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2008年11月 9日 (日)

関岡英之「拒否できない日本」(文春新書)

フジテレビの「サキヨミ」で紹介されて以来話題の本である。

1994年(平成6年)以来毎年,日米間では「年次改革要望書(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)が交換されているが,その内容はアングロ・サクソンの独善的価値観に基づくアメリカ国益の一方的な押しつけと内政干渉であり,要請のほとんどは日本政府によって実現されているにもかかわらず,日本政府もマスコミも,年次改革要望書の存在を故意に報道しなかったと告発する。これは陰謀でも何でもない(要望書の存在と内容はアメリカ大使館によって和訳され公表されている)し,アメリカ政府が自国民の利益のため行動することは当然の責務でさえある。問題は,日本の犠牲の下でアメリカの国益を唯々諾々と実現する日本のリーダーにあるという。例示として,建設,企業会計,司法の三分野におけるアメリカの世界戦略と対日圧力が実現されてきた過程を概観している。

司法改革以外は専門外だが,「さもありなん」という内容ではある。司法改革について,200069日にアメリカ政府が「司法制度改革審議会に対する米国政府の意見表明」を発表していることを以前ご紹介したが,これが年次改革要望書という形で,制度的に継続されているとは知らなかった。

問題はアメリカにではなく,日本にあるという指摘には同感である。ただ,本書において残念なのは,「アメリカによるアングロ・サクソン価値観の押しつけを,日本のリーダーが唯々諾々と受け入れるのは,それが日本の国益にかなう(と日本のリーダーが思っている)からではないか」という視点がほとんど検証されていない点だ。言い換えると,関岡氏は,「アメリカ政府が言い出したことである以上,それは米国人やアメリカ企業が言わせているに相違なく,それはアメリカの利益に合致し,日本の国益に合致しない」という思いこみに支配されている。この思いこみは,例えば司法改革推進派の弁護士や政治家をネオリベの走狗とラベリングして思考停止に陥る連中と同レベルで,ややがっかりである。政治はもっと複雑なものだ。

おそらく年次改革要望書のかなりの部分には,日本のリーダーが,アメリカから買収されたからでも洗脳されたからでもなく,自ら信じる正義に従って米政府に陳情した結果が反映されている。そうでなくても,日本のリーダーが年次改革要望書に唯々諾々と従うのは,それが日本国民の利益にかなうと受け止めたからである。これを軽薄と誹るのは容易いが,重要なのは,このような日米間の権力構造や国内的・国際的政治的意思決定過程の解明であろう。もっと過激な仮説を述べるなら,国家の意思決定が,国家の内部(国民)のみによってなされており,また,そうあるべきという考えこそ,国民国家というイデオロギーに支配された思いこみかもしれないのだ。関岡氏には,次回作で是非,このあたりに踏み込んで頂きたいと思う。(小林)

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