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2009年3月 6日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 14)

平成7年11月2日日弁連臨時総会(6)

以上で、土屋公献執行部時代に行われた2回の臨時総会のご紹介を終わる。

簡単に要約すると、土屋公献弁護士は、司法試験合格者年1000人への増加反対を公約して、日弁連会長に当選する。

しかし当選後、1000人への増員を容認する方向に舵を切り、平成6年(1994年)12月21日の臨時総会を迎える。

ここで土屋公献弁護士は、執行部案否決を回避するため、反執行部派との「密約」により、ふたたび増員反対に舵を切る。

しかし対外的には、日弁連の増員反対論は全く世論の支持を得られなかったばかりか、反日弁連の世論を背景に、強制加入団体制や自治権を剥奪するとの脅迫を受けることになる。

これに慌てふためいた土屋公献弁護士は、みたび、増員容認に舵を切り直し、平成7年(1995年)11月2日の臨時総会で承認を得る。

この右往左往ぶりが、土屋公献弁護士の資質に由来するのか否かについて、言及はしないが、これが、日弁連の信頼喪失と、法曹人口問題における当事者たる地位の喪失に結びついたことは間違いない。

実に、この2回の臨時総会で、その後の日弁連の運命は決せられた。この後の2回の臨時総会(1997年と2000年)は、歴史的には「付け足し」程度の意義しかない。

ところで、現時点で最新の日弁連「正史」である「日弁連五十年史」では、土屋公献執行部による2回の臨時総会は、どのように要約されているか。

「(法曹人口増員問題につき)会内では様々な討議が繰り返されたが、1994(平成6)年12月、及び翌年11月の二度にわたり臨時総会が開催され、司法試験合格者を1000名程度まで増員させる一方、これを丙案廃止のための抜本的改革案として位置づける決議を行った。」(執筆担当 谷眞人弁護士 東弁)。

読者はこの記述をどう思われるだろうか。もちろん、執筆担当者にも事情はあろう(何しろ、五十周年記念行事実行委員長が、「関連決議」の張本人、辻誠弁護士なのだ)。歴史の恥部は為政者によって常に隠蔽される、というのも経験則であろう。しかし、この記述によって日弁連は、事実を後輩に語り継ぐという責務を放棄したと私は考える。自分のやったことさえ、後輩に語り継げない日弁連に、教科書問題や歴史問題で偉そうな口を叩く資格も無ければ、若手弁護士の「造反」に対して,したり顔で説教する資格もないと思う。私が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の無能ぶりではなく、先達としての責任の放棄である。(小林)

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