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2009年2月27日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 11)

平成7112日日弁連臨時総会(3

司法試験合格者数年1000人を容認しようとする執行部案に対する反対意見の概要は,大別して整理すると,次の通りである。

1 弁護士の収入を減らし,業務基盤を害するというもの

1000名になったら就職できない修習生がたくさん出てくる」(板根富規弁護士 広島),「すでに司法修習生の就職難が発生しているのに,さらに増やしてどうする。執行部案は若手弁護士に人権活動を止めろというに等しい」(野間啓弁護士 東弁),「我々若手弁護士は司法改革で汗を流して,そして大量増員で若手弁護士だけが血を流すのか」(前川清成弁護士 大阪),「執行部案は将来の歯止め無き増員に繋がり,弁護士の適正人口を害して職業の自立性を失わせ,民主的な弁護士制度を崩壊させる」(野間美喜子弁護士 名古屋),「本当にニーズがあるなら就職の問題にしろ,それぞれの収入の問題にしても,皆弁護士としての品位を保てるだけの収入があってしかるべき」(宮﨑乾朗弁護士 大阪)

2 執行部案はさらなる法曹養成制度「改悪」につながるというもの

「執行部案は,修習期間の短縮,分離修習の始まり,ひいては法曹一元の崩壊につながる」(鈴木和憲弁護士 一弁),

3 日弁連を攻撃する勢力に対して,妥協ではなく,対決すべしというもの

「執行部案は,戦後赫々たる成果を上げてきたこの弁護士会を解体,崩壊するための走狗として,今日の歴史的役割を果たしたことになるでしょう。これは中坊執行部のときから仕組まれた陰謀である」(中根二郎弁護士 長野),「執行部の情勢分析は曖昧だ。日弁連を内部から変質させ独立性と批判性の牙を抜こうとする敵の攻撃に対し,我々は徹底的に闘い抜かなければならない」(荘司昊弁護士 秋田),「行政改革委員会の規制緩和小委員会,この権限がこわいんだなどと言わず,正しいことであれば,堂々と旗を掲げて戦うべき」(松浦武弁護士 大阪),「対権力,反権力,その市民,人民に対して我々が自分たちの職業を巡る利益を率直に語ったときに,何で市民が分かってくれないことがあるだろうか。」(鈴木達夫弁護士 二弁),「もう一回国民の場に堂々と出して,我々正論ぶつけて,国民から孤立したらいいですよ,孤立はしませんよ。堂々と国民とやりましょうよ」(友光健七弁護士 一弁)。(小林)

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2009年2月25日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 10)

平成7年11月2日日弁連臨時総会(2)

平成7年(1995年)7月21日,日弁連理事会は,前年の関連決議である「5年間800人据え置き」に添った内容の「司法試験・法曹養成制度改革に関する日弁連提案―抜本的改革案の策定に向けて―」を満場一致で採択し,法曹養成制度等改革協議会に提示した。

その6日後である平成7年(1995年)7月27日,政府の行政改革委員会規制緩和検討小委員会は,重点的に規制緩和の検討を進めるテーマの中に,「法曹人口の大幅増員」「外国人弁護士の受入れに関する規制緩和」「弁護士の法律事務独占の見直し」を掲げ,日弁連執行部に衝撃を与えた。このタイミングからして,規制緩和検討小委員会の発議は,日弁連の上記理事会決議に対抗する主旨であることは明白である。この発議のうち,特に法律事務独占の見直しは,弁護士業務の制度的特権を奪う根本的変革であり,これに危機感を抱いた日弁連執行部は,緊急対策本部を設置する。

平成7年(1995年)8月11日,土屋公献日弁連会長は,日弁連新聞号外「会員の皆様へ」の中で,緊迫した情勢を告げた。

この間,土屋公献執行部と政府与野党との間で,水面下の情報交換がなされたことは間違いない。噂だが,とても「高い筋」から,弁護士法を改正して強制加入団体性を廃止するとの通告がなされたそうである。あくまで噂であり,検証のしようがないが,表面に現れた土屋公献執行部のうろたえぶりから推測する限り,ありうる話と思う。

8月28日に緊急理事会が,9月14日に定例理事会が開催され,土屋公献日弁連会長は,「平成11年(1999年)から司法試験合格者数年1000人」を提案する。これは僅か2ヶ月前に理事会全員一致で決定した方針はもちろん,平成6年(1994年)12月1日臨時総会関連決議を覆す内容だから,正式決定するためには,総会に諮らなければならない。しかし理事会は紛糾し,9 月14日,27日,10月9日と3回開いた理事会の結果,執行部案が43対13,棄権10でようやく可決され,11月2日の日弁連臨時総会に諮られることとなった。

臨時総会予定日の前日である平成7年(1995年)11月1日付の日弁連新聞には,土屋公献会長が「再び会員の皆様へ」と題する文章を寄せている。ここには,諸般の情勢の中で,「当面5年間800名に固執する日弁連の主張が『孤立』することが決定的となり,このままでは怒濤に押し流されて全てを失う恐れがあるため,良心的世論を味方につけ,修習期間2年を堅持し,丙案実施を阻止するためには1000名の容認が必要」と書かれている。

これは土屋公献執行部がいままでやってきたことの完全否定に等しい。そこで,それまで反増員政策を支持してきた勢力は,この臨時総会に, 7月21日の理事会で執行部が提案し,満場一致により議決された方針を,そのまま,反執行部案として提案した。

本稿では余談となるが,この経緯を聞いて既視感を持つ弁護士も多いだろう。特に,大阪の弁護士には既視感があるはずだ。この経緯は,平成20年(2008年)8月6日の大阪弁護士会臨時総会の経緯とそっくりである。大阪弁護士会臨時総会でも,上野勝執行部は,常議員会で総スカンを食った第一案を撤回して第二案を策定して臨時総会を招集し,これに怒った反執行部派が第一案を反執行部案として総会に諮った。つまり第一案も第二案も,執行部が作成した案であることに相違ない。歴史は繰り返す。そして,このような迷走ぶりを普通,「末期症状」という。(小林)

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2009年2月23日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 9)

7年11月2日日弁連臨時総会(1)

平成7年(1995年)112日,完成間もない日弁連会館講堂「クレオ」で,法曹人口問題に関する臨時総会が開催された。前年1221日の臨時総会から1年も経たないのに,土屋公献日弁連会長以下の執行部は,前年支持した関連決議案を自らの手で覆した。それだけで,これはとてもみっともない総会であることが分かる。

この臨時総会に至る経緯は,次の通りである。

司法試験合格者数は,昭和38年(1963年)から平成2年(1990年)まで,年500人前後であった。しかし合格者平均年齢の高齢化とバブル経済は裁判官と検察官志望者の減少を生み,最高裁判所と法務省は「丙案」すなわち若手受験生にゲタを履かせて優遇する案を提案する。そして,強硬に反対する日弁連と協議した結果,平成3年(1991年)から4年間,合格者数を年600~700名として様子を見,若手合格者数の増加が一定条件を満たした場合には丙案を実施しないという妥協が成立する。また,協議の場を法曹三者の協議会から,法曹以外の委員を交えた「法曹養成制度等改革協議会」に移し,意見書をまとめることになった。しかし若手合格者は日弁連の期待ほど増加せず,このままでは丙案実施は不可避となった。そこで日弁連は,丙案に代わる「抜本的改革案」を法曹養成制度等改革協議会に提出する必要に迫られる。

その期限となる年の日弁連会長を決める選挙では,抜本的改革案として「司法試験合格者年1000人」も検討すべしとした川上義隆弁護士と対決した土屋公献弁護士が大差で当選した。

そして迎えた平成6年(1994年)1221日の臨時総会は,上記の経緯からして,法曹養成制度等改革協議会に提案する「抜本的改革案」を策定するためのものだった。平成6年(1994年)1221日の臨時総会では,執行部案・反執行部案で日弁連が二分されたが,同時に,「関連決議」が圧倒的多数で可決されるという奇妙な顛末となった。この関連決議は,互いに否決と分裂を怖れる執行部派・反執行部派の政治的妥協の産物である。しかし,執行部にフリーハンドを許す(1000人や1500人もありうる)執行部案に対して,「今後5年間800人。その後も執行部にフリーハンドを許さない」ことを内容とする関連決議は,実質的には反執行部案に近いものだった。これが,日弁連が法曹養成制度等改革協議会に提案する「抜本的改革案」の土台となる。

平成7年(1995年)721日,日弁連理事会は,この関連決議に添った内容の「司法試験・法曹養成制度改革に関する日弁連提案―抜本的改革案の策定に向けて―」を満場一致で採択し,法曹養成制度等改革協議会に提示した。

しかし,この提案は,法曹養成制度等改革協議会で袋だたきにあう。当時,法曹三者以外の委員は,司法試験合格者数年1500人ないし3000人が妥当という見解であり,法曹三者のうち法務省と最高裁判所は当面1000人(その後1500人含みで検討)という案だった。そこに日弁連は,800人(しかも5年間据え置き)という見解を持って行ったのである。法曹三者以外の委員の立場からは,法務省・最高裁さえ腹立たしいのに,日弁連の見解は論外であり,日弁連には約束の「抜本的改革案」を提示する気が全くないと受け取られて当然である。

81日の日弁連新聞には,「比較的日弁連に理解のある委員」でさえ「日弁連の姿勢は改革否定」と痛烈に批判していると掲載された。

もっとも,ここまでは,当時の日弁連執行部も予測していたはずだ。しかし,日弁連にとって思わぬところから矢が飛んできた。(小林)

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2009年2月20日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか?(総会編 1 ~総集編~)

                                  末尾に本稿のPDFファイルを添付しました。

平成61221日日弁連臨時総会編 ~日弁連最大の失敗~

I.           法曹人口問題を巡る4回の日弁連臨時総会

法曹人口問題に関する日弁連臨時総会というと,平成12年(2000年)121日の総会だけを取り上げる人がいる。とても底が浅いと思う。日弁連総会という視点で法曹人口問題を論じるなら,少なくとも4回の臨時総会を研究しなければならない(それでも浅い,という批判は甘んじて受けます。そう言う方は是非,1990年の総会まで遡ってご紹介下さい)。そこで第1回目として,平成6年(1994年)1221日の臨時総会をご紹介する。

この日,東京商工会議所ホール(新弁護士会館竣工前なので)に1000人近い弁護士を集め,6時間にわたる臨時総会が開かれた。集まった委任状は7800以上。本人出席と委任状出席を合計すると9000人近い。当時約16000人いた弁護士の半分以上の票が投じられた臨時総会では,「司法試験・法曹養成制度の抜本的改革案大綱」が議決されるとともに,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」と,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」がなされた。特に,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は,後の日弁連の運命を決定づけることになった,歴史的にとても重要な決議である。

ところが,この関連決議が提案され議決される過程は,現代史のミステリーと言えるほど謎に満ちている。なぜなら,ヤジと怒号が渦巻く,6時間もかかった末に議決された,極めて重要な決議であるにもかかわらず,この関連決議は,圧倒的多数で可決されたからだ。「重要な決議が圧倒的多数で議決されたなら,それまでの侃々諤々の議論は何だったんだ?」と思って当然である。これは,とても奇妙な話であるし,奇妙だと思わなければいけない。

II.         臨時総会開催の経緯

この臨時総会が開催された背景事情は,こうである。平成元年,バブル景気等に伴う検事希望者激減に危機感を持った法務省によって提示され,最高裁判所も支持した司法試験改革案の「丙案」は,要するに若年受験者にゲタを履かせて優遇する案であり,これに反対する日弁連と鋭く対立した。協議の結果,平成3年(1991年)から平成7年(1995年)まで,司法試験合格者を600人,700人と増加させて若年合格者の増加状況を検証したうえ,一定の条件を満たす場合,または「抜本的改革」の合意がなされた場合には,丙案は導入しない,という妥協が成立した。

また,その後の協議の場を,法曹三者に限定せず,外部の有識者も交えた「法曹養成制度等改革協議会」に移すことになった。そこには,法曹三者だけでは2対1と分が悪いので,外部有識者を入れた方が,丙案廃止に持ち込みやすいという日弁連の思惑も反映していた。

しかし,若年合格者は期待ほど増加せず,丙案実施は必至となった。また,日弁連の期待に反し,法曹養成制度等改革協議会は,丙案そのものにあまり興味を示さなかった。それどころか,法曹人口が先進諸外国に比べて余りに少ないとして,規制改革の対象として問題にするようになる。

この逆風の中で,日弁連としては,丙案を導入させないため「抜本的改革案」を策定する必要に迫られる。そんな中,平成6年(1994年),平成7年度日弁連会長選挙が行われ,丙案阻止のため司法試験合格者1000名程度に増員させる案も選択肢として掲げる川上義隆弁護士(故人)を下し,著名な「人権派」である土屋公献弁護士が大差で当選する。この票差には,丙案阻止はもちろん,司法試験合格者1000名を念頭に置く増員に反対する弁護士の票が多く含まれていた。

ところが,平成6年(1994年)1012日,日弁連理事会に土屋公献執行部が提案した「司法試験・法曹養成制度の抜本的改革案大綱」は,あるべき司法試験合格者数を示さず,かつ,合格者数決定権限を日弁連執行部のフリーハンドに委ねる内容,つまり,1000人も1500人もありうる内容だった。そのため,この「大綱」は土屋公献日弁連会長の公約違反であり,無軌道な弁護士人口増につながるとして反発する勢力が,対案を用意して臨時総会の招集請求を行った。そこで,理事会で議決された上記「大綱」と「対案」のいずれかを選択するべく,暮れも押し迫った1221日に,臨時総会が開催されることとなったのである。

このような日弁連の「内紛」には,マスコミも注目し,「司法改革の志を忘れるな」(1219日朝日新聞社説)等の記事が公にされた。

これほど内外から注目を集めた日弁連総会は初めてといってよい。

III.        執行部案と反執行部案と関連決議案

この臨時総会の議題は,弁護士人口の増員問題について,執行部案と反執行部案のいずれを選択するか,というものだった。

執行部案と反執行部案の対立点は,弁護士人口の増員について,執行部案が増員の条件を特に付していないのに対して,反執行部案が司法基盤整備等のさまざまな条件を付している点だ。執行部にとって特に厳しい条件は,反執行部案が今後の増員は総会の権限とし,執行部のフリーハンドを許さない点である。

総会に参加した弁護士の多くは,執行部案か,反執行部案かの2者択一になる,と思っていたはずだ。ところが,総会の途中で関連決議案が提出され,これも諮られることになる。

関連決議案は二つあった。このうち,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は要するに,司法試験の合格者を今後5年間年800人とすることと,その後の法曹人口計画の策定は総会の権限とすることを内容としている。一方,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」は要するに,丙案反対と言っている。この二つは,いずれも関連決議だから,メインの決議より格下である。しかし総会後,重要性を持つのは「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」だった。

IV.       執行部案と反執行部案の理由

総会の進行を要約して振り返りたい。

臨時総会の冒頭,副会長の荒木邦一福岡県弁護士会会長(故人)が,「イデオロギー対立の解消による社会構造の変化は,法的サービスの需要を増加させているから,弁護士も,この需要に応えて司法改革を推進しなければならない。現在の司法試験は,合格年齢上昇,受験者滞留,人材流出という問題を抱えており,その根本原因に法曹養成を担う高等教育機関の不存在がある。日弁連は,平等な司法試験制度と統一修習制度を堅持するため,丙案阻止に向けて,判事検事の増員と均衡を保ちつつ弁護士増を含む抜本的改革案を作る必要がある。」と執行部案の提案理由を説明した。

本稿では余談であるが,後の法科大学院構想が垣間見えるところは興味深い。

これに対して,反執行部案提出者代表として愛知県弁護士会の野間美喜子弁護士が,「執行部案は,判事検事の増員,司法予算の増員をせず,弁護士業務の実態を無視したまま,弁護士だけを増員させる結果を招く。」と反執行部案の提案理由を説明した。これだけではややわかりにくいので,臨時総会直前の1127日付毎日新聞にまとめられた同弁護士の意見を引用すると,「弁護士数ではなく、裁判官数が極端に少ないことの方がより問題だ。裁判官の負担加重で訴訟が遅延するなど、国民の満足する裁判になっていない。また,人権擁護、社会正義の実現など弁護士の使命を果たすには、在野性を支える職務の独立性と経済的自立が必要であり、競争状況が生じるような大幅増員に反対」ということである。前者は司法基盤論,後者は弁護士の経済的自立論と呼ばれる主張である。

V.        ヤジと怒号の中の討論

この日の日弁連臨時総会は紛糾を極め,ヤジと怒号が渦巻く,荒れた総会となった。執行部案に対しては,「日弁連として700人への増員を認め,その合格者がまだ弁護士になっていないうちから,なぜさらなる増員を言うのか。増員するとなぜ司法改革が推進されるのか理解できない。」(藤浦龍治弁護士 京都),「三重県では弁護士会館を建設して法律相談窓口を開設したが,相談は少ない。執行部が言うような法的ニーズは本当にあるのか。」(加藤謙一弁護士 三重県),「執行部はマスコミに対して反論しているのか。司法改革のため法曹が血を流すべきとNHKが言ったようだが,軍国主義者の発言ではないか。700名に増やしただけで,質の低下,すなわち常識の欠乏や社会経験の欠如が明らかではないか。」(高見澤昭治弁護士 京都)「合格者が増えるとなぜ裁判官が増えるのか」(野間啓弁護士 東京)といった質問が相次ぐが,議長は不規則発言への対応で忙しく,野間弁護士の質問は,無視されてしまう。野間弁護士自身は1215日付朝日新聞の「論壇」に,弁護士増は質的低下と生活基盤の弱体化による乱訴と一層の訴訟遅延を招くとの意見を投稿している。

質問者の中,高見澤昭治弁護士は,原爆症認定集団訴訟や,ハンセン病国家賠償訴訟に積極的に関わり,近年では,イラクの人質問題でバッシングを受けた3人の人質の弁護を努めたこともある有名な人権派弁護士だ。

その後意見の応酬となる。

執行部案支持者の意見としては,「二割司法の現状を打破するには,裁判官の大幅な増員が決定的に重要。被疑者国選等の人的整備にも着手せず,被疑者国選制度が実施できるわけがない。条件闘争ばかりでは,法曹一元を目指すというような司法改革の実現は百年河清を待つに等しい。弁護士人口増に消極的な立場に立つこと自体が,国民の目に司法改革つぶしと映っている。」(佐藤真理弁護士 奈良),「(当番弁護士制度で成功したように)自ら努力して国民の支持を受け,堅牢な司法を改革するという手法は堅持すべきである。法曹人口問題で日弁連は後手に回っている。積極的に対応する必要がある。」(丸島俊介弁護士 東京)「反執行部案支持者の論調は,要するに弁護士人口が増えれば食えなくなるということだ。被疑者国選,法律扶助,弁護士過疎,法律相談の充実も,弁護士人口が増員していく中でこそ実現される。国民の立場に立ってと言うなら,新聞の社説を謙虚に聞くべきではないか。」(川中宏弁護士 京都弁護士会会長(当時))などというものである。執行部案を支持した丸島俊介弁護士は,現在,日弁連の事務総長を努めている。

司法改革を推進するためには弁護士の増員が不可欠とする執行部案支持者の意見に対し,反執行部案支持者の意見としては,「執行部案は結局弁護士だけの増員を招き,分離修習,統一修習,弁護士自治を害する」(永田恒治弁護士 長野)(上野登子弁護士 二弁)(宮﨑乾朗弁護士 大阪 故人)というもの,「弁護士活動の根底には在野精神と法曹一元の思想がある。そのために,冤罪事件や公害事件など,カネにならない弁護をやってきた。一般市民の権利救済環境が整備されていない日本で弁護士人口だけ増やすことは,在野精神と法曹一元の思想を失わせる。」(今井敬弥弁護士 新潟)「ギルドだエゴだと批判するマスコミに盲従してはならない。現在の問題は何よりも司法の現場の最も近い専門家として,みずからが法曹人口について確固たる見解を示すことだ」(友光健七弁護士 一弁)という主張が主たるものである。

長野弁護士会の永田恒治弁護士は,松本サリン事件で,被害者にして第一容疑者の濡れ衣を着せられた河野義行氏の弁護を努めた硬骨漢である。

ものすごいヤジ合戦だったようであり,議事録上は,宮﨑乾朗弁護士が名指しでヤジを止めろと言われている。同弁護士は民暴事件のエキスパートであり,赤ら顔に白髪の長髪をなびかせ(大阪弁護士会では『ライオン丸』と呼ばれていた),どちらがヤクザか弁護士か,という外見で,歌声だけでカラオケのスピーカーを壊したという大声自慢の名物弁護士だった。こういった強烈な個性の持主はいなくなったと思う。

また,反執行部案支持者の意見としては,「今の執行部が,会員がどれだけ苦しい思いをしながら,生活におびえながら国民の人権を担っているかということについて,なめて政治をやったんだ。君たちのやったことは政治だ。辞職を要求する。600人になった今でも,すでに失業者がでているじゃないか。10年くらいの間に2倍,3倍にしたら,弁護士は全部つぶれるんだよ。職業は残るが,自立した職業ではありえない。どこか不動産屋に勤めるだろうまもなく。いいか,そうやってほざいているのはいまのうちだ。」(山根二郎弁護士 長野)もご紹介に値する。下品だから,ではなく,ある意味ではその後の弁護士の有り様を的確に予言したと言えるし,また,現在の法曹人口増員反対論者の主張と全く同じともいえるからである。もっとも,当時の合格者数の3倍を超えた現在,山根弁護士の予言が当たったか否かについては,多少の疑問符が付くというべきだろう。しかし,完全に外れたとも言い難い。

VI.       関連決議案の提出と採決

議論が白熱し,ヤジと怒号が渦巻く中,昭和50年度日弁連会長である辻誠弁護士(東京)が突然,関連決議案があると言い,案文を出席者全員に配布し,前田知克弁護士(二弁)とともに,「日弁連は割れたままでなく,最後に一つまとまっていることを示すために,関連議案に賛成して頂きたい」と提案理由を説明した。前田知克弁護士は,反執行部案を提案した野間美貴子弁護士から,「執行部に無視された法曹養成問題委員会意見書」と指摘された当の委員会の委員長である。つまり,単純に分類すれば,反執行部案支持に色分けされるべき人物だ。

これに対して,久保利英明弁護士(二弁)が,「自分が預かっている委任状の委任の範囲は,執行部案と反執行部案に対する賛否だけなので,関連議案についてはどう行使すればよいのか」という,株主総会指導弁護士の先駆者として至極真っ当な質問を発するが,土屋会長は,「この関連決議案は,執行部案を具体化したものだから,執行部案に賛成する人は,委任状を関連決議賛成に投じてほしい」と答弁する。これはつまり,関連決議案の提出は執行部も承知する出来レースであるというメッセージである(しかし,久保利英明弁護士によれば,同弁護士は関連決議に反対票を投じたようだ)。このほか,「これは関連決議案ではなく修正決議案ではないか」という的確な質問も出るが,辻誠弁護士は,「あくまで関連決議」との立場を譲らない。

その後,芳賀淳弁護士(東京)が,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」を提案し,高山俊吉弁護士(東京)が賛成理由を述べた。こちらの関連決議案について,執行部が事前に承知していたか否かは分からない。

議決に移り,5276票対3675票で,執行部案が可決される。次に関連決議に関しては,いずれも圧倒的多数で可決された。

まとめに入る前に,特に感銘を受けた発言を,公平を期すために執行部派反執行部派から一つずつご紹介しよう。

執行部派からは,「反執行部案は要するに,弁護士増員反対のための反対である。反執行部案が通れば,マスコミの批判を浴び,国民の信頼を失う。そうなったら,司法試験改革から日弁連は外され,簡単に2000人,3000人という大量増員が進められることになる」という福原弘弁護士(東京)の発言が,その後の展開を的確に予言していたという意味において,紹介に値する。もっとも,福原氏の支持する執行部案が議決されたのに,なぜ同弁護士の予想通りになったかについては,関連決議と関わることなので,後に述べたい。

反執行部派からは,「執行部案は結局,弁護士のビジネスローヤー化を推進するだけで,少額事件で悩む市民は切り捨てられる。弁護士ギルドだエゴだというマスコミの批判は間違いであり,人権救済は社会保障と位置づけないと実行できない。まず扶助予算の増大を国が決定すべきだ。それができれば弁護士増員に賛成する。我々は自らの権益にこだわっているわけではない。」という福井正明弁護士(三重)の発言も,当時の日弁連バッシングの中における冷静な一つの正論としてご紹介に値する。

もっとも,福井正明弁護士は,否決された反執行部案の提案者でありながら,関連決議については,質疑討論の打ち切り動議を発言し,こう言っている。

「我々はいうべきことは言う,そして議論することはする。そして一つの結果が出たらそれを尊重して進む,このルールはきちっと守っております。辻誠先生が提案されたこの関連決議案の趣旨をきちんと守って,会員の統一ということを図っていただくのが執行部の努めであると思います。」

民主主義の教科書のような演説であるが,この関連決議は,福井正明弁護士が反対した執行部案を「具体化したもの」(土屋公献日弁連会長)であるから,福井正明弁護士の立場からは,反対するのが筋である。

それにもかかわらず,福井正明弁護士がこの関連決議に賛成しようと呼びかけているのは,一体どういうことなのだろう。

VII.     失敗だった関連決議

平成61221日の日弁連臨時総会は,ヤジと怒号が渦巻く中,6時間という長時間の討論の末であるにもかかわらず,とても奇妙な結果となった。

執行部案は約5276票対3675票で可決され,この問題に関する内部対立の深刻さを浮き彫りにする一方,議事も半ばを過ぎてから提案された二つの関連決議は,賛否の議論も無いまま,いずれも圧倒的多数で可決された。日弁連の総意は長時間の議論の末可決された執行部案にではなく,ほとんど議論されなかった関連決議,特に「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」にあることになる。

繰り返すが,この決議はとても奇妙である。不自然である。執行部案と反執行部案を巡ってほぼ真っ二つに割れたのに,関連決議案はほぼ全員賛成とはどういうことなのだろう。関連決議がとても抽象的な理念(例えば,人権を守ろう!)というものならともかく,この関連決議は,とても実質的な内容を持つ。それならば,本案の賛否が真っ二つに割れた以上,関連決議案の賛否も真っ二つに割れなければいけない。しかし実際には,執行部派,反執行部派ともに,関連決議案への賛成を呼びかけ,圧倒的多数の支持を得たのだ。

この「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」のポイントは2点である。第1点は,「今後5年間の司法試験合格者数は800名を限度」としている点であり,第2点は,「将来の法曹人口のあり方については総会の承認を条件とする」としている点だ。これが圧倒的多数で議決された結果,日弁連として許容する司法試験合格者数には「5年間は800人」という天井がかけられ,かつ,総会の承認事項とすることにより,執行部のフリーハンドを縛ったことになる。

これが,法曹養成制度等改革協議会に日弁連が提出する「抜本的改革案」足りうるだろうか。700人までは決定済みのところに「800人まではよい。但し今後5年間は800人より増やさないこと」という案を持っていって,話が通ると思っていたのだろうか。結果論という批判を承知で言えば,通ると思っていた人たちは,とても馬鹿である。

これらの臨時総会決議は,どのように評価されたか。総会直後の1225日,平成2年(1990年)度日弁連会長の中坊公平もと弁護士が,日弁連を擁護する立場から,読売新聞朝刊に,「裁判長期化の根本原因は裁判官不足にある」と寄稿した。その前後には,これを支持するマスコミの論調も散見される。しかし,翌平成7年(1995年)214日の報道によれば,法曹養成制度等改革協議会の大勢は,司法試験合格者数年1500人であり,日弁連の決議した800人は完全に無視されていた。

その後の展開は,執行部案を支持した福原弘弁護士が予言したとおりとなった。つまり,国民の支持を全く得られなくなった日弁連は,当事者の椅子から引きずりおろされ,その後の爆発的な増員を受け入れざるを得なくなっていく。結局のところ,ほとんど議論されなかった関連決議が,その後の日弁連の運命を決定づけたのだ。

日弁連の土屋執行部自身が,この関連決議は失敗だったと受け止めた何よりの証拠には,翌平成7年(1995年)112日の臨時総会では,土屋執行部自ら,この関連決議を否定している。

VIII.   土屋公献執行部はなぜ関連決議案支持を決断したか

日弁連臨時総会において,圧倒的多数で議決された「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は,日弁連のその後の迷走と,法曹人口問題からの当事者資格の剥奪をもたらした。この関連決議は,日弁連の歴史の中で,最大の失敗として記憶されるだろう。

では,なぜ,この「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」が策定され,土屋公献執行部がこの関連決議案の支持を決断することになったのかを考えてみよう。

ポイントはおそらく3つある。

1は,提案者の代表である辻誠弁護士(故人)が,昭和50年度の日弁連会長だったという点だ。平成6年の日弁連臨時総会から20年以上前の会長とはいえ,現役の弁護士である以上,平成6年当時も,それなりの実力者であったと思われる。ちなみに辻誠弁護士は平成20年(2008年)68日,老衰のため98歳で死去したが,その前年,日弁連創立50周年祈念行事実行委員長を務め,「日弁連五十年史」に序文を寄せて,「日弁連は,対決から対話の時代へ変化した」と述べている。ご自分が負け戦の仕掛け人だったくせに,白々しい言葉である。それはさておき,この臨時総会当時は82歳である。きっと矍鑠としておられたのだろう。

なお,関連決議提案理由の補足を行った前田知克弁護士は,現在,憲法改正に反対する政治団体「9条ネット」の代表者であり,共同代表には土屋公献日弁連会長(当時)がいる。

2は,執行部案と反執行部案の票差が約1600票という点だ。票差が1600票ということは,800票を持つ者が,キャスティングボートを握ることになる。したがって,もと日弁連会長である辻誠弁護士が,数百人の支持をバックに,「この関連決議を受け入れなければ,執行部案の不支持に回る」と迫れば,土屋執行部がこれを拒否することはとても困難である。

3は,土屋日弁連会長には,1000人という選択肢は,公式には表明できなかった点である。日弁連会長選挙で,司法試験合格者数1000人も「積極的に検討するべき」とした川上義隆弁護士(二弁 故人)を破って当選した土屋会長の立場からすれば,1000名以上の増員容認は明白な公約違反となるため,総会で議決するのであれば,800人がギリギリのラインだった。

IX.       陰謀を巡らせた弁護士たち

日弁連の史上最大の失敗ともいうべき,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」が提案され議決されるに至った真相はこうだろう。

土屋執行部が平成610月にとりまとめた「大綱」は,弁護士人口増を無条件に容認するものであり,かつ,執行部にフリーハンドを付与するものだった。当時,法曹養成制度改革等協議会の大勢は1000人から1500人であったため,執行部に主導権を渡せば,1000人以上への増員を日弁連執行部が容認する可能性があった。

これに対して,過当競争を心配する地方の弁護士会や,弁護士の反権力性,自主独立性を重視する弁護士を中心とする反対運動が巻き起こる。熾烈な委任状争奪合戦が展開したが,執行部案可決の見通しは暗く,否決か,良くても五分五分との票読みがなされていた。

臨時総会直前(またはその最中?),もと日弁連会長の辻誠弁護士(または前田知克弁護士)から土屋会長以下,限られた幹部に対して,「執行部がこの関連決議を支持するなら,数百票が執行部案賛成に回る」という極秘提案がなされる。この関連決議の中身は,その後の法曹人口問題を総会の権限として執行部のフリーハンドを許さない点で,実質的には反執行部案に近いから,この関連決議を受け入れることは,執行部案の否決に等しい。しかし,執行部案を可決した上での関連決議であれば,執行部のメンツは立つ。

ちなみに,この「密談」は,ごく限られたメンバーだけで行われた。日弁連の会誌「自由と正義」平成11年(1999年)3月号によれば,総会当日に至っても,土屋執行部のメンバーの中でさえ,関連決議提案のシナリオを知らなかった者がいたという。

他方,野間美喜子弁護士,福井正明弁護士ら反執行部派としても,反執行部案が通る見通しは良くて五分五分という票読みだったため,関連決議案は魅力的だった。700人が800人になるだけで,実は取れたといえるからである。

そしてもちろん,執行部派にも反執行部派にも,そして関連決議案を提出した辻誠弁護士らにも,日弁連が分裂したまま今回の臨時総会が終わることは避けたい,という共通の目的があった。

ちなみに,反執行部案提出の代表者である野間美喜子弁護士については,事前に関連決議案のシナリオを知っていたといえる明白な証拠がある。翌平成7(1995)112日の臨時総会で,野間美喜子弁護士は,自分が提案した反執行部案には一言も触れず,関連決議案のことを「日弁連の団結を取り戻そうと,英知を集めて成立させた関連決議」と賞賛しているのだ。ご自分も英知の一端を担ったと言いたいのだろうが,愚かな話である。

つまり,執行部派と反執行部派の幹部は事前にシナリオを知っていたのであり,その結果が,「執行部案を巡って真っ二つ,でも関連決議は圧倒的多数で支持」という奇妙な議決である。シナリオを知らず,威勢良く賛否の主張を闘わせた弁護士たちは,哀れにもガス抜きに使われたことになる。

 私は,基本的に陰謀史観は取らない。革張りの豪華な回転椅子に座って,ペルシャ猫の背中を撫でながら陰謀を練る悪人の存在は,世界というものをとても単純に見せてくれる魅力的な考え方だが,一般に世界は,そんなに単純ではない。しかし,この件に関しては,関連決議案を巡る「陰謀」を巡らせた人物がいると考える。その中心人物は辻誠弁護士と,前田知克弁護士であろう。ちなみに前田知克弁護士は,平成10年(1998年),11年度日弁連会長選挙で司法改革路線の継承を掲げる小堀樹弁護士と争い,ダブルスコアで落選する。

大川真郎弁護士(大阪)著「司法改革」にも,「土屋執行部は,この臨時総会で『大綱』の承認を得るため,関連決議を採択することを余儀なくされた」とあり,執行部と辻誠弁護士,前田知克弁護士らとの間に上記のような「密約」があったことを示唆している。

一言でいえば,このような顛末を「茶番」という。これが,その後の日弁連の運命を決定づけた,日弁連史上最大の失敗と言うべき臨時総会だった。

(「平成61221日日弁連臨時総会」 了)

「61221.pdf」をダウンロード

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2009年2月18日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 8)

平成61221日日弁連臨時総会(8

日弁連の史上最大の失敗ともいうべき,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」が提案され議決されるに至った真相はこうだろう。

土屋執行部が平成610月にとりまとめた「大綱」は,弁護士人口増を無条件に容認するものであり,かつ,執行部にフリーハンドを付与するものだった。当時,法曹養成制度改革等協議会の大勢は1000人から1500人であったため,執行部に主導権を渡せば,1000人以上への増員を日弁連執行部が容認する可能性があった。

これに対して,過当競争を心配する地方の弁護士会や,弁護士の反権力性,自主独立性を重視する弁護士を中心とする反対運動が巻き起こる。熾烈な委任状争奪合戦が展開したが,執行部案可決の見通しは暗く,否決か,良くても五分五分との票読みがなされていた。

臨時総会直前(またはその最中?),もと日弁連会長の辻誠弁護士(または前田知克弁護士)から土屋会長以下,限られた幹部に対して,「執行部がこの関連決議を支持するなら,数百票が執行部案賛成に回る」という極秘提案がなされる。この関連決議の中身は,その後の法曹人口問題を総会の権限として執行部のフリーハンドを許さない点で,実質的には反執行部案に近いから,この関連決議を受け入れることは,執行部案の否決に等しい。しかし,執行部案を可決した上での関連決議であれば,執行部のメンツは立つ。

ちなみに,この「密談」は,ごく限られたメンバーだけで行われた。日弁連の会誌「自由と正義」平成11年(1999年)3月号によれば,総会当日に至っても,土屋執行部のメンバーの中でさえ,関連決議提案のシナリオを知らなかった者がいたという。

他方,野間美喜子弁護士,福井正明弁護士ら反執行部派としても,反執行部案が通る見通しは良くて五分五分という票読みだったため,関連決議案は魅力的だった。700人が800人になるだけで,実は取れたといえるからである。

そしてもちろん,執行部派にも反執行部派にも,そして関連決議案を提出した辻誠弁護士らにも,日弁連が分裂したまま今回の臨時総会が終わることは避けたい,という共通の目的があった。

ちなみに,反執行部案提出の代表者である野間美喜子弁護士については,事前に関連決議案のシナリオを知っていたといえる明白な証拠がある。翌平成7(1995)112日の臨時総会で,野間美喜子弁護士は,自分が提案した反執行部案には一言も触れず,関連決議案のことを「日弁連の団結を取り戻そうと,英知を集めて成立させた関連決議」と賞賛しているのだ。ご自分も英知の一端を担ったと言いたいのだろうが,愚かな話である。

つまり,執行部派と反執行部派の幹部は事前にシナリオを知っていたのであり,その結果が,「執行部案を巡って真っ二つ,でも関連決議は圧倒的多数で支持」という奇妙な議決である。シナリオを知らず,威勢良く賛否の主張を闘わせた弁護士たちは,哀れにもガス抜きに使われたことになる。

 

私は,基本的に陰謀史観は取らない。革張りの豪華な回転椅子に座って,ペルシャ猫の背中を撫でながら陰謀を練る悪人の存在は,世界というものをとても単純に見せてくれる魅力的な考え方だが,一般に世界は,そんなに単純ではない。しかし,この件に関しては,関連決議案を巡る「陰謀」を巡らせた人物がいると考える。その中心人物は辻誠弁護士と,前田知克弁護士であろう。ちなみに前田知克弁護士は,平成10年(1998年),11年度日弁連会長選挙で司法改革路線の継承を掲げる小堀樹弁護士と争い,ダブルスコアで落選する。

大川真郎弁護士(大阪)著「司法改革」にも,「土屋執行部は,この臨時総会で『大綱』の承認を得るため,関連決議を採択することを余儀なくされた」とあり,執行部と辻誠弁護士,前田知克弁護士らとの間に上記のような「密約」があったことを示唆している。

一言でいえば,このような顛末を「茶番」という。これが,その後の日弁連の運命を決定づけた臨時総会だった。(小林)

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2009年2月16日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 7)

平成61221日日弁連臨時総会(7

日弁連臨時総会において,圧倒的多数で議決された「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は,日弁連のその後の迷走と,法曹人口問題からの当事者資格の剥奪をもたらした。この関連決議は,日弁連の歴史の中で,最大の失敗として記憶されるだろう。

では,なぜ,この「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」が策定され,土屋公献執行部がこの関連決議案の支持を決断することになったのかを考えてみよう。

ポイントはおそらく3つある。

1は,提案者の代表である辻誠弁護士(故人)が,昭和50年度の日弁連会長だったという点だ。平成6年の日弁連臨時総会から20年以上前の会長とはいえ,現役の弁護士である以上,平成6年当時も,それなりの実力者であったと思われる。ちなみに辻誠弁護士は平成20年(2008年)68日,老衰のため98歳で死去したが,その前年,日弁連創立50周年祈念行事実行委員長を務め,「日弁連五十年史」に序文を寄せて,「日弁連は,対決から対話の時代へ変化した」と述べている。ご自分が負け戦の仕掛け人だったくせに,白々しい言葉である。それはさておき,この臨時総会当時は82歳である。きっと矍鑠としておられたのだろう。

なお,関連決議提案理由の補足を行った前田知克弁護士は,現在,憲法改正に反対する政治団体「9条ネット」の代表者であり,共同代表には土屋公献日弁連会長(当時)がいる。

2は,執行部案と反執行部案の票差が約1600票という点だ。票差が1600票ということは,800票を持つ者が,キャスティングボートを握ることになる。したがって,もと日弁連会長である辻誠弁護士が,数百人の支持をバックに,「この関連決議を受け入れなければ,執行部案の不支持に回る」と迫れば,土屋執行部がこれを拒否することはとても困難である。

3は,土屋日弁連会長には,1000人という選択肢は,公式には表明できなかった点である。日弁連会長選挙で,司法試験合格者数1000人も「積極的に検討するべき」とした川上義隆弁護士(二弁 故人)を破って当選した土屋会長の立場からすれば,1000名以上の増員容認は明白な公約違反となるため,総会で議決するのであれば,800人がギリギリのラインだった。(小林)

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2009年2月13日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 6)

平成61221日日弁連臨時総会(6

平成61221日の日弁連臨時総会は,ヤジと怒号が渦巻く中,6時間という長時間の討論の末であるにもかかわらず,とても奇妙な結果となった。

執行部案は約5276票対3675票で可決され,この問題に関する内部対立の深刻さを浮き彫りにする一方,議事も半ばを過ぎてから提案された二つの関連決議は,賛否の議論も無いまま,いずれも圧倒的多数で可決された。日弁連の総意は長時間の議論の末可決された執行部案にではなく,ほとんど議論されなかった関連決議,特に「司法基盤整・法曹人口問題に関する関連決議」にあることになる。

この「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」のポイントは2点である。第1点は,「今後5年間の司法試験合格者数は800名を限度」としている点であり,第2点は,「将来の法曹人口のあり方については総会の承認を条件とする」としている点だ。これが圧倒的多数で議決された結果,日弁連として許容する司法試験合格者数には「5年間は800人」という天井がかけられ,かつ,総会の承認事項とすることにより,執行部のフリーハンドを縛ったことになる。

これが,法曹養成制度等改革協議会に日弁連が提出する「抜本的改革案」足りうるだろうか。700人までは決定済みのところに「800人まではよい。但し今後5年間は800人より増やさないこと」という案を持っていって,話が通ると思っていたのだろうか。結果論という批判を承知で言えば,通ると思っていた人たちは,とても馬鹿である。

これらの臨時総会決議は,どのように評価されたか。総会直後の1225日,平成2年(1990年)度日弁連会長の中坊公平もと弁護士が,日弁連を擁護する立場から,読売新聞朝刊に,「裁判長期化の根本原因は裁判官不足にある」と寄稿した。その前後には,これを支持するマスコミの論調も散見される。しかし,翌平成7年(1995年)214日の報道によれば,法曹養成制度等改革協議会の大勢は,司法試験合格者数年1500人であり,日弁連の決議した800人は完全に無視されていた。

その後の展開は,執行部案を支持した福原弘弁護士が予言したとおりとなった。つまり,国民の支持を全く得られなくなった日弁連は,当事者の椅子から引きずりおろされ,その後の爆発的な増員を受け入れざるを得なくなっていく。結局のところ,ほとんど議論されなかった関連決議が,その後の日弁連の運命を決定づけたのだ。

日弁連の土屋執行部自身が,この関連決議は失敗だったと受け止めた何よりの証拠には,翌平成7年(1995年)112日の臨時総会では,土屋執行部自ら,この関連決議を否定している。

この決議については,追ってご紹介することとしたい。(小林)

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2009年2月11日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 5)

平成61221日日弁連臨時総会(5

議論が白熱し,ヤジと怒号が渦巻く中,昭和50年度日弁連会長である辻誠弁護士(東京)が突然,関連決議案があると言い,案文を出席者全員に配布し,前田弁護士(二弁)とともに,「日弁連は割れたままでなく,最後に一つまとまっていることを示すために,関連議案に賛成して頂きたい」と提案理由を説明した。前田知克弁護士は,反執行部案を提案した野間美貴子弁護士から,「執行部に無視された法曹養成問題委員会意見書」と指摘された当の委員会の委員長である。つまり,単純に分類すれば,反執行部案支持に色分けされるべき人物だ。

これに対して,久保利英明弁護士(二弁)が,「自分が預かっている委任状の委任の範囲は,執行部案と反執行部案に対する賛否だけなので,関連議案についてはどう行使すればよいのか」という,株主総会指導弁護士の先駆者として至極真っ当な質問を発するが,土屋会長は,「この関連決議案は,執行部案を具体化したものだから,執行部案に賛成する人は,委任状を関連決議賛成に投じてほしい」と答弁する。これはつまり,関連決議案の提出は執行部も承知する出来レースであるというメッセージである(しかし,久保利英明弁護士によれば,同弁護士は関連決議に反対票を投じたようだ)。このほか,「これは関連決議案ではなく修正決議案ではないか」という的確な質問も出るが,辻誠弁護士は,「あくまで関連決議」との立場を譲らない。

その後,芳賀淳弁護士(東京)が,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」を提案し,山俊吉弁護士(東京)が賛成理由を述べた。こちらの関連決議案について,執行部が事前に承知していたか否かは分からない。

議決に移り,5276票対3675票で,執行部案が可決される。次に関連決議に関しては,いずれも圧倒的多数で可決された。

まとめに入る前に,特に感銘を受けた発言を,公平を期すために執行部派反執行部派から一つずつご紹介しよう。

執行部派からは,「反執行部案は要するに,弁護士増員反対のための反対である。反執行部案が通れば,マスコミの批判を浴び,国民の信頼を失う。そうなったら,司法試験改革から日弁連は外され,簡単に2000人,3000人という大量増員が進められることになる」という福原弘弁護士(東京)の発言が,その後の展開を的確に予言していたという意味において,紹介に値する。もっとも,福原氏の支持する執行部案が議決されたのに,なぜ同弁護士の予想通りになったかについては,関連決議と関わることなので,後に述べたい。

反執行部派からは,「執行部案は結局,弁護士のビジネスローヤー化を推進するだけで,少額事件で悩む市民は切り捨てられる。弁護士ギルドだエゴだというマスコミの批判は間違いであり,人権救済は社会保障と位置づけないと実行できない。まず扶助予算の増大を国が決定すべきだ。それができれば弁護士増員に賛成する。我々は自らの権益にこだわっているわけではない。」という福井正明弁護士(三重)の発言も,当時の日弁連バッシングの中における冷静な一つの正論としてご紹介に値する。

もっとも,福井正明弁護士は,否決された反執行部案の提案者でありながら,関連決議については,質疑討論の打ち切り動議を発言し,こう言っている。

「我々はいうべきことは言う,そして議論することはする。そして一つの結果が出たらそれを尊重して進む,このルールはきちっと守っております。辻誠先生が提案されたこの関連決議案の趣旨をきちんと守って,会員の統一ということを図っていただくのが執行部の努めであると思います。」

民主主義の教科書のような演説であるが,この関連決議は,福井正明弁護士が反対した執行部案を「具体化したもの」(土屋公献日弁連会長)であるから,福井正明弁護士の立場からは,反対するのが筋である。

それにもかかわらず,福井正明弁護士がこの関連決議に賛成しようと呼びかけているのは,一体どういうことなのだろう。(小林)

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2009年2月 9日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 4)

平成61221日日弁連臨時総会(4

司法改革を推進するためには弁護士の増員が不可欠とする執行部案支持者の意見に対し,反執行部案支持者の意見としては,「執行部案は結局弁護士だけの増員を招き,分離修習,統一修習,弁護士自治を害する」(永田恒弁護士 長野)(上野登子弁護士 二弁)(宮﨑乾朗弁護士 大阪 故人)というもの,「弁護士活動の根底には在野精神と法曹一元の思想がある。そのために,冤罪事件や公害事件など,カネにならない弁護をやってきた。一般市民の権利救済環境が整備されていない日本で弁護士人口だけ増やすことは,在野精神と法曹一元の思想を失わせる。」(今井敬弥弁護士 新潟)「ギルドだエゴだと批判するマスコミに盲従してはならない。現在の問題は何よりも司法の現場の最も近い専門家として,みずからが法曹人口について確固たる見解を示すことだ」(友光健七弁護士 一弁)という主張が主たるものである。

長野弁護士会の永田恒治弁護士は,松本サリン事件で,被害者にして第一容疑者の濡れ衣を着せられた河野義行氏の弁護を努めた硬骨漢である。

ものすごいヤジ合戦だったようであり,議事録上は,宮﨑乾朗弁護士が名指しでヤジを止めろと言われている。同弁護士は民暴事件のエキスパートであり,赤ら顔に白髪の長髪をなびかせ(大阪弁護士会では『ライオン丸』と呼ばれていた),どちらがヤクザか弁護士か,という外見で,カラオケでスピーカーを壊した(もちろん声だけで)という大声自慢の名物弁護士だった。こういった強烈な個性の持主はいなくなったと思う。

また,反執行部案支持者の意見としては,「今の執行部が,会員がどれだけ苦しい思いをしながら,生活におびえながら国民の人権を担っているかということについて,なめて政治をやったんだ。君たちのやったことは政治だ。辞職を要求する。600人になった今でも,すでに失業者がでているじゃないか。10年くらいの間に2倍,3倍にしたら,弁護士は全部つぶれるんだよ。職業は残るが,自立した職業ではありえない。どこか不動産屋に勤めるだろうまもなく。いいか,そうやってほざいているのはいまのうちだ。」(山根二郎弁護士 長野)もご紹介に値する。下品だから,ではなく,ある意味ではその後の弁護士の有り様を的確に予言したと言えるし,また,現在の法曹人口増員反対論者の主張と全く同じともいえるからである。もっとも,当時の合格者数の3倍を超えた現在,山根弁護士の予言が当たったか否かについては,多少の疑問符が付くというべきだろう。しかし,完全に外れたとも言い難い。(小林)

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2009年2月 6日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 3)

平成61221日日弁連臨時総会(3

この日の日弁連臨時総会は紛糾を極め,ヤジと怒号が渦巻く,荒れた総会となった。執行部案に対しては,「日弁連として700人への増員を認め,その合格者がまだ弁護士になっていないうちから,なぜさらなる増員を言うのか。増員するとなぜ司法改革が推進されるのか理解できない。」(藤浦龍治弁護士 京都),「三重県では弁護士会館を建設して法律相談窓口を開設したが,相談は少ない。執行部が言うような法的ニーズは本当にあるのか。」(加藤謙一弁護士 三重県),「執行部はマスコミに対して反論しているのか。司法改革のため法曹が血を流すべきとNHKが言ったようだが,軍国主義者の発言ではないか。700名に増やしただけで,質の低下,すなわち常識の欠乏や社会経験の欠如が明らかではないか。」(高見澤昭治弁護士 京都)「合格者が増えるとなぜ裁判官が増えるのか」(野間啓弁護士 東京)といった質問が相次ぐが,議長は不規則発言への対応で忙しく,野間弁護士の質問は,無視されてしまう。野間弁護士自身は1215日付朝日新聞の「論壇」に,弁護士増は質的低下と生活基盤の弱体化による乱訴と一層の訴訟遅延を招くとの意見を投稿している。

質問者の中,高見澤昭治弁護士は,原爆症認定集団訴訟や,ハンセン病国家賠償訴訟に積極的に関わり,近年では,イラクの人質問題でバッシングを受けた3人の人質の弁護を努めたこともある有名な人権派弁護士だ。

その後意見の応酬となる。

執行部案支持者の意見としては,「二割司法の現状を打破するには,裁判官の大幅な増員が決定的に重要。被疑者国選等の人的整備にも着手せず,被疑者国選制度が実施できるわけがない。条件闘争ばかりでは,法曹一元を目指すというような司法改革の実現は百年河清を待つに等しい。弁護士人口増に消極的な立場に立つこと自体が,国民の目に司法改革つぶしと映っている。」(佐藤真理弁護士 奈良),「(当番弁護士制度で成功したように)自ら努力して国民の支持を受け,堅牢な司法を改革するという手法は堅持すべきである。法曹人口問題で日弁連は後手に回っている。積極的に対応する必要がある。」(丸島俊介弁護士 東京)「反執行部案支持者の論調は,要するに弁護士人口が増えれば食えなくなるということだ。被疑者国選,法律扶助,弁護士過疎,法律相談の充実も,弁護士人口が増員していく中でこそ実現される。国民の立場に立ってと言うなら,新聞の社説を謙虚に聞くべきではないか。」(川中宏弁護士 京都弁護士会会長(当時))などというものである。執行部案を支持した丸島俊介弁護士は,現在,日弁連の事務総長を努めている。(小林)

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2009年2月 4日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 2)

平成6年12月21日日弁連臨時総会(2)

この臨時総会の議題は,弁護士人口の増員問題について,執行部案と反執行部案のいずれを選択するか,というものだった。

執行部案と反執行部案の対立点は,弁護士人口の増員について,執行部案が増員の条件を特に付していないのに対して,反執行部案が司法基盤整備等のさまざまな条件を付している点だ。執行部にとって特に厳しい条件は,反執行部案が今後の増員は総会の権限とし,執行部のフリーハンドを許さない点である。

総会に参加した弁護士の多くは,執行部案か,反執行部案かの2者択一になる,と思っていたはずだ。ところが,総会の途中で関連決議案が提出され,これも諮られることになる。

関連決議案は二つあった。このうち,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は要するに,司法試験の合格者を今後5年間年800人とすることと,その後の法曹人口計画の策定は総会の権限とすることを内容としている。一方,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」は要するに,丙案反対と言っている。この二つは,いずれも関連決議だから,メインの決議より格下である。しかし総会後,重要性を持つのは「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」だった。

総会の進行を要約して振り返りたい。

臨時総会の冒頭,副会長の荒木邦一福岡県弁護士会会長(故人)が,「イデオロギー対立の解消による社会構造の変化は,法的サービスの需要を増加させているから,弁護士も,この需要に応えて司法改革を推進しなければならない。現在の司法試験は,合格年齢上昇,受験者滞留,人材流出という問題を抱えており,その根本原因に法曹養成を担う高等教育機関の不存在がある。日弁連は,平等な司法試験制度と統一修習制度を堅持するため,丙案阻止に向けて,判事検事の増員と均衡を保ちつつ弁護士増を含む抜本的改革案を作る必要がある。」と執行部案の提案理由を説明した。

本稿では余談であるが,後の法科大学院構想が垣間見えるところは興味深い。

これに対して,反執行部案提出者代表として愛知県弁護士会の野間美喜子弁護士が,「執行部案は,日弁連法曹養成問題委員会意見書を無視し,弁護士増員に圧倒的多数が反対というアンケート結果を無視し,会内合意手続を無視して策定されたものであり,民主主義的ではない。この議案は,判事検事の増員,司法予算の増員をせず,弁護士業務の実態を無視したまま,弁護士だけを増員させる結果を招く。」と反執行部案の提案理由を説明した。

もっとも,これは執行部案の反対理由にすぎず,反執行部案案を推す理由でない。そこで,臨時総会直前の11月27日付毎日新聞にまとめられた同弁護士の意見を引用すると,「弁護士数ではなく、裁判官数が極端に少ないことの方がより問題だ。裁判官の負担加重で訴訟が遅延するなど、国民の満足する裁判になっていない。また,人権擁護、社会正義の実現など弁護士の使命を果たすには、在野性を支える職務の独立性と経済的自立が必要であり、競争状況が生じるような大幅増員に反対」ということである。前者は司法基盤論,後者は弁護士の経済的自立論と呼ばれる主張である。(小林)

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2009年2月 2日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 1)

平成6年12月21日日弁連臨時総会(1)

法曹人口問題に関する日弁連臨時総会というと,平成12年(2000年)12月1日の総会だけを取り上げる人がいる。とても底が浅いと思う。日弁連総会という視点で法曹人口問題を論じるなら,少なくとも4回の臨時総会を研究しなければならない(これでも浅い,という批判は甘んじて受けます。そう言う方は是非,1990年の総会まで遡ってご紹介下さい)。そこで第1回目として,平成6年(1994年)12月21日の臨時総会をご紹介する。

この日,東京商工会議所ホール(新弁護士会館竣工前なので)に1000人近い弁護士を集め,6時間にわたる臨時総会が開かれた。集まった委任状は7800以上。本人出席と委任状出席を合計すると9000人近い。当時約1万6000人いた弁護士の半分以上の票が投じられた臨時総会では,「司法試験・法曹養成制度の抜本的改革案大綱」が議決されるとともに,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」と,「法曹養成制度の『統一・公正・平等』に関する関連決議」がなされた。特に,「司法基盤整備・法曹人口問題に関する関連決議」は,後の日弁連の運命を決定づけることになった,歴史的にとても重要な決議である。

ところが,この関連決議が提案され議決される過程は,現代史のミステリーと言えるほど謎に満ちている。なぜなら,ヤジと怒号が渦巻く,6時間もかかった末に議決された,極めて重要な決議であるにもかかわらず,この関連決議は,圧倒的多数で可決されたからだ。「重要な決議が圧倒的多数で議決されたなら,それまでの侃々諤々の議論は何だったんだ?」と思って当然である。これは,とても奇妙な話であるし,奇妙だと思わなければいけない。

この臨時総会が開催された背景事情は,こうである。平成元年,バブル景気等に伴う検事希望者激減に危機感を持った法務省によって提示され,最高裁判所も支持した司法試験改革案の「丙案」は,要するに若年受験者にゲタを履かせて優遇する案であり,これに反対する日弁連と鋭く対立した。協議の結果,平成3年(1991年)から平成7年(1995年)まで,司法試験合格者を600人,700人と増加させて若年合格者の増加状況を検証したうえ,一定の条件を満たす場合,または「抜本的改革」の合意がなされた場合には,丙案は導入しない,という妥協が成立した。

また,その後の協議の場を,法曹三者に限定せず,外部の有識者も交えた「法曹養成制度等改革協議会」に移すことになった。そこには,法曹三者だけでは2対1と分が悪いので,外部有識者を入れた方が,丙案廃止に持ち込みやすいという日弁連の思惑も反映していた。

しかし,若年合格者は期待ほど増加せず,丙案実施は必至となった。また,日弁連の期待に反し,法曹養成制度等改革協議会は,丙案そのものにあまり興味を示さなかった。それどころか,先進諸外国に比べて余りに少ない法曹人口を規制改革の対象として問題にするようになる。

この逆風の中で,日弁連としては,丙案を導入させないため「抜本的改革案」を策定する必要に迫られる。そんな中,平成6年(1994年),平成7年度日弁連会長選挙が行われ,丙案阻止のため司法試験合格者1000名程度に増員させる案も選択肢として掲げる川上義隆弁護士(故人)を下し,著名な「人権派」である土屋公献弁護士が大差で当選する。この票差には,丙案阻止はもちろん,司法試験合格者1000名を念頭に置く増員に反対する弁護士の票が多く含まれていた。

ところが,平成6年(1994年)10月12日,日弁連理事会に土屋公献執行部が提案した「司法試験・法曹養成制度の抜本的改革案大綱」は,あるべき司法試験合格者数を示さず,かつ,合格者数決定権限を日弁連執行部のフリーハンドに委ねる内容,つまり,1000人も1500人もありうる内容だった。そのため,この「大綱」は土屋公献日弁連会長の公約違反であり,無軌道な弁護士人口増につながるとして反発する勢力が,対案を用意して臨時総会の招集請求を行った。そこで,理事会で議決された上記「大綱」と「対案」のいずれかを選択するべく,暮れも押し迫った12月21日に,臨時総会が開催されることとなったのである。

このような日弁連の「内紛」には,マスコミも注目し,「司法改革の志を忘れるな」(12月19日朝日新聞社説)等の記事が公にされた。

これほど内外から注目を集めた日弁連総会は初めてといってよい。(小林)                                                    

   

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