アメリカなど十数カ国では使用が認められている。発ガン性を指摘する見解もあるが,多量に摂取しないかぎり,危険はないとされている。つまり,ダスキン事件の最大のポイントは,形式的には明白な法律違反だが,実質的には食の安全に無関係,という点である。実際,1300万個も売れたのに,健康被害は1件も出ていない。

事件の経緯を振り返るときとても奇妙に思われるのは,それまで肉まんを製造したこともないC社がダスキンの取引業者に参入しようとすることも不思議なら(実際,製造に着手した後も,技術的に相当稚拙だったことが窺える),そのようなC社の社長が,競合するA社の製品に無認可の添加物が使用されたことを知ったというのも不思議だし,C社の社長から聞くまでの間,担当者が事実を知らなかったというのも不思議である。これは筆者のカンであるが,当時のダスキン中枢部に,かなり深刻な紛争(要するに派閥抗争ですね)があったと見られるし,担当者も,C社社長に聞く以前から,無認可添加物の使用を知っていた可能性がある。しかし本稿の主題をやや外れるから,一旦措くことにする。

検討したいのは,無認可添加物の使用を知った平成12年末から事件を公表する平成145月までの1年半,組織としてのダスキンの行動に,コンプライアンスないし食の安全上,どのような問題があったのか,という点である。この点については,当初から事実を知っていた(とされる)二人の取締役と,肉まんが全て販売された後に事実を知った(とされる)残りの取締役とに分けて考える必要がある。(小林)

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2008年7月 3日 (木)

「法曹人口問題に関する提言」の日弁連執行部の原案

2008年(平成20年)71日の日弁連ニュースによると,「法曹人口問題に関する日弁連の提言につき,理事会で執行部の原案が示された。引き続き各弁護士会での議論を受けて,7月の理事会でも議論を重ねた上で,内容が確定される予定である」とのことである。

そして,原案の内容は,「本年度司法試験の合否判定にあたっては,新しい法曹養成制度が未だ発展途上にあることに鑑み,司法改革全体の統一的かつ調和の取れた実現を期するため,2010年頃に合格者3000認定度にするという数値目標にとらわれること無く,法曹の質に十分配慮した慎重かつ厳格な審議がなされるべきである。」というものだ。

この原案の個別の内容については,筆者として多少の意見はあるが,全体としては,宮﨑誠日弁連会長の選挙公約である「スローダウン」の提言であり,それ自体,特に目新しいものではない。

むしろ,このニュースで注目すべきは,「理事会で執行部の原案が示された」という,未だ日弁連としての意見が生成途上の時点で,これが会内一般に公開された点である。もちろん,法曹人口問題は会員の最大関心事だから,執行部案の段階で公表することは,一般会員の側から見れば望ましいことである。しかし,執行部側から見て,あえてこの時期に執行部案を公表したことには,別な目的があるというべきだろう。

別な目的とは,法曹人口問題に関する各単位会の動向について,日弁連のコントロールが効かなくなってきているため,これを牽制,または減殺することである。現に,宮﨑日弁連会長のお膝元である大阪弁護士会では,上野勝会長が,奇しくも同じ71日,日弁連執行部提案よりも,3000人削減に向けてかなり踏み込んだ弁護士会総会決議案を常議員会に上程し,86日の臨時総会開催に向けて動き出している。3000人に明確に反対した千葉県弁護士会の決議は,世間から完全に黙殺されたが,全弁護士の1割強が所属する大阪弁護士会ほどの大規模単位会の決議となれば,それなりに世間の耳目を集めるだろう。

一般の国民には分かりにくいことであるが,日弁連と各単位会(たとえば,大阪弁護士会)は,組織的に上下関係や指揮命令関係にはない。日本中の弁護士は,日弁連と各単位会との両方に加入する義務があるが,日弁連と各単位会はそれぞれ独立であって,会社員にとっての「本社・支社」のような関係ではないのだ。だから,各単位会が日弁連とは異なる意見を表明しても,制度的には全然構わないのである。

しかし,制度的にはOKとは言っても,国政レベルの問題について,日弁連の意見と,各単位会の意見が異なることは,外部からは,とても奇妙なことに見えるだろう。それは,両方の意見の社会的インパクトを相殺することでもある。

だから,日弁連としては,なんとか各単位会に歩調を合わせて欲しいと考えるし,そのひとつの手段として,一般会員に対し,「日弁連執行部はこれだけ頑張っていますよ。だから,単位会であまり先走らないでくださいね」とアピールしているのだ。同時に,日弁連から見て「過激な」意見が単位会からでる前に,日弁連の意見を対外的に表明することによって,後から出てくる単位会の意見の社会的インパクト(報道価値)を減殺することを狙っている。

しかし他方,日弁連執行部が,一般会員に対してこのようなアピールをしなければならないということ自体,日弁連による各単位会へのコントロールが効かなくなってきていることを示唆している。都市と地方,ベテランと若手,大事務所と中小事務所,そして「勝ち組弁護士」と「負け組弁護士」といった,弁護士の世界の中での分裂が,ふたたび,日弁連の意思決定能力を失わせつつあることの証として,このニュースは受け取られるべきであろう。(小林)

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