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2008年11月27日 (木)

週間東洋経済2008年11月22日号

福井秀夫・政策研究大学院大学教授の「暴言」が一部話題になっている記事「設計ミスの弁護士“大増産”計画」だが,HPにアップされたので,遅まきながら読んだ。感想などをいくつか。

第一に,件の暴言「ボンクラでも(弁護士を)増やせばいい。(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい)」だが,体裁が伝聞なので,「大根は商品。サービスではない」などと,言葉の端端に目くじらを立ててもどうかなあ,と思う。この体裁の場合,言ったとおりには記事にならないものだ。もっとも,福井教授がこの趣旨の発言をしたであろうことは想像に難くないが,反論するなら原典に当たるべきだろう。

第二に,司法改革が小泉首相時代に着手されたというのは間違いである。今次の司法改革は,遅くとも1998年,小渕恵三首相の時代に始まっているし,小泉首相就任前に,基本設計は事実上終わっている。小泉改革の失敗を批判するのは結構だが,改革路線が全て小泉首相時代に始まったと思いこむと,歴史認識を誤る。

第三に,法曹養成制度全体の改革,特に司法研修所の改革は必須だとする論調は一つの立派な見識だが,2010年から司法修習生の給与が貸与制になるのはご承知なのだろうか。研修期間が伸びるということは,修習生にとって借金が増えることを意味する。この点で記事は踏み込み不足の感を否めない。

第四に,アメリカの有力政治家の多くが弁護士出身であることと比べ日本は酷い,という切り口は鮮やかだが,ポイントは「教育」の問題ではなく「人材」の問題であるという点まで踏み込んで欲しかった。アメリカでは,政治家をはじめ,エリート階級への登竜門が弁護士であるからこそ,優れた人材が弁護士を目指すのである。アメリカの法曹養成制度が優れているために弁護士から大統領が生まれた訳ではない。それこそ,大根やニンジンが司法試験に受かったところで,日本の弁護士からオバマは生まれない。

第五に,記事全体からみるといささか唐突な,記事最後の段落こそ,最大の問題点を指摘していると思う。防衛省の田母神前空幕長が名古屋高裁判決に対して「そんなの関係ねぇ」とうそぶいた一件。これは一面で,司法の権威の低下を如実に示している。よく誤解されているが,司法の本質は「正義」でも「救済」でもない。立法・行政と並び「統治」にある。憲法の教科書でも,司法は「統治機構」に分類されている筈だ。司法に統治能力がなければ,正義や救済の実現など,おぼつかないのである。そして司法が「権威」を失えば,「正統性」が低下し,「統治」能力を喪失する。法曹の多くが大根やニンジンになれば,国民はその言うことを信用しない。漢字の読めない内閣総理大臣が信用されないのと同じことである。内閣総理大臣に比べ,民主的基盤の薄い日本の司法が,国民から信用されなくなったら,統治機関としてはオシマイである。今般の司法改革を巡る問題点の根本には,司法の権威の低下がある。(小林)

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2008年11月25日 (火)

厚生元次官宅襲撃事件雑感

この事件は現在,出頭した容疑者に背後関係があるか否かが最大の争点になっている。私も報道された限りでしか知らないが,小出しにされる警察報道には,あまり価値がないと思う。報道されていないことにこそ,注目した方がよい。

たとえば,弁護士が容疑者と接見したという報道が一切ない。もし背後関係があるならば,その組織は容疑者の口封じと情報収集を兼ねて,息のかかった弁護士を差し向ける可能性がある(ゴッドファーザーⅡの見過ぎか?)。しかし,依頼を受けた弁護士が接見したという報道はない。

他方,背後関係が無いときでも,東京の弁護士会は,重大事件の場合,容疑者の要請を待たず,弁護士を接見に派遣する制度を運用しているはずである(まさか,銃刀法違反という微罪だから派遣しない,なんてことは無いよね)。それも報道されないところを見ると,容疑者は,派遣弁護士との接見を拒否していると思われる。

現時点でもう1点報道されていないのは,事件直後に報道された不審車両との関係である。背後関係の解明には,逃走を含む二つの犯行や下調べが,徹頭徹尾容疑者ただ一人によって行われたか,という綿密な裏付け捜査が重要である。不審車両に関する捜査は,背後関係解明の突破口になる可能性があり,注目される。

現時点では背後関係を疑う声が多数だろう。確かに,犯行動機や出頭動機に関する容疑者の説明には,不自然な点が多い。しかし他方,背後関係が政治目的なら犯行声明が無いのは不自然だし,カネ目当てなら犯行との因果関係が不明だ。

背後関係の有無にかかわらず,この容疑者が実行犯となれば,死刑の求刑される可能性が高い。この裁判が裁判員裁判の対象になり,弁護人が,「この事件には背後関係がある。死刑にすれば,背後関係への糸口が永遠に封印される」と弁論したら,裁判員はどう判断するのだろう。(小林)

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2008年11月24日 (月)

棚瀬孝雄編著「市民社会と法」

本書には,現代日韓両国が直面する社会の変容と,これが法制度に及ぼす影響に関する,両国の論考が収録されている。我々法律家は法律を道具にご飯を食べているわけだが,その法律は絶対的なものではない。社会の変容は国家のあり方を変え,国家の産物である法律や法制度を変える。法曹人口問題を含めた司法制度も例外ではない。

例えば,国際的な人口の流動化は「国民国家」のイデオロギーを崩壊させ,血統主義を取る我が国の国籍法制のあり方に影響を与えずにおかない。また,個人→家族→地域という同心円状の社会構造の崩壊は,むき出しの個人を国家と対立させることにもなりうるし,NPO法人など,市民活動の新たな拠り所を活性化させることにもなりうる。この二つの問題は,「女性」という一つの概念でクロスしている。すなわち,少子高齢化社会における新たな労働力としての女性と,伝統的家族形態の中核にあった女性である。

そして,韓国は軍政後の民主化の一環として,日本はバブル崩壊脱出の手がかりとして,社会の変容を見越した司法改革に取り組んでいる。

学者ばかりの大所高所からの論考なので,目前に迫った問題の解決には何の役にも立たない。しかし,日々の事件処理や,せいぜい法曹人口問題を見渡す視野しか持たない我が身にとってこの本は,我が職業の将来を照らす探照灯として,大変貴重な示唆を与えてくれるように思う。(小林)

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2008年11月21日 (金)

最低男

「妻が第1子を出産した直後や,臨月のころに,夫が愛人を作って妻を捨てるなんて,こんな最低男,信じられますか?」

…という相談は,私に限らず,弁護士であれば,かなりひんぱんに受けていると思う。つまり,この男は確かに最低男だが,よくいるタイプだ。世の奥様方は,注意した方がよい。

妻が幸福の絶頂にあるのに,また人生の一大事業の真っ最中なのに,なぜこの最低男は最低のことをするのだろう。私の思うところ,女性にとって妊娠や出産は「体験」だが,男性にとっては「想像」でしかない。女性は体調の変化や,つわりや,胎動によって,現実の体験としてじわじわと妊娠を実感するが,男性にとって妊娠は突発的な事件である。特に想像力の乏しい一部の男性は,妻のおなかが信じがたいほど膨らんできて初めて,とんでもないことが勃発したと実感するのだ。そこで,この事態を受け入れられない最低男は,逃避行動に走る。しかも,このような人間に限って甘ったれだから,別な女に救いを求めるのだ。

このような最低男の行動原理は,弁護の余地が無い。無いけれども,このような心理は,多かれ少なかれ,男性というモノの本質に根ざしている。だから,女性の皆様には,パートナーがこのような最低男でないか,よく気を付けて欲しい。また,あらかじめ,親戚の赤ちゃんを抱かせたりして男を教育することや,逃げ道をふさいでおくことも重要だ。あまりやりすぎると結婚前に男が逃げ出すことになるが,そんな男とは結婚しない方がよい。これも立派な法的紛争予防である。(小林)

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2008年11月17日 (月)

次世代街頭監視カメラシステムについて

2002年,新宿歌舞伎町に街頭監視カメラシステムが導入されたことを皮切りに,渋谷,池袋など,東京都内の繁華街を中心とする数カ所に,警視庁の運営する街頭監視カメラシステムが導入された。

現在,このシステムを全国に普及させることが検討されている。ここで検討されている次世代街頭監視カメラシステムとして想定されているものは,次のようなものと推測される。

まず,カメラの台数と密度は飛躍的に増える。おそらく一地域あたり数百台のカメラが設置されるだろう。そして,このカメラが撮影した映像は,警察署のモニター室で集中管理される。

もっとも,数百台から数千台のカメラの映像を,モニター室で一括管理することは,予算の上からも,モニターを監視する警察官の負担からも,限界がある。そこで導入されるのは,異常行動の自動検知システムだ。このシステムには,予め異常行動をインプットしておき,これに該当すると判断される映像をピックアップする方式もあるが,これでは事前にインプットする異常行動が膨大なものになり,コンピューターの能力上処理できない。そこで,各カメラに接続されたコンピューターが,「通常行動」を自動学習して,「通常行動」から逸脱する映像を異常行動と判断するシステムが導入されることになる。そして,「異常行動」が検出されたら警報が発令され,その画像のみモニターに拡大表示され,犯罪性の有無等を担当警察官が判断することになろう。また,個々のカメラが撮影した画像は,メモリー又はハードディスクに一定期間保存されるが,再生されない限り,人間の目に触れないまま,自動的に上書きされ抹消される。セキュリティやプライバシー保護のために,画像は全部が暗号化されるか,容貌だけ暗号化される可能性もある。また,指名手配画像データと顔認証システムを組み合わせて,自動的に指名手配犯を検出するシステムも導入されるかもしれない。

このようなシステムは,理論的にはすべて実現可能だ。ただ,現実に信頼性のあるシステムとして設置運用するためには,技術的に,いくつかの問題をクリアーする必要があるだろう。たとえば,カメラの解像度は飛躍的に向上しているが,数百台以上のカメラの高解像度動画像を遅滞なく伝達するネットワークの確保や,短期間とはいえ膨大な量の動画を保存する記憶媒体の問題などである。そして,システム運用上最も重要な技術上の問題は,「異常行動の自動検知システム」が使い物になるかどうか,という点だ。酔っぱらいの喧嘩は自動検出できても,置き引きやスリを自動検出できないシステムならば,高額の予算を投じることは許されないだろう。かといって,敏感に設定しすぎると,モニター監視員の能力を超えて警報が発令されることになるし,これを鈍感に設定しすぎると,検出するべき犯罪行為が漏れてしまうことになる。

法律的には問題がないのだろうか。筆者の考えでは,録画についての取扱が上記のとおりである限り,これを明白に違法と断じる法律上の根拠は,現時点では存在しない。法律的に平たく言い直せば,このような「次世代街頭監視カメラシステム」は,数百人の生身の警察官が街頭に立って周辺を警戒していることと変わらない。生身の警察官を立たせて違法でないならば,代わりにカメラを設置しても違法でない,という理屈が,一応成り立つ。

もっとも,「違法と断じる法律上の根拠が現時点では存在しない」ということと,「違法でない」ということとは別問題だ。このような次世代街頭監視カメラシステムは,旧来の法理論が予測していなかったシステムであり,新しい技術,新しいシステムが導入されれば,これに応じた法理論が構築される。狭い地域に数百人の生身の警察官が24時間立ちっぱなし,という社会は法律的に許されるのか,これに代わって機械が監視の役目を担ったとき,法的には違法性が増すのか減るのか,といった検討が必要になる。(小林)

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2008年11月15日 (土)

うなぎ蒲焼偽装事件で逮捕

遅すぎたと言うべきか,本年6月末に発覚したうなぎ蒲焼偽装事件で,魚秀の元社長と福岡営業所長,神港魚類の元担当課長,高松市の水産卸販売会社元専務とその弟,東京都の商社社長の6名を逮捕し,高知県南国市の水産加工会社社長と同社役員の逮捕状を取ったと報道された。容疑は,不正競争防止法違反であり,詐欺罪ではないらしい。

すでに当ブログで触れたことであるが,この事件は,一見,うなぎ蒲焼という特殊な食材の事件でありながら,食の偽装に関わる様々な問題が凝縮しており,なぜ偽装が無くならないのかを教えてくれる。

本事件の背景は大別して二つある。一つは,国産うなぎの蒲焼が,中国産に比べて極端に高いのに,その割には,味に差がない点にある。言い換えれば,国産に対する信仰に近い信頼が,偽装の動機となった。

本事件の背景の二つ目は,ルールの曖昧さが,偽装の蔓延を許してきたことである。驚くべきことに,うなぎに限らず,養殖水産物の原産国表示基準に関しては,法律上の規準も,省令・通達上の規準もなく,「原産地表示に関する基本的考え方(一般ルール)」という農林水産省の根拠無き見解だけがルールであり,その適用範囲も曖昧だった。これがうなぎそのものの偽装を横行させ,蒲焼にも波及した。これは推測であるが,ルールを曖昧にしておくことは,農林水産省にとっても,業界にとっても,そして政治家にとっても,利益だったのだろう。

2007年以降頻発したうなぎ(蒲焼きを含む)偽装事件では,多数の企業が摘発されているが,その中で刑事事件に発展したのは,今回の事件が2例目である。その根拠は,今回の偽装の手口が,他に突出して悪質だった点にある。もっとも,悪質と言っても,とても稚拙であり,「モノ」「カネ」「カミ(帳簿・伝票)」を追えば,容易に露見する程度の偽装だった。

魚秀の社長と福岡営業所長,詰め替えとラベルの張り替えを実行した高松市の水産卸販売会社元専務とその弟は覚悟の逮捕だろうが,神港魚類の元課長は一貫して容疑を否認しているという。しかし報道を見る限り,元課長が実情を知らずに取引していたとは思われない。

他方,徳島県に本社を持つ魚秀の親会社は,現時点では疑惑を免れたようである。報道によれば,魚秀はこの親会社の100%子会社であり,前社長は親会社社長の子息(たぶん)であり,逮捕された中谷社長は親会社の従業員でもあり,親会社の一角に魚秀の事実上の営業所が置かれていた。これだけ緊密な関係にあったのに,今回の事件では無関係と判断されたようである。また,理由は分からないが,「帳合」という取引方法で偽装蒲焼の流通に関わったとされる東京の商社2社のうち,一社の社長のみが検挙された。その理由は明らかでない。

私の見る限り,今回の偽装事件の中心人物は,魚秀の中谷社長や神港魚類のもと課長ではなく,高知県南国市の水産加工会社社長と同社役員である。社長は中国名であり(国籍までは分からないが),役員は中国に名の知られたうなぎブローカーだった。同社や,これらの社長や役員のことは,なぜか,いままでほとんど報道されていない。しかし,本件の真相を明らかにするためには,この2名の身柄確保が是非とも必要である。また,この事件が不正競争防止法違反で終わるか,詐欺罪での起訴にこぎ着けられるかは,この2名の供述にかかっている。この2名がなぜこの時期に中国に行っているのか分からないが,少なくとも,行かせてしまった捜査当局の落ち度は否定できない。(小林)

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2008年11月14日 (金)

離婚と子の氏の変更

多くの弁護士は日常業務として離婚を扱う。そして,離婚の事後処理として,子どもを父母どちらの戸籍に入れるかという問題がある。筆者は子どもの戸籍業務は通常おこなわず,依頼者に自分でやってもらう。それほど手続が簡単で,弁護士費用をいただく程のことはないからだ。

離婚すると,夫婦は別々の戸籍になる。日本では多くの場合,妻が夫の戸籍を出る。その際,婚姻後の氏を名乗るか,婚姻前の氏(旧姓)を名乗るかを選択するが,同時に,「もとの戸籍に戻る」(多くの場合実家の親の戸籍に戻る)か,それとも,「新しい戸籍を作る」のかを選択しなければならない。

そして,子どもがいない場合や,子どもを自分の戸籍に入れない場合には,どちらを選んでもよいが,子どもを自分の戸籍に入れる場合には,離婚しても,親の戸籍に戻ることはできない。なぜなら,戦後,家長制度を廃止した日本の戸籍制度は,親子三代が同じ戸籍に入ることができないからだ。したがって,子どもを自分の戸籍に入れる場合には,「新しい戸籍を作る」を選択しないといけない。

新しい戸籍をつくってそこに自分が入っただけでは,子どもはついてこない。子どもを自分の戸籍に入れるには,「子の氏の変更」を,家庭裁判所に申し立てないといけない。多くの場合,子どもは未成年で,親権を持つ方の戸籍に移るが,このような場合には,裁判所は簡単に氏の変更を認めてくれる。ちなみに,子どもが15歳以上の場合には,子どもが自分で申立ができる。20歳ではない。15歳未満の場合には,法定代理人(多くの場合親権者)が代理人として申立を行う。以上のことは,子どもが成人していて,離婚前の戸籍から独立していなかった場合も同様である。

少しややこしいのは,離婚しても,旧姓に戻らない場合はどうか,という点だ。実はこの場合でも,子どもを自分の戸籍に移す場合には,「子の氏の変更」の申立を行う。

注意しなければならないのは,二人以上の子どもがいる場合,一方を旧姓,他方を婚姻後の姓にしつつ,同じ戸籍に入れるということは不可能だし,親と子が同じ戸籍に入りつつ別の姓を名乗ることは不可能,という点である。これは,日本の戸籍制度が「同一戸籍同一氏(うじ)」を前提としているためである。(小林)

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2008年11月 9日 (日)

関岡英之「拒否できない日本」(文春新書)

フジテレビの「サキヨミ」で紹介されて以来話題の本である。

1994年(平成6年)以来毎年,日米間では「年次改革要望書(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)が交換されているが,その内容はアングロ・サクソンの独善的価値観に基づくアメリカ国益の一方的な押しつけと内政干渉であり,要請のほとんどは日本政府によって実現されているにもかかわらず,日本政府もマスコミも,年次改革要望書の存在を故意に報道しなかったと告発する。これは陰謀でも何でもない(要望書の存在と内容はアメリカ大使館によって和訳され公表されている)し,アメリカ政府が自国民の利益のため行動することは当然の責務でさえある。問題は,日本の犠牲の下でアメリカの国益を唯々諾々と実現する日本のリーダーにあるという。例示として,建設,企業会計,司法の三分野におけるアメリカの世界戦略と対日圧力が実現されてきた過程を概観している。

司法改革以外は専門外だが,「さもありなん」という内容ではある。司法改革について,200069日にアメリカ政府が「司法制度改革審議会に対する米国政府の意見表明」を発表していることを以前ご紹介したが,これが年次改革要望書という形で,制度的に継続されているとは知らなかった。

問題はアメリカにではなく,日本にあるという指摘には同感である。ただ,本書において残念なのは,「アメリカによるアングロ・サクソン価値観の押しつけを,日本のリーダーが唯々諾々と受け入れるのは,それが日本の国益にかなう(と日本のリーダーが思っている)からではないか」という視点がほとんど検証されていない点だ。言い換えると,関岡氏は,「アメリカ政府が言い出したことである以上,それは米国人やアメリカ企業が言わせているに相違なく,それはアメリカの利益に合致し,日本の国益に合致しない」という思いこみに支配されている。この思いこみは,例えば司法改革推進派の弁護士や政治家をネオリベの走狗とラベリングして思考停止に陥る連中と同レベルで,ややがっかりである。政治はもっと複雑なものだ。

おそらく年次改革要望書のかなりの部分には,日本のリーダーが,アメリカから買収されたからでも洗脳されたからでもなく,自ら信じる正義に従って米政府に陳情した結果が反映されている。そうでなくても,日本のリーダーが年次改革要望書に唯々諾々と従うのは,それが日本国民の利益にかなうと受け止めたからである。これを軽薄と誹るのは容易いが,重要なのは,このような日米間の権力構造や国内的・国際的政治的意思決定過程の解明であろう。もっと過激な仮説を述べるなら,国家の意思決定が,国家の内部(国民)のみによってなされており,また,そうあるべきという考えこそ,国民国家というイデオロギーに支配された思いこみかもしれないのだ。関岡氏には,次回作で是非,このあたりに踏み込んで頂きたいと思う。(小林)

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2008年11月 5日 (水)

馬肉偽装報道の顛末

2008年10月30日から31日にかけて,「熊本産」馬肉の偽装が報道された。

報道や農水省のプレスリリースによれば,熊本県の業者Aが,カナダ原産の馬肉を,原産地を表示せずに大阪の仲卸会社ショクリューに販売し,同社もやはり原産地を表示せずに佐賀県の小売業者ヤマフに販売したところ,ヤマフはこれを「熊本産」と表示し,約163キログラムを一般消費者に販売した。報道内容と処分を整理すると,次の表のとおりである。

御者名

問題となった行為

業者の分類

管轄

認定

業者名処分

処分内容

A社(後に(株)三協畜産と判明)

馬肉の原産地「カナダ」を表示・伝達せずショクリューに販売

県域業者

熊本県

原産地表示もれ

非公表

文書指導

(株)ショクリュー

馬肉の原産地「カナダ」を表示・伝達せずヤマフに販売

 

農水省

原産地表示義務違反

公表

指示

(株)ヤマフ

原産地を確認せず「熊本産」と表示して販売

ブロック域業者

九州農政局

不適正表示

公表

指示

熊本県域業者Aに関しては,農水省から熊本県に対して,「厳正な措置を取るよう要請した」が,熊本県は30日,業者名を公表せず,文書指導にとどめたと発表した。しかし各紙は,A社が三協畜産であることを31日に報道する。これを受けて三協畜産は31日,ホームページにお詫びと説明のコメントを発表した。翌11月1日以降,後追いの報道はない。

この事案の背景となる事情は,次のとおりである。

まず,熊本県は馬肉の本場だが,熊本県で生まれ育った馬の肉は,おそらく全体の1割に満たない。大半は海外か北海道生まれであり,海外の中ではカナダが多い。熊本県に来た馬は,牧草に代わって穀物で肥育され,適度に脂がのったところで食肉にされる。

2005年9月までは,これらの馬肉は出生地にかかわらず,「熊本産」として販売されてきた。JAS法上の原産地表示に関して,農水省内の「原産地表示の基本的考え方(一般ルール)」によれば,複数地域を経由して肥育された生鮮食品について,最も長く肥育された地域をもって原産地とされてきたが,畜産物については例外として,輸入した日から,牛については3ヶ月,豚については2ヶ月,その他の家畜については1ヶ月以上肥育すればその地域名を表示して良いという,いわゆる「三ヶ月ルール」(平成12年3月31日農林水産省告示514号生鮮食品品質表示基準)が定められていたので,馬肉については熊本に連れてきた日から1ヶ月以上肥育すれば「熊本産」と表示できたためである。

この「3ヶ月ルール」は,いうまでもなく国内の畜産業者を利するためのものであり,そしておそらく,それ以前の慣行を追認したものであるが,合理的根拠のない,あまりに露骨な業者保護の制度として批判の対象になり,平成16年9月14日農林水産省告示1706号により撤廃され,上記「原産地表示の基本的考え方(一般ルール)」が適用されることになった。これを受けて,熊本県の生産業者12社でつくる「熊本県馬さし流通協議会」は,純粋に熊本県で生まれ育った馬の場合「熊本産馬さし」,県外から来て熊本県で4ヶ月以上肥育した馬の場合「熊本馬さし」と表示わけした上「原産地○○(例えばカナダ)」「肥育地熊本県」と表示するという自主ルールを制定した。

今回問題となった馬肉が熊本県内で4ヶ月以上肥育されたものであるか否かは不明だが,いずれにしろ,三協畜産は原産地表示を何もせず販売したことが,問題の発端となった。

この一連の報道からうかがわれる問題点は,次のとおりである。

第1に,農水省と熊本県の足並みの乱れが指摘される。農水省は,熊本県に対し,三協畜産に対する厳正な措置を要請したにもかかわらず,熊本県は業者名公表を拒否した。その理由として熊本県は,外食産業に生鮮食品を販売する売主には原産地表示義務がないところ,三協畜産は外食産業と誤信して原産地を表示せず販売した「表示もれ」にすぎないからとしている。しかし,「外食産業に生鮮食品を販売する売主には原産地表示義務がない」とする条項はどこにもなく,解釈としても間違っている。三協畜産の行為は「明白なJAS法違反」とする農水省の主張が正しい。業者名はあっさり突き止められてしまったことからすると,熊本県の業者名公表拒否は,同県の評判を下げただけで終わったと言うべきだろう。

第2に,上記「原産地表示の基本的考え方(一般ルール)」という,法律でも省令でも告示でさえもない,単なる内部的解釈が一人歩きしていることも問題なら,その例外としての「3ヶ月ルール」もいい加減であり,これが撤廃された後の業界自主ルールも,相当問題である。なぜなら,一般消費者には「熊本産馬さし」と「熊本馬さし」の違いなど分からないからだ。この自主ルールは,それ自体が不正競争防止法に違反する可能性さえある。いずれにせよ,三協畜産がこの自主ルールを守っていれば,今回の騒動は起きなかった。とすれば,法令を含めた原産地表示ルールの不備不徹底が問題の根本にある。

第3に,そもそも純粋な熊本産馬肉などほとんど無いことは業界の常識であるという立場から,従来これを知って放置してきた農水省の豹変を批判する主張がある。例えば2ちゃんねるには,「輸入した馬を2・3か月肥育して適当にサシが入ったところが一番ウマいんだろうが,みんなやってるし,地元じゃみんな知ってるだろ 産地偽装が話題になったから,後出しで農水省が運用を変えたんじゃないか。これを産地偽装というなら国産の馬刺しはなくなるぞ この偽善者どもめが」という意見が投稿されている。

この意見は確かにポイントを突いているのだろう。しかし重要なことは,今後農水省の立場がもっと消費者寄りになりこそすれ,業界保護に軌道修正することはありえないという点だ。

最後に,この報道がすぐ沈静化した理由を考えておく必要がある。これは想像だが,真の原産地が「カナダ」であった点は,一つの大きな理由だろう。これが「中国」だったら,全然違った展開になっていたと思う。つまり,今回の問題は,消費者の「食の安全」のアンテナを刺激しなかったのだ。ちなみに,Wikipediaによれば,世界の馬肉生産第1位は中国とのことであるから,今後,中国産馬が輸入されてくる可能性がある。そうなったとき,未だに原産地表示ルールが不備不徹底のままなら,問題が再燃するだろう。

報道が沈静化して,業界関係者は胸をなで下ろしていることと思う。しかし,原産地が熊本でなかったことを知っても消費者が怒らなかったということは,それだけ熊本のブランド力が無いことをも意味するのだから,安心してばかりしてもいられないと思う。(小林)

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2008年11月 4日 (火)

司法修習生や弁護士の就職斡旋業

株式会社More-Selectionsや,株式会社C&Rリーガル・エージェンシー社が,司法修習生の就職斡旋をして1年になることを初めて知った。これらの会社はこのほかに,弁護士の転職斡旋や,法科大学院生の就職斡旋もしているようだ。

需要あるところに供給あり。新人弁護士の就職難が社会問題になりつつある現在,このような業種が登場することは,当然ともいえる。また,司法試験の合格率が3割台になっている今,司法試験に合格しなかった法科大学院生の就職斡旋も,社会的に必要だろう。

ただ,弁護士の目で見ると,修習生や弁護士の就職斡旋業って,弁護士法72条に違反しないのか,と考えてしまう。弁護士法72条は,報酬を得る目的で弁護士を斡旋する業務を禁止しているからだ。違反すると2年以下の懲役又は300万円以下の罰金である。司法修習生の就職斡旋や弁護士の転職斡旋業は,これに違反する可能性があると思う。

もちろん,違反すると決まったわけではない。弁護士法72条は,具体的な法的紛争を処理する弁護士を紹介する商売を禁止した規定であって,一般的な就職斡旋を禁止した規定ではないという解釈は成立しうる。でもこの解釈を取る場合,具体的事件性と一般的な就職の境目はどこになるのだろう。悪質な業者の脱法行為に使われるおそれはないのだろうか。

もしこの点の解釈に決着がついていないのであれば,弁護士やその卵である司法修習生が,これらの会社の御世話になることは,差し控えるべきではないのだろうか。また,これらの会社から弁護士の就職斡旋を受けることは弁護士法27条違反になるのではないかと,心配する必要はないのだろうか。サイトを見る限り,大手を中心に多くの法律事務所が司法修習生や弁護士の就職斡旋を依頼しているようだが,外向きには口を酸っぱくしてコンプライアンスを説く弁護士が,このような曖昧なことで良いのだろうかと,考えてしまう。

上記にご紹介したような業者については,実質的違法性がない限りにおいて,その活動を認めるべきだし,認めるほかはないと思う。他方,このような現状であるからこそ,違法な弁護士紹介業の芽を摘む必要もある。日弁連の公式見解は確認していないが,弁護士派遣事業については違法であるとの意見だったのではないか。そうであるとすれば,派遣事業は違法で,紹介業は適法とするのか。それならば区別の根拠は何か。日弁連としては,このあたりを明らかにする責務があると思う。そうでなければ,二枚舌,業界利益優先との非難を免れないと危惧する。(小林)

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2008年11月 3日 (月)

東浩紀は若者の怒りの代弁者になるのか?

大塚英志+東浩紀の対談「リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか」(講談社現代新書)を読んだ。2001年から2008年まで4回の対談が収録されているが,つかみ合いの一歩手前とさえ言える2007年の対談が面白い。

東浩紀は,批評家・言論人として,自らの信じるところを発信したいが,それが読者を啓蒙・感化することはあっても,社会全体を動かすことなどあり得ないし,動かす気もない,という。大塚英志は,それなら批評家・言論人をやる意味がないとシツコク噛みつく。無数の小集団が好き勝手なベクトルを持ち,社会全体として均衡が取れているときは,東浩紀的社会観でもよいが,たまたま全ベクトルが同じ方を向くと,破滅である,そうでないとしても,東浩紀の主張は,結局現状肯定主義として支配者に便利に使われてしまうと反論する。

東浩紀も偽悪家ぶっているところがあって,使命を認識しつつ,同世代ほぼ唯一の批評家・言論人であるからといって,そんな重い役割を押しつけないでよと言っている感もある。ところが,20086月に秋葉原で起きた無差別殺人事件は,東浩紀に否応なく公的な使命感を持たせたとして,それがこの対談集の一応のオチになっている。

東浩紀は言う,若いやつらはとにかく怒っている。それはおそらく日本という国全体が滅びかかっていることと深い関係がある。年金にしろ財政破綻にしろ,俺たちが年取ったときに国が滅びてるぞ,という感覚がけっこう広がっていて,若い世代ほど無力感が蔓延している。しかしこの国では,若い世代にしか分からないリアリティがあるのに,それが社会や政治の言葉に翻訳されず,いつまでたっても「おまえら大人になれ」ということばかりが言われ続けている,この状況に対する不満がとても大きい。

この怒りは,筆者の怒りと共通するから,東浩紀個人が同じ怒りをいだいていることはよく分かる。ただ,若者全体が同じ怒りを持っているのか,まして,その怒りを極端な形で体現したのが,秋葉原に突っ込んだ件の男性なのか,という点については疑問に思う。以前書いたが,筆者が見る限り,今の若者には怒りの文化がほとんど無いと思う。また,犯人が若い世代が大人世代に対して持つ怒りの具現者として凶行に及んだのなら,秋葉原ではなく,銀座や巣鴨に突っ込んでも良さそうなものなのに,彼の怒りと言うより嫉妬は,同世代の「勝ち組」(勝ち組といっても,秋葉原に遊びに来られる程度の勝ち組)に向けられた。例えば宮崎勤事件は確かに一つの時代の一つの何かを体現していたが,秋葉原事件はそこまでのものか。宮崎勤の名前は10年以上経っても忘れられることはなかったが,秋葉原に突っ込んだ件の男のフルネームを今思い出せる人はどれだけいるだろう。

もちろん,この認識のズレが,東浩紀の言う「若者の怒りが社会や政治の怒りに翻訳されていない」ということなのかもしれない。麻生総理大臣がかつて秋葉原で演説したのは,それなりの政治的直感なのかもしれない。それならば,好むと好まざるとに関わらず,東浩紀には通訳の使命が課せられたことになる。通訳としての東浩紀の言動に,今後注目してみたい。(小林)

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