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2008年9月21日 (日)

デューク東郷におかっぱ頭は似合うか?

DVDで「ノー・カントリー」を鑑賞した。例に漏れず,あのラストにひっくり返った。この終わり方は,「俺たちが何を言いたいのか,あとは自分で考えろ」という監督の強烈なメッセージだろう。意地悪教師の理不尽な宿題のように,ここ数日間,このメッセージが頭から離れない。仕方がないから考えた。以下多少のネタばれを含む。

物語は,偶然,麻薬取引現場で大金を発見して持ち帰ったベトナム帰還兵の「モス」,これを追う殺人鬼「シガー」,事件を捜査する保安官「エド」の3人を中心に進行する。主役はトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官だが,アカデミー助演男優賞を獲得したハビエル・バルデムの怪演が光る殺人鬼「シガー」が印象深い。

もちろん,殺人鬼あるいは冷酷非情な殺し屋は,映画などにしばしば登場するキャラクターである。近いところでは「コラテラル」のヴィンセントや「レオン」,有名どころでは「羊たちの沈黙」のレクター博士,そしてゴルゴ13ことデューク東郷。しかし,「ノー・カントリー」の殺人鬼「シガー」は,屠殺銃を振り回して死体の山を築くおかっぱ頭の大男,という類い希な造形に成功し,歴代殺人鬼の中でも異彩を放っている。特に,屠殺銃とおかっぱ頭,という二つのアイテムは,この殺人鬼の本質を象徴している。

屠殺銃は,牛の処理に使用される圧縮空気銃である。このアイテムは,「シガー」が殺す相手を人間扱いしていないことー正確に言うと自分と同類扱いしていないことーを意味する。人間を殺すのでないから,正当理由も美学も不要である。この点はレクター博士と決定的に違う。レクター博士にとって,殺す相手は「人間」でなければ意味がない。博士はこう言うだろう。「人間の肝臓だと思って食べるから美味いのだ。殺されるときの恐怖の表情を思い出しながらね。じゅるじゅるっ」。

おかっぱ頭は,幼児的な精神性の象徴である。幼児といっても十歳前後か。大人と会話することは可能だが,人生の本質は理解していない年代。あるいは,ザリガニを線路に置いてひき殺すことに躊躇も覚えない年代。但し,「幼児性」と「未熟」を同視することなかれ。本質的に人外の存在であるシガーは,十分成熟しているのだ。そしてこの「成熟した人間でない」という点において,「シガー」は他の映画の殺し屋と全く違う。ヴィンセントもレオンもデューク東郷も,得意分野がやや特殊なだけで,その本質は超一流のプロフェッショナルである。大人の象徴は,短髪だ。だから,デューク・東郷におかっぱ頭は似合わない。

傑出した造形の殺し屋「シガー」だが,しかしこの物語の主人公ではない。主人公は「成熟したまともな人間」の代表として登場する保安官だ。保安官一族に生まれた彼は,人は世の中を良くすることができると何の疑いもなく信じていた。しかし世の中は悪くなる一方で,シガーのような理解不能の殺人鬼が横行する始末。神の差配した偶然によってさえ,シガーを葬ることはできない。なぜならこの世は地獄だからだ。無力を痛感した保安官はバッヂを外すが,老人となった彼には,もはや居る場所がない(この映画の原題は”No Country for Old Man)。ラストで彼が語る夢は,明らかに死への甘美な憧れを意味している。彼にとってはもはや,「どうやったら苦しまずに死ねるか」だけが問題なのだ。

モスの妻も,死に憧れる「まともな人間」の一人だ。愛する者を続けて失い,経済的にも困窮する彼女には,生きる意味が無い。彼女は殺される理由を求め,自分の生命がコイントスの偶然に支配されることを拒否するが,死は逍遙として受け入れる。保安官もモスの妻は,人生を知る大人の代表だが,人生を知ることは,彼らに何の喜びも,意味さえももたらさない。このろくでもない世界に意味も希望も無く,世界を良くしようとするあらゆる努力は無駄である。トミー・リー・ジョーンズの顔に深く刻まれた皺は人生そのものだが,これに意味を認めてくれるのは,死んだ彼の父親しかいないのだ。(小林)

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