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2009年3月31日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 19)

平成91015日日弁連臨時総会(5

執行部案支持の意見として,藤本齊弁護士(二弁)を紹介する。

「私はこの問題について,ある意味で静かに再出発をするというときを迎えているんではないかというふうに思います。そのために,やはり事実に基づいてリアルに見ていくというふうにしたいと思っています。この問題が運動になるかという問題を私は提起しました。日弁連としては現行の統一・平等・公正の制度を高く評価するという点では一致しておりますが,修習期間の問題では,必ずしも一致していないことが明らかになってきました。これで何を訴えていくかというときに,期間の問題を前面に掲げて訴えていくということが人々の理解を得られるとは思えないし,得られてこなかったというのが実際ではないかというふうに思っています。

それからも一つ,日弁連は,サークルのような任意団体でなく,公法人であり,行政権を行使しているにもかかわらず,政府から独立した自治団体であるということによって,その使命を国民から付託されている,責任ある組織であります。我々は法曹養成制度等改革協議会のなかで孤立してきたという事実があります。多数意見に対して批判的な見地を持ち続けるということは当然でありますけれども,事実は事実として,あそこで孤立したのだということは見なければならないだろうというふうに思います。そして多数意見と少数意見を並べて書かれて,これを尊重して具体的な方策を速やかにとれと言われて,とりましょうということでやっている三者協議の中で,少数意見でいけばええねんというふうには,やはり開き直るわけにはいかない。ここが実に苦しいところだということを,やはり冷静に見る必要があるだろうというふうに思います。

『決裂辞さず,国民運動で』と言うのは楽でございますが,多数意見の方も全く国民の声でないとは,ちょっと言えないでしょう。そのときに決裂辞さずということでいった場合には,やっぱり弁護士どもというのは,見てみろ,国民の声が気に入らないと,自分の気に入る国民を,国民運動で,とかいって探しに出かけていくような,そういうやつなんだというふうに言われかねない。国法上の組織である日弁連が,この問題について鈍感であっていいというふうには,私は到底思えません。

運動論を語るときに,やる気の問題などというのは,それは全くの主観主義です。運動を考えるときも一つ一つ事実に基づいてリアルに考えていく必要があると思います。」

反執行部派の矛盾を的確に突き,日弁連の苦しい立場を明確に弁護する名演説である。高山俊吉弁護士が動の名演説とするなら,藤本齊弁護士は静の名演説。炎の高山俊吉に対して氷の藤本齊。両者とも見事だと思う。(小林)

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2009年3月29日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 18)

平成91015日日弁連臨時総会(4

長文になるが,名演説を抜粋してご紹介しよう。

反執行部派からは高山俊吉弁護士(東京)である。

「執行部案は分かりにくい。簡単な事件を起こしたときに,わけの分からない対応が出てきた経験は皆さんもおありでしょう。問題の本質はかなり単純である。それをやたら難しいさまざまな問題で粉飾をしている。粉飾を全部取り払ってみよう。添加剤や可塑剤を払ってみてみよう。そこにあるのは何か,単なるただの1年半受け入れ案だ,それ以外のものではない。

法曹一元,まことに正しい,誤りのない方針である。しかしこのときに法曹一元を言うから,これを我々はまやかしという。1年半は正しいのか正しくないのか,なぜ正面から問わないのか。外圧があるというなら,それは正義の要求なのかを明らかにすべきである。正面から問題を考えようとすることを,一貫してサボタージュしているのが執行部である。

なぜそのような欺瞞的な態度を一貫するのか。条件もないのにあれこれのことを言いつのる。そうすれば本当に真剣に,あるいは善意に考えている多くの人たちが,その中にもしかしたら我々の一歩前進が期待できるかもしれないとはかない期待をも含めて賛同してくる。その賛同を,善意をかすめ取ろうとしている。

我々は賛成できないことは賛成できないと言うことによって,この次の反撃の機会をつくる,その橋頭堡を築いてきた。さまざまな闘いというのは,必ず私たちはそうしてきたのではないか。歴史の教訓ではないか。一歩譲歩をすれば,そこからその次の譲歩への道をつくる。このことは,これまた歴史の教えるところである。仕方がない,仕方がないという言葉を千,万集めても何の力にもならない。そういう集まりを『烏合の衆』という。日弁連の意思決定のプロセスの中にまやかし,ごまかしを混入させる,そういう機会を絶対につくってはならない」

執行部案の本質を的確に捉え,説得力をも備えた名演説だと思う。(小林)

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2009年3月27日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 17)

平成91015日日弁連臨時総会(3

まずB’の,三者協議決裂やむなし,という意見としては,「戦前の官尊民卑を克服し,民主的法曹を育てる制度としてスタートした司法修習制度の中心は実務修習であり,これには最低2年間の期間が不可欠である。修習期間1年半を認める執行部案は,残りの6ヶ月で裁判官・検察官の独自修習を想定するものであり,戦前の分離修習への道を開くものであって,司法官僚制確立の一手段であり,法曹の質を低下させる。これと闘っても負けるという執行部案の議論ほど偽りに満ちたものはない。日弁連は正論を国民に訴えるべきであり,国民に理解されないはずがない。現時点で成功していないのは,日弁連全体で国民に本気で訴えかける運動をしていないから。執行部の翼賛体質を改めさせないといけない」(上野登子弁護士 二弁,岡村茂樹弁護士 埼玉,瀧康暢弁護士 愛知,池本誠司弁護士 埼玉,武内更弁護士 東弁,北條神一郎弁護士 埼玉,佐久間敬子弁護士 仙台,野間美喜子弁護士 愛知,前田知克弁護士 二弁),などがある。

これに対してA’の現実的な戦略をとるべきだとの意見としては,「反執行部案の意見はまことにもっともだが,実現可能性がない。国民の支持も得られていない」(金子光邦弁護士 東弁),「重要なことは修習期間ではなく修習の質。三者協議を決裂させることは,弁護士会の修習への取組の障害になる」(古口章弁護士 東弁)などがある。

また,A’’法曹一元のためには,執行部案を支持するべしとする意見としては,「矢口洪一元最高裁長官でさえ,法曹一元を採用すべきであると述べている」(川中宏弁護士 京都),「日弁連が法曹一元実現のため国民運動を起こすことが執行部案の延長にあると構想して,執行部案を支持する」(斉藤浩弁護士 大阪),「弁護士はまだまだ足りない,研修弁護士制度を積極的に発展させて,日弁連が法曹養成の担い手になるべき」(吉野正弁護士 福岡)「元最高裁長官やマスコミの論者も,真っ正面から法曹一元の必要性を訴えている。ここ3,4年こそが大きな司法改革,法曹一元に向かって前進する好機」(中村洋二郎弁護士 新潟),「私が執行部案を積極的に支持するのは,研修弁護士案が入ったから」(高野嘉雄弁護士 奈良)などがある。

これに対して,B’’法曹一元論は法曹人口増や修習期間短縮とは無関係という見解としては,「最高裁と法務省は戦後50年間続いた司法養成制度,統一修習制度を根幹とするこれを壊そうとしている。戦前の日弁連が戦争に翼賛していった一つの大きな根幹に,分離した不平等な修習による害悪があったことは,だれでもが認めるでしょう。執行部は法曹一元と言って,そこから目をそらしています」(鈴木達夫弁護士 二弁)などがある。(小林)

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2009年3月25日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 16)

平成91015日日弁連臨時総会(2

この時の日弁連臨時総会で,法曹一元という文言が公式に復活した。とはいえ,この総会では,法曹一元の内容には全く触れられていない。坂本秀文副会長(大阪 故人)により,「法曹一元を志向する第一歩として,研修弁護士制度を非公式ながら三者協議で打診した」と紹介されているのみである。この総会において重要なことは,法曹一元の中身ではなく,法曹一元が,法曹人口増員と,修習期間短縮の根拠として用いられていることである。これは,2000121日の日弁連臨時総会で,より端的に用いられるレトリックとなる。

これに対して,反執行部派は,修習期間の短縮は分離修習への道を開くものだから絶対反対するべきだし,その結果三者協議が決裂してもやむなしという。また,執行部派が論拠とする法曹一連論は,法曹人口増や修習期間の短縮とは無関係であるという。

さすが弁護士というべきか,あるいは,3回目の臨時総会で敵味方双方とも論点の整理ができてきたというべきか,この臨時総会での議論は整理しやすく,分かりやすい。佐藤幸治風に整理すると,議論はA執行部派とB反執行部派に分かれ,執行部派の論拠はA’三者協議を決裂させることは現実的な戦略でないとするもの,A’’法曹一元のためには,執行部案を支持すべきとするものに分類される。一方反執行部派は,B’三者協議は決裂やむなし,国民に正当性を訴えるべきとするもの,B’’法曹一元と法曹人口増ないし修習期間短縮は無関係とするもの,に分類される。それぞれの主張を概観しよう。

法曹三者協議

法曹一元

A執行部派

A’維持

A’’推進

B反執行部派

B’決裂やむなし

B’’修習期間短縮と無関係

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2009年3月22日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 15)

平成91015日日弁連臨時総会(1

対外的には日弁連の迷走と分裂と頑迷さと勘違い,そして意思決定能力の欠如を明らかにしただけの土屋公献日弁連会長が任期満了で退任し,平成89年の日弁連会長選挙では司法改革路線の継承を謳う鬼追明夫弁護士(大阪)と,同じ大阪弁護士会の小野良一弁護士の一騎打ちとなった。鬼追明夫弁護士は,法曹養成制度等改革協議会の日弁連側中核メンバーであり,法曹人口大幅増員推進論者であって,これに反対する立場から見れば,悪の親玉のような存在である。しかし増員反対派は,選挙の3ヶ月前の日弁連総会では3500票以上を集約したにもかかわらず,日弁連会長選挙では活動しなかった。鬼追明夫候補8731票,小野良一候補1672票と,大差で鬼追明夫日弁連会長が誕生した。

鬼追執行部1年目の平成8年(1996年)7月から法曹三者協議が始まる。この三者協議は、「今後、法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。」とした前年の法曹養成制度等改革協議会の付帯条項に基づくものだ。この三者協議では,司法試験合格者「当面の1000人」と「中期目標の1500人」の司法修習生をどのような体制で養成するかが協議された。最高裁判所と法務省は,修習期間を短縮しなければ対応できないと主張し,それは本末転倒と日弁連は抵抗する。結局,修習期間は1年半で妥結する。しかし,日弁連は平成7112日の臨時総会で,司法試験合格者年1000人と修習期間2年堅持を決議していたので,この決議を変更しなければならない。そこで,平成91997年)年1015日の臨時総会が招集された。

執行部案は長文だが,要点は次の3点である。

1.         法曹一元制度の実現

2.         1000人体制下での検証を経た1500人体制の協議

3.         修習期間1年半の受け入れ

これに対して,修習期間2年堅持を主旨とする反執行部案が提案された。

執行部案は,冒頭に法曹一元の実現を掲げている点が注目される。司法試験合格者年3000名を受け入れる平成12年(2000年)の日弁連総会は僅か3年後であるが,この総会決議文に42回も用いられた「法曹一元」という文言は,この総会で公式に復活した。(小林)

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2009年3月20日 (金)

事故米事件を反省するなら(6)

三笠フーズによる事故米穀の不正転売は,平成20年(2008年)8月に発覚した。しかし,その前年1月になされた投書を的確に処理していれば,早期摘発が可能だった。

この投書の意味するところは,こうである。

平成18年(2006年)11月,農水省東京農政事務所が,事故米穀の売却をインターネットで公告した。それは平成15年中国産もち米で,残留農薬メタミドホスが基準値(0.01ppm)を超える0.05ppm検出されたので,工業用糊に用途限定して売却するというものだった。そして,このもち米は平成18年(2006年)1117日,三笠フーズに売却された。

三笠フーズは平成19年(2007年)1月,この事故米穀を焼酎や米菓の原料として売り込みをかけた。売り込みの際,三笠フーズが配付した資料には,同年112日付で,厚生労働省が作成した検査成績書が添付されており,基準値以上のメタミドホスは検出されないと記載されていた。

しかし,この売り込みに疑問を持った業者が2社あった。1社は,インターネットで同じ品番のもち米を検索したところ,残留メタミドホスが0.05ppmと表示されているのに,三笠フーズが配布した資料にはメタミドホス不検出と記載されているのは矛盾している,三笠フーズが検査させた米はすり替えられたのではないか?と考え,売却元の農水省東京農政事務所に投書した。もう1社は,そもそも事故米穀でないのなら,なぜ農薬の検査成績書が添付されているのか?その成績書に問題がないのに,なぜ相場の半値で売られているのか?という疑問を持って投書した。いずれも,文章はやや拙いものの,核心をついた指摘である。

ところが,この投書を受け取った農水省の対応は,全くピントがずれていた。

投書が告発する三笠フーズの不正行為は2点ある。1点は,「事故米穀を不正に転売しようとしている」点であり,もう1点は,「事故米穀の検査を偽装した」点である。

ところが,農水省は,事故米穀について「横流しがなされた疑いがある」と考え,売却した事故米穀が全量三笠フーズにあるか否かを確認すれば,「横流しがなされたか分かる」として,福岡農政事務所に,在庫確認を指示した。

これでは,告発の内容と検査の内容が合致していない不正転売「既遂」の告発なら,適切な在庫確認によって「既遂」の事実を確認できようが,告発は不正転売「未遂」であるから,在庫を確認しても無駄だ。。「夜中にマッチとガソリンをもってうろうろしている不審者がいる」という通報があったのに、「どこにも火事が起きていないから大丈夫」と判断したようなモノだ。この時農水省が行うべきは,三笠フーズが行っていたという売り込みの事実を確認することだった。また,厚生労働省の三笠フーズ宛検査成績書の写しがある以上,三笠フーズに対して,その原本の有無を確認するとともに,「工業用糊として買い受けた事故米穀について,なぜ食用の安全性を確認する検査を行うのか」「残留農薬0.05ppmの事故米穀を再検査したのに,なぜ農薬不検出という結果になるのか」を問い質すべきであった。

なぜここまでピントのずれた対応になったのか。怠慢では済まない,癒着があったのではないかと疑われても仕方がないほどの,農水省担当者の無能ぶりではある。

このほか,平成18年(2006年)9月には,東大阪市の米卸会社「日本ライス」が,ブランド米に別銘柄の古米や外国産米,「規格外のくず米」,「加工用米」を混ぜて偽装して販売し,JAS法違反で摘発された事件(この会社は農水省の幹部や大阪府職員に接待攻勢をかけていた事実も明らかになった),平成19年(2007年)9月には,岐阜県梅津氏の米穀卸販売業「伊藤謹」が,他業者から精米の委託を受けた加工用国産米を輸入米とすり替えて納品し,加工用国産米は主食用として外食産業に販売していた事件など,事故米事件を彷彿とさせる事件は,事故米不正転売発覚以前から度々起こっていた。これらの事件について,全国の農政事務所が情報を共有していれば,三笠フーズらの不正も,もっと早く摘発できたかもしれない。(小林)

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2009年3月18日 (水)

事故米事件を反省するなら(5)

事故米事件をシンプルな視点から見直すなら,第一の問題は「なぜそれを防げなかったのか?」であり,それは前回までに述べた。

第二の問題は,「なぜもっと早く摘発できなかったのか?」である。

三笠フーズの事故米穀不正転売は,平成20年(2008年)822日,農水省福岡農政事務所の「商品表示110番」宛になされた匿名の電話と,同月27日になされたより詳細な通報がきっかけで摘発された。

しかし,その前年の129日,農水省関東農政局東京農政事務所宛,三笠フーズを告発する匿名の投書があった。22日には再び投書がなされている。この時適切な対応がなされていれば,1年半早い摘発が可能だった。

129日の投書は,次の内容である(伏せ字は農水省によるもの)。

「前略 突然の手紙で,失礼いたします。 沖縄,鹿児島●●に焼酎原料として売込みの話があるもち米の件で,お尋ねいたします。 このもち米は平成1811月頃インターネットで見ました15年度産の残留農薬0.05%と発表されたもち米と同品ですか? (同品だとしたら別紙同封の分析表は他の米とブレンドして分析したデータか?) ●●中国もちJH-002 (●●?,●●?)●●中国もちZL-014 (●●?,倉庫?)」

22日の投書は,次の内容である。

「東京農政事務所 消費流通課 殿 広島,岡山方面に米菓用で売り物の話が出ていますもち米の件,この品は500トンから800トンくらいあると聞いていますが,売主の分析表を見ると九州方面にあるようです 通常価格の半分くらいの値段で売物がでています。 残留農薬0.01%以下はOKとなっていますが通関の切れた品を何のために分析をしたか。 価格を見ると事故品等で飼料用か工業用アルコール用で売却された品物ですか。 米菓原料卸売業から」

両方の投書とも,厚生労働省が三笠フーズ宛に発行した米残留農薬の検査成績書が同封されており,それには平成19年(2007年)112日付で,メタミドホス「不検出」(0.01ppm未満)との記載がなされていた。また,問題となっている中国産もち米は,東京農政事務所が平成19年(2007年)1117日に三笠フーズに売却した事故米穀約500㎏である。

投書を受けた東京農政事務所は,この500㎏について横流しがないかの調査を福岡農政事務所に依頼し,130日から25日にかけて検査したところ,結果的に米3袋の不足が判明したが,全部で16665袋のうち3袋であって少量であり,数え間違いも考えられる上,業者間の取引では10トン単位が通常であることから,横流しの事実はないとして処理された。

このとき,適切な検査がなされていれば,事故米事件は,これほどの大問題にならなかったかもしれない。(小林)

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2009年3月16日 (月)

事故米事件を反省するなら(4)

余談になるが,事故米事件は政府の陰謀だとする見解に触れておく。

これは,「物品(事業用)の事故処理要領」において,「事故品」の売却処理手順を定めた「第44の(2)」に,「事故米穀を主食用として卸売業者に売却する場合において」と記載されていることを根拠に,「事故米穀を主食用として売却することは政府の方針だった」とする主張である。

平成20年(2008年)1025日付「しんぶん赤旗」で報じられ,同月31日の東京新聞でも報道された。共産党の紙智子参議院議員は,平成20年(2008年)1113日の参議院農林水産委員会でこの点を取り上げ,誤記ではありえないと政府を追及した。この問題は裁判の世界にも波及しており,平成20年(2008年)1126日の新潟日報によると,事故米穀を不正転売したとして買主から7億円超の損害賠償請求訴訟を提起された新潟の島田化学工業は,「事故米澱粉の食用販売は農水省方針に添った扱いだった」と主張した。

こうなると冗談ではすまされないが,「物品(事業用)の事故処理要領」上に「事故米穀を主食用として卸売業者に売却する場合において」とあるのは,文脈上明らかに「事故品を主食用として…」の誤記であり,政府の陰謀と大騒ぎするほどのものではない。それでも「事故品を主食用として売却するのはけしからん」という主張は成立しうるが,それは「事故品」の定義の問題にすぎない。島田化学工業に弁護士が就いているのか否かは知らないが,就いているとすれば,その弁護士は愚かな主張をしたものである。(小林)

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2009年3月13日 (金)

事故米事件を反省するなら(3)

事故米事件は,農水省から見れば,工業用糊等に用途を限定して払い下げたのに,三笠フーズらがこれに違反したという,契約違反行為に過ぎない。この事件の社会的影響に比べ,この極端なアンバランスは,事故米穀の払い下げ制度そのものに欠陥が存在することを示唆している。

事故米穀払い下げの根拠となったのは,「物品(事業用)の事故処理要領」という内部通知だ。これによれば,基準値を超える農薬に汚染された米穀であっても,米菓や酒の原料として売却してよい。しかし,そのようなことをすれば,食品衛生法違反となる。いうまでもなく,内部通知より法律が上位だから,法律に違反する部分は無効である。よって,「物品(事故品)の事故処理要領」は,食品衛生法に反する限りで無効だ。だから,事故米穀の払い下げを行う担当官は,自らの行為が食品衛生法その他の法律に違反するのではないか,という視点を持つことが必要だった。これが,「法律による行政」の考え方であり,農水省の担当者は,この考え方を実践していなかったと思われる。

「そんなことはない。実務上は工業用糊等に用途を限定したのだから,やるべきことはやっている」との反論が聞こえてきそうだ。しかし,用途限定は,担当官が裁量に基づいて権限を行使したのに過ぎない。ここには,「用途を限定すれば業者は転用しないだろう」という上から目線しかなく,「権限を行使しなければ自分が法的責任を問われる」という,法を敬う発想はない。これは大きな違いである。

事故米穀の払い下げが最初に問題となったであろう昭和40年代後半,農林省の担当官は,「物品(事業用)の事故処理要領」に従って処理することだけを考え,より上位の法律に違反するか否かを考えなかった。これが,事故米穀の不正規流通を招いた制度的欠陥であり,そもそもの原因である。言い換えると,このとき農水省は,「内部通知による行政」のみ行い,「法律による行政」を怠ったのだ。

もちろん,農水省が,「物品(事業用)の事故処理要領」の問題点に気付くチャンスは,その後何度もあった。保管前から汚染されていたが,保管開始後の基準変更により販売できなくなったコメは,文言上「事故品」にあたらないのだから,「物品(事故品)の事故処理要領」を適用することに躊躇があって当然だった。また,カドミウム汚染米や臭素汚染米については,独自の処理要領が設けられていったのだから,それ以外の汚染されたコメについても,独自の処理要領を設けるべしという発想が出て当然だった。平成5年(1993年)には緊急輸入のタイ米の残留農薬が大きく懸念されていたし,平成16年(2004年)4月には,ミニマムアクセス米からカビ毒のアフラトキシンが検出されており,外国産米の農薬問題は大きく報道されていたから,このとき,独自の処理要領を設けるという発想を持つことは可能だった。平成16年(2004年)以降,農水省は毎年「食の安全・安心のための政策大綱工程表」を発表しており,その策定に際して事故米穀の処理手順を見直すこともできた。

このように,「物品(事業用)の事故処理要領」の問題点に気付くチャンスは何回もあったにもかかわらず,悪しき前例主義により,すべてスルーされてしまったと思われる。(小林)

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2009年3月11日 (水)

事故米事件を反省するなら(2)

いわゆる事故米穀の不正転売問題は,遅くとも,政府保管米に余剰が発生しだした昭和40年代後半から発生していたと見るべきである。そうだとすれば,ウルグアイラウンドも,ミニマムアクセス米も,事故米問題には直接関係がない。

では,当時,事故米の不正転売は,なぜ防げなかったのだろう。それは一言で言うと,政府による事故米払い下げ制度に,食の安全に対する配慮が足りなかったからだ。

保管米には,環境状の影響や自然災害など,様々な要因で,水ぬれやカビ発生などの事故が発生する。何百万トンも保管しているのだから,どうしても一定の割合で事故が発生することは防げない。この事故米は,従前「物品(事業用)の事故処理要領」という,昭和40年(1965年)に当時の食糧庁長官が出した通知に従って処理されてきた。これは,政府所有物品が事故にあって失われたり,損傷したりしたときに,速やかに処分して,政府の損害を最小限に止めることを基本方針とするものだ。このような基本方針だから,食の安全に対する配慮は副次的なものでしかない。

この「物品(事業用)の事故処理要領」は,損傷を受けた政府所有物品を「事故品」と定義し,このうち,担当官が主食用不適と認定した米穀を「事故米穀」と定義している。大事な点は,事故米穀はあくまで主食用,つまりお米として食するのが不適と認定されただけで,食用に適さないと認定されたわけではない。後に,「病変米のため主食用不適認定された米穀…については…非食用に処理する」との条項が追加されただけで(いつ追加されたかは資料不足のため不明),これとて,非食用として処理される米穀は「病変米」に限定されており,政府所有後に基準値以上の残留農薬が検出された米穀は含まれていない。カビが発生したコメが「病変米」に含まれるかも,解釈上疑義が残る。

すなわち,この要領だけからは,農薬に汚染された事故米穀をせんべいや酒の原材料として売却することは可能であり,何の問題もないことになる。今回,三笠フーズらの行為が摘発されたのは,事故米穀を売却するに際して,担当の地方農政事務所長が,「工業用糊等」と用途を限定したにもかかわらず,それ以外の用途に横流ししたからである。

つまり,農水省から見れば,三笠フーズらは,「地方農政事務所長の指示に違反した」という契約違反を犯しただけだ。この事件の引き起こした影響にくらべ,違反の程度は,形式的にはとても低い。この極端なアンバランスは,どこかに制度的な欠陥が存在することを示唆している。(小林)

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2009年3月10日 (火)

事故米事件を反省するなら(1)

平成209月,三笠フーズ等による政府保管事故米穀の横流しが発覚したことに端を発するいわゆる事故米問題は,「じたばた」発言の太田農水大臣と農水事務次官の辞任など,重大な社会問題に発展した。

政府や農水省は,事故米問題の反省点を探るため,膨大なレポートを作成しているが,どれも非常に難しい。背景が複雑すぎるからである。

そこでいっぺんシンプルに考えてみてはどうかと思う。事故米問題を反省するという視点に立つなら,第一の問題は,「なぜそれを防げなかったのか?」である。

そして,実際には事故米問題を防げなかったのだから,第二の問題は,「なぜもっと早く摘発できなかったのか?」である。

この順番で,事故米問題を見直してみたい。

第一の問題「なぜそれを防げなかったのか?」について,問題を無用に複雑にしているのは,不正転売された事故米が,いわゆる「ミニマムアクセス米」だったという点だ。「ミニマムアクセス米」とは,GATT(関税貿易一般協定)の多角的貿易交渉のウルグアイラウンドで平成5年(1993年)に合意されたものであり,日本は高関税で外国産米の輸入を制限する代わりに年間77万玄米トンの「ミニマムアクセス米」の輸入を行ってきたが,人気がないため余剰米となっていた。そのため,「要りもしない外国産米を輸入するから事故米事件が起きたのだ」という,いささかヒステリックな指摘がなされている。

しかし,ミニマムアクセス米は,不正転売された事故米穀の一部にすぎないから,本来,事故米事件と直接の関係はない。また,報道から推測するに,平成9年(1997年)に三笠フーズに吸収合併された「宮崎商店」は,ミニマムアクセス米の輸入開始より前から,事故米穀の不正規流通ビジネスに手を染めていたと思われる。

政府は,昭和17年(1942年)の東条英機内閣のとき制定された食糧管理法に基づき,すべてのコメを買い上げる政策をとってきた。しかし,戦中戦後の食糧難の時代はともかく,昭和40年代後半になると「古米古々米古々古米」と揶揄されたコメ余り時代を迎える。政府の倉庫で長年保管された古米の中に,カビ等の事故米穀が多量に発生したことは想像に難くない(冷温保存が実施されたのは昭和60年(1985年)からである)。その多くは非主食用または非食用として安価に払い渡されたであろうが,これを不正転売する悪質業者がいたことは,十分想像がつく。事故米問題は,実は昭和40年代後半から発生していたと見るべきである。ただ,それが発覚しなかっただけなのだ。(小林)

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2009年3月 8日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか?(総会編 2 ~総集編~)

「SOUKAI2.pdf」をダウンロード

平成7112日日弁連臨時総会編 ~日弁連がひた隠しにするもの~

弁護士 小林正啓

I.           臨時総会開会に至る経緯

平成7年(1995年)112日,完成間もない日弁連会館講堂「クレオ」で,法曹人口問題に関する臨時総会が開催された。前年1221日の臨時総会から1年も経たないのに,土屋公献日弁連会長以下の執行部は,前年支持した関連決議案を自らの手で覆した。それだけで,これはとてもみっともない総会であることが分かる。

この臨時総会に至る経緯は,次の通りである。

司法試験合格者数は,昭和38年(1963年)から平成2年(1990年)まで,年500人前後であった。しかし合格者平均年齢の高齢化とバブル経済は裁判官と検察官志望者の減少を生み,最高裁判所と法務省は「丙案」すなわち若手受験生にゲタを履かせて優遇する案を提案する。そして,強硬に反対する日弁連と協議した結果,平成3年(1991年)から4年間,合格者数を年600700名として様子を見,若手合格者数の増加が一定条件を満たした場合には丙案を実施しないという妥協が成立する。また,協議の場を法曹三者の協議会から,法曹以外の委員を交えた「法曹養成制度等改革協議会」に移し,意見書をまとめることになった。しかし若手合格者は日弁連の期待ほど増加せず,このままでは丙案実施は不可避となった。そこで日弁連は,丙案に代わる「抜本的改革案」を法曹養成制度等改革協議会に提出する必要に迫られる。

その期限となる年の日弁連会長を決める選挙では,抜本的改革案として「司法試験合格者年1000人」も検討すべしとした川上義隆弁護士と対決した土屋公献弁護士が大差で当選した。

そして迎えた平成6年(1994年)1221日の臨時総会は,上記の経緯からして,法曹養成制度等改革協議会に提案する「抜本的改革案」を策定するためのものだった。平成6年(1994年)1221日の臨時総会では,執行部案・反執行部案で日弁連が二分されたが,同時に,「関連決議」が圧倒的多数で可決されるという奇妙な顛末となった。この関連決議は,互いに否決と分裂を怖れる執行部派・反執行部派の政治的妥協の産物である。しかし,執行部にフリーハンドを許す(1000人や1500人もありうる)執行部案に対して,「今後5年間800人。その後も執行部にフリーハンドを許さない」ことを内容とする関連決議は,実質的には反執行部案に近いものだった。これが,日弁連が法曹養成制度等改革協議会に提案する「抜本的改革案」の土台となる。

平成7年(1995年)721日,日弁連理事会は,この関連決議に添った内容の「司法試験・法曹養成制度改革に関する日弁連提案―抜本的改革案の策定に向けて―」を満場一致で採択し,法曹養成制度等改革協議会に提示した。

しかし,この提案は,法曹養成制度等改革協議会で袋だたきにあう。当時,法曹三者以外の委員は,司法試験合格者数年1500人ないし3000人が妥当という見解であり,法曹三者のうち法務省と最高裁判所は当面1000人(その後1500人含みで検討)という案だった。そこに日弁連は,800人(しかも5年間据え置き)という見解を持って行ったのである。法曹三者以外の委員の立場からは,法務省・最高裁さえ腹立たしいのに,日弁連の見解は論外であり,日弁連には約束の「抜本的改革案」を提示する気が全くないと受け取られて当然である。

81日の日弁連新聞には,「比較的日弁連に理解のある委員」でさえ「日弁連の姿勢は改革否定」と痛烈に批判していると掲載された。

もっとも,ここまでは,当時の日弁連執行部も予測していたはずだ。しかし,日弁連にとって思わぬところから矢が飛んできた。

II.         「強制加入団体性と法律事務独占廃止」という「脅迫」

平成7年(1995年)721日,日弁連理事会は,前年の関連決議である「5年間800人据え置き」に添った内容の「司法試験・法曹養成制度改革に関する日弁連提案―抜本的改革案の策定に向けて―」を満場一致で採択し,法曹養成制度等改革協議会に提示した。

その6日後である平成7年(1995年)727日,政府の行政改革委員会規制緩和検討小委員会は,重点的に規制緩和の検討を進めるテーマの中に,「法曹人口の大幅増員」「外国人弁護士の受入れに関する規制緩和」「弁護士の法律事務独占の見直し」を掲げ,日弁連執行部に衝撃を与えた。このタイミングからして,規制緩和検討小委員会の発議は,日弁連の上記理事会決議に対抗する主旨であることは明白である。この発議のうち,特に法律事務独占の見直しは,弁護士業務の制度的特権を奪う根本的変革であり,これに危機感を抱いた日弁連執行部は,緊急対策本部を設置する。

平成7年(1995年)811日,土屋公献日弁連会長は,日弁連新聞号外「会員の皆様へ」の中で,緊迫した情勢を告げた。

この間,土屋公献執行部と政府与野党との間で,水面下の情報交換がなされたことは間違いない。噂だが,とても「高い筋」から,弁護士法を改正して強制加入団体性を廃止するとの通告がなされたそうである。あくまで噂であり,検証のしようがないが,表面に現れた土屋公献執行部のうろたえぶりから推測する限り,ありうる話と思う。

828日に緊急理事会が,914日に定例理事会が開催され,土屋公献日弁連会長は,「平成11年(1999年)から司法試験合格者数年1000人」を提案する。これは僅か2ヶ月前に理事会全員一致で決定した方針はもちろん,平成6年(1994年)121日臨時総会関連決議を覆す内容だから,正式決定するためには,総会に諮らなければならない。しかし理事会は紛糾し,9 14日,27日,109日と3回開いた理事会の結果,執行部案が4313,棄権10でようやく可決され,112日の日弁連臨時総会に諮られることとなった。

臨時総会予定日の前日である平成7年(1995年)111日付の日弁連新聞には,土屋公献会長が「再び会員の皆様へ」と題する文章を寄せている。ここには,諸般の情勢の中で,「当面5年間800名に固執する日弁連の主張が『孤立』することが決定的となり,このままでは怒濤に押し流されて全てを失う恐れがあるため,良心的世論を味方につけ,修習期間2年を堅持し,丙案実施を阻止するためには1000名の容認が必要」と書かれている。

これは土屋公献執行部がいままでやってきたことの完全否定に等しい。そこで,それまで反増員政策を支持してきた勢力は,この臨時総会に, 721日の理事会で執行部が提案し,満場一致により議決された方針を,そのまま,反執行部案として提案した。

本稿では余談となるが,この経緯を聞いて既視感を持つ弁護士も多いだろう。特に,大阪の弁護士には既視感があるはずだ。この経緯は,平成20年(2008年)86日の大阪弁護士会臨時総会の経緯とそっくりである。大阪弁護士会臨時総会でも,上野勝執行部は,常議員会で総スカンを食った第一案を撤回して第二案を策定して臨時総会を招集し,これに怒った反執行部派が第一案を反執行部案として総会に諮った。つまり第一案も第二案も,執行部が作成した案であることに相違ない。歴史は繰り返す。そして,このような迷走ぶりを普通,「末期症状」という。(小林)

III.        執行部案を弱腰と罵る弁護士,現実妥協路線を説く弁護士

司法試験合格者数年1000人を容認しようとする執行部案に対する反対意見の概要は,大別して整理すると,次の通りである。

1 弁護士の収入を減らし,業務基盤を害するというもの

1000名になったら就職できない修習生がたくさん出てくる」(板根富規弁護士 広島),「すでに司法修習生の就職難が発生しているのに,さらに増やしてどうする。執行部案は若手弁護士に人権活動を止めろというに等しい」(野間啓弁護士 東弁),「我々若手弁護士は司法改革で汗を流して,そして大量増員で若手弁護士だけが血を流すのか」(前川清成弁護士 大阪),「執行部案は将来の歯止め無き増員に繋がり,弁護士の適正人口を害して職業の自立性を失わせ,民主的な弁護士制度を崩壊させる」(野間美喜子弁護士 名古屋),「本当にニーズがあるなら就職の問題にしろ,それぞれの収入の問題にしても,皆弁護士としての品位を保てるだけの収入があってしかるべき」(宮﨑乾朗弁護士 大阪)

2 執行部案はさらなる法曹養成制度「改悪」につながるというもの

「執行部案は,修習期間の短縮,分離修習の始まり,ひいては法曹一元の崩壊につながる」(鈴木和憲弁護士 一弁),

3 日弁連を攻撃する勢力に対して,妥協ではなく,対決すべしというもの

「執行部案は,戦後赫々たる成果を上げてきたこの弁護士会を解体,崩壊するための走狗として,今日の歴史的役割を果たしたことになるでしょう。これは中坊執行部のときから仕組まれた陰謀である」(中根二郎弁護士 長野),「執行部の情勢分析は曖昧だ。日弁連を内部から変質させ独立性と批判性の牙を抜こうとする敵の攻撃に対し,我々は徹底的に闘い抜かなければならない」(荘司昊弁護士 秋田),「行政改革委員会の規制緩和小委員会,この権限がこわいんだなどと言わず,正しいことであれば,堂々と旗を掲げて戦うべき」(松浦武弁護士 大阪),「対権力,反権力,その市民,人民に対して我々が自分たちの職業を巡る利益を率直に語ったときに,何で市民が分かってくれないことがあるだろうか。」(鈴木達夫弁護士 二弁),「もう一回国民の場に堂々と出して,我々正論ぶつけて,国民から孤立したらいいですよ,孤立はしませんよ。堂々と国民とやりましょうよ」(友光健七弁護士 一弁)。

司法試験合格者数年1000人を容認しようとする執行部案に対する賛成意見の概要は,次の通りである。

「法曹人口の増加は,司法改革を実現していく上で最も必要な条件の一つであり,増員反対論は司法改革の流れに反する。成算のない玉砕論であってはならない」(田辺宜克弁護士福岡弁護士会現会長),「若手会員,マスコミ,法務省と最高裁,この三者との連係しつつ司法改革を推進するためには執行部案しかない」(児玉憲夫 もと大阪弁護士会会長),「弁護士はニーズに応えられる数を充足しているとの主張は,国民に受け入れられない」(奈良道博もと一弁会長),「関連決議が,弁護士のギルド的職域保護主義として受けとめられ,それまで比較的好意的であったマスコミの論調も冷ややかなものになった」(久保利英明もと二弁会長),「世論,マスコミ,法曹三者の合意を基本に据える必要がある」(平山正剛もと東弁,日弁連会長),「800という数字では,日弁連がもう法曹養成制度改革協議を決裂させる意思表示をしたというふうにまた市民から誤解されて孤立化を招く」(本敬一郎弁護士 二弁),「地方では弁護士が不足していることは明らか。国民との結びつきを深め,国民的基盤を強化していくことが重要」(佐藤真理弁護士 奈良)

発言者には,この後各地方弁護士会の会長になる人が多い。

執行部案賛成派,反対派は,歯止め無き増員,丙案,分離修習と修習期間短縮の阻止,という目的では共通していることが分かる。違いはその方法論である。執行部派側から言えば,反対派の主張は玉砕論であり,現実的妥協が必要ということになる。

採決の結果,執行部案約5700,反執行部案約3600で,執行部案が可決される。5時間半かかったが,平成6年(1994年)1221日の総会ほどは荒れなかったし,前回のような密約もなかった。両者の差は2100と,前年より開いた。つまり,委任状争奪戦で勝負はついていたのである。このことは,当時の日弁連の重心が,前年の闘争路線から現実妥協路線へと移動したことを示している。

IV.       平成7112日日弁連臨時総会のまとめ

日弁連全体が一致団結しているところを示せば,世論を味方に付けることができると考えた,愚かな画策によって,平成6年(1994年)1221日臨時総会の関連決議のシナリオが書かれ,圧倒的多数で可決された。

しかし,関連決議は会外の誰からも支持されなかった。それどころか,弁護士のギルド的エゴ論は高まる一方だった。それにもかかわらず,土屋公献執行部は関連決議の具体化を喜々として進め,平成7年(1995年)6月ころから,外部に発信し,総スカンを食う。そのうえ,「高い筋」から,「日弁連がこれ以上駄々をこねるなら,弁護士法72条を改正して,弁護士による法律事務の独占を止めさせる。強制加入団体性も廃止する」という,かなり明確なメッセージが発せられた。これにびっくり仰天した土屋公献執行部は,平成7年秋に,現実妥協路線へと180度の方針変更を行う。これを弱腰と取るか,やむを得ぬ選択と取るかが問われ,会員の多数は,路線変更を支持した。これが,平成7112日の臨時総会である。

土屋公献執行部にしてみれば,苦渋の選択だったかもしれないが,そこまで苦労して支持を得た決議案はどう評価されたか。

実は,臨時総会の冒頭質問で,執行部案の将来は的確に予言されていた。「執行部は,執行部案が法曹養成制度等改革協議会で少数説として無視されることを承知の上で提案しているのか」(坂井尚美弁護士 大阪),「改革協では抜本的改革案はまとまらない」(岩井重一弁護士 東京)。そして,そのとおりになった。平成71113日の法曹養成制度等改革協議会の意見はまとまらず,1500人の多数意見と,日弁連の提言した1000人の少数意見の両論併記に終わる。この意見書には,「今後、法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。」という附帯条項がついた。つまり,法曹三者がコップの中で角突き合わせるのはいい加減に止めなさい,ということである。14日の東京読売新聞は,「司法試験改革 具体的増員策示せず 説得力欠く意見書」と批判した。土屋公献日弁連会長が全力で阻止すると宣言した丙案も,平成8年(1996年)からの実施が決定される。

日弁連が800人への固執を捨てた点を評価する新聞の論調は多少あった。しかし総じて言えば,平成7112日の臨時総会決議は,無駄に終わったのである。

V.        右往左往した土屋公献執行部と,失敗を隠蔽した日弁連

以上で、土屋公献執行部時代に行われた2回の臨時総会のご紹介を終わる。

簡単に要約すると、土屋公献弁護士は、司法試験合格者年1000人への増加反対を公約して、日弁連会長に当選する。

しかし当選後、1000人への増員を容認する方向に舵を切り、平成6年(1994年)1221日の臨時総会を迎える。

ここで土屋公献弁護士は、執行部案否決を回避するため、反執行部派との「密約」により、ふたたび増員反対に舵を切る。

しかし対外的には、日弁連の増員反対論は全く世論の支持を得られなかったばかりか、反日弁連の世論を背景に、強制加入団体制や自治権を剥奪するとの脅迫を受けることになる。

これに慌てふためいた土屋公献弁護士は、みたび、増員容認に舵を切り直し、平成7年(1995年)112日の臨時総会で承認を得る。

この右往左往ぶりが、土屋公献弁護士の資質に由来するのか否かについて、言及はしないが、これが、日弁連の信頼喪失と、法曹人口問題における当事者たる地位の喪失に結びついたことは間違いない。

実に、この2回の臨時総会で、その後の日弁連の運命は決せられた。この後の2回の臨時総会(1997年と2000年)は、歴史的には「付け足し」程度の意義しかない。

ところで、現時点で最新の日弁連「正史」である「日弁連五十年史」では、土屋公献執行部による2回の臨時総会は、どのように要約されているか。

「(法曹人口増員問題につき)会内では様々な討議が繰り返されたが、1994(平成6)年12月、及び翌年11月の二度にわたり臨時総会が開催され、司法試験合格者を1000名程度まで増員させる一方、これを丙案廃止のための抜本的改革案として位置づける決議を行った。」(執筆担当 谷眞人弁護士 東弁)。

読者はこの記述をどう思われるだろうか。もちろん、執筆担当者にも事情はあろう(何しろ、五十周年記念行事実行委員長が、「関連決議」の張本人、辻誠弁護士なのだ)。歴史の恥部は為政者によって常に隠蔽される、というのも経験則であろう。しかし、この記述によって日弁連は、事実を後輩に語り継ぐという責務を放棄したと私は考える。自分のやったことさえ、後輩に語り継げない日弁連に、教科書問題や歴史問題で偉そうな口を叩く資格も無ければ、若手弁護士の「造反」に対して,したり顔で説教する資格もないと思う。私が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の無能ぶりではなく、先達としての責任の放棄である。

                                                                                                   以上

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2009年3月 6日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 14)

平成7年11月2日日弁連臨時総会(6)

以上で、土屋公献執行部時代に行われた2回の臨時総会のご紹介を終わる。

簡単に要約すると、土屋公献弁護士は、司法試験合格者年1000人への増加反対を公約して、日弁連会長に当選する。

しかし当選後、1000人への増員を容認する方向に舵を切り、平成6年(1994年)12月21日の臨時総会を迎える。

ここで土屋公献弁護士は、執行部案否決を回避するため、反執行部派との「密約」により、ふたたび増員反対に舵を切る。

しかし対外的には、日弁連の増員反対論は全く世論の支持を得られなかったばかりか、反日弁連の世論を背景に、強制加入団体制や自治権を剥奪するとの脅迫を受けることになる。

これに慌てふためいた土屋公献弁護士は、みたび、増員容認に舵を切り直し、平成7年(1995年)11月2日の臨時総会で承認を得る。

この右往左往ぶりが、土屋公献弁護士の資質に由来するのか否かについて、言及はしないが、これが、日弁連の信頼喪失と、法曹人口問題における当事者たる地位の喪失に結びついたことは間違いない。

実に、この2回の臨時総会で、その後の日弁連の運命は決せられた。この後の2回の臨時総会(1997年と2000年)は、歴史的には「付け足し」程度の意義しかない。

ところで、現時点で最新の日弁連「正史」である「日弁連五十年史」では、土屋公献執行部による2回の臨時総会は、どのように要約されているか。

「(法曹人口増員問題につき)会内では様々な討議が繰り返されたが、1994(平成6)年12月、及び翌年11月の二度にわたり臨時総会が開催され、司法試験合格者を1000名程度まで増員させる一方、これを丙案廃止のための抜本的改革案として位置づける決議を行った。」(執筆担当 谷眞人弁護士 東弁)。

読者はこの記述をどう思われるだろうか。もちろん、執筆担当者にも事情はあろう(何しろ、五十周年記念行事実行委員長が、「関連決議」の張本人、辻誠弁護士なのだ)。歴史の恥部は為政者によって常に隠蔽される、というのも経験則であろう。しかし、この記述によって日弁連は、事実を後輩に語り継ぐという責務を放棄したと私は考える。自分のやったことさえ、後輩に語り継げない日弁連に、教科書問題や歴史問題で偉そうな口を叩く資格も無ければ、若手弁護士の「造反」に対して,したり顔で説教する資格もないと思う。私が最も腹立たしく思うのは、過去の執行部の無能ぶりではなく、先達としての責任の放棄である。(小林)

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2009年3月 4日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 13)

平成7112日日弁連臨時総会(5

日弁連全体が一致団結しているところを示せば,世論を味方に付けることができると考えた,愚かな画策によって,平成6年(1994年)1221日臨時総会の関連決議のシナリオが書かれ,圧倒的多数で可決された。

しかし,関連決議は会外の誰からも支持されなかった。それどころか,弁護士のギルド的エゴ論は高まる一方だった。それにもかかわらず,土屋公献執行部は関連決議の具体化を喜々として進め,平成7年(1995年)6月ころから,外部に発信し,総スカンを食う。そのうえ,「高い筋」から,「日弁連がこれ以上駄々をこねるなら,弁護士法72条を改正して,弁護士による法律事務の独占を止めさせる。強制加入団体性も廃止する」という,かなり明確なメッセージが発せられた。これにびっくり仰天した土屋公献執行部は,平成7年秋に,現実妥協路線へと180度の方針変更を行う。これを弱腰と取るか,やむを得ぬ選択と取るかが問われ,会員の多数は,路線変更を支持した。これが,平成7112日の臨時総会である。

土屋公献執行部にしてみれば,苦渋の選択だったかもしれないが,そこまで苦労して支持を得た決議案はどう評価されたか。

実は,臨時総会の冒頭質問で,執行部案の将来は的確に予言されていた。「執行部は,執行部案が法曹養成制度等改革協議会で少数説として無視されることを承知の上で提案しているのか」(坂井尚美弁護士 大阪),「改革協では抜本的改革案はまとまらない」(岩井重一弁護士 東京)。そして,そのとおりになった。平成71113日の法曹養成制度等改革協議会の意見はまとまらず,1500人の多数意見と,日弁連の提言した1000人の少数意見の両論併記に終わる。この意見書には,「今後、法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。」という附帯条項がついた。つまり,法曹三者がコップの中で角突き合わせるのはいい加減に止めなさい,ということである。14日の東京読売新聞は,「司法試験改革 具体的増員策示せず 説得力欠く意見書」と批判した。土屋公献日弁連会長が全力で阻止すると宣言した丙案も,平成8年(1996年)からの実施が決定される。

日弁連が800人への固執を捨てた点を評価する新聞の論調は多少あった。しかし総じて言えば,平成7112日の臨時総会決議は,無駄に終わったのである。(小林)

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2009年3月 2日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 12)

平成7112日日弁連臨時総会(4

司法試験合格者数年1000人を容認しようとする執行部案に対する賛成意見の概要は,次の通りである。

「法曹人口の増加は,司法改革を実現していく上で最も必要な条件の一つであり,増員反対論は司法改革の流れに反する。成算のない玉砕論であってはならない」(田辺宜克弁護士福岡弁護士会現会長),「若手会員,マスコミ,法務省と最高裁,この三者との連係しつつ司法改革を推進するためには執行部案しかない」(児玉憲夫 もと大阪弁護士会会長),「弁護士はニーズに応えられる数を充足しているとの主張は,国民に受け入れられない」(奈良道博もと一弁会長),「関連決議が,弁護士のギルド的職域保護主義として受けとめられ,それまで比較的好意的であったマスコミの論調も冷ややかなものになった」(久保利英明もと二弁会長),「世論,マスコミ,法曹三者の合意を基本に据える必要がある」(平山正剛もと東弁,日弁連会長),「800という数字では,日弁連がもう法曹養成制度改革協議を決裂させる意思表示をしたというふうにまた市民から誤解されて孤立化を招く」(岡本敬一郎弁護士 二弁),「地方では弁護士が不足していることは明らか。国民との結びつきを深め,国民的基盤を強化していくことが重要」(佐藤真理弁護士 奈良)

発言者には,この後各地方弁護士会の会長になる人が多い。

執行部案賛成派,反対派は,歯止め無き増員,丙案,分離修習と修習期間短縮の阻止,という目的では共通していることが分かる。違いはその方法論である。執行部派側から言えば,反対派の主張は玉砕論であり,現実的妥協が必要ということになる。

採決の結果,執行部案約5700,反執行部案約3600で,執行部案が可決される。5時間半かかったが,平成6年(1994年)1221日の総会ほどは荒れなかったし,前回のような密約もなかった。両者の差は2100と,前年より開いた。つまり,委任状争奪戦で勝負はついていたのである。このことは,当時の日弁連の重心が,前年の闘争路線から現実妥協路線へと移動したことを示している。(小林)

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