住基ネット最高裁判決と自己情報コントロール権
平成20年3月6日の住基ネット最高裁判決から半年経過して,ほぼ評釈が出そろったようである。 大阪高裁判決は,住基ネットは憲法13条が保障する自己情報コントロール権を侵害すると判断したが,最高裁は,自己情報コントロール権が憲法上の権利であるか否かについて,一切言及しなかった。本稿では,この点に限定して,最高裁判決の評釈をご紹介したい。 まず,法務省大臣官房民事訟務課の工藤敏隆氏は,「自己情報コントロール権については,法文上の根拠が存在せず,その内容,範囲,法的性格に関して様々な見解があり,権利としての成熟性が認められないから,未だ実態法上の権利とは認められない。そもそも,プライバシーの法的保護の内容は,…消極的自由権として把握されてきたものである。自己情報コントロール権を認める見解が主張する個人情報の開示請求権・訂正請求権は,憲法13条の文言解釈を逸脱するものではないかとの疑問があるし,民事法上も極めて困難である。本判決が,自己情報コントロール権に基づく削除請求を認容した原判決を破棄した上で,「個人の私生活上の自由」に対する制約の許否として改めて検討し直したのは,右の諸点を考慮したことによるものと思われる。」として,最高裁の判断を積極的に評価した。 判例時報2004号は,最高裁が自己情報コントロール権に言及しなかったのは,「いわゆる『自己情報コントロール権』が一定の範囲で司法上の人格権ないし人格的利益として認められる余地があるとしても,…住基ネットはそのような権利ないし利益を違法委に侵害するものではないから,本件では原告の主張する『自己情報コントロール権』が憲法上の人権であるか否かについて判断を示すまでもないと介したものと考えられる」としている。 田島泰彦上智大学教授は,法律時報80巻1号で,「本判決には,自己情報コントロール権はもとより,プライバシーの言葉すら登場しないだけでなく,保障の範囲も第三者提供の規制という場面に限られており,何よりも京都府学連事件判決はもとより,早稲田大学名簿提供事件判決でも明示されていた『本人の同意』という要件が外されていることである。本人の同意は,自己情報コントロール権をはじめとする現代におけるプライバシー権の保障にとって本質的とも言える要素であり,…これが取り除かれたことにより,個人が同意していなくても,また住民らによる自己情報コントロール権の主張によっても違憲・違法とならないというこの度の最高裁の結論をより容易にし,拍車をかけることにならなかったか」として,最高裁判決を批判している。 筆者としては,最高裁判決が,自己情報コントロール権に言及しなかったのは,この概念が高度情報化社会に適合的でないという懸念をぬぐい去れなかったからと考えたい。情報は,大きく分けて「モノの情報」と「ヒトの情報」に分けられるが,「モノの情報」も,そのモノに対する権利を通じて,多くは「ヒトの情報」に収斂していく。純粋にヒトと無関係な情報は気象や地理の情報くらいだろう。情報の大半が「ヒト」すなわち「誰か」の情報であるとして,それだけで,その「誰か」がこれを「コントロールする」権利を持つと考えてよいのか。おそらく,この考え方は,高度情報化社会・ハイパーネット社会になじまないと思う。(小林)
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