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2008年9月30日 (火)

ニュースを読む視点3~中教審が法科大学院の統廃合に言及

2008年9月27日の毎日新聞,同月30日の日本経済新聞によると,中央教育審議会の法科大学院特別委員会は30日,法科大学院に対し,定員削減や他校との統合を求める中間報告案をまとめたとのことである。法科大学院の乱立による司法試験合格率低迷が背景にあると,記事は解説している。

ちなみに,7月24日の日本経済新聞によると,同月23日の中央教育審議会で田中成明座長(関西学院大大学院司法研究科教授)は,「法科大学院は期待される役割を十分果たしている」との見解を表明した。また,委員から「日弁連の見識を疑う」との強い反発も出たそうである。

ところが,その一月後の8月22日の朝日新聞は,同月21日の中央教育審議会では,「『悪貨が良貨を駆逐するように,(質の悪い法科大学院の)悪いイメージばかりが広がっている』『大学院間の(合格者数)競争に敗れたら退出する見込だったのに,(どこの大学院も)なかなか退出しないからひずみが出た』として,『委員からは,法科大学院の現状に対する厳しい意見が相次ぎ,大学院の定数削減を求める声も上がった。』田中成明教授も,『質を維持できない所を放っておくことの方が問題だ』と保岡法相の再編統合発言について理解を示す。」と報じている。

さらに一月後には定員削減や他校との統廃合である。報道が正確なら,中央教育審議会委員の先生方は,記憶力が無いか,信念が無いか,大臣と官僚以外に頼る者のない,ただの御用学者である。

まあそれはさておき,この経緯を見ても,法科大学院が現在,大変な苦境に立たされており,自己保存のため必死にボールを投げ返そうとしていることが分かる。そして,このようなシチュエーションの場合,中教審が「何を言ったか」ではなく,「何を言わなかったか」という視点が大事だと思う。

中教審が今回言わなかったこと,すなわち言いたくなかったことは,「法科大学院の総定員数に言及する」ことだったと思う。言い換えれば,本当にどうしようもない下位数校を統廃合してお茶を濁すことが,中教審が現在掲げる戦略目標である。もちろん,この戦略目標を達成できるか否かは未知数であり,政権交代を含めた不確定要素に左右されることになろう。

それにしても,文科省の中教審法科大学院特別委員会の議事録は,2007年11月29日を最後に更新されていない。意図があるのか,単なる怠慢なのか分からないが,国民に対する情報提供という観点からすれば,とても酷い話である。(小林)

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2008年9月29日 (月)

Google Street Viewとプライバシー権

2008918日に掲載された佐々木俊尚氏の「Google Street Viewの『日本の風景』が投じた波紋」は,Google Street View(以下GSV)に関する,これまでの議論を要領よくまとめている。

記事によれば,GSVに対する意識調査の結果,懸念として,「プライバシー侵害の不安」を掲げた回答がトップの67.6%に,「犯罪に使われないか不安」と指摘した回答が第2位の58%に上ったという。IT企業役員の樋口理氏は,ご自身のブログで,「僕らのプライバシー感覚と防犯意識」の観点から,日本の生活道路をGSVの対象から外してほしいと訴え,海外も含め賛否両論を呼んだとのことだ。そして記事は,米国の著名なブロガーの反論として,「日本人のツアー客がアメリカに来ると,(生活道路を含め)ストリートを撮影するのはオーケーだった。Googleが同じことを自動的に行うと全然違う話になってしまう。どうしてそういう理屈になるのか興味があるね」という意見を掲載している。

「どうしてそういう理屈になる」のだろう。これが第1のポイントである。そしてこの点については,「撮影すること」と「公開すること」を分けて考える必要がある。樋口氏は明確に認識しておられないようだが,GSVの問題性にとって本質的に重要なのは,「公開すること」であって「撮影すること」ではない。

確かに,撮影行為それ自体がプライバシー権侵害になる場合はある。判読可能な形で表札を撮影することや,人間より高い視点で私邸をのぞき見するように撮影することは,それ自体プライバシー権の侵害になる(厳密に言うと,個人情報とプライバシー情報の異同という問題はあるが,本稿では触れない)。しかし,家の外観や,路上に駐車された自動車を撮影することは,原則としてプライバシー侵害にはならない。

しかし,撮影することがプライバシー侵害にならなくても,その画像をネットで公開することがプライバシー侵害になるか否かは別問題だ。そして,GSVの問題は,「いつでも,検索可能な状態で」撮影画像が全世界に公開されている点にある。これが,例えば自宅を撮影された人の反感を呼び,「撮影はともかく,公開はいやだ」という「理屈」になるのだと思う。

同じような理屈は,例えば観光地で記念撮影をする際,赤の他人が写り込んでも違法にならないのに,その写真を自分のブログで公開すれば違法になりうるのはなぜか,という問題にも見られる。

実は,法理論としては,公開の程度によってプライバシー侵害になったりならなかったりする,という考え方は一般的ではない。筆者の知る限り,筆者以外の法律家で,このようなことを言っている人はいない。一般的には,ど田舎の商店会のミニコミ誌に掲載されても,朝日新聞の1面トップで報道されても,おなじ「公開」としか理解されていない。しかし,プライバシー情報の「公開」には程度があるはずだし,ある程度を越えたところでプライバシー権の侵害が違法になるという理屈は成立してよい。

そして特に,GSVは,検索可能であるという点,すなわち視聴者は一方的に情報を受領するだけ,というのではなく,視聴者が積極的に画像情報を検索しうるという点において,例えばテレビ放送に比べて,プライバシー権侵害の程度は高いのである。とても懸念されるのは,技術の進歩に対して,法理論が全く追いついていないことだ。(小林)

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2008年9月26日 (金)

地方法科大学院の巻き返し

山梨日日新聞が2008918日の論説「法科大学院見直し論 司法改革の初心忘れるな」で,法科大学院は過剰であり,統廃合はやむを得ないが,法科大学院が合格実績のランク付け重視で淘汰され,地方法科大学院が切り捨てられ,都市部に集中する事態は避けなければならない,と論じている。司法制度改革は弁護士過疎解消等のため法曹増員が大きな柱となっており,地方の法科大学院には地域に根ざした法曹を育てる役割が期待されている,というのがその理由だ。

ところで,論説が紹介する山梨学院大法科大学院の平成20年度新司法試験合格者は7人,合格率は17.5%で,75校中47位である。2002年には,山梨県弁護士会と,司法改革推進のための協力協定を結んだ(Wikipediaより)。

一方山梨県弁護士会所属弁護士は77人,事務所数は39で,うち75人,37事務所が甲府市に集中している。甲府市以外は弁護士過疎と言っていいのかもしれない。

問題は,弁護士過疎地域を解消する必要があるとして(この点も議論があり得るところだが),そのために山梨学院大法科大学院を残す必要があるのか,という点だろう。例えば,甲府市以外(例えば富士吉田市とか,南アルプス市とか)の中学校や高校の,とても優秀な文系の学生に奨学金を出すとか,定年退職した裁判官や検察官の生活を援助しつつ田舎で法律事務所を開業してもらうとか,という方法で弁護士過疎を解消した方が,ハコを守るより合理的ではないのだろうか。

いずれにせよ,このような巻き返しは,ここ数ヶ月のうちに,下位校を中心にわき上がってくるだろうし,組織自己保存の本能に照らせば,当然の成り行きである。

ただ,各弁護士会と日弁連の動向には注目する必要があると思う。「日弁連はなぜ負けたのか?法曹一元とは何だったのか」で紹介したとおり,法科大学院が地方に乱立し,現在の過剰状態を招いたのは,法曹一元論に踊った日弁連にも責任がある。法曹一元を実現するためには,すなわち弁護士が裁判官になるためには,裁判官の転勤を廃止し,優秀な弁護士がその地方の裁判官になる仕組みを作る必要がある。そのためには各地方で法曹を養成することが必要だ。2000年(平成12)年当時の日弁連は,このような論理で,各地方での法科大学院設立を奨励した。そして,地方弁護士会のエライ先生は,地域の法科大学院と密接な関係がある場合が多い。そして,法曹一元論は,3度目の無惨な敗北を喫したにもかかわらず,日弁連は公式には,敗北を認めていない。従って,地方法科大学院の巻き返しに呼応して,地方単位会から法曹一元論が吹き出す可能性があるし,日弁連内部においても,法曹一元論が4度目の復活を遂げる可能性がある。そんな馬鹿なことはあるわけがないと思うが,そう確信もできないところが,恐ろしいところだ。

もし日弁連が,本気で法科大学院の大規模な統廃合を求めるのであれば,このような地方単位会の巻き返しの芽を摘むことが必要だし,自ら,特定の法科大学院を潰してみせることが必要になるかもしれない。(小林)

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2008年9月25日 (木)

事故食品の自主回収と穢れの思想

土門英司氏のブログ「そもそも非食用米から作ったデンプンに有害物質は含まれているのか?」は,「どの植物のデンプンも精製する際にはタンパク質や脂質、ポリフェノール類による着色等を取り除くために、希薄なアルカリや界面活性剤、さらにはそれらを除くためにしつこく洗う。コメ・ デンプンも例外では無いだろう。原材料は兎も角も、島田化学工業のデンプンの品質が確かであれば、殺虫剤もアフラトキシンB1も検出限界以下になっている可能性が高い」と指摘している。

たぶんそのとおりだろう。この件に限らず,現在話題になっている食品偽装や禁止薬物混入の問題は,我が国内では,どれも健康被害の可能性がないか,無視してよいほど少ない場合である。このような場合,食品メーカーの法的責任はどの程度あるのだろう。

       販売すれば食品衛生法違反(刑事罰)に問われる。

       食品衛生法違反には問われないが,回収義務はある。

       回収義務はないが,汚染物質を使用していることを告知する義務がある。

       汚染物質使用の事実を告知する必要さえない。

もちろん数字が若いほどメーカーの責任は重い。そして土門衛氏も指摘するとおり,食品衛生法違反にはならないと思う。では自主回収義務や告知義務はどうだろうか。科学的には全く健康に危険がないのに,自主回収義務や告知義務があるとすることは,合理的であるべき法理論に,非合理的な「穢れの思想」を持ち込むことにならないか。

実は,法理論だからといって,「穢れの思想」と無縁ではない。自殺のあった家屋については,裁判実務上,売主に告知義務があり,隠して売ると契約解除や損害賠償義務を課せられる(東京地裁平成20428日判決など)。

筆者としては,売買対象家屋で自殺があったことは法的告知義務の対象になることは支持しつつも,この思想を無闇に拡大することはいかがなものか,と思う。

そこで,食品安全の問題に関しては,毒性が希釈ないし除去されておよそ危険でなくなった食品を回収する法的義務はメーカーにないと考える。告知義務があるか否かは,場合による(例えば,主たる原料の半分以上が汚染された物質である場合には,仮に健康被害が発生し得ないとしても,告知する義務がある)というべきであろう。(小林)

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2008年9月24日 (水)

認知症グループホームの「見守り」カメラは誰のプライバシーを侵害するか

2008921日のasahi.comによると,認知症グループホームの中にカメラを設置して介護職員を援助するプロジェクトが,北陸先端科学技術大学院大学高塚亮三氏を中心に進められていたが,NPO法人全国認知症グループホーム協会が,「利用者からすれば監視以外の何ものでもない。徘徊による事故の防止には必要最低限のセンサーの設置で不十分か否かを議論する必要がある」と実用化に反対する立場を明確にしたところ,プロジェクト側は当面製品化を中止することにしたという。

ネットワークカメラやRFID等,ユビキタス技術実用化の研究が,プライバシー権侵害などの批判を受けることはよくあることだ。しかし大概の研究は,批判をものともせず続行される。これに対して,このニュースは,プロジェクト側が批判を受け入れて研究の製品化を中止してしまった点で,特異性がある。なぜこういう展開になったのだろう。

グループホームとは,知的障害者等の生活援助事業の一つで,5~9名の要介護者が市井の一般住宅で,介護者とともに共同生活を営むものである。1980年代のスウェーデンで発祥し,1991年に日本に導入された後,法制度が整備され,2000年で全国に270であったグループホームは2004年にほぼ20倍の2520と急増した(小学館日本大百科事典より)。要するに,郊外の老人ホームではなく,町中の一般住宅で老人を介護するわけである。グループホームは本来,年齢に関係なく知的障害者や精神障害者を援助するものであるが,日本では,認知症高齢者の介護施設を指すことが多い。

日本のグループホームは,慢性的な人手不足と資金不足に悩まされている。時折グループホーム職員による虐待が報道されるが,人手不足も間違いなく,その背景にある。ユビキタス技術を使って,人手不足を解消しようという試みは,しかし,当のグループホーム運営者によって拒絶されてしまった。ユビキタス技術の研究者は,この事件を他山の石とするべきだと思う。

NPO団体の反対声明文が公開されていないので,想像によるしかないが,そもそも,グループホームの人手不足をITによって補うという現代日本的な発想に問題があった可能性がある。

グループホームが4年間で約20倍と急増したのは,おそらく,スウェーデンで説かれた理想が素早く浸透したからではない。空き不動産を老人介護施設に転用できるという初期投資額の少なさに,行政が飛びついた結果だと思う。だから,予算不足と人手不足は,日本でのグループホームに運命づけられていたのではないか。そして,福祉大国スウェーデンにおけるグループホームの実態は,日本のそれとかけ離れていると想像する。そのため,日本におけるグループホームの創始者たちは,もっと予算をもっと人手をと訴え続けていると思う。そんな彼らに対する回答が,「ユビキタス技術で人手不足を解消します。1セット150万円で,維持費が年○○万円です」というものだったらどうなのだろう。この回答は,おそらく,グループホーム創設者たちの理想から遠ざかるものと受け取られたと思う。

NPO団体の指摘も重要である。監視カメラによるプライバシーの侵害は,原則として,被撮影者またはその保護者の同意があれば回避できる。その意味で,被介護者のプライバシー侵害の問題の解決は容易だ。他方,介護職員の立場からすれば,痴呆老人が相手である以上,暴力や虐待に至らないまでも,多少手荒なことをすることだってあるだろう。その中で,自分の行動が逐一撮影され記録されているというのは,多大なストレスとなりうる。これは一種の職場監視だ。グループホームにネットワークカメラを導入することが,介護職員の反発を招くことは,研究者自身,気付いていたようであるが,結局これを解決することができなかったようだ。

研究者たちの発想に対して注文したいことは,次の2点である。まず,「民家・少人数」を特徴とし,閉鎖的な組織であるグループホームに,そもそもユビキタス技術の導入は必要だったのだろうか。「行政の研究公募」に,ご自分たちの研究を,無理矢理当てはめようとしなかったのだろうか。老人介護の世界では,むしろ,大規模老人ホーム等への導入から考えるべきだったのではないだろうか。

もう1点は,「監視」を「見守り」と言い換えることによる思考停止である。この研究者らの論文の中には,このプロジェクトは「監視」ではない,「見守り」を通じて被介護者の「人となり」「その人らしさ」を理解するのだと力説しているものもあるが,監視されていると感じる人からみれば,どんな美辞麗句を使ったところで,監視は監視である。そして,本プロジェクトでは,第三者ではなく,ほかならぬシステムの購入者自身が,監視の目を不快に感じたようだ。今回の失敗原因の一つは,研究者自らが「見守り」という言葉で思考停止に陥ってしまい,研究成果を実用化する場合,誰がどのような反感を持つか,に対する配慮を怠ったところにあるのではないだろうか。(小林)

参考文献

グループホームのための”見守り”介護支援システム

アウェアホームのためのアウェア技術の開発研究

見守り支援システムと介護スキルの関係

認知症高齢者グループホームの介護現場における気付き法

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2008年9月22日 (月)

事故米・メラミン汚染牛乳問題と自主回収

事故米問題が農林大臣と事務次官の辞職に発展したと思ったら,今度はメラミン混入ミルク事件である。メラミンとは樹脂を製造するための工業原料であり,現代日本では食品に混入されることなど考えられないが,窒素含有量が多いため,中国では,食品に含有されるタンパク質料をごまかす目的で食品に混入されることがある。これを贋造という。メラミンには直ちに健康に害を及ぼす毒性は無いが,腎臓結石を促す作用がある。報道によれば,丸大食品は,メラミン混入原料を使用した可能性のある5品目の自主回収を開始した。

基準値以上の残留農薬を含有する事故米や,メラミンの混入したミルクを,その事実を知りながら,そのまま販売すれば,食品衛生法6条違反に問われるおそれがある。ただ,今回報道されたように,事故米を非事故米で希釈して販売したり,メラミン混入ミルクを原料の一部に使用したり,という程度で食品衛生法違反に問われるかは疑問だ。

食品衛生法62号は,「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの(ただし、人の健康を損なうおそれがない場合として厚生労働大臣が定める場合を除く)」の販売を禁止している。違反は3年以下の懲役又は300万円以下の罰金という刑事罰だ。社団法人日本食品衛生協会「新訂早わかり食品衛生法」によると,現実的に健康上の被害を生じさせる程度でなくても,同条項が適用されるとしているし,「疑い」だけで罰せられることになっているが,罪刑法定主義に照らせば,およそ健康被害の可能性がない程度まで希釈されたものを販売しても,食品衛生法には違反しないというべきだろう。食品衛生法62号は,罪刑法定主義からみると,とてもいい加減な規定であるともいえるし,刑事罰で食の安全を守ることの限界を露呈しているともいえる。

刑事罰に問われないとして,かつ,不法行為や製造物責任もしくは債務不履行に問われる可能性がないほど,汚染米やメラミンが希釈されていたとすれば,民法上も,企業に自主回収の法的義務はない。残る問題は,代表訴訟リスクになるのだろう。つまり,自主回収を行わず,その事実が露見して会社が損害を被った場合,取締役等は会社に対して損害賠償義務を負うのかという問題である。ダスキン事件大阪高裁判決の論理からすれば,取締役には積極的なリスクアセスメントを行う義務はあっても,必ず公表する義務まではない,ということになるのだろうが,「公表する」という積極的行動に比べ,「公表しない」という不作為は,積極的なリスクアセスメントの結果であるという主張が,実際問題として,通りにくい。その結果,現場におかれた取締役の判断は,どうしても「公表,自主回収」という選択をせざるを得なくなるのだろう。(小林)

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2008年9月21日 (日)

デューク東郷におかっぱ頭は似合うか?

DVDで「ノー・カントリー」を鑑賞した。例に漏れず,あのラストにひっくり返った。この終わり方は,「俺たちが何を言いたいのか,あとは自分で考えろ」という監督の強烈なメッセージだろう。意地悪教師の理不尽な宿題のように,ここ数日間,このメッセージが頭から離れない。仕方がないから考えた。以下多少のネタばれを含む。

物語は,偶然,麻薬取引現場で大金を発見して持ち帰ったベトナム帰還兵の「モス」,これを追う殺人鬼「シガー」,事件を捜査する保安官「エド」の3人を中心に進行する。主役はトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官だが,アカデミー助演男優賞を獲得したハビエル・バルデムの怪演が光る殺人鬼「シガー」が印象深い。

もちろん,殺人鬼あるいは冷酷非情な殺し屋は,映画などにしばしば登場するキャラクターである。近いところでは「コラテラル」のヴィンセントや「レオン」,有名どころでは「羊たちの沈黙」のレクター博士,そしてゴルゴ13ことデューク東郷。しかし,「ノー・カントリー」の殺人鬼「シガー」は,屠殺銃を振り回して死体の山を築くおかっぱ頭の大男,という類い希な造形に成功し,歴代殺人鬼の中でも異彩を放っている。特に,屠殺銃とおかっぱ頭,という二つのアイテムは,この殺人鬼の本質を象徴している。

屠殺銃は,牛の処理に使用される圧縮空気銃である。このアイテムは,「シガー」が殺す相手を人間扱いしていないことー正確に言うと自分と同類扱いしていないことーを意味する。人間を殺すのでないから,正当理由も美学も不要である。この点はレクター博士と決定的に違う。レクター博士にとって,殺す相手は「人間」でなければ意味がない。博士はこう言うだろう。「人間の肝臓だと思って食べるから美味いのだ。殺されるときの恐怖の表情を思い出しながらね。じゅるじゅるっ」。

おかっぱ頭は,幼児的な精神性の象徴である。幼児といっても十歳前後か。大人と会話することは可能だが,人生の本質は理解していない年代。あるいは,ザリガニを線路に置いてひき殺すことに躊躇も覚えない年代。但し,「幼児性」と「未熟」を同視することなかれ。本質的に人外の存在であるシガーは,十分成熟しているのだ。そしてこの「成熟した人間でない」という点において,「シガー」は他の映画の殺し屋と全く違う。ヴィンセントもレオンもデューク東郷も,得意分野がやや特殊なだけで,その本質は超一流のプロフェッショナルである。大人の象徴は,短髪だ。だから,デューク・東郷におかっぱ頭は似合わない。

傑出した造形の殺し屋「シガー」だが,しかしこの物語の主人公ではない。主人公は「成熟したまともな人間」の代表として登場する保安官だ。保安官一族に生まれた彼は,人は世の中を良くすることができると何の疑いもなく信じていた。しかし世の中は悪くなる一方で,シガーのような理解不能の殺人鬼が横行する始末。神の差配した偶然によってさえ,シガーを葬ることはできない。なぜならこの世は地獄だからだ。無力を痛感した保安官はバッヂを外すが,老人となった彼には,もはや居る場所がない(この映画の原題は”No Country for Old Man)。ラストで彼が語る夢は,明らかに死への甘美な憧れを意味している。彼にとってはもはや,「どうやったら苦しまずに死ねるか」だけが問題なのだ。

モスの妻も,死に憧れる「まともな人間」の一人だ。愛する者を続けて失い,経済的にも困窮する彼女には,生きる意味が無い。彼女は殺される理由を求め,自分の生命がコイントスの偶然に支配されることを拒否するが,死は逍遙として受け入れる。保安官もモスの妻は,人生を知る大人の代表だが,人生を知ることは,彼らに何の喜びも,意味さえももたらさない。このろくでもない世界に意味も希望も無く,世界を良くしようとするあらゆる努力は無駄である。トミー・リー・ジョーンズの顔に深く刻まれた皺は人生そのものだが,これに意味を認めてくれるのは,死んだ彼の父親しかいないのだ。(小林)

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2008年9月18日 (木)

食品偽装問題と農林水産省の責任?

食品偽装で著名な事件を追ってみると,国も責任を免れないと思われる事例が散見される。一例が,うなぎの偽装問題(蒲焼きではなく,活鰻の偽装)だ。この例では,根拠となるべき法令が,とても曖昧なまま放置されてきたことが,背景になっている。

2008年(平成20年)6月18日,農林水産省は,愛知県一色の漁業協同組合が,中国産うなぎを「一色産」と表示して販売した食品偽装を摘発するとともに,「複数国を経由し養殖されるうなぎの原産地表示の適正化について」と題する通達を業界・市場関係者等に通知した。

通知の概要は,次のとおりである。

    JAS法に基づく農林水産省告示514号により,水産物の販売業者には,原産地の表示義務がある。

    複数の場所で養殖した場合,全ての養殖場所,養殖期間を販売先に伝達しなければならない。

    今般,一部の養鰻業者にJAS法違反の偽装が認められた。法令遵守を徹底されたい。

一見,まことにもっともな通達である。しかし,子細に検討してみると,二重,三重のカラクリが隠されていることが分かる。

最も重要な点は,養殖水産物について,「国産」と「輸入品」を区別するための定義規定が存在しないことだ。定義規定が存在しない以上,何をもって国産と言うかは,様々な解釈が成立しうることになる。もちろん,生まれ育ちが終始日本なら国産,終始外国なら輸入だ。だが,両方を渡り歩いて育てられた養殖水産物はどうなのか。生まれた場所なのか,死んだ(=食品に加工された)場所なのか,育った場所なのか。育った場所とするなら,どれだけ長く暮らせばいいのか。

実は,農林水産省内には,「原産地表示に関する基本的考え方(一般ルール)」というものが存在した。これは,「複数の産地を経由した畜産物や水産物は,最も期間の長い場所を原産地として表示するルール」であり,水産物にも適用されていた。このルールが,「里帰りうなぎ」による産地偽装に悪用されたのである。

現在,農林水産省は,このルールは水産物には適用されないとの立場を取っている。しかし,同省内の公式資料がアサリを例に挙げていたことからも明らかなとおり,かつては水産物にも適用されていた。

いずれにせよ重要なことは,この「ルール」なるものには,法令上の根拠が存在しないということである。上記通達で農林水産省が引用する告示514号にも,国産と輸入品の表示を区別すべしとは書いてあるが,何をもって国産というかはどこにも書いていない。つまりは農林水産省が勝手に言っていただけ,なのである。

次に,「複数の場所で養殖した場合,全ての養殖場所,養殖期間を販売先に伝達しなければならない。」とのくだりであるが,これも,法令上の根拠はない。もとより,一般消費者の立場から見れば,全経由地を記載してもらった方が望ましいことは言うまでもない。しかし,農林水産省という行政府が一般国民である業者等に対して「…する必要がある」と通知する以上は,本来,法令上の根拠が必要である。法令上の根拠がないなら,お願いベースの通知をしなければならない。そして言うまでもなく,「お願い」に違反しただけでは,違法とはいえない。

ここまで読めば,読者は,「国産・輸入の判別規定も,全養殖場所・期間表示義務も存在しないのに,なぜ一部養鰻業者の行為が違法として摘発されるのか?」という疑問を持たれると思う。実は,この点がこの通知書最大のカラクリである。この通知書がJAS法違反と指摘しているのは,実際の養殖地・養殖期間と,伝票上・表示上の養殖場所・養殖期間が違う点であって,「輸入品を国産と表示した」とか,「全養殖地・養殖期間表示義務に違反した」とかいう点ではない。

つまり,通知書前段に書いてある「ルール」と,後段に書いてある「違法行為」とは,別の話なのだ。言い換えれば,農林水産省は,それ自体として明らかな違法行為を摘発することによって,その行為が違反した法律とは違うルールを,あたかも法令上のルールであるかのように布告したのである。

「それのどこが問題なのか。農林水産省が今回やったことは正しいじゃないか」と思われるかもしれない。確かに,農林水産省の動機は,専ら消費者と,食の安心・安全とを保護することにある。この動機は間違いなく善意に満ちている。しかしそうだとしても,行政庁が何ら法令に根拠のないルールを布告することは,法を司る立場から見れば,大いに問題がある。

我が国は民主主義国家(のハズ)であり,民主主義国家には,「法律による行政」という憲法上のルールがある。これは,「行政府は,国会が作った法律に基づかないことはしてはいけない」,というルールだ。現実には,国会が行政府に白紙委任する例もあるのだが,それでも,「法律による行政」の建前は維持されている。今回の通知も,その前の「原産地表示に関する基本的考え方」も,何ら法令に根拠なきルールを行政庁が勝手に定めた点で,「法律による行政」のルールに違反している。

行政庁が「法律による行政」に違反して勝手にルールを布告するようになると,恣意的な運用を許し(前記「原産地表示に関する基本的考え方(一般ルール)」の朝令暮改ぶりは良い例だ),不正な癒着の温床になり,個々の行為は善意に基づくものであっても,最終的には国民の利益を害する。少なくとも法律家の多くは,そう信じている。

もちろん,国産・輸入の判別基準を含めた体系的な法整備が必要であることは,他ならぬ農林水産省自身が認識していることだろう。そしておそらく,さまざまな政治的要因(地方出身の議員センセイを含む)が,その障害になっているのだろう。しかし,JAS法が制定されてから60年もの間,養殖水産物の国産と輸入品との区別が付けられず曖昧なまま放置されてきた責任の一端は政府と農林水産省にあるはずだし,このような悪弊は将来に向けて断ち切らなければならない。農林水産省は,水産養殖物に国産,輸入を判別する法的根拠が無いことを,正直に公表するべきであると思う。(小林)

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2008年9月16日 (火)

新司法試験合格率偽装?

法務省が平成20年度新司法試験合格者を発表するとともに,法科大学院別合格者数等を発表した。報道によれば,平均合格率は約33%,第1位は一橋大学法科大学院の約61%である。以下,慶応56.5%),中央55.68%),神戸54.69%),東京54.64%)と続く。合格率ゼロは,愛知学院大法科大学院,信州大法科大学院姫路獨協大法科大学院の3校だ。

今どき,法科大学院にとって合格率は,近い将来の統廃合に直結する以上,最大の関心事だろう。この視点で,表を子細に見ると,報道だけを鵜呑みにしてよいか,疑問が残る。

例年のことだが,本年も,出願者数と受験者数の差が大きい大学院が多い。例えば福岡大法科大学院は,出願者数は69名なのに,受験者数は33名と半分以下で,受験者数を母数とする合格率は30.30%だ。他方,名古屋大法科大学院は出願者数107名の大半の98名が受験して,受験者数を母数とする合格率は32.65%だ。この差を見ると,合格率を比較する場合,受験者数を母数とするのは不公平だ。出願者数を母数とするべきである。

そこで,出願者数を母数に合格率を算出してみると,数校の順位が変わってくる。岡山大学法科大学院は,受験者数を母数とする合格率は31.43%だが,出願者数を母数にする合格率は18.64%,神戸学院大法科大学院は,受験者数母数で33.33%だが,出願者数母数では18.18%,福岡大法科大学院は,受験者数母数は30.30%だが,出願者数母数では14.49%である。ちなみに,一橋大等上位校は,計算方法を変えてもほとんど順位に変更はない。

出願したにもかかわらず受験しない最大の理由は,合格する自信がないからであろう。「三振アウト」のルールがある以上,受験生にしてみれば当然の選択だが,本当に受験生の意思だけで,これほどの受験控えが発生するのだろうか。大学院側の関与なり圧力なりはないのだろうか。大学院側の受験指導がないのに,受け控えの差が,大学院によって,これほど発生するのだろうか。もし,大学院側が,生き残りをかけて,実力のない受験生に受け控えを指導しているとすれば,それは「合格率偽装」とも言うべき悪質な行為である。

ところで,これら3大学院の共通点は,出願者数母数の合格率が10%台なのに,受験者数母数の合格率が30%台前半となる点だ。このことから,法科大学院内部では,合格率30%以下が,統廃合対象となる規準と見られていると推測される。もしそうだとすると,受験者母数で合格率30%以上の大学は75校中26校となり,今年の出願者数でいうと4153名,受験者数でいうと3530名の所属する法科大学院が生き残ることになる。つまり,75校を26校にするリストラだけでも,その困難さは明白であるが,これほどのリストラを実行しても,合格率78割を実現するためには,合格者数3000人を維持する必要があることになる。(小林)

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2008年9月13日 (土)

新司法試験合格者数発表

法務省が,新司法試験の合格者2065人を発表した。「今年の合格者は21002500人が目安とされたが届かなかった」と報じられた。

この「目安」について解説しておこう。

法務省のホームページ上で,司法試験委員会は,平成17228日と平成19622日,つまり1年おきに,「併行実施期間中の新旧司法試験合格者数について」と題する発表を行っている。前者は,平成18年度の新司法試験合格者数を900人ないし1100人,平成19年度の新司法試験合格者数を平成18年度の2倍程度,すなわち1800人から2200人と目安とした。そして後者は,平成20年度の新司法試験合格者数を2100人から2500人,平成21年度を2500人ないし2900人,平成22年度を2900人から3000人が目安になるとしている。そして,平成18年度合格者数は目安上下限の丁度中間,平成19年度は下限ギリギリとなり,今年度初めて,合格者数が目安の最低限を下回ったのだ。

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言うまでもなく,「目安」に応じた司法研修所運営予算は用意されている。しかも,受験者は7800人以上いるから,この中から「目安」以上の,例えば2300人を合格させることの障害は何一つ無い(合格ラインを数点下げればよいだけだ)。それにもかかわらず,「目安」を下回る2065人しか合格させなかった。これは,「2065人を合格させた」というより,「これ以上合格させることができなかった」からである。それほどまでに合格最低ラインのレベルが下がっていること,言い換えればかなり程度の低い人が合格していることが分かる。それならもっと合格者数を減らせば良いではないかとも言いうるが,そこはお役所のことだから,「20103000人」の閣議決定に正面から楯突くことはできない。しかし,来年以降500人ずつ合格者を増やして,2010年3000人を実現することが可能であるとは,誰も思っていまい。

重要なポイントは,「20103000人」という閣議決定の実現が,事実上不可能になったことと,それにもかかわらず,法務省の閣議決定不履行を批判する声が無い(たぶん)ことだ。これは,新司法試験合格者の質の低下が極めて深刻であることが,関係者の共通認識になっていることを示す。

合格者数のスローダウンを要請する日弁連の緊急提言の成果と見る向きもあろうが,たぶん違う。グラフのとおり,昨年の合格者数が目標値の下限ギリギリとされた時点で,今年の結末は予測の範囲に入っていた。日弁連の緊急提言は,もちろん法務省との密接な連携の下でなされたものに違いないが,その意義は,法務省が「目安以下」の決断をするためのアドバルーン程度だろう。法務省から言わせれば,平成18年は法科大学院のお手並み拝見,平成19年は疑問符,平成20年度は「だからいわんこっちゃない」といったところである。

合格者2065人のうち,最低50人は二回試験で不合格になる。それを見越しての「2065人」であることを考えると,法務省が当面想定している人数は2000人と見られる。ただ,現在の質を見る限り,2000人でも多いというのが法務省担当者の本音だろうし,実際,今後数年間,合格者の質は下がり続けると予想される。他方,法科大学院側は,早急に統廃合を行って,再度,3000人に向けての足固めをしたいところだ。

このような次第で,当面,「2000人」が攻防ラインというか,「38度線」というか(古いね),になるようだ。そして,今までのペースから言うと,平成21年の2月ないし7月に,法務省は次の司法試験合格者数見通しを発表することになる。このときが,一つの区切りになるだろう。(小林)

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2008年9月11日 (木)

偽装問題と取引先の対応

偽装事故米事件が波紋を広げている。農水省は当初隠していた事故米の販売先を公表した。これは有名焼酎の回収騒ぎに発展し,醸造業者が怒りの記者会見を開いた。

こういった偽装に手を染めた企業が責任を負うことは当然だが,偽装企業と取引を行っていた企業は,どのような対応を取るべきなのだろうか。

今回の偽装事故米事件の場合,取引先業者は事故米であることを知らず仕入れていたのだろう。しかし,農水省は二重帳簿の裏付けを取るため取引先に照会しただろうから,その際に事故米の販売を告げたのであれば,その時には,事故米の仕入れを知ったことになる。

事故米を仕入れていると知った時点で,企業は使用を中止しなければならない。基準値以上の残留農薬入り事故米を食品製造に利用すれば,食品衛生法違反に問われる可能性がある。また,直ちに,事故米を原料に製造された在庫品の安全性検査に着手しなければならない。これは,消費者への情報提供としてはもちろん,根拠のない健康被害のいいがかりを退けるためにも必要だ。

企業が事故米を使用した製品の公表や自主回収を怠ったために,健康被害が拡大した場合には,権限ある担当者は業務上過失致死傷罪に問われる可能性がある。雪印乳業集団食中毒事件のとき,対応の遅れが健康被害を拡大させたとして,事件当時の社長が書類送検された(但し不起訴)。食品製造工程で危険物質が消滅したり,検査の結果食品の安全性が確認されたとしても,事故米使用事実の公表を安易に見送ることは禁物である。積極的なリスク判断を行わなかった取締役に善管注意義務違反に基づく損害賠償を命じた裁判例(ダスキン事件大阪高裁判決)もある。

以上述べたことは,食品偽装だけでなく,工業製品の偽装にもおおむね当てはまる。もちろん,食品衛生法の適用はないが,食品の原産地偽装に適用される不正競争防止法は,商品の「品質,内容,製造方法」の虚偽表示を禁止しており,工業製品にも適用される。リサイクル率等の「エコ表示」が品質に関する表示といえるかについては異論もありうる。「エコ」である方が,性能としては劣る場合もあるからだ。しかし,現代においては「エコ表示」自体が製品の購買力や競争力を高めているから,品質に関する表示にあたると言うべきである。したがって,原材料の品質等偽装を知りつつ,完成品に同様の虚偽表示を行った場合,不正競争防止法違反を問われる可能性がある。企業のコンプライアンスが厳しく問われる現在,偽装は刑事事件に直結する可能性があることを,企業幹部は肝に銘じるべきだろう。

事故米を原料とした製品や,欠陥を有する部品を持つ工業製品によって健康被害や財産上の損害が発生した場合,製造者は製造物責任法または民法上の瑕疵担保責任,場合により債務不履行または不法行為に基づく損害賠償責任を負う。この場合,企業は自らが最終的な責任者で無いことをもってしても,消費者・取引先に対する責任を免れない。もちろん,もともと偽装を行った企業に対しては債務不履行責任や不法行為責任等を問いうるし,消費者に対して支払った賠償金は最終的な責任者に求償できるが,この最終責任者が倒産するなどして資力がなければ,補償は得られない。特に,製造物責任や瑕疵担保責任は無過失責任なので,注意が必要だ。(小林)

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2008年9月 8日 (月)

Googleストリートビューは不気味の谷を渡るか?

Googleストリートビューが賛否を呼んでいる。否定的な見解の多くは,プライバシーの侵害だと主張している。アメリカでは,訴訟も起きているという。

筆者も早速利用してみた。皆さんと同様,自宅や勤務先,実家などを見てみた。3D酔いするので,長時間は見られないが,多くの感想と同様,不気味な感じがした。

この不気味感の本質は何なのだろう,と1月ほど考えてみた。おそらく,本質的にはプライバシーの問題ではないと思う。

もちろん,プライバシーの問題は間違いなくある。グーグルは自動的にぼかされているというが,容貌に限らず人物を特定する画像や,人家の内部がたまたま撮影された場合は,プライバシーの侵害になりうる。ただ,この問題は本質的な問題とはいえないのではないか。高木浩光氏は,「ストリートビューに写った自動車ナンバーは機械判読され得るレベル」であるとか,撮影用のカメラの目線が高すぎて,通常の歩行者には見えない高みからの映像になっているとか主張している。これらの指摘はそれぞれもっともな点を含む。法的に反論しうる点もある。しかし,何となく,この不気味感の本質とは違うような気がするから,高木氏の主張の当否を論じても,ポイントからずれていってしまうような気がする。もし,高木氏が指摘するプライバシー上の問題が全て解決されたとしたなら,この不気味感は解消されるのだろうか?

3D酔いを我慢しつつ,ストリートビューでもう一度自宅を見てみる。平日の昼間撮影されたらしく,人通りが少ない。空だけが妙に明るい。画面をクリックして,周辺を移動する。すれ違う人は顔がぼかされ,幽霊のように見える。見慣れた風景なのに,とても違和感がある。私が見ているのは本当に私の自宅なのだろうか?と思う。

SF少年だったころ,多元宇宙の話を読んだ。この世界は,同じだけれど少しずつ違う世界が無数にあって,そこで自分も生活しているが,やはり少しずつ違う。ある世界では自分は死んでいるし,ある世界では別の女性と結婚している。死後の世界や過去,未来の世界というのは,実は多元宇宙の一つに過ぎない,というようなお話しである。筆者がストリートビューを見て感じる不気味感は,ディスプレイを通して別の世界を見ている感覚に近い。

そうだとすれば,もちろんこの感覚は幻想である。ストリートビューは,要するに現実世界を撮った写真をつなぎ合わせて画像を合成したものである。GoogleMapが上空からの画像であるのに対して,ストリートビューが地上からの画像であるだけの違いに過ぎない。この不気味感が幻想だとするなら,いずれ解消されて,解決可能なプライバシーの問題だけが残り,ストリートビューは広く受け入れられていくのかもしれない。この不気味感は,かつてインターネットや次世代ロボットについて論じられた「不気味の谷」に過ぎないのだろうか。(小林)

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2008年9月 7日 (日)

事故米偽装転売事件雑感

大阪の三笠フーズが,殺虫剤やカビで汚染された輸入米を焼酎などの原料として転売していたと報じられた。事実であるとすれば,毒入り餃子を転売した中国企業と五十歩百歩のとんでもない話である。

報道によれば,農林水産省は食品衛生法による告発を視野においているという。おそらく,食品衛生法6条(有毒な,若しくは有毒な物質が含まれ,若しくは付着し,又はこれらの疑いがあるものの販売等禁止)違反であろう。罰則は3年以下の懲役又は300円未満の罰金である。意外にも,不正競争防止法による産地偽装の罪(5年以上の懲役若しくは500万円以下の罰金)より軽い。消費者の健康を保護法益とする食品衛生法の方が,刑が重くてしかるべきであろう。

三笠フーズの社長が弁護士同席で記者会見に臨み,偽装が自らの指示であったと認めた。テレビで見る限り,準備不足やうろたえぶりは見受けられなかった。これが弁護士の適切なフォローによるものであったか否かは不明だが。弁護士は,潔く事実を認めた方が,事件の早期収束につながるとアドバイスしたのだろう。ただ,このアドバイスは,社長が一切事実と異なる発言をしないことが前提となる。

もう一つ報道を見ていて気になった点として,消費者行政担当の野田聖子大臣が記者会見したのに,太田誠一農林水産大臣が一切テレビに露出していない点が挙げられる。確かに,どちらかと言えば生産者側に立つと思われる農林水産省より,消費者側に立つ野田聖子大臣が農林省に苦言を呈するという構図の方が,国民目線の政治という印象を受ける。福田首相の置きみやげとなった消費者庁構想だが,本件はその存在意義をアピールする絶好の機会だったと言える。もっとも,単に野田聖子大臣のスタンドプレーであるとか,太田誠一農林水産大臣が記者会見に出ると,話題が事務所経費問題になってしまうからとか,それだけの原因なのかもしれない。

9月6日のお昼,産地不明のうなぎの蒲焼きを愛媛県産と表示して販売した疑いで,愛知県伊予市のうなぎ加工会社「サンライズフーズ」が,不正競争防止法違反で強制捜査を受けた。

沖縄県では9月4日,台湾産マンゴーを宮古島産と偽って販売したとして,通信販売会社「美ら島フーズ」社長と二人の役員を不正競争防止法違反で逮捕した。

事実関係は未確定だが,食品の産地偽装は刑事事件に直結する(ように取扱が転換した)という事実は,食品関係者に銘記して頂いた方がよいだろう。(小林)

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2008年9月 3日 (水)

ニュースを読む視点2(2008年8月版)

法曹人口問題が,水面下で動いている。報道では,鳩山邦夫氏に代わって法務大臣に就任した保岡興治氏が,たびたび,法科大学院の統廃合に言及している。中央教育審議会でも,法科大学院のあり方について厳しい意見が相次いだと報じられた。文科省が,法科大学院の教育水準を向上させるための新規事業予算5億円を計上したものの,自民党が了承しないという「異例の事態」が報じられた。「スローダウン」を求める日弁連の緊急提言に対して,法科大学院側はいろいろ反論しているが,世論を味方に付けることはできていない。

筆者の目の届く範囲でしがかニュースを見ていないから取りこぼしもあるだろうし,個々の報道に言及する余裕もない。われわれ一般の弁護士は大海に浮かんでくるあぶくを見て,海流の行く先を知るしか無いわけだが(つまり漂流しているということかって?そのとおりです),現時点で,筆者の見るところは,次の通りである。

第1に,法曹人口政策に関する制度設計が失敗だった,という認識は,あからさまに口に出さないにせよ,各界(政府・与野党・法務省・裁判所・日弁連など)の共通認識である。

第2に,何をもって失敗と見るか,については,「期待した質の法曹が養成できていない」という点で,やはり各界の認識は共通している。

第3に,現在,ボールは文科省・法科大学院にある。

さて,ここから先は見解が多少相違してくる。文科省・法科大学院側は,法曹の質が目的値を達成できない原因は教育体制が不十分なことにあるとして,その充実を図る対策を打ち出して,ボールを投げ返したい。しかし文科省外の多数は,低すぎる司法試験合格率が問題の本質だから,法科大学院を整理統廃合しなければ,法曹の質の問題は解決できないと考えている。自民党が文科省作成の予算案を突き返した理由はここにある。現在,この2者間でせめぎ合いの真最中である。

もちろん,法科大学院内部も一枚岩ではない。司法試験合格率上位校は,下位法科大学院など無くなれば良いと思っているし,下位校は,各校平等に定員を削減することで生き残りを画策している。

紆余曲折はあるにせよ,法科大学院の整理統廃合は避けられないと予想する。そうこうしている間に2010年になってしまうと思うが。肝心なのは,その次である。

問題が法曹の質にあるとして,その本質が低すぎる司法試験合格率に「のみ」あるならば,法科大学院が整理統廃合され,当初設計どおり78割の合格率を達成するだけで,問題は解決するはずだから,司法試験合格者数3000人は維持される。また,法科大学院数や定員数は文科省の管轄だが,司法試験合格者数は法務省の管轄である。だから,肝心なのは,法科大学院の整理統廃合後,又はこれを見越して,法務省が,司法試験合格者数減に踏み切るか否かである。もちろん,20103000人は閣議決定事項だから,法務省の独断で行うことはできない。だから,司法試験合格者数減に舵を切るためには,基本的に,閣議決定の変更が必要だ。

おそらく,当事者の思惑は2分される。保岡興治法務大臣に代表される勢力は,法科大学院は統廃合して総定員数は減少させるが,司法試験合格者数3000人は維持する (2010年は無理としても),という立場である。言い換えれば,司法試験合格者数3000人を維持するために,法科大学院を減らすという考えだ。文科省も,そのあたりを落としどころと考えている。

これに対して,法務官僚の一部に代表される勢力は,法科大学院を整理統廃合しても,法曹の質の問題は解決しないと予想している。既に大量の人材離れが発生しており,法科大学院に入ろうという優秀な学生が減っているからだ。この予想が支持を得たときが,閣議決定を覆し,司法試験合格者数を3000人から減らすタイミングである。もちろん,司法試験合格者数を(例えば15002000人に)減らせば,法科大学院側は,再び整理統廃合を迫られる。しかし,最初に一旦減らしておけば前例となるし,全体としての痛みも少ない。つまり,法科大学院の整理統廃合は,司法試験合格者を3000人からさらに減らすための橋頭堡という考え方である。だから,この勢力にとって大事なことは,減らすことそれ自体ではなく,「さらなる整理統廃合」につなげる減らし方だ。もっとも,法科大学院の内部分裂が,整理統廃合の障害になるかもしれない。その時は,法科大学院数減を待たず,司法試験合格者数減少を図る選択肢が登場する。いずれにせよ,このとき,法曹への夢を絶たれた若者の姿が報じられるだろう。これで潮目が変わる可能性がある。

まとめると,現状は,3000人を維持するために法科大学院を整理統廃合すべしとする海流と,3000人を打破する第一段階として法科大学院を整理統廃合すべしとする海流との衝突と認識される。衝突の結果,全体としてどちらに流れていくかは,筆者にはまだ分からない。ただ,「法曹の質の問題の本質は,低すぎる合格率にある」とする多数意見は,おそらく建前論に過ぎない。なぜなら,低すぎる合格率を解消する方法には,論理的には司法試験合格者数増(例えば年5000人にする)というやり方もあるのに,このような主張は全く登場しないからだ。そうだとすると,「3000人は上限」という共通認識があることになり,保岡法務大臣らの勢力は守勢に立つことになる。(小林)

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