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2009年2月25日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 10)

平成7年11月2日日弁連臨時総会(2)

平成7年(1995年)7月21日,日弁連理事会は,前年の関連決議である「5年間800人据え置き」に添った内容の「司法試験・法曹養成制度改革に関する日弁連提案―抜本的改革案の策定に向けて―」を満場一致で採択し,法曹養成制度等改革協議会に提示した。

その6日後である平成7年(1995年)7月27日,政府の行政改革委員会規制緩和検討小委員会は,重点的に規制緩和の検討を進めるテーマの中に,「法曹人口の大幅増員」「外国人弁護士の受入れに関する規制緩和」「弁護士の法律事務独占の見直し」を掲げ,日弁連執行部に衝撃を与えた。このタイミングからして,規制緩和検討小委員会の発議は,日弁連の上記理事会決議に対抗する主旨であることは明白である。この発議のうち,特に法律事務独占の見直しは,弁護士業務の制度的特権を奪う根本的変革であり,これに危機感を抱いた日弁連執行部は,緊急対策本部を設置する。

平成7年(1995年)8月11日,土屋公献日弁連会長は,日弁連新聞号外「会員の皆様へ」の中で,緊迫した情勢を告げた。

この間,土屋公献執行部と政府与野党との間で,水面下の情報交換がなされたことは間違いない。噂だが,とても「高い筋」から,弁護士法を改正して強制加入団体性を廃止するとの通告がなされたそうである。あくまで噂であり,検証のしようがないが,表面に現れた土屋公献執行部のうろたえぶりから推測する限り,ありうる話と思う。

8月28日に緊急理事会が,9月14日に定例理事会が開催され,土屋公献日弁連会長は,「平成11年(1999年)から司法試験合格者数年1000人」を提案する。これは僅か2ヶ月前に理事会全員一致で決定した方針はもちろん,平成6年(1994年)12月1日臨時総会関連決議を覆す内容だから,正式決定するためには,総会に諮らなければならない。しかし理事会は紛糾し,9 月14日,27日,10月9日と3回開いた理事会の結果,執行部案が43対13,棄権10でようやく可決され,11月2日の日弁連臨時総会に諮られることとなった。

臨時総会予定日の前日である平成7年(1995年)11月1日付の日弁連新聞には,土屋公献会長が「再び会員の皆様へ」と題する文章を寄せている。ここには,諸般の情勢の中で,「当面5年間800名に固執する日弁連の主張が『孤立』することが決定的となり,このままでは怒濤に押し流されて全てを失う恐れがあるため,良心的世論を味方につけ,修習期間2年を堅持し,丙案実施を阻止するためには1000名の容認が必要」と書かれている。

これは土屋公献執行部がいままでやってきたことの完全否定に等しい。そこで,それまで反増員政策を支持してきた勢力は,この臨時総会に, 7月21日の理事会で執行部が提案し,満場一致により議決された方針を,そのまま,反執行部案として提案した。

本稿では余談となるが,この経緯を聞いて既視感を持つ弁護士も多いだろう。特に,大阪の弁護士には既視感があるはずだ。この経緯は,平成20年(2008年)8月6日の大阪弁護士会臨時総会の経緯とそっくりである。大阪弁護士会臨時総会でも,上野勝執行部は,常議員会で総スカンを食った第一案を撤回して第二案を策定して臨時総会を招集し,これに怒った反執行部派が第一案を反執行部案として総会に諮った。つまり第一案も第二案も,執行部が作成した案であることに相違ない。歴史は繰り返す。そして,このような迷走ぶりを普通,「末期症状」という。(小林)

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コメント

大阪の迷走は、「喜劇」というのです。

投稿: マルクス | 2009年2月26日 (木) 14時14分

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