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2009年2月16日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 7)

平成61221日日弁連臨時総会(7

日弁連臨時総会において,圧倒的多数で議決された「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は,日弁連のその後の迷走と,法曹人口問題からの当事者資格の剥奪をもたらした。この関連決議は,日弁連の歴史の中で,最大の失敗として記憶されるだろう。

では,なぜ,この「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」が策定され,土屋公献執行部がこの関連決議案の支持を決断することになったのかを考えてみよう。

ポイントはおそらく3つある。

1は,提案者の代表である辻誠弁護士(故人)が,昭和50年度の日弁連会長だったという点だ。平成6年の日弁連臨時総会から20年以上前の会長とはいえ,現役の弁護士である以上,平成6年当時も,それなりの実力者であったと思われる。ちなみに辻誠弁護士は平成20年(2008年)68日,老衰のため98歳で死去したが,その前年,日弁連創立50周年祈念行事実行委員長を務め,「日弁連五十年史」に序文を寄せて,「日弁連は,対決から対話の時代へ変化した」と述べている。ご自分が負け戦の仕掛け人だったくせに,白々しい言葉である。それはさておき,この臨時総会当時は82歳である。きっと矍鑠としておられたのだろう。

なお,関連決議提案理由の補足を行った前田知克弁護士は,現在,憲法改正に反対する政治団体「9条ネット」の代表者であり,共同代表には土屋公献日弁連会長(当時)がいる。

2は,執行部案と反執行部案の票差が約1600票という点だ。票差が1600票ということは,800票を持つ者が,キャスティングボートを握ることになる。したがって,もと日弁連会長である辻誠弁護士が,数百人の支持をバックに,「この関連決議を受け入れなければ,執行部案の不支持に回る」と迫れば,土屋執行部がこれを拒否することはとても困難である。

3は,土屋日弁連会長には,1000人という選択肢は,公式には表明できなかった点である。日弁連会長選挙で,司法試験合格者数1000人も「積極的に検討するべき」とした川上義隆弁護士(二弁 故人)を破って当選した土屋会長の立場からすれば,1000名以上の増員容認は明白な公約違反となるため,総会で議決するのであれば,800人がギリギリのラインだった。(小林)

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