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2008年12月16日 (火)

「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著 講談社現代新書

こんなに面白い科学書は読んだことがない。

生命とは何か?それは自己複製を行うシステムである。これが20世紀の生命科学が到達した一つの答えであった。1953年の論文に,DNAの二重らせん構造が発表されたとき,世界はその正しさを確信した。なぜなら,そのモデルは完璧に美しかったから。

だが,自己複製を行うシステムであるというだけなら,ウィルスも生命である。もし,ウィルスを生命と認めないなら,生命とは何か。筆者は「(自己複製を行いつつ)動的平衡にある流れである」と定義する。すなわち,生物の身体を構成する細胞は,分子レベルで絶えず入れ替わっている。1年前の自分と1年後の自分は,構成分子レベルでは100%別の物質である。それにもかかわらず同一性を保つのが,生命の本質である。たとえるなら,生命とは,川の淀みのようなものだ。

このような考え方が心にすとんと落ちるのは,筆者の文章力もさることながら,おそらく日本人の伝統的な生命観に符合するからだろう。本書を読んで,方丈記の冒頭を思い起こした人は少なくないと思う。そして,この考え方からすれば,自然も,地球も,宇宙も,一種の生命であるし,それは筆者も否定しないのではないか。

宇宙レベルで,さまざまな分子が,エントロピーの法則に従って流れていく中で,DNAに書き込まれた設計図に従い,分子の淀みとしての生命が発生する。人間も淀みの一つにすぎず,時間が経てばバラバラの分子の流れに戻る。ちっぽけな淀みにすぎない人間が,己の名誉と欲望をかけ,時には汚い手をつかって,生命の秘密を解き明かそうと奮闘する有様が,本書のもう一つの見所である。

驚いたことに,本書の筆者が小学校の先輩であったことを,エピローグを読んで知った。松戸市立相模台小学校である。筆者がアオスジアゲハを追いかけていた相模台の同じ野原に,3歳年下の私がいた。人生は思わぬところで交差し,分かれていく。ごく一時にせよ,同じ空気を吸って分子を共有したことは光栄である。(小林)

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