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2008年11月27日 (木)

週間東洋経済2008年11月22日号

福井秀夫・政策研究大学院大学教授の「暴言」が一部話題になっている記事「設計ミスの弁護士“大増産”計画」だが,HPにアップされたので,遅まきながら読んだ。感想などをいくつか。

第一に,件の暴言「ボンクラでも(弁護士を)増やせばいい。(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい)」だが,体裁が伝聞なので,「大根は商品。サービスではない」などと,言葉の端端に目くじらを立ててもどうかなあ,と思う。この体裁の場合,言ったとおりには記事にならないものだ。もっとも,福井教授がこの趣旨の発言をしたであろうことは想像に難くないが,反論するなら原典に当たるべきだろう。

第二に,司法改革が小泉首相時代に着手されたというのは間違いである。今次の司法改革は,遅くとも1998年,小渕恵三首相の時代に始まっているし,小泉首相就任前に,基本設計は事実上終わっている。小泉改革の失敗を批判するのは結構だが,改革路線が全て小泉首相時代に始まったと思いこむと,歴史認識を誤る。

第三に,法曹養成制度全体の改革,特に司法研修所の改革は必須だとする論調は一つの立派な見識だが,2010年から司法修習生の給与が貸与制になるのはご承知なのだろうか。研修期間が伸びるということは,修習生にとって借金が増えることを意味する。この点で記事は踏み込み不足の感を否めない。

第四に,アメリカの有力政治家の多くが弁護士出身であることと比べ日本は酷い,という切り口は鮮やかだが,ポイントは「教育」の問題ではなく「人材」の問題であるという点まで踏み込んで欲しかった。アメリカでは,政治家をはじめ,エリート階級への登竜門が弁護士であるからこそ,優れた人材が弁護士を目指すのである。アメリカの法曹養成制度が優れているために弁護士から大統領が生まれた訳ではない。それこそ,大根やニンジンが司法試験に受かったところで,日本の弁護士からオバマは生まれない。

第五に,記事全体からみるといささか唐突な,記事最後の段落こそ,最大の問題点を指摘していると思う。防衛省の田母神前空幕長が名古屋高裁判決に対して「そんなの関係ねぇ」とうそぶいた一件。これは一面で,司法の権威の低下を如実に示している。よく誤解されているが,司法の本質は「正義」でも「救済」でもない。立法・行政と並び「統治」にある。憲法の教科書でも,司法は「統治機構」に分類されている筈だ。司法に統治能力がなければ,正義や救済の実現など,おぼつかないのである。そして司法が「権威」を失えば,「正統性」が低下し,「統治」能力を喪失する。法曹の多くが大根やニンジンになれば,国民はその言うことを信用しない。漢字の読めない内閣総理大臣が信用されないのと同じことである。内閣総理大臣に比べ,民主的基盤の薄い日本の司法が,国民から信用されなくなったら,統治機関としてはオシマイである。今般の司法改革を巡る問題点の根本には,司法の権威の低下がある。(小林)

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コメント

はじめまして。
この福井秀夫は千葉県の公立中高一貫校に関しても、私立校擁護の立場からあまりにくだらない論文を発表しておられます。
よろしければ今回の件と併せてご批判ください。
以下引用でございます。

規制改革会議のホームページに、第17回教育研究タスクフォースの議事録が掲載されている。政策研究大学院大学教授福井氏はこの席で、「授業料無償の公立が、付加価値の高い中高一貫教育を行うと、私学を圧迫することとなり、不当廉売に当たる」と主張した。 10月23日の全私学新聞はこれを受け、一委員の発言を「千葉県教育庁からヒアリング。規制改革会議は不当廉売ではないかと指摘。」と報じた。また「渋谷教育学園の田村理事長からもヒアリングを行っている。」と、県内私学との関係を示唆した。(田村氏は9月12日、千葉県は16日にヒアリングを受け、県の議事録だけがHPに掲載されている。)
 次いで、11月2日の日経新聞に福井氏は「公立の中高一貫化に課題」と題する論文を投稿し、県立千葉中の名を挙げ「教育に限らず、官は民ができないことに限り、市場の失敗を補うべきで、納税者の負担で公立が私学に競合する事業を行うことは、成熟した品位のある社会に馴染まない」「よいことをやるのだから公立が何をやってもよいではないか、という発想は、無邪気だが独善的だ」とヒアリングに係る私見を公表している。
 しかし、市場原理に基づく事業者間の競争の論理を学校選択に持ち込むべきではない。
 企業は営利を目的とする。一方、学校が目指すのは、それぞれの教育理念の具現化である。だから、学校の設置は、国と地方公共団体、そして学校法人にだけ認められている。学校法人は公益を目的とし、利益を求める企業とは本質的に異なる。
 市場原理は、「個々の市場参加者の自由な意思決定や行動に基礎を置く分権的な経済体制にあっては、最も賢明な支配者の頭脳よりもはるかに多くの知識を利用できる。」という根本理念に基づく。その延長に市場メカニズムを円滑に作用させるための政策(競争政策)として「小さな政府」や「規制改革」の論が叫ばれているのだが、「より良い学校には自然に生徒が集まるはず」と、学校までも市場原理による自由競争に巻き込んしまっては、思慮が足りない。企業の利益と異なり、学校の理念の具現化は卒業生一人一人を見ても見えにくく、何年もの伝統の積み重ねを待つしかない。市場原理のいう「個々の市場参加者」が、もし、目先の有名大学への進学実績で志願先を選ぶとしたら、学校は「受験準備に偏したいわゆる受験エリート校」を目指して競い合うことになる。
 般若心経「色即是空 空即是色」の「色」とは認識の対象となるすべての現象。人の心を惑わすお金も、良い進学先も「色」の一つ。古来、学問を究め物欲を克服した者だけが悟りを得て、人々を救い、聖人と呼ばれてきた。やはり、教育を市場原理の物差しで測っていいとは思えない。
 PISAテストで学力世界一となったフィンランドの学校は全て公立(無償)で、大学生には国から月額約7万円の補助が出るという。一方、日本は、付加価値の高い教育を全て学費の高い私学に任せてしまうのだろうか。
 資源が無く、人の知恵が頼りであるから、教育の在り方が未来の日本の姿を決める。教育政策は国の根幹そのものである。公立と私学は互いに公教育を補完し合い、切磋琢磨して日本の教育水準を向上するべき立場にある。国や地方公共団体による私学への配慮は不可欠であるが、規制改革の時流に乗って、軽々に、高い進学率の公立高校の中高一貫化は私学を圧迫し、不当廉売の恐れがあるなどと、人心を扇動してはなるまい。
 もっとも、一連の記事を見た多くの賢者が、既に正しい判断を下しているに違いない。

投稿: | 2008年11月30日 (日) 04時58分

「次いで、11月2日の日経新聞に」は「11月3日」ではありませんか?

投稿: | 2008年12月 9日 (火) 17時29分

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