週間東洋経済2008年11月22日号
福井秀夫・政策研究大学院大学教授の「暴言」が一部で話題になっている記事「設計ミスの弁護士“大増産”計画」だが,HPにアップされたので,遅まきながら読んだ。感想などをいくつか。
第一に,件の暴言「ボンクラでも(弁護士を)増やせばいい。(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい)」だが,体裁が伝聞なので,「大根は商品。サービスではない」などと,言葉の端端に目くじらを立ててもどうかなあ,と思う。この体裁の場合,言ったとおりには記事にならないものだ。もっとも,福井教授がこの趣旨の発言をしたであろうことは想像に難くないが,反論するなら原典に当たるべきだろう。
第二に,司法改革が小泉首相時代に着手されたというのは間違いである。今次の司法改革は,遅くとも1998年,小渕恵三首相の時代に始まっているし,小泉首相就任前に,基本設計は事実上終わっている。小泉改革の失敗を批判するのは結構だが,改革路線が全て小泉首相時代に始まったと思いこむと,歴史認識を誤る。
第三に,法曹養成制度全体の改革,特に司法研修所の改革は必須だとする論調は一つの立派な見識だが,2010年から司法修習生の給与が貸与制になるのはご承知なのだろうか。研修期間が伸びるということは,修習生にとって借金が増えることを意味する。この点で記事は踏み込み不足の感を否めない。
第四に,アメリカの有力政治家の多くが弁護士出身であることと比べ日本は酷い,という切り口は鮮やかだが,ポイントは「教育」の問題ではなく「人材」の問題であるという点まで踏み込んで欲しかった。アメリカでは,政治家をはじめ,エリート階級への登竜門が弁護士であるからこそ,優れた人材が弁護士を目指すのである。アメリカの法曹養成制度が優れているために弁護士から大統領が生まれた訳ではない。それこそ,大根やニンジンが司法試験に受かったところで,日本の弁護士からオバマは生まれない。
第五に,記事全体からみるといささか唐突な,記事最後の段落こそ,最大の問題点を指摘していると思う。防衛省の田母神前空幕長が名古屋高裁判決に対して「そんなの関係ねぇ」とうそぶいた一件。これは一面で,司法の権威の低下を如実に示している。よく誤解されているが,司法の本質は「正義」でも「救済」でもない。立法・行政と並び「統治」にある。憲法の教科書でも,司法は「統治機構」に分類されている筈だ。司法に統治能力がなければ,正義や救済の実現など,おぼつかないのである。そして司法が「権威」を失えば,「正統性」が低下し,「統治」能力を喪失する。法曹の多くが大根やニンジンになれば,国民はその言うことを信用しない。漢字の読めない内閣総理大臣が信用されないのと同じことである。内閣総理大臣に比べ,民主的基盤の薄い日本の司法が,国民から信用されなくなったら,統治機関としてはオシマイである。今般の司法改革を巡る問題点の根本には,司法の権威の低下がある。(小林)
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