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2008年7月 9日 (水)

公共空間での撮影と画像の利用について

TVの野球中継で,親子連れの顔が鮮明に映ったりすることがたびたびあります。顔が識別できれば,『誰がいつ誰と野球場にいたか』ということがわかりえることになりますが,このようなケースでも,行動の記録を無断で世間に公開されたということに関する訴えが成立する可能性があるということでしょうか?」

というご質問をブログへのコメント欄でいただいた。

これは,①公共空間での撮影が許されるか,という問題と,②記録された画像データの利用がどの範囲で許されるか,という問題である。

まず①の問題について考えると,プライベートな空間(私邸の中など)であろうと,公共空間(野球場など)であろうと,人は,「みだりに撮影されない」という権利を持つ。これは,法律家の世界では,常識に属することだ。これに対して,「それならば,観光地で記念撮影するときに,第三者を写すことは違法なのか?」という質問を受けることになる。

もちろん違法ではない。その理屈としては,次の3通りがある。

1番目は,「撮影を承諾している」という理屈だ。例えば野球場でプロ野球の試合を観戦する場合,試合とともに観客席の様子がテレビ中継されることは常識であり,観客も当然それを想定して観客席に座っている。だから,観客が承諾している範囲内で,その観客を撮影しても違法ではない。言い換えると,観客が承諾している範囲を超えて撮影することは違法になりうる。つまり,試合の合間に観戦の様子をちらちらと撮影する程度なら承諾の範囲内だが,お忍びの有名人だからと言って試合そっちのけで撮影し続けたりするのは違法となる。ときどき消化試合で閑古鳥の鳴くスタンドで熱烈なキスを交わすカップルの様子が放送されることがあるが,これは概ね,承諾の理屈で違法性を回避できる。

2番目は,「撮影の目的と方法が合理的な範囲にある」という理屈だ。この場合には,承諾が無くてもよい。これは,撮影の目的が正当であり,かつ,撮影方法が正当であることが必要だ。事件報道のための撮影は,多くの場合,これに該当する。

3番目は,法律家の世界で受忍限度論と呼ばれる理屈だ。詳しい説明は避けるが,要するに,社会生活上,お互いに我慢しあうべき範囲である。観光地で記念撮影をするときに,第三者を写してしまうことになっても,それはお互い様であるといえる。

これらの3つの理屈の適用範囲は,それぞれ別個独立ではなく,お互いに重なり合っている。

次に②の問題について考えると,①の3つの理屈で撮影が正当化される場合であっても,その画像をどう利用するかについては,それぞれの理屈に基づいて,一定の制限が課せられることになる。例えば,承諾の理屈からすれば,テレビ報道を想定しない承諾しかなければ,その画像をテレビ報道することは違法となる。事件の加害者や被害者のプライベートビデオが放送されるとき,よく,他の被撮影者にぼかしがかけられるのは,そのためである。他方,事件の加害者や被害者当人の画像が放送されるのは,承諾の範囲外ではあるが,報道する正当性があるからである。

また,観光地で記念撮影するとき,第三者が写りこんでも問題ないことは先に述べたが,承諾なく撮影されてもお互い様といえるのは,その写真をプライベートで楽しむ範囲である。これを超える場合,たとえば,撮影した画像をホームページで公開する場合,第三者の容貌が分かる形で公開することは,違法となりうるので注意が必要である。(小林)

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